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情報化社会とは

こんにちは!今年の夏に「西野亮廣講演会」と「スナック西野」を主催するチームくにたけのメンバー、大平啓人(ヒロト)です!

最初に告知させてください!
6月17日に大阪のなんばにある、頓堀シェルターというところで、
『チームくにたけメンバーと呑み!』
をやらさせてもらいます!
チームくにたけの東京メンバーも来て、みんな(りん先輩以外)で呑みます!
20枠限定で残り3枠です!!是非お越しください!

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今日は、情報化社会とはというテーマでお話しさせていただきます。

情報化社会について、一体何なんだっていうところをお話しする前に、
以前、僕は、関西圏で相手のことを"自分"って指すのは何でなんだみたいなテーマでお話しさせていただきました。
結論から申し上げますと、日本は、特に明治初期ぐらいは、自分と相手、他の人間が見てもはっきりと違いがわかるので、だから"自分"っていう言葉が、本来は"私"を指すのですが、別に"相手"のことを指していてもいいよね!そこがごちゃ混ぜになっても全然いいよね!っていう価値観だったんですよ。

何でかっていうと、見たらはっきりわかるから。
国武 凛とあなたは全然違う見た目をしているし、双子だとしても、喋り方も全然違うだろうし、ホクロの位置とかも違う。
そういった感じで、「全く同じ人間はいないんだから、だから言葉が曖昧でも別にいいんじゃない」っていう、そういった価値観があったから。
それとは対照的に、当時英語を使うアメリカとかは、とにかく私は私、あなたはあなた、ここをはっきりさせましょう!っていうのは、言語にも現れてたんですよ。

だから例えば、絶対に主語から始まるよね。
なんかI eat ramenとか、you are so beautifulとか、そんな感じで主語から始まるじゃないですか。

でも、例えば、be動詞、amっていうのは、Iにしか対応してないので、I am a boyっていうのは、これI不要なんですよ。
なんでかっていうと、amって言ってる時点で私ってわかるから、だからいらないですよね。
だけど、いちいち私はっていうのは、そういった価値観があるから、っていうことなんですよ。

例えばこのI am a boyっていうのは、どれくらい変かっていうと、じゃあ僕とあなたが、2人で住んでいたとして、じゃあ僕が先に出かけるってなったときに、
「行ってくるよー」
って普通言うじゃないですか。 だけど英語ではですね、
「行ってくるよ、俺が」
ちょっと変じゃないですか。いやわかってんねんっていう感じなんですけど。
あとは、
「いただきます、私が。」とか。
なんかそんな感じの雰囲気。

それおかしいんじゃないっていうのは日本で、全然おかしくないよっていうのが英語圏である。
という違いがあって、だから関西圏では相手のことを"自分"って言ったりすると。

あとは"てめえ"とかもそうですね。
てめえっていうのは本来、手前っていう言葉なので、自分のことを指してるんですよ。
だけど今の"てめえ"って、まさに相手のことを指してるじゃないですか。
っていうのもここら辺ごっちゃになってるんですけど、別にごっちゃになっていいんじゃないっていうのが日本の立場であると。

っていうところからですね、始まりまして、明治から現代に進んでどういうふうに変化していったのか。

ここを話すときに、抑えなきゃいけないのは都市ですね。city、都市っていうのは何なんだっていうところをまず抑えなきゃいけないと。

養老 孟司先生っていう本をよく出される方がいて、その方のベストセラーって言うとですね、多分、
『バカの壁』っていうタイトルなんですけど、
これ200万部売れてるんですよ。
200万部本売るって想像しただけでも大変そうじゃないですか。それをやっていると。
で今もどんどんどんどん売れている。

そんな先生が、よく言うのは都市っていうのは脳化社会であると。
脳化社会ってのはどういうことかっていうと、
脳の中にあるもの、意識とか脳とかそういったものが形になって現れたもの。それを都市と言っているんですね。

どういうことかと言いますと、脳、もっと言うと、意識
例えば食べ物を食べたりとか、声で喋ったりとか何かしようって、基本的に意思が一番上にあって、そのもとで僕らは人生を生きているっていう価値観というか考えがあると思います。

