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をかしのセカイ

 宇宙刑事ギャバンの生涯 

スタンド、バー、居酒屋、スナック、クラブ、キャバレーの犇めく歓楽街を通り抜けて、コインランドリーとカプセルホテルに挟まれた、狭い公園がある。その公園の片隅に石碑が立っていて
「宇宙刑事ギャバン生誕の地」とあった。
古い雑居ビルに囲まれた鬱蒼と茂る雑草に埋もれて、石碑はひっそりと立っていた。

 ヘラクレスの誕生

二〇〇七年十二月二十三日、午後十時十分。○田産婦人科病院の分娩室で助産師の励ましと妊婦の大絶叫と共に一万三六〇〇gの赤ん坊が産まれた。保育器(インキュベーター)にすし詰めにされて手足を動かせず泣き止まない所へ、ひとりの女が現れて蛇を二匹、保育器の中に入れた。這い寄る二匹の蛇を赤ん坊は両手に一匹ずつ捕まえて、捻り殺した。女はチッ、と舌打ちして姿を消した。

 破滅の王

国王と妃のもとに生まれた待望の御子は何不自由なく育てられた。何をするにも侍女が付き添い我がまま放題、好き勝手次第。元気一杯、力一杯病気ひとつしなかったが、怪我は始終絶えなかった。元服を迎えて初陣も果たし弱冠二十歳。血気盛んに悍馬を乗り回して山川峠を駆け馳せ乗り潰し、末は天下取りのおん大将と家臣、臣民の者皆が期待嘱望していたそんなある日、若君は城の物見櫓に立ち城下町の屋根が連なる街並みを眺めていた。と椰子の木の下、家の中庭(パテオ)で行水するひとりの女を見た。すぐにあれは、竹馬の友として共に学び育った指南役の息子へ嫁いだ若妻だと気付いた。それからというもの、王子は日々悶々と、鬱々として楽しまず眠れぬまま月を見て夜を過ごし、血を鎮めようと宵闇の街を彷徨い人を斬った。目はギラギラと異様な光を放ちはじめ、家臣たちはいよいよもって頼もしいと言う者と、危ういと言う者とあった。隣国との水争いが何度目かの小競り合いの後、とうとう国と国の総力を結集しての一大決戦を控えた夜、王子はひとり、陣幕の内をそぞろ歩き、
「おれが何をしたというのだ。これまでひとりの世継ぎとして父と母に見守られ、何不自由なく過不足なく、何欠けることなく我がまま勝手に生きていられたというのに。何だ、このざまは。雁字搦めに搦め取られ、身動き一つ首一つ巡らせることもできん。何がいけなかったのか。そうだ。おれは何ひとつ間違いはしなかった。何ひとつ犯しはしなかった。何ひとつ愚痴をこぼさず、文句ひとつ垂れず、口答えすることなく、怠ることなく生きてきたのだ。それを、このような黒い焔が。このおれを四六時中切り刻み責め苛む。
おお、教えてくれ。おれの行く道を示してくれ。おれの体を、魂を責め苛み煽り立てる焔を鎮めてくれ。確乎とした揺るぎのない、誤りのない道をおれに示し、曇りのない眼で先を見通して隈翳りの無い窓から未来を明るく差し染めてくれ。おお、なんでもやる。この体を。魂をやる。教えろ、ええい誰だ!そこにいるのは、ええいケダモノめ かかってこい!そこにいるのは誰だ そうだ、いるのはおれだ。おれしかいない。おれ自身がおれの中にいるだけだ。答えはない。道はおまえ自身の手と足で作り出し、切り拓いて動かしてゆくのだ。道はおまえと共にでき、おまえと共に働き、おまえの後に残る。おまえが道であり、おまえが道標、おまえ自身が斑猫であり、おまえが世界なのだ。動け、道よ。動け、世界よ。回れ、宇宙よ。花車となって宇宙よ回れ。おまえはその花車に乗り世界を馳せ駆け巡るのだ。」
王子は戦場で背後から友を殺し、修羅場の只中で独壇場、獅子粉塵の活躍、阿修羅のように悪鬼羅刹のように働いた。城へと凱旋すると友の家に遺骨を持って踏み込み、寡婦を犯して妻とした。

 傘がない

煙草屋の軒先のピンクの公衆電話に十円を入れ、ダイヤルを回したが誰も出なかった。冷たい雨がぼくの目の中に降る。道に飛び出した蛙が車に轢かれて、時が止まった。押し絵の世界に冷たい雨が斜めに降る。

 ヘラクレスの栄光

洞窟の中、指を弾いてライオンを倒すと、洞窟の入口から覗き見ていた女はチッ、と舌打ちして姿を消した。

 宇宙刑事ギャバンの生涯

彼のことを思い出そうと老人は目を細めた。
「彼のことはもう誰も覚えちゃいないし、何も話されることなく、思い出されることもなくなってしまった。しかし、それはそれは盛大な国葬が営まれたんだ。わたしは小学校に上がったばかりの鼻垂れ小僧だったが、国王の親衛隊が黒塗りの棺を担ぎ街の中をしめやかに行進すると、ビルや家の窓、沿道から色とりどりの花が撒かれ降らされ、まるで宇宙のすべての色を集めて咲かせた銀河花電車のようであったよ。彼の好きだった曲「バッハのカンタータ第147番」が流れていて、街の子供たちはみんな家の屋根の上にのぼり、葬送の行列にしゃぼん玉を飛ばせた。女たちはみんな泣いていたね。男たちは帽子を手に取り深々と頭を垂れ、老人たちは微動だにせず敬礼していた。棺はカプセルに乗せられて夜空に放たれていった。大気圏突入時、流星になって燃え尽きる火の玉を見上げながら国民は手を合わせ、宇宙の塵芥になった彼の冥福を祈ったんだ。
子供たちにはそのあと、ひとり五百円分のお菓子が配られてね。嬉しかったな。三々五々、別れの挨拶を交わして家に戻っていく国民の足下には五色の花びらの片々が、ちぎり絵のように道を作っていた。もう遠い昔のことだ。誰も話さないし、何も思い出されなくなった。遠い昔、夢物語の現実。本当にあったことなのか、なかったのか。もうよく分からないお伽噺になってしまったんだ。」

 破滅の王

王子は玉座の間に乗り込んで父王を弑し、母后を犯してワイセツ画像をネットで生配信した。国宝として宝物庫に収められていたへその緒で母后を亀甲縛りにし、鞭と蝋燭で責め苛んでいじめ抜き殺していく動画を流した。時を置かず間を置かず電撃的作戦において、自分のあとに生まれた十人の弟妹を親衛隊が暗殺し、王子は国王の冠を戴き王座に就いた。国民は恐懼、驚愕、沈黙し誰ひとり町を出歩くことなく、寝たふりをした。

 選挙カー

「はじまりはじまり。今、ここから我々の戦いは始まるのであります。この暗く陰鬱な先の見えない社会。混迷の度合いを深めていく政治。この現状を打破していくのは我々、〇〇党を措いて他にどの党がやるというんです?我々〇〇党、〇〇〇〇をどうかよろしく よろしくお願いいたします。新しい時代が今、始まろうとしているのであります。始まりは今、まさしくこれから。足下から我々〇〇党からやってくるのです。信じていただきたい。我々の熱意、意志、意欲、情熱、闘志。この熱い強い思いをどうか信じていただきたい。あなた方、国民の方々に信じていただかなければ、我々は何ひとつ、指一本、目配せひとつ出来ないのであります。皆様方の清き一票、曇りなき眼、信じる心、真摯な思い、切実な望み、混じり気のない御信用、御信頼、御心服、帰依、帰服が我々を動かし自由にし、平和と安寧、秩序と調和、安全とゆとり、娯楽と余暇の暮らしのため、精一杯頑張ってまいります。国民の皆様の信頼の上に、血税の上に我々は成り、生かされ、動き、働かせていただき、自由にお金を使わせていただいて、国を作ってまいる所存でございます。どうかくれぐれも我々〇〇党、〇〇〇〇を どうか どうか よろしく よろしく。始りは今、あなた様の信頼と共に。あなたがいるからわたしがある。あなたを思うからわたしがあり、あなたがわたしを思うから国はある。世界はその時、始まるのです。国はその時、動き出すのです。どうか皆様のお力で〇〇〇〇を。どうか一票、清き一票を。〇〇〇〇 〇〇〇〇 〇〇党の〇〇〇〇を、どうかよろしく よろしく お願い致します。

 演歌歌手車田かおる

バンに揺られて三時間、奥深い山間地域の盆地に開けた町の商店街に営業で呼ばれた車田かおるは、車の中で衣装に着替え化粧を済ませて出番を待つこと一時間、一向に呼ばれる気配なく、じりじりと手鏡で自分の顔を見ていた。ようやく町内会長が現れて頭を下げ、申し訳なさそうに言うことには、折からのあいにくの吹雪で客足が遠退き、その上間の悪いことに町の分限者の葬儀が重なって人っ子一人いない。あんまり悪いし、申し訳ないからステージは中止にしましょうと言ってきた。車田かおるは後部シートをバンと叩き、物凄い剣幕で町内会長に食って掛かった。
「なんですって⁉ステージを取り止める?そんなの許しません。許されませんよ。ええ、許されませんとも。わたしが来たからには、わたしは歌います。どんな状況、どんなシチュエーション、どんなハプニング、完全アウェイ、どのようなTPOにも合わせてわたしは歌えますし、16でデビューしてから36年わたしは歌ってきたんです。それがお客様がいないからといって中止にするですって?
ハッ そんなの許しません。許されません。わたしは歌います。たとえ誰もいなくても、地とその地に宿る精霊のために歌います。」
『車田かおるオン・ステージ』の看板が掛かったマイク一本のステージに、彼女は立つ。客はひとりもいなかった。しかし車田かおるは一向に動じることなく、
「皆さん、こんばんは。聞こえない?もう一度、こんばんは。
車田かおるです。今日はここ〇〇町商店街の天竺祭りに呼んで頂き本当に嬉しい気持ちで一杯です。この隣りの△△市には一度来たことがありまして、その時にも沢山の声援と元気とパワーをいただいて、今日も皆様から元気をいただいて帰ろうと頑張って参りました。この度もしっかりと歌わせていただきまして、皆様と共に楽しみ一緒に元気になって帰っていただきたいと思います。それではまず一曲、歌わせていただきたいと思います。わたしのデビュー曲です。あれから36年経ちましたが、この曲はわたしにとってもお客様にとっても大切な、忘れられない大事な一曲になったんじゃないかと思います。聴いて下さい。
『春の子守り唄』。」

すみちゃんが言った
もうこんなに暖かくなったと
すみちゃんが言った
もうすぐ花が咲くわと
わたしは一緒になって口ずさみ
お別れが来ることも忘れて 笑ってた

すみちゃんが言った
何も見えなくなったと
すみちゃんが言った
歌を歌いたいと
わたしは一緒に笑って口ずさみ
あなたともうすぐお別れと 星を見ていた

冬は深く 雪は美しい
すみちゃんにはもう 何も見えない 聴こえない
わたしは泣きながら一緒に口ずさみ
冷たくなったすみちゃんの 手を包んで歌ってた
すみちゃんの大好きだった梅の花と
大好きだった春の歌を
一緒に手を繋いで歌ってた

すみちゃん
あなたは今、どうしているの
あなたはきっと春の庭で
歌を歌いながら笑ってる
大好きな梅の香りを
庭の中で手を叩きながら歌ってる

すみちゃん 会いたいね
すみちゃん 待っててね
すみちゃん 大好きだよ
すみちゃん 今、行くよ

車田かおるが歌っているステージに男がひとり顔を覗かせたが、間違えたと気付いて出て行った。

 消火器を売る男

家を一軒一軒訪問し、消火器は要りませんかと、男は売って歩いた。これといって高い技術は必要なく、ただ誠意と真心と、真摯な態度、腰の低さ、恭しい物腰、裏表のない、腹蔵のない、何物も用意していない、徒手空拳、素手手ぶら素人、丸腰で人に接するだけだった。カタログから選り取り見取りの消火器を選んでもらい、実物は二週間後、現金書留付きで届けられる。男は日が暮れるまで街の一軒一軒を訪ねて歩いた。一日の終わる頃には自分でも何をやっているのか分からなくなって、自分の家への帰り道、いつもの通りの街の灯を見て、なんとか自分を取り戻した。
「ええ、これなんでございます。はい、もちろん品質の保証は間違いっこなし。バッチリ確実100%消防署長お墨付きの、お客様の満足のいくものでございます。もし万が一、仮に何か気に入らない、満足できない、納得できない、不備な点などがございましたら即返品、送料一切こちら持ちでまったく構いません。構いませんとも。それは、ええ。お客様のニーズにもっとも合ったものをいち早く、わたくしどもが提供し応えていく。それがもっとも基本的、抜本的、根本的なことなんでして。たいして必要もない、需要もない、使いもしない無用なものを無理強いに、強引に押し付け売り付けようなどと、そんなそんな。わたくしどもはただただ、お客様の必要に応えるというシンプルにしてかつベストな、ただそれだけのために必死に、わたくしどもは歩いて回らせていただいているだけでして、それはもう。消火器はどうしたって必要不可欠ですからね。
火の手が上がれば人の手には負えない、手が付けられない、お手上げ、魔物のようなものですから。護符が、御守りが、魔除けとしての消火器がなんてったって必要になってくるんです。ええ、ただただお客様の安全安心のために、平和と安寧のためだけに歩かせてもらっています。一家に一本のストックさえあればみんな安心ですからね。ただ消費期限を過ぎますと、詰まって出なくなったりしますので買い換えていただいて。ええ、2年は持ちますから。魔物退治には安心できる陰陽師の護符が効果てき面、家族のために、隣り近所、町内のために、街のために。ぜひ、消火器を一本家に置いていただいて。もし、あの家には消火器がない、だなんてことを言われて噂になってごらんなさい。そんな人聞きの悪いことがぱあっと広がって。そんなことになったら燎原の火と同じ、手が付けらりゃしませんよ。世間様に顔向けできず、お天道様の下、外を出歩くこともできゃしません。ええ、ぜひ一つ。一家に一本。消火器をどうか置いていただきたい。」
男は自分の家に帰り着き、明かりを点ける。台所には消火器が一本置いてある。

 ヘラクレスの栄光

ヒュドラの九つの頭に一樽ずつ酒を吞ませ、真ん中の一頭を斬り落とす。泉の陰から見ていた女はチッ、と舌打ちして姿を消した。

 絵のない絵本

第二十四夜
「わたしはひとつの窓を覗きました」 月は話した。
「そこは美しい森の大地に夢の馬が通り過ぎては遠く嘶く、星の砂漠の涯て。乳色の川が走る遥かな夕暮れに、漁師たちが舟唄を歌う、しずかな港町に栄える真珠市場の、競り歩く男たちの声が賑やかな広場の一画。飴色のタイルが貼られたアパートの窓でした。
おもちゃの飾りが吊るされた小さなベッドに女の子が眠り、すやすやと寝息を立てていました。わたしは思わず女の子に魅入り、あまりの愛おしさに頬っぺにキスしてしまいました」

