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青の時代【3】自分の芯となる言葉

そうして中学一年生の夏休みが始まった。
このころの私は宿題を一切しなかった。
勉強もしなかった。
単純の授業の内容はわからないし、学校にも行きたくない。
唯一、本気で取り組んだのは。
吹奏楽部の担当楽器、テナーサックスだった。

テナーサックスを初めて。

実力と努力の差は埋まらない。


当時の吹奏楽部は、チューニングテストという楽器の音程を合わせる
テストがあった。
周りの子ほほとんどが合格していたが、
一向に合格できなかった。

そのため、全体の基礎練習は顧問の先生から参加させられないと
強く言われ誰もいない教室で大泣きしながら楽器を練習した。
やみくもにあの頃はチューニングテストを受けては落ち
を10回/1日で繰り返した(笑)
私は不登校になりつつ、またピアノも習っていない。
そんな自分が周りにおいてかれるのも当たり前の話だった。

サックスパート内


「ちび」だとか、言葉の発音が悪かったので
「早口言葉いってみてよ」ととてもいやな気持ちになった。
私はいやだとは言わず早口言葉を言うのだが、
やはり言えない。
(やがて↑の人を恨むようになる。)

そして、自分の先輩はほかのパートのところに遊びに行って
戻ってこない。

自分は愛嬌があんまりないからか、
人よりおとっているからか、
人に好かれないこと理解した。

こんな部活が嫌だ、最後までいれないかもしれない。


自分の立場を理解した私は、吹奏楽部を中学の時に
辞めようとした。楽器はできないし、
誰も私を必要としていないをとおりこして、
悪口にからかいが私の心の中をむしばんでいく。

先生に相談したが部活の変更はやはりできなかった。
自分が悪いのはわかってるし、親の言うことを聴けばよかった。
反省していたこともあった。

私の人生を変えた夏

夏のコンクール前の1日錬


そうしているうちに夏コンが始まろうとしていた。
練習風景はがらりと変わり、いつもよりかなり厳しい指導になる。
私もそのころには先生がさすがにまずいと思ったのか、
基礎練習の最後らへんから参加させてくれるようになった。
私の時代は多く部員が入りすぎたので、
出られる人が限られた。
その中にサックスパートで私をからかう男子や夏コンのでる一年生が
先生に皆の前で怒られていたのだ。

性格が悪いながら私は、
いつも練習しないで私のことをいじめてくるからそうなったじゃん。
と私は先生が怒っていることがスカッとした。

前半の部分はなんで怒っているかなんで聞いてないが、
確か、何かができなくて遊んでばっかりだったから
怒られてた気がする。

けど顧問が言ったセリフが今の自分を作る
一歩目だった。

私の人生を変えるきっかけになった言葉

「できないからやらないんじゃないんだよ、
できないからこそ努力する。」
という言葉

そのあと、確か顧問はこんな風に言葉を続けた。
「できないなら、自分で家に持ち帰って練習するとか
楽譜を歌うとか、リズムをたたくとか、先生に聞くとか、
それから昼休み練習するとか、いろいろできることはたくさんあるのに
どうして、やらないの?」

ふいに私は、その言葉が心に刺さった。
できないからこそ頑張る……?とても衝撃的だった。
12年間の短い人生
私はできないことは今まで頑なにしてこなかったからだ。
(できないことがあるとすぐ泣く、頑張れなくなる)

空想と母との話し合いの中で(前編)

部活終わりに
努力の美しさを私は頭の中で空想した。

今、誰もこの部活、パートの人、先輩は、
私よりもなんでもできて上に見える。

けど、この人たちは、人にやってはいけないことをしている。
それは、いじめだ。

【どうして、いじめをする人が上に立つのだろう?
能力が高いのはすごいことなのに。
こういう人たちが将来の日本や会社の上司になったとき、
人を殺していくんだよって母親が言ってた。
天才は変わった人だとこの前調べた。
日本に天才が現れないで、社会が衰退するのは
こういう人がいるからそうなる気がする。】
(中一の日記より。)

私は、母の話を聞いて、
「弱い立場の人を私は救いたい」と思って少しずつ
私の中で何かが変わっていった気がする。








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