もはや当たり前だと思うんですけど、
意思があるっていうのは、人間と他の動物を区別する一つの違いで、
何がすごいのかというと、意思っていうのは同じを作り出すんですよ。

例えば、目の前にリンゴが3つ並んでいたとして、僕らはそのリンゴを見たとき、これは同じだと思うじゃないですか。
だって全部リンゴなんだから、
同じだと思いますよね。

だけど、例えば、猿とか猫とかが目の前の3つのリンゴを見たとき、これらは全部違うものだって考えるわけですよ。 いやわかんないですよ。
考えるかどうかはわかんないですけど、意思がない限りはですね、そういった風に捉えると。

何でかっていうと、違うからですよね。 だって確かに全部僕らは3つともリンゴって考えますし、そういう概念のもとね、僕らはいろんな世界を見ているわけですけど、でも形は違うし、大きさも違うし、絶対に味も違うし、違うことだらけなんですよ。

だから僕らは3つのリンゴに対して同じものだって考えるけど、他の動物は、何か別のものが3つあるって考えるんですよ。
なぜかというと視覚的に違うから

もう一つわかりやすい例を言うと、じゃあ目の前に丸いリンゴがありますね。
丸くて赤いリンゴがあります。
これは何で丸くて赤いってわかるかっていうと視覚から情報を得ているからですよね。

じゃあ一方で、耳から、友達の言葉から聞くリンゴって、これどこから情報を得ているかっていうと聴覚ですよね、耳。
で僕らは聴覚から入ってくるリンゴと視覚から入ってくるリンゴを全く同じものだと考えるけど、絶対違いますよね。 いや僕らの中では同じっていうルールにしてますけど、それは人間の世界のルールであって、リンゴっていうこの音の情報と目の前にある赤いリンゴっていうのはこれ情報として全然質が違いますよね。

だって、言葉に色とかないじゃないですか。
だから全く違う情報なんですよ。
だけどこれを同じにしてるんですね。
これ何で同じにできるのかっていうのはまた別の機会に話せればなと思うんですけれども、
とにかく意思っていうのは同じを作り出すんですね。

で、今典型的な同じは何かっていうと、僕ら人間なんですよ。

僕ら人間は、昨日の国武 凛と、今日の国武 凛と、明日の国武 凛は同じだって考えますよね。
まあもちろんそうじゃないですか。
寝ていきなり虫になることもないし。
っていう感じで僕らは、意識のもとで生きていて、なので同じっていうものを色んなところで作り出していて、その典型例が、自分であるという感じで、 僕らは常々同じっていうものを作り出す

で、その対象が自分にも人間にも当てはまっているんですけど、
厳密に言うと、やっぱり昨日の僕と今日の僕は絶対違いますよね。
だって、サクエバさんに行かせてもらう前の僕と行かせてもらった後の僕は、考え方とか経験が異なるわけですから。
もちろん違う人間だと思うんですよね。
違う人間だし、人間は変化するっていうのは当たり前だし、それはたくさん勉強してきたら分かるんですよ。

例えば、一つの概念を知った時にですね、一気に世界の見え方が変わるっていうのは全然あるんですね。
僕はたくさん勉強してるからそういう経験をしたことあるので、人間は常々変化する。 変化し続けるから、僕のことはもちろんだし、相手のことも分かんないよねって前提に立てるから、あんまり喧嘩とかしてないんですよ。

だけど、基本的にみんな人間は変わらないものだし、昨日の自分と、今日の自分と、明日の自分は同じだって考えますよね。
だから変わらないから、いずれかは自分のことを理解できるし、相手のことも理解できると。

で、相手のことを理解できるっていう前提でコミュニケーションを取るから、なんで分かってくれないんだっていうわけですよね。
でもそれは分かんないですよ。
だって常々変化するんだから。
っていう感じで、やっぱり変化し続けるものに対してですね、意識のもとで動いている僕らは同じであるっていう、一生変わらない普遍のものであると考えてしまうと。 その対象が人間に出るわけですね。