 宇宙刑事ギャバンの生涯

コロニーの中心部に位置する陸橋を渡ると見えてくる、中央図書館を訪れて国の収蔵する古文書を繙くと、彼の業績、史実、携わった事件の幾つかを知ることができた。最後の事件を担当したのは、彼が三十二歳の時だ。宇宙刑事としての活躍は短く、体力の限界と共に現役を退いた後、長く静かな余生を送った。世間から遠く離れ人の目を避けるように過ごした彼は、宇宙の塵芥となって散った。
残念ながら公開されている文書の中には、どのような事件が彼を引退へと追い込み、決意させ、活躍の場を後にしたのか、詳しいことは何も記されていなかった。ただ、ある決定的な出来事が彼の身に起こり、その後彼は一切の事件から身を引いて世間から姿を晦まし誰にも何も言わないまま国を去った。宇宙への流浪の旅路の途上に客死、亡骸だけが国への帰還を果たしたという。老いさらばえ骨と皮だけに成り果てた体に、かろうじて残った白髪と乾涸びた手足を見た時、国中の者が慟哭の涙を流し、国王は全世界を休日とし喪に服すよう宣言した。国中の到る所から弔門に訪れた人たちは、国立公園の中央に安置された遺体を拝受し、伏し拝み、五体投地し、記帳して帰っていった。季節は真冬で凍るような寒さの中、松明が焚かれ、あちこちで土下座し茣蓙を敷いて割腹自殺する者が後を絶たず、それを一斗缶に廃材を入れて起こした火にあたる家族の一団が物珍しそうに見物していた。蜜蝋で固めた遺体は火影に揺れて、緩やかに笑み割れていって、穏やかに眠っているようにみえた。

 傘がない

都会では 自殺する 若者が増えている
絶望から 未来への 将来 先の見通しへの 絶望から
失意 失恋 失敗 失調 失態 失墜 失業 失言 失格 失禁 失笑 失神から
世界の只中に生まれ落ち 社会の中に育ち 自我に目覚め 社会から孤立し 否定され 弾き出され 落ちこぼれ 世界 世間 世の中 世情 世論の中へ戻っていけない 帰る場所がない 繋がりの切れた都会では 自殺する 若者が増えている
だけども問題は 今日の雨 傘がない
君に会いに行かなくちゃ 君の町に行かなくちゃ
君の家に行かなくちゃ 君に会いに行かなくちゃ
社会と繋がること 世界と一になること 多様の統一 共感覚
ぼくと君が一になって溶け合い 一緒になって未来を切り拓いていく それって いいことだろう
君に会いに行かなくちゃ 君の中に都会が見える
君の中に町が 家が見える 君に会いに行かなくちゃ
だけど傘がない 傘がない

 破滅の王

王は四年に一度の競技会を毎月開催し、すべての種目に出場して優勝した。マラソンでは他の出場者たちがバタバタと原因不明の病いで倒れ、競泳ではスイマーたちが次々に足を攣って棄権した。戦車競走では王の乗る戦車の車輪が外れ、王は側溝に頭から突っ込んで完走できなかったにもかかわらず、オリーブの冠を戴いた。国民は拍手喝采ののち、後ろを向いて反吐を吐き、歓呼と万歳三唱の裏で屁をひった。何に戦勝したのかも分からない凱旋パレードの中、王は山車の上から群集の目ぼしい女を指差し、親衛隊が差された女を王宮に連行していった。全裸に剥いでお白洲の場に座らせ、その面前で馬の交尾を見せしめて、秘め隠し処が濡れている者は殺し、濡れていない者は女中とした。王は柿の実を採るよう木に登らせた者を下から射殺した。国中から集めた高僧の、必要な時にだけ大きくなる簡単便利で使い勝手のよい、重宝な部分に鈴を付けさせ、饗宴を催して乱れた衣装の女中に酌をさせ、チリとでも鈴が鳴った坊主を片っ端から打ち首にしていって、最後にひとり残った者に褒美を取らせようとした。見ると、とうにすべての鈴が振り切れ、傘は大いに張り切り打ち振られていた。

 タクシードライバー

刑事は通り掛かったタクシーを止め、後部座席に滑り込みながら言った。
「あの車の後を追ってくれ。」

 消火器を売る男

一日、一本も消火器が売れなかった日は、足取り重く家路につく。
家には消火器が一本置いてある。黄色い安全ピンを引き抜き、ホースを夜空に向けて引き金を引く。噴射した桃色発光ダイオードが夜空の息吹を吸い込んで、ダイアモンドダストとなって降り注ぐ。天の川轟く銀白色の波濤が粉吹雪を噴き上げて頭上を満たす。驚いて家の窓を開けて見た近くの住民は、外一面の銀世界にあっと声を上げた。手のひらを差し伸ばすと桃色の粉雪が指に付着して、どうやっても取れなかった。男は真っ赤なボンベを手に持ったまま、夜空に向かって咆哮した。消火器を誰ひとり買わない近隣住民に、火事の恐ろしさ、天ぷら火災の恐ろしさ、いかに早く火の手が回り、手が付けられなくなってなす術なく、手を拱いて、ただ茫然と打ち見守っているしかないか、どれほど放火魔が陰に隠れてマッチを擦る瞬間に興奮し、愉楽を感じ、迸り出た炎の色に魅入られ、焔の燃える音に聴き入り、焼け落ちる焦げ臭さに恍惚と、目を細めて陶然と噴き上がる火の粉を見ながらオナニーしているかを、たかが消火器と侮り、蔑み、馬鹿にして買おうとしない、家に一本たりと置いておこうとしない住民に語った。
住民は白銀のゲレンデに流れるユーミンのような説教に打たれて、住民ひとりひとりが一本、消火器を肌身離さずケータイストラップにして、抱き枕に、醤油替わりに、パルメザンチーズの代わりに、オシュレットに、洗顔フォーム、剃刀負けしないシェービングフォームに、ヘアムースに、窓拭きに、洗車に、農薬代わりに消火器を使うと約束してくれた。男は家に戻り、会社に消火器を一本注文して布団に入って眠った。

 ヘラクレスの栄光

黄金の角持つ鹿を寝ても覚めても、食べてる時も催してる時も一年中追い続け、とうとう鹿の角に手を掛け、ものにした時
あとを尾けていた女はチッ、と舌打ちして姿を消した。

 婦人の日記帳

ミス・マーガレットは今日まで独身であった。仕事からの帰り道、業務用スーパーで買い物をして、一人分の夕食を作って、シャワーを浴びて、寝る前には必ず日記を書いた。とりとめもない事、幸福なことをひとつ、不幸なことをひとつ、ありがたかったことをひとつ。明日から二週間の休暇だというその夜、日記帳を広げぼんやりと眺めていると、ページがぱらぱらとめくれてふとこれまでの事、過去の日々が甦ってきた。ミス・マーガレットはあんなこと、こんなことをとつおいつ思い出し笑い、仄かに疼く胸の痛み、甘酸っぱい半熟の果実、よしなしごと徒然と。そして思い立ったのである。
自分の出会った昔の想い人を訪ねる、いつか来た道、帰り道。青春の残り火を訪なう時の旅に出ようと。あの人は今、どうしているのかしらん。どのような生活をして生きているのかしらん。何を考え何を経験し何を求めたのか。何を失い何を得て何を失ったのかしらん。
ミス・マーガレットはキャリーバッグに衣類と化粧ポーチと日記帳を詰め込んで翌朝、太陽の上昇と共に花々を巡り黄金の蜜を探し蓄えるマルハナバチのように飛び立った。過ぎ去った日々を車窓から眺め、揺れながら記憶の経路を辿る黄金の日々の過客となったのである。

 演歌歌手車田かおる

彼女は楽屋裏でマネージャーに激怒していた。
「ビキニで歌えですって⁉ 演歌歌手の、このわたしが⁉冗談じゃない! いくら真夏の夜のプールサイドだからって、演歌歌手のわたしが、ビキニですって⁉イヤです。断りなさい。なに?先方さんに失礼ですって?わたしの立場はどうなるのよ、わたしの演歌歌手としての立場は。これでもれっきとした芸歴26年、ベテランクラスよ。そのわたしにビキニで歌えって、そりゃあ向こうの方が失礼ってもんでしょう。このわたしに、ビキニで。一世一代、不世出の演歌に命を懸けてる今世紀最後の演歌歌手なのよ。この衣装を見なさい、これを。この美しい着物。母がこれを着て歌っておくれと、実家から送って来た大切な加賀友禅の衣装なのよ。これを着て、いつか故郷に錦を飾りたいじゃないの。ええ?それを、ビキニで⁉演歌歌手が?芸歴26年の大御所が?わたしは着物を着て歌います。暑かろうが寒かろうが、プールサイドだろうがサイドカーだろうが富士山のてっぺんだろうが地獄の1丁目だろうが、わたしは着物で歌います。誰がなんと言おうとそれが演歌歌手です。演歌ですもの日本のこころ。ビキニなんて着てられますか。ええ、いいですとも。その営業部長を呼びなさいよ。」
ナイトプールの主催者とすったもんだした挙句の末、ビキニ姿で真夏の夜のプールサイドに立って歌う車田かおるがいた。

 ヘラクレスの栄光

ケンタウロス族の酒を飲んで大いに暴れ狂ったヘラクレスは、赤いボンベを背負って逃げていく男のあとを追いかけ、放った一矢が不死なるケイローンの膝と猪を一度に射抜いた。
馬に乗ってケンタウロス族に打ち混じっていた女はチッ、と舌打ちして姿を消した。

 宇宙刑事ギャバンの生涯

彼の名を一躍、有名にし全宇宙にその名を轟かせた事件の記録が、永平寺の庫裏の隅で埃を被っていた屏風絵の中に残っていた。左から右へ四つの場面が描かれており、一つめの場面には天蓋付きベビーベッドの中から、すやすやと眠る赤子を攫ってゆく酒呑童子。二つめの場面は山の洞窟で酒盛りをしている酒呑童子とその仲間たち。三つめの場面に、洞窟に乗り込んだギャバンが宇宙からの光によって0・05秒で蒸着し、ばったばったと敵を薙ぎ倒していく。四つめの場面には酒呑童子が赤子を抱えて山頂へと逃げ、自棄になった酒呑童子は夜空の天元に向け赤子を投げ上げ、赤子はマグマの沸々と滾る火口へと落ちていくかと思われたその時、光速で走り抜けるギャバンが赤子を救い、赫赫と顎を開く噴火口から帚星となって脱出、赤子を天元へ差し上げる。この屏風絵はいつからここにあったのか、寺の住職にも詳しいことは何も分からなかった。

 傘がない

核の傘の下 ぬくぬくと安眠を貪って黒船の来襲があることも知らずに太平楽の世をのうのうと生きている
だけども ぼくには 傘がない
君に会いに行かなくちゃ 君の町に行かなくちゃ
冷たい雨が ぼくの目の中に降り 初めて 君に会えないんじゃないかという気がした
亜細亜防衛構想は絶対安全 核の下 日米安保に小揺るぎなく
大陸間弾道ミサイル(ICBM)迎撃システム成功に狂喜乱舞している ぼくには傘がない
君に会いに行かなくちゃ 君の家に行かなくちゃ
君の家に行けば 温かい飲み物くらい出してくれるだろう
行かなくちゃ 君に会いに行かなくちゃ

 消火器を売る男

家を一軒一軒回って革靴を一足、履き潰すと、仏壇に靴を供えて供養し真夜中、駐車場で新聞紙と一緒に一斗缶に入れ火にくべた。物凄い革の焼ける匂いと足裏の匂いが綯い交ぜになって、くさやのにおいになり街の住人の嗅覚を襲った。吐き気、めまい、体のだるさ痙攣、記憶障害、頭痛、歯痛、神経痛、幻聴、幻覚症状、幻肢痛、譫妄、虚妄、虚言、誇大妄想。この異臭騒ぎ、毒ガス事件に住人たちは犯人探しを始めた。靴供養の火を消火器で消した男は、証拠を完全に消し去った。いつしか住民の記憶からも異臭騒ぎなどまったく消え去っていて、みんな眠っていたという、完璧なアリバイが成立した。男は明日のために新しい靴を磨いて眠り、消火器を売って歩く夢を見た。

 破滅の王

王は町に火を放ち551HORAIを食べながら、火の見櫓から高みの見物をした。火影に王の喜悦の表情が妖しく踊り、木の爆ぜる音、瓦礫の崩れ落ちる音を心地好く耳にした。逃げ惑う住民に拍手喝采を送り、ブラヴォーの声を惜しまず、キャンプファイヤーを取り囲んで侍女と宦官に挟まれた王は手を繋ぎ輪になって踊った。円座に胡坐をかいて座る家臣たちは太腿の上の拳を握りしめ、家老のひとりが王を諫めると、王はその家老に千人の美女を宛がい腹上死させた。家臣は我も我もと王をお諫めいたし、王は次から次へと美女を与えて腕枕の中、膝枕の上、寝首を掻かせた。灰燼に帰した国の真ん中を歩きながら、王は国の再建計画、国家再生プロジェクトの構想をぶち上げた。国とひと、資金と技術、時間とエネルギー、職人の腕と技の粋を結集しバベルの塔の建設に着手すると、全世界に向けて声明を出した。はじめ職人たちは畏れをなし、天罰を怖れて自ら首を括り地獄へ堕ちていく者が絶えなかったが、どうせ地獄行きなら天へと伸びる驕り昂ぶりの塔へと挑戦し、あわよくば天国
の門へと滑り込む。いやいや、せめてペテロの守るその門扉に口づけ。ちらとでも中を垣間見ることができれば本望、ご利益、御開帳ならなお結構、冥途の土産にもなる。地獄堕ちでも構やしないと、率先して我勝ちに塔の建設に従事する者が出てきて、あれよあれよと蟻が砂糖の山に群がり、アリクイのことも忘れて蟻塚を築くことに夢中になって他の事には目もくれず、塔はどんどん天へと近づいていった。労働の歌。王を褒め称える偈(げ)、頌(じゅ)。世界の豊饒を言祝ぐ言祝ぎ歌。命を全うした者を弔い送る弔い送り歌。施工主万歳三唱の喜びの歌。疲れた身体を癒す小夜歌(セレナーデ)。つるはしとシャベルの音。切り倒す木と斧の格闘。起重機の綱を引っ張る掛け声。トンカチのトンテンカンテン。王も共に土を運び、猫車を押し、もろ肌脱いで綱を引いた。怒声。罵声。歓声。悲鳴。絶叫と共にヨイトマケの唄が唄われ、バベルの塔は着々と建設が進行していきおぼろげながら、その全貌が姿を現し始めた。
それを見た人々は随喜の涙を垂れ流し、施工主に万歳三唱を繰り返し、国旗を打ち振り、国歌斉唱した。王は朗らかに打ち笑い、手を振り打ち叩き、小躍りして国民に応えられた。まだまだ完成には千年二千年かかるといわれたが、王は倦まず怯まず弛まず諦めず、休むことなく積極果敢に仕事を推し進め、塔の建設はいわれていたよりもかなり早く、五百年で出来上がるかに思われた。

 ヘラクレスの栄光

ぴっちり抗菌ゴム手袋をして片手に除菌クリーナー、片手に棒たわし。地獄の公衆便所掃除をしている彼を見て、女はウンウンと頷いて姿を消した。

 タクシードライバー

運転手は追う車の後ろにぴったりと目を付けて離さず、刑事は後部席から身を乗り出しあれこれといちいち指図した。追う車は高速に乗ると、右に見えるサファリパーク、左には破壊の塔を尻目に長いトンネルに入った。極彩色の光がスパークする泡沫の中、運転手はついつい睡魔に襲われショートスリープを繰り返す。刑事は後部席から
「寝るな!寝ると死ぬぞ!」と声を掛け続ける。追う車との距離が次第に離れ、伸び縮みする時間の只中、色の片々を拾いながら行く先は出口。追う車は限りなく点へと近づき、刑事はシートを叩いて悔しがった。運転手は意識朦朧とし、もうお家に帰りたい。こんなに遠くまでお客さんを乗せて来たことなんかない。
「お客さん、こんなに料金が」と、半泣きの涙声で懇願した。刑事は駄目だと突っ撥ね、早くトンネルを抜けろと促した。タクシーはゆるゆるとナメクジのように穴の中を這い進み、ようやく時間の外へと抜け出た。追っていた車の陰も形もなく、刑事は
「なんじゃあこりゃあ!」とおらび声を張り上げ、運転手は号泣した。料金を割り増し請求し、払うの払わないのすったもんだしている所へ、反対車線を戻って来る追う車を見て追跡は続行された。

 絵のない絵本

第三十五夜
「わたしはひとつの窓を覗きました」 月が話した。
「鏡の前に座った女の子が鼻を抓んでは離し、抓んでは離し、洗濯ばさみで挟んでみましたが、あまりの痛さにすぐに外して涙をこぼし、鼻を赤くして顔をじっと鏡に映していました。突然ワッと泣き出してベッドに倒れ込みました。そしてわたしは聞いたのです。うつ伏せになった口から呟く、くぐもった声に耳を澄ませて
『どうしてこんなにブスなの? こんなんじゃ誰も好きになってくれないし、誰も相手にしてくれやしない。どうして?なぜ?なんでわたしは生まれてきたの?生まれてこなければこんな苦しいこと、悲しいこと、なにもしなくて済んだのに。どうして、生まれてきたの?』
わたしは女の子をやさしく照らし、そっと包んでやりました。わたしにできることはそれだけでしが、女の子は涙で枕を濡らしたままいつしか寝入ってしまいました。わたしは光のシーツを掛けてやりその夜は一晩中、女の子のそばにいてやりました」

 演歌歌手車田かおる

バンは海沿いをひた走り漁港のセリの引けた魚市場で、数人の老婆が残ってウニを売る前に立って歌った。ひとりの婆さまは午後のうららかな春の陽だまりでうたた寝していたが、ひとりの婆さまは涙を流して聞いてくれた。その歌は「母親慕情」といい、デビュー30周年を記念して彼女自身が作詞した思入れ深い曲だった。
 結婚して都会に出てきてはや三年
 いつもあなたを思い出します
 生活に追われて 日々の暮らしに汲々とし
 ああ死んでしまいたい いっそこのままどこかに消えてしまいた
 い
 そんなことを思う時 いつもあなたの顔が浮かびます
 あなたは言いました
「わたしはこの家に嫁いできた お父さんもわたしも小さな寒村に
 生まれた貧しい家の出で 寒空から落ちてくる雪は冷たく身を切
 るような風が吹く
 そんな中でわたし達ふたりは一緒になって 名もない小さな野辺
 の花だが 太陽のように大きく笑って生きよう
 それでこそふたりで生きてる意味もある」
 わたしはあなたの顔を思い出します
 あの頃 いつもあなたは笑っていた
 ひまわりの花のように大きく やさしく温かく包んでくれました
 わたしは結婚して都会に出てきてしまったけれど
 苦しいとか辛いとか思う時には いつもあなたの顔を思い出して
 います
 わたしも名もなき野辺に咲いた花だけど 太陽のように大きく笑
 って生きよう
 あなたが教えてくれました あなたがいたからわたしがいます
 感謝の言葉をあなたに ありがとう

 宇宙刑事ギャバンの生涯

彼がなぜ宇宙刑事となったのか。はっきりしたことは何も分かっていない。どこから宇宙の光は来て、なぜ彼は蒸着するのか。すべては未解決のまま残されている。幾千兆個の星々の光が地球に毎時毎分毎秒毎瞬間ごとに降り注ぐなら、宇宙は光という光、光まみれ、光もぐれ。光だらけの光の海のはずなのに、なぜ夜は暗いのか。彼の決め台詞にこんな言葉がある。
『光は暗闇に光る。しかし暗闇はそれを知らない。お前たちが暗闇を知る時、その時には宇宙が光に満ちるだろう。暗闇を知らず、いたずらに光を見ようとする悪党ども。この宇宙刑事ギャバンが光の鉄槌をくれてやるわ。』
彼が宇宙刑事として彗星の如く登場したのが三十歳の時。僅か二年余りの間に数々の怪物どもを打ち倒し、時代の寵児となってお茶の間を釘付けにし瞬間最高視聴率36・9%という驚異的な数字をはじき出して絶頂を極めたその秋、彼は忽然と姿を消した。まだまだ十分戦えた、この世に悪が蔓延る限り、正義の味方は弱きを助け強きを挫く。いつまでも活躍してほしかったとそれを惜しむ声と、また善と悪がシーソーの両端に乗って上下し持ちつ持たれつバランスをとる、秩序と調和、なあなあのツーカー世界に戻った、光が強ければ強いほど、それだけ闇の深さもいや増し犯罪は凶悪化の一途を辿る、適当でいい加減いい塩梅がちょうどいい、これでひと安心だと、ほっとひと息つく者とが相半ばしたが、すべては時が洗い流してしまって、彼は昔話の物語の主人公になっていった。

 第一発見者

第一発見者は考えた。もしこのまま第一発見者として警察に通報したとする。すると根掘り葉掘り、あることないこと、ありそうなことありそうにないこと、嘘か本当か、真実か虚構か、ねちねちぐずぐずとしつこく訊かれて、もしかして犯人じゃないかと痛くもない腹を探られ、勘繰られ、疑いの目で見られ、犬をけしかけられ、要注意人物としてマークされる。アリバイを訊かれ重要参考人として任意と言いながら有無を言わせぬ威圧的な態度で呼びつけられ、自由な時間はことごとく容赦なく削り取られ食い潰され、メディア・マスコミにつけ狙われて、プライバシーも人権もあったもんじゃない。隣り近所、知り合い、世間からも興味本位の目で見られ、世間話、ネット上、井戸端会議で槍玉に上げられ、「おまえが犯人だ!」と暗示をかけられ、ウソ発見器に掛けられ、取調室で卓上ライトの光をまともに顔に当てられて丼物、お袋の話で泣き落としにかけられ、「自白すれば楽になる」「親も兄妹にも迷惑をかけなくて済む」と夜も眠れずノイローゼになり、幻聴・幻覚・悪魔の登場、最後は精神病院行きだ。そこで一生涯、自分は犯人なんじゃないか自分がやったんじゃないかそうだ自分だ自分がやったんだそうだったんだと思い込み、信じ込んで、間違いなく、絶対確実100%犯罪者に仕立て上げられ、まんまと丸ごと、物の見事に術中に罠に向こうのストーリーに筋の見立てに嵌まり犯人にされる。精神鑑定の結果、本人に倫理判断能力はなかったとする鑑定結果が出されて、無罪が言い渡されるがそのまま病棟入り。死ぬまで娑婆の空気を吸うことなく、疑いと潔白、真実と虚構、偽りと欺き、確信と虚妄、夢と現実の間(あわい)を彷徨うワンダラーとなって一生を終える。
そんなのはイヤだと、第一発見者は黙って現場を通り過ぎた。

 ヘラクレスの栄光

青銅のガラガラを鳴らして森の鳥たちを追い払い、牡牛に乗ってロデオする彼を、会場の観客席の一番後ろから見ていた女は、チッと舌打ちして姿を消した。

 消火器を売る男

家を一軒一軒回り終えて次の町に行く途中、マンションの一隅に置かれた消火器を見つけた。アイロンを掛けた綺麗なハンケチを背広の内ポケットから取り出し、埃を被った赤いボンベを丁寧にピカピカに磨き上げた。黄色い安全ピンをしっかりと確認し、消費期限をチェックした。切れていればマンションの管理人にこの怠慢、失態を責め立て、咎めだて、厳重注意し、これからはおさおさ怠りないように、消火器の消費期限を自分の誕生日と一緒にケータイに入れておくように。そうしておけばその日にベルが鳴り消火器の取り換え時期だと教えてくれると勧めた。消火器は心の安全ピンだ。消火器はあなたの隣人だ。消火器はあなたのデリカシーだ。消火器はあなたの分身・あなた自身だ。消火器はあなたの大人の玩具だ。消火器は情念の燃え盛る焔を鎮める欲求不満解消のエクササイズ。ひとりでもできる簡単健康体操だ。はじめての方にも、プロのあなたにも。ひとり寂しく過ごす夜にも、みんなとパァっと過ごすパーティグッズにも。生まれたばかりの赤ちゃんにも、汗知らずの天花粉に。老い先短い、余命幾ばくもない末期患者にも、モルヒネとして。消火器はあなたの心の傷を癒し、励まし、勇気づけ、力づけ、元気づけるアロマテラピー。すべてを真っ白に、白紙状態にして0ゼロから、また新たなスタートラインの白線を引く。
消火器を売る男は襟を正し、姿勢を正し、背筋を伸ばし、元を糺し威を正し、すべてを消し去って時間をリセットし、人生をやり直せる白い粉を売るこの喜びと、矜持、興奮、選ばれてあることの恍惚と不安をまた改めて思い出し、確認し、確信し次の町に向かった。

 婦人の日記帳

ミス・マーガレットは子供の頃、16まで過ごした町で汽車を降りて、初恋の人の家を訪ねた。こじんまりとした団地のアパートに彼は両親と彼の妻と4人の子供たちと今も住んでいた。彼は髪も薄くなり体型も崩れて、少し疲れているように見えた。こまめに立ち働いてひっきりなしに笑う明るい妻と、ふたりの双子の男の子とふたりの女の子。男の子は母親似で女の子は父親似の温かい家庭。ミス・マーガレットは紅茶にオレンジスライスを浮かべたシャリマティをいただき、ひとりひとりの子供を抱いてやり、初恋の人とその妻を抱擁して、家を後にした。汽車に乗り車窓から風景を眺めながら、学校の帰り道一緒に歩いて渡った橋の上、「絶対に結婚しよう」と河川敷で探し回った四つ葉のクローバーを、ふたりで一緒に川に落とした。家の前で別れ際、永遠に繋がるキスをすると、夜空にまたたく一番星がわたしの頬にも彼の頬にも流れていた。

 緊急速報

ピロリロリロリン ピロリロリロリン
今夜8時頃、何者かによって何名か死亡。数名が重軽傷。犯人は逃走中。
ピッ さくらチャンネル
「只今入った新しいニュースです。今朝、8時50分頃、何者かが海岸伝いに侵入し一人が死亡。三人が重軽傷を負って、犯人は逃走中。まだ捕まっていないということです。」
ピッ Ωチャンネル
「ええ今夜8時ごろ、一組の男女が国内に侵入し何名かが死亡。犯人は赤いキャップ帽を被り、東の方へ逃げたということです。現場にいます、越場さんに訊きます。越場さん。」
「はい。わたしは今、現場から36km離れた地点にいます。犯行が行われた現場付近は厳重に封鎖され、中に立ち入ることはできません。ここからではまったく現場が見えませんし、何がどうなっているのか、誰が何のために、何の目的で犯行に及んだのか、まだまったく分かっていません。」
「あの、亡くなった方のお名前や重軽傷を負った方の安否などはそちらに入っていませんか。」
「そういった情報は何も入っておりません。ここから現場までの間は警察車両と装甲車によって封鎖され、検問が行われています。ですから、一体何が、誰が何のために、何があったのか。まったく分かっていない状況です。」
「分かりました。また新しい情報が入りましたら伝えて下さい。」
ピッ スペシャルチャンネル
「犯人の名前は近藤正樹。31才無職で無銭飲食を繰り返し、無免許無収入無国籍の無為徒食。無断欠勤の無断外泊、無分別の無宿者。親・親戚・兄弟・友人・知人・仕事仲間に金を無心し、借り倒し、脅迫まがいのことを何度も起こしています。」
ピッ 0チャンネル
「犯人はおそらく、海沿いに山の中へと入っていき川を下って現場へと、周到な計画性を持って犯行に及んだ模様です。以上、現場からでした。」
「はい、ありがとうございました。川崎さん、これは一体どういう意図を持った犯罪なんでしょうね。」
「わたしにもよく分かりませんが、ただひとつ言えることはおそらく何者かが強い動機のもとに犯行に及んだ、極めて悪質かつ凶悪な事件だと思いますね。しかし何が目的で、何のために行われたのか現場で何が起こり、何があって、なぜ人が殺されたのか。わたしにも分かりません。」
「それではもう一度、この事件の経緯をお伝えしましょう。今夜8時32分頃、突然ドーンという爆発音と共に何かが破裂し、少なくとも八千人が死亡、一人が重軽傷。犯人は真っ白なTシャツと紺のジャージ姿で北北西に向かって逃走。現在パトカーが追跡中でまだ捕まっておりません。目撃者のインタビューをどうぞ。」
『急に目の前が明るくなって空がドーンって。それでわたしバーンって地面に突き倒されて、何が起こったんだか。あったんだかなかったんだか、さっぱり分かんない。』
『犯人だったかどうか分からないですけど、バミューダパンツにテンガロンハットで。この真冬にそんな格好して塔から降りて来るんだから。なんだろうありゃ変なひとだなと思ってね。』
『もうね、爆風と粉塵が物凄いでしょ。ピカッと光って、ドーンでしょ。天地が引っくり返ったんじゃないかって思うくらい。訳分かんなくて夢中んなって走って逃げましたよ。ええテンガロンハットのベルボトムのお爺ちゃんでしょ。あれはわたしのお祖父さんです。変な格好して人の度肝抜くのが好きな人でね。しょっちゅうそんな事ばっかりして、あんな恰好してね。犯人じゃないかって、疑われたりしないかね。』
ピッ さくらチャンネル
「ええ。犯人はチョビ髭を生やしたチャップリン風の男。杖を突き突きドタ靴で、街の灯りの方へ逃げて行ったと。」
ピッ 0チャンネル
「現場からは何があったのか、まったく情報が入ってこない状況です。町が丸ごとひとつ無くなったような、そんな感じで。辺りは深と静まり返り闇に閉ざされ、何も見えず聞こえず匂いません。逃げて来た人たちも「何があったんですか?」と逆にわたし達報道陣、警察関係者、医療従事者に訊くばかりで。政府の方でも今、懸命に情報の収集に当たっている模様です。以上、現場から橋本
ピッ 寿チャンネル
「今日未明8時50分頃、海沿いにやってきた素浪人風の五人によって国の防衛圏が突破され、郊外の市営団地に住む男性ひとりが死亡。犯人は黒い目庇し帽を被り、東の方へ逃走中。現場から10m以内は立ち入り禁止で捜査線が張られ、検問が設けられています。
ピッ Ωチャンネル
「新しい情報が入ってきました。犯人は赤いマフラーをしたマジシャンだという情報。犯人は赤いマフラーをしたパンジャマン
ピッ さくらチャンネル
『火ですよ。火柱が。誰も消せないくらいの。大きな火の玉が空から、降って来たんです。そりゃ驚きますよああた。ビックリしちゃって、もうねえ。消火器なんかで消されますか!』
『目ぇ開けてらんなかったですよ。あんな風に自分の娘が犯されるのを見てられる親がいますか?ええ? わたしは死にたい。今も娘が泣き叫んで助けを求める声が、声が火の中から聞こえるんです。熱かったろう。断末魔の叫びを上げて、灼熱の地獄の責め苦によがり狂い、どこまでも堕ちてゆく娘の声が。今もわたしの耳の中に木霊してるんです。死なして下さい 死を! おお極悪人め、おれを犯せばよかったんだ。おれを。
ピッ 0チャンネル
「新しい情報が入り次第、お伝えいたします。次のニュースです。
ピッ さくらチャンネル
「UFOの襲来だと確かな情報筋から
ピッ 寿チャンネル
「恒例の餅つきが今年もここ唯我浜で行われ、大勢の人で
ピッ スペシャルチャンネル
「彼は地球外生命体なんです。この星を征服しようと無重力空間をやって来た恐怖の使者
ピッ 消滅