じゃあ一方で、本当に変わらないもの、本当に変わらないものでずっと同じものは何かっていうと、情報ですよね。

例えば、1+1=2っていうのは、変わったかっていうと変わってないですよね。
1+1=2である限り、ずっと1+1=2なんですよ。
明日これが、1+1=3になることはあんまりなくて。 っていう感じで、情報は変わらないですね。

じゃあもっと言うと、ヘラクレイトスっていう人が唱えた万物流転っていう言葉はあるじゃないですか。
万物流転っていうのはあらゆるものはすべて変化すると、移り変わっていくものだと。
じゃあ万物流転っていう言葉は変わってますか?
ヘラクレイトスが唱えた時から万物流転っていう言葉は変化してるかっていうと変化してないですよね。
万物流転っていう言葉はずっと万物流転じゃないですか。

っていうこういう情報は変わらないんですよ。 変わらないしずっと同じなんですよ。
さあここで、まず分かったと。
人間っていうのは同じじゃないしずっと変わり続けるものだと。
一方で情報っていうのは変わらないんですよ。
情報化社会って何なんだっていうところなんですけど、いわゆる情報化社会って、インターネットが出てきて情報が民主化されて、みんな誰でも美味しい彼のレシピが知れて、みたいな、そういった情報がいっぱい回ってますよっていうのを、
情報化社会ってなんとなく僕らは言うじゃないですか、じゃないと養老 孟司先生は言うんですね。
養老 孟司先生の情報化社会ってのはどういう社会かっていうと、
人間が情報化してしまった社会なんですよ。
人間が情報みたいにあたかも俺は普遍のもので変わらないもので、ずっと同じものであるっていうふうに誤解してしまっている。

そういった社会を情報化社会って言ったりします。っていうのが、本当の情報化社会って何なんだっていうテーマに対するアンサーですね。
もう一度言うと、人間が情報化してしまったと。

これはかなり危険だなと思っていて、何でかっていうと人間ってやっぱり何がすごいかっていうと 慣れるじゃないですか。

慣れるっていうのは、ものすごくて
めちゃくちゃ寒い地域に行っても慣れるし、
めちゃくちゃ暑い地域に行っても慣れるし、
っていう感じで やっぱ慣れるのが、適応能力がすごい優れているのが人間だと思うんですけど、これ変わらなくなってしまったらマジで危険なんですね。
例えば、寒さに強い体をずっと変えないとじゃないですか。
じゃあ暑いところに行ったら終わりですよね。
本来人間は変わるものだから、寒さに強い体でも暑さにも適応するはずなのに、これが変わらなかった、まあ死にますよね。

だから危ないんですよ。
そういった社会を情報化社会といって僕は危惧しているというのが今日のお話でございました、
ここまで聞いていただきありがとうございました。
国武 凛でした。
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感想いいます!
今回の文字起こしは、結構な量で大変でした!🤣
この内容も、決して簡単ではなく、自分も理解するのに、4回ぐらい読み返しましたね。

それで、思ったのが、情報化社会って、いわゆる、変化のない社会って、確かに怖いなって思います。なんか、人間の成長自体が止まりそうですよね。
でも、人間の'慣れる"ってのも、自分は怖いと思います。慣れるって、変化するってことじゃないですか。人間って、慣れてしまえばなんとも思わなくなってしまうんですよ。小学生の時に教えてもらったことがあって、
殺人事件とか、そういった関係のアニメとか見てて、慣れた大人が、人を殺してなんとも思わなくなった。っていうのを教えられて、慣れるってのは、いい方向に行けば、成長するけど、間違った方向に行けば、人を殺す事も慣れる。1回殺して、2回目もやれば、慣れてしまい、また繰り返す。
それがあるから怖いですよね。
変化のない時代は、成長がないが、変化のある時代は、成長も、失敗もあると思います。みなさん、成長しましょう!

#チームくにたけ
#カラーオブキャラメル

〔▼大阪Candyのママ くにたけ のnoteはこちら▼〕

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