 ゼビウス

月面クレーターに作られた巨大な要塞を眼下に捉えた。ソルバルウは着陸態勢に入り、要塞の中央部分に開かれた収容溝の中へ降下していく。ハッチが閉じ着陸完了のサインが出る。毛利衛はヘルメットを取り整備士達と握手していく。彼がソルバルウのパイロットとして搭乗しはじめて5年、サイト・ムーンへは二度目の寄港で、ミッションの内容はまだ何も聞かされていなかった。ソルバルウに乗る者はまだ世界に6名しかおらず、人類最初のソルバルウパイロットは言わずと知れたニール・アームストロング船長だった。衛がまだ若き研修生だった頃、アームストロングは衛をよく映画館に誘った。アッサムティーを飲みながらポップコーンを頬張り、『戦艦ポチョムキン』『天井桟敷の人々』『バルカン超特急』『蜘蛛巣城』『街の灯』なんかを観た。アームストロングはポップコーンを口に放り込みながら衛に語った。
「ソルバルウは不思議な船だ。静謐で美しい。何ものにも染まっておらず、上品なフォルムを持っている。初めて乗った時、このままひとり宇宙の涯まで旅をして、たったひとり、広漠無遍たる宇宙の時間を旅していってみたい。そんな気持ちに囚われた。きみもまたそんな感覚に陥るんじゃないだろうか。新しい感覚、はじめてのものに触れる感覚は何ものにも変え難いものだ。ひとたび知ってしまったが最後、もう二度とあの初々しい初体験を味わうことはできない。興味関心は徐々に薄れ微かな記憶の片隅に追いやられ思い出すこともなくなる。ひっそり積もった砂となって零れ落ち、宇宙の塵芥へ散っていく。時間が前へ前へと進んでいく限り、つねに新しいものが前から古いものが後ろへ。時間・空間・物質はすべてエネルギーへと還元され、モノの本質、実体、第一原因、第一動因はどこにも無い。あらゆる角度から光が照射されモノの本質を捉えた、これが本物、本当の現実・実存・現存在だと確信した瞬間、それは消え失せる。次から次へと新しいもの、本当本物真実真理が発見されユーレカ!これこそがと叫ぶが、時空物質量力光は一へと還っていく。きみもわたしも一だし、ソルバルウときみも一だ。信じてくれたまえ。宇宙に出たら何度も、元の自分に戻れるのだということ。何度も、幾度も、生まれ変わり、新しいものを、美しいものを、新発見し、新事実に、初体験に驚くことができるのだ。そうだ。宇宙は一瞬間一須臾ごとに再新し、エポックメイキングされわれわれはその只中にあって時々刻々、日がな一日四六時中、年がら年中喜び踊っているダンサーだ。歌い舞い回っている子供だ。信じてほしい。古いものも 知らなければ 新しいのだと。」
衛はソルバルウに搭乗するようになって、そのことを実感していた。喜びに打ち震え、歓喜随喜の涙を流しながら操縦桿を握っていることもしばしばだった。この世に生を享けたこと。宇宙に内に存在していること。そのものが祝祭なのだ。

 選挙カー

「わたしが、この国を変えてみせます。よりよい国、住みやすい国、安心安全な国、豊かな国、一生安穏に安楽に楽しく穏やかに暮らしていける国。我が党が作ってみせます。今の政治を見て下さい。血税を無駄に使い、政治家官僚は汚職にまみれ、使途不明金だらけ。国民の不平不満不公平感は募るばかりです。誰のための国ですか。誰のための政治なんです。国民ひとりひとりのための、人民住民市民県民一民間人一個人のための政治なんです。赤字続きで借金が嵩み、にっちもさっちも首が回らない。このまま行くと国が滅びる。滅びるもまた一興と、国の末路を最期の国民となって孫子に恥の上塗りをし、他国の物笑いの種、嘲笑の的となって破滅の道を、奈落へ堕ちゆく道を、冥府魔道の道行を楽しみますか。それとも、ここで奮起一転、起死回生、獅子奮迅、一発逆転、新しい国を作り直しますか。どうしますか。国民の皆さん、あなた方に決めていただきたい。これから先の未来、この国をどうするのか。滅びの道か再生の道か。あなた方の一票、清き一票にこの国の在り方、存続の仕方が問われている。生か死か。滅か甦か。あなたの一票にかかっているんです。さあ選んで下さい。生か、それとも死か。○○党か
それとも○○党か ○○○○か それとも○○○○か
国の未来はあなたの一票 ただあなたの一票に。」

 ヘラクレスの栄光

ひと食い牝馬を乗りこなし、人馬一体となって馳せ駆け大井競馬場で1着になったのを見届けると、女は外れ馬券を粉々に千切って宙に放り投げチッ、と舌打ちして姿を消した。

 タクシードライバー

街を走るとそこはクリスマスツリーの電飾で一杯で、刑事と運転手は思わず光のページェントに目を奪われた。イヴの夜は街中が浮かれ、恋人たちは甘い予感にうっとりとし、子供たちは興奮と感動で落ち着きがなく、熟年夫婦はちょっと豪華な外食をして夜を過ごす。カップルを乗せた遊覧ヘリコプターが夜空の底に浮かぶ光の街を見下ろし、ホテルの窓から回る観覧車のイルミネーションを眺めるふたりと、ゴンドラの中からホテル全体の部屋の灯りで作られた♡型の絵文字を見つめるふたりの視線が交錯する。こんな夜に男二人で何を求め、何を探しているのか。刑事と運転手はそれぞれ訝しく思ったが、前の車を見失うことはなかった。車体に蛍光の塗料が大量に降り掛かり、色とりどりの世界を流線型のスプーンになって前に進んだ。めくるめく回転木馬がふたりを誘い、事件の真相を闇の中へと置き去りにして、ふたりは眩暈の渦の中へ巻き込まれて行った。

 宇宙刑事ギャバンの生涯

彼が宇宙刑事になったきっかけとなったのではと思われる資料を発見したという情報が我々の元に飛び込んできて、至急その資料があるという海沿いの町に向かった。郷土資料館の表玄関に隣接したロビーのガラスケースの中に、その木片はあった。そこには、
♡マーク相合い傘の下 左側によしこ 右側にギ バン
と書かれてあり、この町の歴史に詳しい地元の郷土史家によると、これは彼が学生時代、初恋のひとにフラれた時に書かれた失恋の相合い傘なのでは、ということだった。ここからは我々の推測・憶測の域を出るものではないが、おそらく彼は学生時代、憧れの先輩であった二つ学年が上のよしこ嬢に告白。しかしながら彼女には幼なじみのお金持ちの婚約者が。ギャバンは絶望と孤独、失意と悲しみのどん底の極みで絶対、見返してやる。絶対ビックになって出世して強くなって、よしこを見返してやる。彼女をギャフンと言わせてやる。ああ、あの時、金持ちのボンボンなんか相手にせず、あなたとちゃんと付き合っていればよかった。あの時、すべてひとの反対を押し切ってあなたと結ばれていれば今頃は宇宙刑事の妻、名誉・名声・権力を手に入れてセレブの仲間入りだったのにと、絶対後悔させてやると誓って、ギャバンは宇宙刑事を志したのではないだろうか。しかし、どのようにして夢を現実に、人類最初の宇宙刑事になったのかについては未だ解明できず、謎のままに残されている。

 演歌歌手車田かおる

山隘の間道を走っていくバンの中で、車田かおるはひとり物思いに耽っていた。芸能生活に入って36年、デビュー曲が一万枚を超えて新人賞にノミネートされたが、それ以降ヒット曲には恵まれなかった。地方を営業・巡業で回り続け、ローカルラジオで10秒だけでも新曲を掛けていただき、有線放送に自分で自分の曲をリクエストし、演歌専門チャンネルには年に一度お情けで出演させて頂いたが、売れなかった。42度の高熱を出し失神しそうになりながらステージに立ったり、急性虫垂炎で身体中から冷や汗を滝のように流しながらデパートの屋上、玩具の乗り物に乗る子供たちの喚声に掻き消されながらミカン箱の上で歌ったり、怖い人たちにショバ代を請求されたり、組の会合の席にお呼ばれし、酔った勢いでもろ肌脱いだ背中には普賢菩薩、肩から胸にかけてのたうつ、乳首を星に象った一番珠(イーシンチュウ)を鷲掴む神龍(シェンロン)を彫り刻んだ若い衆に、会長の面前で奉納枕交いを要求されたり。喉のポリープの摘出手術もした。有り金はたいて歯の矯正、ホワイトニング、顎の骨を削る小顔整形もした。しかし売れなかった。ディレクターに舌打ちされ、マネージャーに溜め息つかれた時も笑って堪え事務所のプロデューサーに新曲の企画を打ち切られそうになった時も、泣いて頼んで土下座してもう一曲、もう1枚と靴を舐めて這いずり回った。事務所の社長にクビを言い渡された時、「一生面倒を見てやると言ったのを忘れたのか。あの時、一緒に撮ったあられもない写真をばら撒いて出る所に出てもいいんだと。なんだったらもう一度、身を任せても構わない。どうにでもしてくれ」と脅迫まがい、逆セクハラ紛いの事を繰り返してこの業界に止まった。しかし売れなかった。もし次の曲が売れなかったら、もうやめよう。窓の外の闇に映る化粧を落とした、呪縛霊のような女の顔を観ながら、かおるは思った。次の曲が売れなかったら、もうやめよう。

 徘徊老人

爺ちゃんがある日、家を出たっきり帰ってこないことがあった。その時はぼくが家のそばの公園の陰に咲く、矢車草に話しかけていた爺ちゃんを見つけ、家に連れて帰った。それからだんだん家を出てったきり帰ってこないことが多くなって、家族総出で探し回って川の上流のダムのほしりで自転車の車輪止めを立てたまま、ペダルをこいでいるのを見つけたり、馬肥やしの中で座禅を組んでいたり、服飾店のマネキンを背負って阿修羅像みたいになって歩いていたり、町中の時計台の針を盗って学校の体育館裏に埋めようとしていたり奇矯な行動が目立つようになった。そんな時はいつもぼくが爺ちゃんを見つけて家に連れて帰った。ぼくには爺ちゃんのやることがなんとなく分かった。この世間から、時間から、空間から、モノとモノの間から逃げ出したいとぼくも思い、爺ちゃんもそう思ったんじゃないだろうか。まだそんな振舞いなどちっともなかった頃、ぼくは爺ちゃんに連れられて何度も坂の下の池にある白鳥型の足漕ぎボートに乗せてもらい、龍をあしらった遊覧船を見ながら思いを青く澄んだ空へと飛ばした。爺ちゃんは長唄、小唄、端唄、時には浪花節と高吟し、ぼくは意味も分からず変な歌と思いながら、どこか遠く寂しく懐かしい、不思議な気持ちでウトウトし、ボートに揺られていた。だからぼくには爺ちゃんの行きそうな所、やりそうな事、好きそうな物がなんとなく分かった。家族もぼくがいることを当てにして、爺ちゃんを施設や特別養護老人ホームに入れることなく、そのまま歩き回らせておいた。だから爺ちゃんは今日も、宇宙の埒外へと旅に出かける。

 破滅の王の妻

王の妻は塔の建設に夢中になっている夫の目を盗み、監禁されていた部屋を抜け出て角のタバコ屋の公衆電話へと急いだ。闇と霧に紛れて漂い着き、十円玉を入れダイヤルG13を回した。
「留守番電話サービスに接続します。ピーという発信音が鳴ったら、メッセージをお入れください。」
ピー
「王の暗殺を依頼します。どのような方法でも構いません。殺していただけさえすれば報酬はいくらでも、言い値でお支払いいたします。連絡が必要な場合は角のタバコ屋の方へ。よろしくお願いします。」

 傘がない

都会では 傘を着けずに嵌め倒し、歩き回り走り回り踊り騒ぎ倒して病気になったと泣き喚き なんでわたしだけ
みんなやってるのに なんでわたしだけこんな目にと
絶対、伝染しまくってやる 復讐してやる みんなで罹れば怖くない なんでわたしだけがと 狂ったように嵌め倒している若者が増えている
だけども 問題は 今日の雨 傘がない
君に会いに行かなくちゃ 冷たい雨がぼくの心に染み入る
君の家に行かなくちゃ 君のこと以外考えられない
それっていい ことだろう 行かなくちゃ

 婦人の日記帳

ミス・マーガレットは次の元カレを探してあちこち歩き回った。よく待ち合わせに使った喫茶店。逞しい身体をスタート台の上でギリシャ彫刻のように静止させた後、水面へきらめく水飛沫を上げて飛び込むのを見ていた市民プール。ボブスレーの競技会で負けて、みんなが帰った後もひとり残っていたスタンド席の真っ赤な夕陽の中に彼がシルエットになって現れて、彼とはじめてキスした。恋の終わり、最後に訪れた山の展望台から見える街の夜景は、涙涙で何も見えなかった。彼の居場所を知っている昔の知り合いと連絡が取れ、そこへ案内してくれた。ビルとビルの隙間にビニールシートで屋根を作り、地べたに段ボールを敷いて生活している彼がそこにいた。ボロボロの布団をひっ被り、フケだらけの髪と伸び放題の髭に牛乳を飲んだ跡がこびり付いている。赤銅色の顔をマフラーでくるみ、拾って集めたシケモクに爪楊枝を刺して吸っていた。フィルターだけになった吸い殻が無数に転がり、指の先を切った手袋から垢とヤニだらけの指が覗く。輸入食品会社で働いていた頃同じ職場のの女性と結婚した。はじめての子供ができた矢先、会社が倒産。職を転々としていくうち酒とギャンブルに嵌まって借金を作り、離婚した。父親が死んでマルチ商法に騙されていた父の連帯保証人になっていた彼は、莫大な借金を抱え自己破産申請した。彼は何も話さず後から知り合いから聞いたことだ。ミス・マーガレットは近くのコンビニでありったけのお握りとおでんを買ってきて、持って来ているお金を全部、彼の手に握らせその場をあとにした。

 緊急特別番組

さくらチャンネル いつ、だれが、何を、どのようにして
「証言VTRを幾つか用意しております。それを見ていただきましょう。」
『激しい爆撃音と共に目の前がパッと、明るくなったんです。懐中電灯でいきなり照らされた感じで。そしたらドーンと、地面が揺らいで。震度5どころじゃないですよ。もっと揺れてましたよ。それでみんな大慌てで逃げ出したんです。』
『犯人かどうかなんてのはわたしにはよく分かりませんけども、五人組の礼服の男が南の方から逃げて来るのを見ていました。わたしの所はマンションの96階なんで、空にぽっかり脳ミソの形をした雲煙が上がるのを見ていました。見えたっていっても随分遠かったと思いますけど。たぶん島の向こう側だったと思います。』
『変な恰好だとは思いましたよ。真冬の夜中にそんな恰好してるなんて変だと。ひとりは縞柄のトランクス1枚にテンガロンハットで、もうひとりは革のタンクトップに羽子板を持っていたんですから。おかしいでしょ。』
「川島さん。これは一体、だれが、何を、何の目的で、どのようになっていたんでしょう?」
「おそらく、何者かが。複数人でしょうね、爆発物かなにかを仕掛けたのか。」
「しかし川島さん、あの事件の当初、死亡者多数、怪我人数百名と報道されていたのが、翌日になるとまったくひとりの死者、重軽傷者なく誰ひとり何も確かな事を知らない。警察、公安、自衛隊は何のために捜査線を張り、町を封鎖し、検問を構えて何を引っ掛けようとしていたんでしょう?犯人といったってそれはピカッと光ってドーンといわせただけ。花火が上がったようなもので一体、何が、どうなったんでしょう?」
「わたしにもそれは分かりませんが、おそらく愉快犯かなにかが面白半分にデマを流し、面白可笑しく世間を騒がせてやろうとビックリドッキリ大作戦を仕掛け、ハプニングを起こしてパニックを誘因してんやわんやの大騒ぎ、大慌ての大はりきり。お祭り好きの国民のことですから絶対に乗って来るだろうという予測の下、用意周到に企てた確信犯ですよ。クレバーで人騒がせな連中です。」
「それだったらまだ笑って済ますこともできるでしょうが、しかし光を見た人たちはその後、ドーンという地の底から響き渡る音を聞いている。何がドーンといったんでしょう、何が。」
「花火だってドーンというじゃありませんか。結構腹に応える。何もなかったんです。すべては誇張され、歪曲され、曲解され、切り貼りされ、取って繋げてコピペされ作り出された物語なんです。架空の、絵空事の、自作自演の狂言芝居。登場した人物・会社・企業・団体名等は現実に存在するものとは一切関係ございません。すべてフィクションなんです。」
「納得いきませんね。これだけ何十万人という人々が目撃し、経験し、証言しているんですよ。そんじょそこらのフェイクニュース、UFO・UMA目撃情報とは訳が違う。緊急速報でテロップが流れて、全世界何十ヵ国という人々に報道され情報が共有された。これは全き事実、現実、真実本当のことじゃありませんか。」
「しかし実際、何もなかった。誰も死ななかったし傷付かなかった。犯人の行方は杳として知れず、そのいわゆる犯人と言われている者も奇妙な恰好をした人物ばかり。三者三様十人十色百花繚乱千差万別万華鏡。情報は食い違い、錯綜し、とても正気の沙汰の人たちとは思われない。妄想の中、ベッドから逃れ出て来た夢遊病者の群れとしか思われない。これは夢です。ひとの頭の中で好き勝手に作っている共同幻想です。すべては夢。人生は夢です。」
「みんなが見た。聞いた。勝った。感じた。本当に信じた夢は、現実なんじゃありませんか。あのアームストロング船長の偉大なる第一歩『わたしの足はとても小さいが人類の平均サイズは25センチ程度だ』と言った。あの一歩も星条旗も月着陸船もスタンリー・キューブリック監督がハリウッドの巨大なスタジオセットで撮影した作り事の、偽りの、捏造、ヤラセ、大ウソ、大ドッキリ、世紀のペテン、グランドイリュージョン、一大デマゴギー。全人類が白黒テレビに齧りつき瞬きひとつしないで固唾を呑んで見守った、信じた夢、幻。全人類が見た共同幻想は、現実の歴史になっている。本当は月になんか行ってなくても、人類は月面に立ったのでは?」
「それについてはここではなんとも‥‥国際問題になりかねませんし、大阪万博EXPO'70では6421万8770人もの人が月の石を見た。アメリカの威信とプライドをズタズタにするようなことを軽々しく口に出して言うことは憚られますし、それが本当か噓か。夢か現か幻か。わたしには分かりかねます。が、しかしこの事件に関してはまったくただ光を見た、音がしたというだけ。太陽が毎朝、東の空から昇ってくるのを見、一拍手一礼。屁を一発ブッこいたというくらいのありきたり、当たり前のごく普通の、日常茶飯事の風景だったんじゃないでしょうか。」
「なるほど。川島さんは何もなかった。誰も、何もしなかったと、そうおっしゃる。太陽の光が闇を払って地を貫き、顔を見せるようなものだと。夫がテレビの前に寝っ転がり、尻をぼりぼり掻きながら結婚二十六年目の妻の前で放発屁するようなものだと。秋の夜長にぼんぼりと、望月が仄かにけざやかに顔を見せたようなものだと。結婚二十六年目の夫婦が夫のいびきにも慣れて妻も負けないくらいのいびきをかいて寝ているようなものだと。そうおっしゃる。よろしい。この事件では何もなかったし、誰も死ななかった。犯人は存在しないし、わたし達はただ初日の出を拝むために元旦の朝早くに山を登った来迎者のように、団子とすすきを用意して十五夜を愛でる風流人のように光を見ただけ。それでよろしいですね。おめでたい。春はあけぼの ようよう白くなりて・・・」

 ヘラクレスの栄光

アマゾーンの女王を拉致して奥座敷の一室で
「あーれー」 女王の帯をくるくる回して引っぺがし処女を奪った。右乳房を切り取ってアマゾネスに紛れ込んでいた女はチッ、と舌打ちして姿を消した。

男はヘラクレスの妻にこう切り出してみせた。
「はい。これでございます。真っ赤なボデェに象の長鼻。黄色い髪飾りをアクセントにいたしました八頭美人。こうして作られましたのがこの消火器でございます。研究に研究を重ねまして何でも消せる。10秒以内に。過去も現在も未来もございません。証拠隠滅もお茶の子さいさい。すべての者は『記憶にございません』と証言するのでございます。シューッとひと吹き噴きさえすれば、あとは雪。一面の銀世界。白紙委任状となりまして無音の雪の中に溶け消え、探すものもございません。思い出は地に沁み込みまして春には緑の息吹を咲かせるのでございます。恋の炎。嫉妬の焔。情欲の火。煩悩の鬼火。憎しみのオーラを掻き消すこともできます。一家に一台。ひとりにつき一本。出かけるときはワスレズニ。背中に括り付けて持ち歩き、いざという時、何かあった時、とっさの判断、緊急事態。諏訪一大事、いざ鎌倉、おっとり消火器で。危機的状況に陥った時、その人の真価が問われるのでございます。そんな時こそ慌てず騒がす、冷静沈着、平常心でもって。諦念達観した明鏡止水の心の眼でもって物事を見定めて、徐に背中から消火器を下ろし安全ピン切って引き金(トリガー)を引くのでございます。火の上の方ではなく、火の根元の方へ。間違いなく、100%消えます。出かける時はワスレズニ。どうぞお試しあれ。お試し期間は2週間。1週間使っても効果がなければ無料で返品可能。送料・手数料もちろん無料。2週間以内に何事も起こらなければ無用の長物、なんの役にも立ちゃすまいと?それはそうでございましょう。そう頻繁に、矢鱈目ったら四六時中、恋の花火がぶち上がり放火の煙が立ち上がるなんてことは、カサノバや放火魔でもいない限りありえませんでしょうが、しかし消火器がある、家に一台。背中に一本、消火器がある。そうあると思っていることが安心・安全につながり、どんな時も、いざという時、火災。天災。人災。運命の鉄槌にも、平然と動かざること山の如し。泰然と自若し対応できるという自信落ち着きという無形の価値。お金で買えるなんてあまりに安すぎるんじゃないかっていうくらいの心の平安。安寧。自信を消火器一本で手に入れられるのでございます。どうです、この色。艶。現品限り新品でございます。消費期限もバッチリ、あと2年あります。どうですか。今ならマッチがひと箱付いてくる。マッチ一本で火を灯し、消火器一本で火を消す。鉛筆に消しゴム。チョークに黒板消し。恩と徒。貸しと借り。商品とお金。罪と免罪符。ギヴ&テイクの。金の貸し借り、恋の駆け引きは慎重に。消火器があった方が何かとお得、便利で重宝でございます。」
ヘラクレスの妻は男から消火器を一本買った。

 破滅の王

塔の建設に飽きた王は妻を殺し、子を殺した。建設半ばで放棄された塔に移り住み、連日連夜家臣たちと祝宴を催した。

 デューク東郷

デューク東郷は奈良、東大寺を訪れ盧舎那仏の眉間(チャクラ)から大白毫の珠を取り出し、ジャケットの内ポケットに収めた。

 タクシードライバー

めくるめく光の金剛界曼荼羅を向上し向下していると、追っていた前の車が止まり、女が降りてきた。刑事も運転手も車から降り、女が来るのを待った。
「あなた方の執着には感服いたしました。女の尻を追う執念深さ、欲深さ、業の深さからはとても抜け出せるもの、逃げおおせるものではありません。観念いたしました。喜んで捕まりましょう。」
「われわれはなにも女の尻などを追っかけていた訳じゃない。前の車に女が乗ってることなど知りもしなかった。われわれはただただ前の車を追跡していただけだ。」
刑事の言い訳など聞きもせず女は素直にお縄につき、タクシーの後部席に刑事と並んで座った。料金メーターは途方もない天文学的な数字を示していたが、刑事は構わず出せと言い、運転手は車を出発させた。」

 象徴詩

闇の胎蔵界にひと粒の涙が蒔かれ 向日葵の花が咲いた
太陽は地球という緑の子を産み 青春の季節 子は旅に出た
あちこち彷徨い逃げ惑い 狐疑逡巡し 悩み抜いた末
地球はすべての地球上の生き物を殺し 歩き疲れ 痩せ衰えた身体
節々が痛み傷付き震える足を引きずり引きずり 太陽の下に戻って結ばれた
光の母はにつこり笑って手を差し出し 流星になって宇宙を渡り
闇に消えた

 婦人の日記帳

ミス・マーガレットは大学時代の彼氏が教職に就いている高校を訪れた。彼は上下ジャージ姿のサンダル履きで竹刀を持ち、彼女が教室に入った途端、
「ノックをしろ!ノックを。ノックをして『失礼します』だろうが。」と怒鳴られた。
やり直しを命じられて改めて教室のドアをノックし、「失礼します」と言って入ると、マーガレットは教室の一番前の席に座らされた。彼は教壇に立ち、
「君はいま何をやっているんだ、OL?それで君は何を見つけたんだ。お金と余暇と責任を得たと。よろしい。君は学生の時分、ミス・キャンパスにも選ばれた才媛で取り巻きの連中が君のあとをぞろぞろ付いて歩く、ぼくもその中のひとりだった。だが何か違うと感じていた。そう、何かが。ぼくは漠然とした気持ちのまま、なんとなく教師になった。教師になって二年目の春、副担任だったクラスの生徒のひとりが死んだ。自死だった。遺書はなかったが、暴行を受けた痕が身体中に無数にあった。いじめのことを誰もが薄々勘付いていたが生徒も、教師も、親も目を閉じ口を噤み耳を塞いでいた。そうやって今日まで毎日をやり過ごして生きてきたんだ。だがしかし、ぼくは敢然と立ち上がって校長に詰め寄って、いじめがあったのかなかったのか。あったならいつ、どこで、誰が、どのようにして始まり、エスカレートしていったのか。問題を徹底追及、責任の所在、処分の検討、これからの学校生活のあり方、学生指導要綱の改革、生徒たちの心のケア、話し合いの場の提供、未然に防止するため兆候をいち早く見逃さないために必要なこと。これまでの学校全体を覆っていた事なかれ主義、どんよりと澱んだ灰色一色の空気を一掃し、ゼロから、いやマイナスからやり直すことを提案し、掛け合った。ぼくはすぐさま地方の廃校寸前の分校に飛ばされた。空気の読めない、ひとりよがりの自己満足、ひとり悦に入ったオナニー教師と揶揄された。事件もいじめも自死もなかった。ひとりの生徒も死ななかった。人ひとりの唯一の命が失われたことも忘れられ、何も起こらなかったことにされた。その子が弱かったから、いじめられる側にも問題があったから、世の中は厳しいから。それでもぼくは教師をやめなかった。このクソッ垂れた社会便器に一石を投じて叛旗を翻し、波紋を広げる。新しい教育を子供たちに伝えたいという情熱があったからだ。ぼくは子供たちと徹底的に向き合い、逃げることなく、最後まで諦めず死ぬまで、自らを犠牲にし無償で魂を捧げる聖戦を起こした。聖職の名を取り戻す聖戦を開始したんだ。ランボーのようにたったひとりで。怪我もしたし病いにもなった。間違いなく早死にするだろうが、そんなことはちっとも厭わない。欲しいなら何年でも命をくれてやる。それが生徒のため、教え子たちの子供たちのため。それが彼らの生きる命の糧となるなら。血となり肉となり彼らが立派に成長し、大人への階段を一歩一歩、着実に自らの足で歩み生きていける、強き者となってゆくなら、ぼくの命などいくらでもくれてやる。ぼくは教師になった。漠然と、なんとなく、行きがかり、成りゆきで、親に勧められて、教員免許を持っておけば食いっぱぐれはないし、世間体はいいし、将来が安定しているからと、ぼくは教師になった。なんとなくの利己的消極的な理由ではあっても、教師になった以上ぼくは命を懸けて生徒を思い、守り、育て、導く。教師は、先生は一生をかけて学び続け、一生をかけて生徒を育てる。子を教え導く導師。今も昔も変わらぬ先に生まれた者。先に生徒だった者として一生をかけて学び、教えていく。それが教師だ。それが学びだ。それが教育だ。それが青春だ。それが聖戦だ。それが聖職だ。それが先生だ。命を懸けて、生徒を守る!」
昔の彼は女の子のお尻を見れば追いかけてキャンバス内をうろうろしていた、ただのストーカーだった。ちょっと目が合っただけでも有頂天になって従いてきて朝から、ひょっとすると昨日の夜から徹夜で家の前で待っていた。断っても怒っても警察に通報すると脅しても、まったくの見猿言わ猿聞か猿で、わたしはノイローゼになり引きこもり、警察の介入があるまでわたしのあとを尾け回したあの彼がと、ミス・マーガレットは度肝抜かれた。
「怖がっているのか?このぼくを?なぜ?どうして?ぼくは生徒のためだけを思っている。君といたあの頃のように自分のことだけにひとりよがりな自己中心、自己満足、承認欲求120%のぼくじゃない。ただ目の前の机の前にいる生徒のことだけ、子供たちのためだけに生きてる。子供たちがいなくなればぼくは死ぬ。それは希望、未来そのものだ。生徒たちの成長がぼくの生き甲斐だ。彼らが何かひとつでも、少しずつでもできるようになるのがぼくの一番の幸福だ。彼らのためにぼくは死ねる。それがぼくの青春だ。学生時代のぼくは君も知っての通りストーカーだった。自分の気に入らないこと、思い通りにいかないことがあるとすぐ他人(ひと)のせいにした。社会が世界が親が悪いんだと、ぼくはひとり泣き叫んだ。こんな腐りきったクソ肥溜め社会に生きてる価値なんかない。いつだって死ねるし、こんな世界、滅びっちまえばいいんだって本気で思っていた。しかし今は違う。ぼくは生まれ変わった。教師として先生として、この世界のすばらしさ、美しさ、生きる価値があるこの世界の有り難さを教える歴史をぼくは伝えたい。古いものでも知らなければ、それは新しいのだと。古いものの中に新しいものが、古い地層の奥深く忘れ去られているものの中から、新しいものを探し出し、見つけ掴み取れと、そう教えよう。君は限られた時間のなかで何をするのか。なにが一番大切で、なにがやりたいのか。考えろ、掴み取れ、そうだ。この世界は新しいものと、美しいものに満ちている。生まれて来た者にとってこの世界はいつも新しい。知らない者にとっては何もかもが、一瞬一瞬新しく、美と驚異に満ちている。それを感じることができるなら、それを教えることができたら。この世界は生きるに値すると、生徒たちも分かってくれるんじゃないだろうか。今今今が、いつも新鮮で美しく面白可笑しいもの不可思議なものである。それが青春なんだと子供たちが分かってくれさえすれば。」
ミス・マーガレットは黒板に向かってチョークを粉にしていき、口角泡を飛ばして書き殴り続ける教師を残して、教室を逃げ出し(エスケープ)た。

 ゼビウス

毛利衛はサイト・ムーンに到着早々、司令官室に呼ばれ今回の任務を言い渡された。コードネームは『宇宙からの使者』。通称S²スターソルジャーと宇宙空間で接触(ランデブー)し、ある物品の受け渡しの後、彼の仕事のサポートに従いてもらいたいということだった。衛はS²スターソルジャーというのが気になった。噂にはよく聞くが、何を目的にし何のために、誰の指令でもって動いているのか、まったくのところ誰も何一つ知らなかった。衛は常々胡散臭いと思っていたし、他の仲間たちも同じように思っていた。なにか嫌な予感がして断ろうかとも思ったが、せっかくサイト・ムーンまで来て何もしないまま、日帰りでαケンタウリまできつく退屈な旅をして戻るのはなんともつまらなかったので、不承不承ながら話を受けた。司令官室に飾られたガガーリン最高作戦司令長官の肖像画に敬礼し、部屋を出た。

 絵のない絵本

第二十六夜
「わたしはひとつの窓を覗きました。」月が話した。
「揺り椅子に母親が座り居眠りしていました。膝の上に母親の両腕に抱かれて、小さな男の子が身じろぎし、わたしの方へ手を伸ばして『ダア』と声をあげました。わたしは母親とその子をぎゅっと抱きしめてあげ、いつまでも見飽きることがなかったのです。男の子はいつしか母親の腕の中で寝入り、ふたりの寝顔を見ながらわたしは一晩中、子守り歌を唄っていました。」

 徘徊老人

ある日、いつものように爺ちゃんがいなくなって、ぼくは探してくるように言いつけられた。海岸沿いを歩いていって防波堤のテトラポットの一番端で、釣り人に混じって薄の穂を垂らしている爺ちゃんを見つけた。ぼくも同じように薄の穂を取って来て垂らしのたりのたりと、小春日和の海を見ているとなんだか眠くなって、気付くとぼくは爺ちゃんにおぶわれて出店の並ぶ縁日の通りを歩いていた。色とりどりのメンコ、水風船、提灯、お面、風車、射的の景品、くじ引きの超特大のプラモデルの箱を見ながら、通りがどこまでも続き石段を登って、お寺の境内にふたりして座ってリンゴ飴を舐めた。出店を冷やかして行く人の通りを見下ろしながら、境内の両脇に座る狛犬が月に吠えた。驚いて薄の穂を上げると糸の先にお目出鯛が掛かっており、春の海に元旦の日が昇った。日章旗の後光が輝き、起床ラッパの音、謹賀新年の琴の音と共に爺ちゃんが万歳三唱した。釣られてぼくも万歳三唱し、釣り人みんなで万歳三唱。諸人こぞりて昇る朝日に。見猿言わ猿聞か猿が手を叩いてキャッ
キャ キャッキャと踊り出し、ザトウ鯨が潮を噴いて昇天した。

 宇宙刑事ギャバンの生涯

彼がもっとも手こずった敵役として死闘を演じた怪物の彫像が、個人蔵として一私邸の倉の奥に眠っていた。あまりのグロテスクさ、悪魔的な醜悪さ、なんだコレは⁉のベラボーさに一般の人向けにはとても公開できず、ひっそりと黒光りしているその怪物は異様な形態と醜怪さと共に、ある種の滑稽味、諧謔性といったもの、さらには噴飯もの、嘲笑の的、お笑い芸人の一発ギャグ的な、侮蔑視してしまう点もなきにしもあらず、素人考えの傍目から見ればそれはただの男根(リンガ)だった。五穀豊穣、子孫繁栄の男根崇拝に使用された御一物様だと言われても可笑しくない、呪術的で禁忌(タブー)な代物だった。この摩羅魔物を彼はどのようにして倒したのか? 資料は何も残っていないので想像の域を出ないが、それはおそらく女陰的な、二重丸に縦線一本周りに三綴り的な、ブラックホール、洞窟、闇の海、迷宮、迷路、袋小路、鮑、卍、螺旋、奈落へと沈めたのではないかと推測するしかない。ギャバンは光の照射を受けて蒸着し闇の淵へと、逢魔ヶ淵へと怪物たちを追い込んで葬り去ってきたのだろう。ここにはその葬り去られ、我々の目には見えないように隠され、見ないように触れないように、禁忌され封印され、無いことにされた一体の怪物がひっそりと立ち、眠っていた。

 演歌歌手車田かおる

町おこしの一環として企画された第一回真冬の盆踊り大会のスペシャルゲストとして呼ばれた。猛烈な地吹雪の中、太鼓がひとつ据えられた櫓の上で鼻水を凍らせながら歌っていると、ひとりの酔狂な老人が櫓の上に上がって来て、太鼓を叩き始めた。それがあまりにもうまいんで、そのまま盆踊りが始まってしまい、仕方なしにかおるも櫓の上で歌い踊るしかなかった。老人の撥さばきは堂に入り、いよいよ興に乗って乱れ打たれる。雪は吹き荒れ、人も櫓も盆ぼりも何も見えず、ただ太鼓の響きだけが風雪の底に木霊する中、かおるは一晩じゅう村人と共に踊り明かして、夜が明け日の光が差し染める頃、その町を後にした。

 特別報道番組

0チャンネル
報道のあり方を問う 踊らされるをかしの人々
「あの時、情報は錯綜しありそうなこと、蓋然的な推測可能なものから憶測で物事を判断してそれを垂れ流し、希望観測的なものへとあることないこと、それがまったくありそうにもないこと、誇張歪曲ウソデマ虚偽虚報へと。メディアマスコミはお祭り騒ぎ、大騒動の一大パニック、酒に酔ったか憑かれたように報道合戦しUFOが墜落したんだとか、核弾頭が飛来した、自爆テロだ、地震だ、雷火事親父だ、いやいやどうしてただの犬も食わない近所の夫婦喧嘩だ、猫の交尾、ミドリガメの産卵、象の死だ、一組の男女の心中だなんだかんだって。冷静に対処した人間なんてひとりもいやしなかった。いや、できなかったんだ。あの状況で冷静沈着に、泰然と自若し落ち着いて物事を判断し、適切な行動をとれる人間なんていやしないんだ。」
「そうだ。人がやる以上間違いはあるし過ちも犯す。慌てもするし恐怖と驚愕、極度の緊張と不安、焦りと心配の中で人と人が関係し合い、小さなことが増幅し煽り煽られあることないこと。ひとがひとに伝える以上、間違いは避けられない。」
「意図的なペテン師は賢明な人々の支持と民衆の軽信に依拠できる
(ギボン第五十八章1098年)」
「では何を信じたらいいんです?嘘か本当か。ペテンか本物か。真実はどこに、何を信じたらいいんです?」
「人は人を信じるしかないんです。信じることでしか生きていかれないんです。すべてを疑い、懐疑してあれもこれもあの人もこの人も信じられない。それではとてもじゃないがこの社会は成り立っていかない。人は人を信じているからこそ社会が、世間が、世界が成り立っている。あなたがいる。わたしがいる。わたしの隣りにあなたが座っている。まさかあなたがいきなりわたしに危害を加えたりはしまい。殺すなどすまいと、あなたを信用している。だからわたしはあなたの隣りに座っている。バスでも電車でもタクシーでも、映画館でも劇場でも学校でも。なぜひとを殺してはいけないのか。それは人がひとりでは生きていけないから。社会という人と人との繋がり、コミュニケートする社会という枠組みの中でしか人は生きていけないから。米ひと粒、水一滴、服一着、自分ひとりで作り出せない。あなたの身の周りにあるモノすべてが数多の人の手を経てあなたの元に辿り着く。この信頼関係を裏切る行為、殺人は罪と罰に価するんです。例えば通貨。こんな紙切れ1枚が一万円の価値として流通し、立派にモノと交換される。それは人がこの紙切れをそのモノと同じ価値をもつものとして、あなたとわたしが共通の理解として認識し、信頼し合っている。だからこの紙切れ1枚でそのモノと交換できる。ひととひととの約束事。お約束です。モノの価値なんてそもそも人が作り出した虚構です。ある時代、ある場所の人にとってだけ都合よく、役に立つものが価値があると言われるんであって、貧乏画家の絵、古代の壺、石油、間違った言葉、たとえ嘘や偽り、デマや誤魔化しでも人と人との約束事、お約束として流通すればそれは現実として、真実本当のものとして人と人の間に成り立つんです。1枚の紙切れが一万円の価値を持つように、嘘を真にするのは人と人との間に宿る約束事、信頼関係、社会、ひとの思いなんです。」
「じゃ何もなかったのに、あの現場で誰も死ななかったのに何も起こらなかったのにピカッガラガラ ドッシャーンと、大火災が発生し、なにかが上から犯人によって落とされて何万人も死亡、重軽傷者多数が出たと。こうおっしゃるのか?」
「盲信の伝播は極めて早いために、その場でその瞬間にはもっとも胡散臭かった奇蹟も時空の適当な距離を置けば黙従的な信仰で受け入れられるに至る(ギボン第五十八章1098年)」
「いいですか、あの時緊急速報が入りテロップで事件のことが流れた。国民の多くの人がそれを見、事件のことを信じ、共通の認識が芽生えて、それは事実、現実、本当にあったこと、この世界で起こったことなのだと信じた。その時、その事件は本当にあったんじゃないんですか?その時、事件は諸人の頭の中に想起され、意識され、認識され、記憶されて、有ったんじゃないんですか。」
「たとえ共同幻想、みんなで見た夢・幻と言われようと、それは本当にあった怖い話なんです。」
「嘘だ!そんなことを言えばこの現にある、この世界だって諸人こぞりて見てる夢だってことになりかねないじゃありませんか。頬っぺを抓ればとっても痛い。この現実が、」
「そうです。誰も夢を見ていない、みんな覚醒している。これが本当の本当、現実の現実だって誰が言い切れますか?諸人こぞりて春の苑、秘密の花園、蓮の花の中で眠っており、一緒に手を繋いで見ている夢だと言われてもちっともをかしくない。をかしくないんです。」
「嘘だ!そんなの、をかしい!」
「をかしくない。」
「じゃ証明してみるがいい。夢を見ているんだって。頬っぺを抓ればとっても痛いのに。これが夢を見てるだなんて、嘘だ!わたしだけは目覚めている!」
「証明はできない。この現実の夢を見ているわたしは現実の夢を見ているわたしは現実の夢を見ているわたしは・・・」
「何を信じたらいい、何を。この現実が夢かも知れないなら、何を?」
「ひとを信じるんです。自分を。相手を。すべてを疑り始め信じられなくなったら夢は終わり、夢の出口は無、本当に何もない世界へと。信じるだけでこの世界は生まれ開き、何度でも甦る。まるでまた1ページから読むことができる物語のように。何度でも聴けるレコードのように。人を信じるだけで世界は開かれる。」
「嘘であろうが夢であろうが、諸人こぞりて見ている幻覚であろうが、この世界は美しい。信じられた、想われた、感じられた時、をかしのセカイ生まれ、花咲き、それは美しい。」
「なぜ人はこれほど信じやすく、騙されやすいのか。それは信じなければ生まれ育ったこの世界を、宇宙を失ってしまうからだ。人を疑い、社会を拒み、自分を否定すれば、すべては消えてなくなり無へと滅し去ってしまうからだ。だから人は信じる。人を思う。人を愛する。世界を失いたくないから。」
「さあ諸人こぞりてを歌おう。世界に花咲かせ輪になって踊ろう。あなたを思う。ゆえにわれあり。信じる者は救われ、エデンの園で禁断の果実を味わう。あなたとわたしはとこしなえに愛の神秘を言祝ぐであろう。」

 消火器を売る男

今月のノルマを達成しようと男は町を歩いた。しかし一本も売れずに在庫が余り、営業部長は激怒した。罰として20%の減給となり男は会社からの帰り、自棄(やけ)酒をくらって赤提灯の点る屋台の親父に愚痴をこぼし、千鳥足で家路についた。玄関を開けると台所の隅に置かれた消火器を見た。男は安全ピンを引き抜きノズルを自分の顔に向けて引き金を引くと、パウダースノーの雪原の丘の上からスケルトンで滑降する自分がいて、酔いが醒めた。赤いボンベを背負って家を飛び出し、町行く行きずりの女性に向かって愛想を振り撒き、夜空のハンケチで白い顔を拭くと、愛想笑いのデスマスクが町を見下ろし、乳房を含んで眠っていた赤子も泣き出し、野犬が吠え、豚が鳴いた。鶏鳴一番、払暁と共に白い顔は消えまた新たな1日が始まった。

 選挙カー

「この国をどう動かすのか。あなた方国民のひとりひとり、一票一票に。清き一票、清き涙のひと粒ひと粒、清き汗の一滴一滴、清き血潮のひと噴きひと噴きに、我々の国の明暗がかかっているのであります。国民の皆様方、我々○○党、わたくし○○○○を信じて頂きたい。わたくし共を信じて清き一票を投じて下さった暁には、間違いなくこの国は変わります。国は一新され美しくなります。あなたの一票の信頼でもって国は新しく生まれ変わるのであります。とにかく清き一票を。わたくし○○○○、○○党に入れて頂きたい。皆様方の信頼にお応えし約束をしっかりと果たしていく。マニュフェストの実行、有言実行でしっかりしっかり、やってまいります。新しい国を作るのはあなた方国民ひとりひとりの一票、清き一票。我々○○党にお願い致します。我々をどうか信じて頂きたい。決っして裏切りは致しません。信じる時、国は生まれ、信じる時、世界始まり、信じる時、宇宙開闢するのであります。信頼あるところに社会が成り立ち、信じる心の花が開いて世界馨るのでございます。どうかどうか○○○○、○○党○○○○ よろしくよろしく。」

 ヘラクレスの栄光

西の涯て、旅の記念に二本の柱を打ち建てた時、太陽が眩しかったのでヘラクレスは日に向かい弓を引き絞った。光の王は驚嘆し、褒美に黄金の盃を送った。落ちてきた盃に乗って川を下り、三つ子の怪獣を倒して紅い牛を手に入れた。虻になって彼のあとを追っていた女は、チッと舌打ちして姿を消した。

 デューク東郷

アタッシュケースを手にしたデューク東郷は、超高層ビルの屋上ヘリポートから離陸し、砂漠のど真ん中に作られた星間宇宙連絡船発着所へと向かった。そこから地球-月間を往復するファーストクラスで月へと飛んだ。

 傘がない

都会では 一番偉い人が 我が国の将来を深刻な顔をして喋っている
気温が2℃上昇し酸素が薄くなった 水が高騰し パンがないと言う ノーリターニング・ポイントに達した今、エネルギー資源は枯渇し都市は死んでしまったと言う
だけども 問題は 今日の酸性雨 傘がない
冷たい雨がぼくの目の中に降り、盲目になったぼくは もう君の家が分からない 君に会いに行かなくちゃ
君の町に行かなくちゃ 傘がない 光もない 君の家は消えて失くなり、君との思い出も 楽しかった記憶も 溶け去って土に還ってしまう その前に 君に会いに行かなくちゃ
君に会って記憶を 思い出を確かめ合って 肌と肌 目と目 指と指 口と口 舌と舌を搦め合わせて 確かめ合わなくちゃ
もう君のこと以外考えられない それっていいことだろう
傘がない 君が見えない 会いに行きたい思いだけがぼくの頭の中を巡り、君の面影だけが目の裏に灼き残る それっていいことだろう
世界が焼き尽くされ、崩れ落ちていっても 君の姿だけが目の裏に灼き残る それっていいことだろう
君に会いに行かなくちゃ 君の町に行かなくちゃ 君の家に行かなくちゃ

 徘徊老人

とうとう爺ちゃんがどこへ行ったのか、ぼくにも分からない時が来て、父さんも母さんもパニックになり、町じゅう大騒ぎになった。
隣り近所の人たちが総出で探し、町の自警団、消防団の人たちも拍子木を打ち、手動のサイレンを鳴らしながら回ってくれた。パトカーが出動しはしご車がビルの屋上へと、ヘリコプターが空から、山の中を森林パトロール隊の人たちが、海を海難レスキューのライフセーバーの人たちが。テレビ・新聞・ラジオ・ネットのマスコミ各社が小さな町の中に詰めかけてきて一斉に報道し、百貨店の迷子お預かりセンターが
ピンポンパンポン「小塚康男様が迷子になっておられます。年齢は82歳、紺のジャージの上下で、家にあった金の鯱を持って裸足で出かけて行ったそうです。お心当たりのございます方は三越迷子お預かりセンターまで、ご一報下さいませ。」ピンポンパンポン
ぼくは炬燵に入って蜜柑を食べながら、今回ばかりはいくら探しても無駄だという気がしていた。どこへ行っても、何をしても、爺ちゃんはいない。ここではないどこかへ、今ではない、いつかへ爺ちゃんは行っていて、戻って来るのをひたすら待っているしかないんだと。父さんも母さんも探してこいとぼくに怒鳴り散らし、懇願し宥めすかして煽りおだて媚び諂い、「テレビゲームを買ってやる」とか、「新しい自転車」「おまえの好きな蓮根の天ぷらを一年中毎日欠かすことなく好きなだけ作ってやる」とか甘い汁でぼくをそそり誘惑をしたけれど、ぼくは乗らなかった。家のベランダから夜空に走る探照灯、打ち上がる照明弾、ヘリコプターの光、拍子木の音、サイレンの響き、自警団の人たちの声、ロケット花火、曳光弾の眩しい光で町が明るく浮かび上がるのを見ながら、ぼくは爺ちゃんが帰って来るのを待っていた。

 破滅の王

王は建設途上で廃棄したバベルの塔で夜毎夜毎饗宴を繰り広げた。民衆たちの面前で自ら殺めた妻にそっくりの稚児を選び出し、妻の衣装を着せて楽しんだ。その稚児に無理やり酒を吞ませて神懸かりさせ、自ら神が降臨したと歌い、神の子と崇め奉り、跪拝し地に頭を擦り付けて五体投地を繰り返し、民衆にも同じように拝むように強制した。光の王のように佇む稚児を家臣たちも崇め奉り、王は全裸になり自分で自分を鞭打って傷だらけになった裸体を稚児の前に投げ出して、「わたくしめをお受け取り下さい。いじめて下さい。食べて下さい。踏んで下さい。懲らしめて下さい。ものにして下さい。」と懇願し、稚児は徐に立ち上がると光の王のように端女と交わった。跪拝していた家臣も民衆たちも見るに堪えず、顔を背け、あまりのグロテスクさ、醜悪さに嘔吐する者が続出した。下呂、ゲボ、吐瀉物まみれの祭壇下に2匹の豚がまろび転げ、心地好いヘドロまみれの行水にキャッキャ キャッキャと嬌声を上げて戯れ合った。家臣も民衆もギリギリと臍を嚙み、歯噛み歯軋りし、膝の上で爪が掌に食い込んで血が滲み出るほど拳を握りしめ、刀の柄に手を掛ける者もあったが、最後まで誰も何も口出し手出し思い出しすらしなかった。王と稚児はさんざん痴態を楽しんだ後、そのまま豚のようにヘドロの海の真ん中で眠り、夢も見なかった。

 婦人の日記帳

ミス・マーガレットは最後のひとりを訪ねて次の町に向かった。彼となぜ別れたのか、答えはなかったし理由も見つからなかった。同棲を始めてふたりの仲は深まっていったし、あのままふたりでいつまでも一緒に生きていくことだってできたのに。炬燵に入ってテレビを見ながら、蜜柑の皮をむいてあげ、一緒のところで笑い、同じタイミングで泣いた時、このひとと一緒にいたい、このひととならと思った。いつまでもふたりで喋っていられたし、同じ部屋にいて沈黙が何時間続いても全然苦じゃなくて、居心地がよかった。なのにどうして。相手のいない部屋に住み続けることはふたりともできなくて、お互い別々の所に引っ越した。荷物を解いていると彼が好きだったスタイリスティックスのレコードが出てきて、なんだか無性に涙が出た。彼の住んでいる家を訪ねると、引っ越したのか別の人が住んでいた。いつだったか玄関前まで来た彼の実家の方を訪ねると、彼の両親が出てきて三年前に亡くなったと知った。

 ヘラクレスの栄光

黄金の林檎を手に入れるため千変万化(メタモルフォーゼス)する海の翁を捕まえ、林檎の在り処を教わった。旅の途中、大地に触れると一層強くなる相撲取りの首に縄を掛け、梃子の原理で木の枝に吊し上げて殺した。カウカサス山上で縛められたプロメテウスの肝臓を喰らっていた鷲を射殺した。プロメテウスの助言を受けて、アトラスの担う蒼穹を代わりに引き受け、彼に林檎を取りに行かせた。アトラスは四人の娘とエスペラント語を話す竜が番をするという庭へ行き、三つの林檎をもらい戻って来た。アトラスはもう蒼穹を担うのは嫌であったから、「自分が王の所へ持っていくから、そのままおまえが天空を支えていろ。」と言った。
ヘラクレスは「分かった。ではその前に太陽に弓を引いて黄金の盃を受け取り、きみと兄弟の杯を交わそうから少しばかり蒼穹を支えていてくれ。」と言った。
アトラスは頷き三つの林檎のひとつをアテナ女神に、ひとつをヴィーナスに、ひとつをアルテミスに捧げた。林檎を物欲しそうに見ていた女はチッと舌打ちして姿を消した。

 宇宙のランデブー

月へと向かう星間連絡船と、サイト・ムーンから飛び立ったソルバルウがラグランジュポイントでランデブーし、無事にドッキングを完了した。デューク東郷はアタッシュケースを片手に連絡船からソルバルウへと移った。星間連絡船が静かに離れていく。衛はコードネーム『宇宙からの使者』を告げて、デューク東郷に司令官から預かった品物を手渡した。船外作業のための気密服は第三区画にあると教えた。デューク東郷は挨拶もないまま第三区画へと向かい、衛は気に入らないと思った。

 宇宙刑事ギャバンの生涯

【宇宙刑事ギャバン 出生の秘密】という、揺籃期本(インキュナブラ)を翻訳した歴史家アントニオ・チュッパレーの手稿が、大英博物館に残されていると聞き、我々は船の便を取ってアルビオンへと渡った。月に一本しかないフェリーの上で大時化の中、荒れ狂う波と雨風に吞まれ揉まれながら、島影が目に入った時には心底ほっとした。博物館で見たものは手稿の断片に過ぎなかったが、ここにそれをすべて写しておこう。
『(欠落・破損)しまった すると泉の中から魔王が姿を現し、
「おまえが   たのは この か?」と金の を 取り出して男に尋ねた 男は
「いいえ、わたしが   たのはもっと穢い でございます」
魔王は銀の を取り出し 男に訊いた
「それでは、おまえの   たのは この銀の か?」
「いいえ、わたしが   たのはもっと穢い でございます」
魔王は鉄の を取り出し
「それでは、おまえの   たのは この か?」
「いいえ、わたしの   たのはもっと穢い でございます」
魔王は股の間から まみれの を取り出し
「それでは、おまえの   たのは この か?」 男は
「そうでございます その がわたしの でございます」
魔王はにっこり笑って
「おまえは正直者だ 褒美としてこの金の をやろう」
男は                          』
これはイソップ童話にある金の斧銀の斧の話かと思われたが、それがどう宇宙刑事ギャバンの出生と結びつくのかは分からなかった。

 タクシードライバー

タクシーの後部席で女は隣に座る刑事に語り始めた。
「わたしは一年ほど前、ある男性と交際を始めました。彼は一緒の職場で働く企画営業課一の出来る男で、女子社員の間での人気も高くモテる人でした。でも彼に浮気っぽいところはひとつもなく、わたしだけを見ていてくれる誠実で温かい人でした。わたしのダメなところ、苦手なもの、コンプレックスを受け入れてくれ、支え励ましてくれる素敵な人でした。それが一転して暗闇のどん底に突き落とされたのは、ある八月の午後の昼下がり、冷房のキンキンに効いたキャフェで彼はわたしに別れ話を切り出しました。わたしは訳が分からず、まったく納得することもできなくて拒絶し、泣くことも忘れてただメロンクリームサワーが溶けていく音を聞いていました。彼は言いました。言い訳を。
「なにも君が嫌いになった訳じゃない。けれどもただ、このまま君と一緒にいてもこれから先、なにも変わらずお互いにどんどん時だけが過ぎていって、これでよかったのか、このままこうして満たされたままで、これでいいのかって、考えて悩んで苦しんで、出した答えなんだ。ぼくの我がままだ。自分勝手で独りよがりだって言われても文句は言えない。だけど、自分の気持ちがどんどん君から離れていって、それでも君の笑顔に無理やり笑顔で返していくことなんて、そんなの噓だよ。偽りだよ。そんな笑顔、ぼくにはこれ以上作れそうにない。君を騙して欺いて自分を取り繕って、嘘ついて生きたくない。分かってくれるかい?」
こんな言い訳は何度聞いたって分かりません。ただ飽きたからだって言ってくれた方がいい。最後までやさしい噓をつこうとして。
わたしは彼のことを諦めきれなくて苦しくて、会いたくて、切なくて毎日毎晩泣き腫らし、眠れないまま朝が来て夜がまた来て、どうしようもなくなって裸足のまま家を飛び出し、彼のマンションのドアの前まで行ってノックもできず、ただおでこをドアにくっ付けて声を押し殺して泣きました。一ヵ月が嘘のように過ぎたある朝、会社に行くと、彼と秘書課の女性が結婚、十月に挙式という社内告知が掲示板に貼ってありました。わたしは女性トイレに走っていき、便座を開けて嘔吐しました。その時、決めたんです。彼を殺そうと。

 消火器を売る男

公園のベンチでメロンパンを食べ牛乳を飲んでいると、鳩たちがベンチに群がり寄ってきて、餌を求めてクルックル鳴いた。男は一片もやろうとしなかった。人が餌をやれば鳩が増え、町は鳩の糞で埋まる。町が埋まれば人は住めず、鳩の王国となる。しかし、それほど多くの鳩が生きていくためには人が餌を与えなければならず、人のいない鳩の王国に餌はない。鳩は減少し糞は消え、また人の住める町へと。糞に埋まって人が絶え、糞が減っては人が栄える。碁盤のように白黒斑に埋まる町が現れては消える。糞と人の共生を計るには、餌をやらずに鳩を一定の数に抑える糞と人とのコミュニケーションが大事なのだ。午後からまた一軒一軒家を回り、鄙びた商店街に迷い込んだ。誰もいない広場のステージで着物の女性が歌っており、道を間違えたことに気づいて引き返した。

 絵のない絵本

第三十七夜
「わたしはひとつの窓を覗きました。」月は話した。
「ベッドの中にお婆さんが眠っていました。お婆さんは息子の写真を胸に抱いて、しずかに息を引き取りました。わたしは目一杯の光でお婆さんを照らしてあげ、ゆっくりと窓の外へと離れました。」

 演歌歌手車田かおる

キャバレーの屋上にある掘っ立て小屋の古布団で眠っていると、寒気がして目が覚めた。トタンでできた天井を見上げると、くわっ
異形の物の怪の顔が天井からかおるの顔の寸前まで落ちてきて、止まったままケタケタと笑った。かおるは絶叫して跳ね起きピンクのネグリジェのまま階段を駆け降りて一階の公衆電話に飛びついた。
マネージャーに電話して、「今すぐ国に帰る。もうこれ以上、一日たりと、こんなところ、こんな生活、もう我慢できない。こんな人生もう二度とやらない。しない。繰り返さない。真っ平御免こうむる。」とまくし立てた。マネージャーは平然とやり過ごし、冷静な口調で次の営業先の場所と時間を指定してきた。かおるは二の句も継げずに、マネージャーが言う場所と時間をメモっていた。
゛十六夜の頃 深夜 バベルの塔の宴会にて 一曲披露のこと゛
かおるはもう怖い人たち、反社、グレーゾーンの宴会で歌うのは嫌だと断ったが、マネージャーに勝手に電話を切られた。

 傘がない

北極圏では フロンガスによってオゾン層の傘が失われ、生物にとって有害な宇宙線が降り注ぐと 深刻な顔をして叫んでいる
だけども 一番の問題は 今日の雨 傘がない
地球が丸裸になり好奇の目に晒されながら、裸踊りをやらされるのは さぞかし見ものだろうけれど
君に会いに行かなくちゃ 君の家に行かなくちゃ 傘がない
焼き尽くされる生命と 王政復古する太古の神々 原始宇宙の荒ぶる星を見るのは、それはそれはスペクタクルだろうけれど
傘がない 君に会いに行かなくちゃ 行かなくちゃ
この星が熖と闇に包まれ、火達磨になって堕ちていっても
君に会いに行かなくちゃ 宇宙の塵劫の涯 闇夜の荒野を横切って
行かなくちゃ 君の家に行かなくちゃ
のっぺりと延び広がった空間と、一秒が無限億劫年になった時間の中を 行かなくちゃ 君に会いに行かなくちゃ
それっていいことだろう 

 ヘラクレスの栄光

ケルベロス。狂った三つ首の犬を手に入れるため、ヘラクレスは歌舞伎座の奈落へと降りていった。地獄の門のところで縛められていたテセウスを解放し、そのテセウスの助言により、狂った三つ首の犬のかわりに、魔王の妻を要求した。魔王は妻の代償に何をくれるか訊くと、ヘラクレスは地獄堕ちした霊魂のために血と肉を供しようと、自分の身を差し出す約束をした。
テセウスは「馬鹿なことはやめろ。自ら死を選んで女を得てどうする。それに死に値するほど、この女は美しくない。」
ヘラクレスは「わたしは不死なのだから何も怖くない。」と豪語した。門の陰で様子を見ていた女は、使者と偽ってヘラクレスの妻のところへ行き、「美しき魔王の妻を手に入れるため、己自らの血と肉で地獄堕ちの霊魂を贖い、燔祭の火に身を投じようとしている。」と話した。妻は訪問販売で購入した消火器を取り出し、これで夫の火を消すように女に持たせた。女はチッ、と舌打ちして姿を消した。

 選挙カー

「最後のお願い、最後のお願いにやってまいりました。○○○〇 一生一度のお願い、身も心も魂も奉げ尽くし粉骨砕身、頑張ってまいりました。最後の最後のお願いでございます。○○○○ 今日が最後、泣いても笑っても最後でございます。ありがとうこざいます。今日まで十三日間、長く苦しい、苦しく長い、逆風吹き荒ぶ中厳しい戦いでございました。国民の皆様方におかれましては多大なるご迷惑をお掛けし、煩わせてまいりましたのも今日が最後でございます。ありがとうございます。多大なるご声援ありがとうございます。春眠暁を覚えず天下泰平の眠りを醒まし、寝込みを襲ってまいりましたのも今日が最後でございます。夜這い紛いに家に押し入り、空き巣同然に家を土足で踏み躙り清き一票を強制してまいりましたのも、今日で最後でございます。○○○○ ○○党の○○○○
頑張ってまいりました。今日まで死の物狂い、髪を振り乱しまして頑張ってまいりました。国民の皆様の元気を回復するため、人々の心に闘魂を注入するため、信頼を取り戻し、世界の和平を実現するために、身を粉にし、魂を売って働かせていただく所存であります。どうかどうか○○○○ 最後の、最後の、最後のお願いでございます。ありがとうございます。小さいお子様から手を振っていただきました。ぼくちゃん、お父さんお母さんによろしくね。誰に入れるか悩んでいたら、迷わず○○○○と連呼してね。きっといいことがあるよ。君たちの未来は薔薇色だ。子供たちの未来のため、我々大人は未来の子供たちのために、よりよい国を実現していかなければなりません。ありがとうございます。家から飛び出して手を振ってくれました、お婆ちゃま。死んだお爺ちゃまもビックリのその脚力。百二十まで生きますよ、間違いなし。わたしのお眼鏡に間違いはない。国民の80%を占める後期高齢者の方々に安心して安楽に死んでいける世の中を、我々の手で野辺送りにしてあげられる世の中を、実現していこうではありませんか。最後の、一生の、一度っきりのお願いにやってまいっております。明日の未来を担う子供たちのため、近々の過去全般、昨日の夜何を食べたのか憶えていない方々、弱く貧しいみすぼらしい、醜い人たちのために、我々○〇党○○○○は全力を挙げ、全身全霊、精魂を傾けて、全財産を投げ打って、この選挙戦に身を投じてまいりました。ありがとうございます。お国のために働きたいと一念発起して今日まで、おひとりおひとりと握手し、全国津々浦々を踏破し駆けずり回ってまいりました。厳しいお声をいただきました。𠮟咤激励。励ましのお声もいただきました。さまざまな人の声を胸に抱き堅く誓い、夢は全国制覇でございます。ありがとうございます。○○○○最後のお願いにやってまいっております。地元の皆様の声援を受け、背中を押され、叩かれ、どやされて誠心誠意頑張ってまいりました。ありがとうございます。今、等身大のガンプラをいただきました。心から御礼、お騒がせ致しましたお詫びを申し上げ、本日の打ち止めとさせていただきます。万歳三唱し、三本締めでお開きにしたいと存じます。
万歳! 万歳! 万歳!
それではお手を拝借 よォーお
パパパン パパパン パパパン パン ヨッ
パパパン パパパン パパパン パン はっ
パパパン パパパン パパパン パン
ありがとうございました。明日は投票日でございます。どなた様も皆々様、何のご予定もございませんでしたらどうかお一つ、お誘い合わせの上、所定の投票会場へお越しになって下さいませ。ちょいとばかし、ええ、ちょっと辛抱、お顔をお見せ下されば結構なんで。
ええすぐです、1分で終わりますから投票用紙には○○○○と。
どうか○○○○に ○○○○と 清き一票を。

 緊急特別番組

スペシャルチャンネル
 事件の真相を暴く
リポーターは闇の中を歩きながらカメラの方を向き喋る
「ここが事件の現場だった場所です。誰もが禁忌(タヴー)とし、誰も語ろうとせず口を噤んだ現場に、今足を踏み入れました。事件の真相に迫るべく、わたし達取材班が撮影許可を得るのに1年半、極秘に入手したルートを辿り何度も何度も交渉を重ねた末、特別に入ってもよいという取材許可をもらい、今回世界で初めてカメラが入ります。ここがその現場です。ここで一体、誰が、何を、どうしたのか。何が行われ、何が起こったのか。今まで謎とされてきた事件が今夜、今まさにこの瞬間、初めて明かされようとしています。
ここが、その事件のあった現場です。中に入ってみましょう。」

車田かおるはバンから降り、十六夜の月の明かりに導かれて闇の中をバベルの塔に向かって歩いていった。夜空にシルエットがうっすらと浮かぶ階段を昇っていくと、未完成のまま放置された塔内の空中庭園で家臣に取り囲まれた王と、女装した若者が汚物の中で交わっており、かおるは猛烈な臭気に吐き気を催しながら篝火に照らし出された饗宴の庭に入っっていって挨拶した。

ソルバルウ左舷後方にある第三区画に辿り着くと、デューク東郷はアタッシュケースから無重力空間用ライフルを取り出し、大気圏弾道弾として使用する廬舎那仏の大白毫を装填した。気密服に着替え司令官から受け取った品物の包みを解いて中に入っていたグーグルアース・カウンターを装着し、ヘルメットをかぶった。
「準備はいい。これから船外活動に入る。」
衛は操縦席でその声を聞くと、第三区画のハッチを開いた。気闡(エアロック)を通り抜けたデューク東郷は暗黒の宇宙空間へと、ケーブルを背後に曳きながら出ていく。

針山の頂に火が燄燄と焚かれていた。テセウスの制止も聞かず、ヘラクレスは棍棒を投げ捨て獅子の皮衣を脱ぎ、焔の前に立った。

「わたしは教会の一番奥隅の信徒席に座ると、神父の前に跪くふたりを見ました。新婦よりわたしの方がずっと綺麗だと思いました。新郎が「誓います」と誓った時、わたしの身体は震えました。誓いの指輪が新婦の薬指に嵌められた時、太い指だと思いました。

夜空にぽっかりと浮かぶ月を見上げながら破壊の塔の階段を上っていくと、ソンブレロにパンタロン姿の老人が座っていた。崩れ落ちそうな階段を一段一段と、篝火が焚かれて打ち騒ぐ饗宴の庭を越えてさらに上へと、昇っていった。

「なにか歌のようなものが聞こえてきました。暗闇の中で、なにが行われていたのか。誰が一体、何のためにこのような事件を起こしたのか。近づきました。ああ火が見えます。炎が上がっています。
苦節三十六年、故郷から一万円札1枚を握りしめひとり上京してきた十六才の娘が、演歌一筋に魂を賭けてきた車田かおるの歌声。
聴いていただきましょう。車田かおる『矢車草』」

父はわたしを抱いて町の花火大会に連れて行ってくれた。綿菓子を買ってもらって夢中で食べていると、花火はもう終わっていて、わたしはもっと花火が欲しいと、泣いてねだり駄々をこねた。父の背中におぶわれて、星の数を数えていると、どこでどう間違えたのか、父も星になって消えてしまった。
泣いている母の後ろでわたしは、矢車草を手にいつまでも父の顔を見ていた。それは穏やかな寝顔で、わたしが真夜中怖い夢を見て泣きながら目を覚まし、寂しくなってそばで寝ていた父を見た時と同じ顔だった。
わたしは安心して父の耳をいじり、父が眠りながらわたしの手を払うのが面白くて、何度も父の耳をさわった。いつ、わたしは眠ったのか。どこへ行ったの、お父さん。
いま、どこで、何をしているの。帰ってきて。
また一緒にしゃぼん玉を飛ばそうよ。怖い夢を見た時はいつもそばにいて、耳をさわらせて。
お父さん、会いたいな。

「コードネーム『宇宙からの使者』を実行する。」
船外を宇宙遊泳していくS²デューク東郷は、グーグルアース・カウンターを作動させた。標準が絞られていき、をかしの国バベルの塔内、崩れ落ちた中庭に遊ぶ一団を捉えた。

塔の頂きに辿り着き、夜空に向かってもろ腕を広げて立った老人は月に吠えた。
「おお来てくれ。わたしに降り注いでくれた光よ。その光でわたしを甦らせてくれ。おお来てくれ。宇宙の光よ。わたしに永遠の命を見せてくれ。激しき悪の焔に打ち震える。新しき光。永遠の命。何度でも甦る宇宙の光よ。父はわたしを胸に抱き、つらく悲しい時にも泣くんじゃないと金の珠をくれた。つらく悲しい時には、珠をおでこに当てて父に祈れと。さあ来てくれ。わたしはおまえを待っていた。ずっとおまえを待ち続けた。さあ、わたしはここにいる。
来てくれ。」

破滅の王は用を足しに中庭を彷徨い出た。暗く長い回廊の闇の中を振り向き、夜空を見上げる。

「誓いのキスが厳かに告げられて、唇と唇が触れ合う間(あわい)
わたしはヴァージンロードを聖壇へと走った。」
くたばっちまえ アーメン

引き金(トリガー)が引かれ宇宙からの使者、光の一閃が王の眉間を貫き、大白毫の華が開いた。ヘラクレスが炎の中に身を投じた瞬間、消火器を持って戻って来た女は、黄色い安全ピンを引き抜き、雪月花をばら撒いた。紙吹雪が舞い散る中、車田かおるはゆっくりと御辞儀し、いつまでも顔を上げなかった。ずぶ濡れの若者が傘も差さずに通り過ぎ、ミス・マーガレットは男の墓前で手を合わせた。すべてが白紙へと戻されていく中、選挙特番が始まってすぐ当選確実と出た○○○○は万歳三唱し、達磨の白目に墨を入れた。ギャバン生誕の碑が今も公園の隅に立っている。

「ただいま」
「おかえり」

                        おわり 


  












 



 


 


 



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