LAST SCENE 2

そりゃそうだという話なんですけど、これは私個人がLAST SCENEを読んで感じたものなので、わたしの感情がもりもりこもった言葉たちになります。そりゃそうだという話なんですけど、感想文なので。あと臣隆が好きな人間がつづるものになります。あくまでも私がいま私のために残したい文章です。

2021年、THIS IS JSBの話をします。
RYUSEIを歌うおみちゃんをみていて、さようならと叫んでいるようで辛かった。声を届けたい、みんなのことを覚えていたい、俺の声を覚えていて、さようなら。
身体を折り曲げて咆哮し、必死というかそれこそ「思い残すことのないように、最後なんだから」というおみちゃんの感情がそのまんまダイレクトに流れ込んでくるような。さようなら、ああ、今日も歌い終えられた。RYUSEIを歌い終わったおみちゃんはそうやって天をあおいでふっと穏やかになる。あの一連が本当にずっと生々しく脳裏にあります。

2018年、オミさんがソロツアーを重ねていく中で誰かのために歌う喜びを実感していくその一方でグループへのさみしさが募っていくこと。七人でいるのに「ステージに独りでいるみたいだ」と感じたこと。なるほどなんの不思議もないなと感じました。独りだという想いをひとりで抱えて、どんどん心の中に広がってぐちゃぐちゃの蜘蛛の巣みたいにあちこちにのびて大きくなっていったのかもしれない。

2019年、グループが再始動していくなかで今度は表舞台の熱狂と自分の心の中の寂しさとの距離もひらいていく一方だったんだろうとも思います。あのときにおみちゃんから見える客席やステージの仲間たちは、おみちゃんからしたらものすごく遠いものだったかもしれない。
LAST SCENEを読んだあと、よくあの一年、RTFの長丁場のツアーをやりとげてくれたなあと思った。これでやめるんだ終わるんだと決意して臨んだTIJよりずっとつらかったんじゃないかと思う、ただただ正体のわからない寂しさを抱えて独りぼっちでいたのだとしたら。

2020年、独りぼっちの寂しさに鬱という名前がついた。
それをメンバーに打ち明け、今市隆二くんに打ち明け、そして今市隆二くんの苦しさを打ち明けられ、ふたりで泣いた夜の話。ここを読んだときに、おみちゃんは今市隆二くんにこそ理解してもらいたかったんだな、おんなじくらいに理解したかったんだなと感じました。腹割って話してよかったね。お互いのことを「会話は交わさなくても分かり合える関係」という言葉で決めつけて大事なことを話せていなかったのかもしれない。会話なんてさ、あったらあっただけいいと思うんです、黙ってたらなにもわからない。となりにいるひとが少し体調が悪いかもしれないなんて思いもしない。なんでもないことでも話せるから、渡せるんだと思うんです、漢方薬とか。おみおみ、おみ、これ飲む?

腹を割って泣いて話をしたのちの2021年、おみちゃんはすっきりして「さあやめるか!」となった。まじかという感じだけど、すっきり全部打ち明けてぶちまけてみっともない姿をみせあって、本当に本当にすがすがしい気持ちになったんだろうなというのは理解ができる気もする。もう新しいスタートラインに立ったくらいのきもちだったかもしれない。
そうして冒頭のTHIS IS JSBのさようならになる。さようなら、みなさん。
さらにそうして、なにもかもを知っている今市隆二くんはこう言い続けていました、形はかわっても七人で。どんな気持ちでそれを伝えてくれていたのか、いつか聞いてみたい。どんな気持ちで耳にしていたかも。

わたしがこの本のなかでなにより衝撃をうけたのは、”今市はこの先も歌い続けていく。オレがマイクを手にすればいつでも二人で並んで歌い始めることができる”のところでした。五万回読んで五万回衝撃を受けて気絶した。なんという自信。自分はそこから離れるだろうしいなくなるだろうけど、今市が歌っていてくれるならいつだってまた隣に立てるんだと、そんなことを言えるのはこの世界中にたった一人しかいない。登坂広臣という人間からしか発することがゆるされない言葉だ。圧倒的すぎる。そんな王様みたいな発言、すごすぎる。また気絶しそう。
別々の道にはなるだろうけどいずれ再び交わると確信しているのもすごい。この世界で、運命の相手と出逢い、間違わずに運命の相手の手を取れるひとはどのくらいいるんだろう。臣隆は互いの手を取った、運命の相手として。老人ホームで一緒に歌うRYUSEIはどんなにか穏やかだろう。さようならのRYUSEIなんかじゃない、夢をかなえさせてくれたRYUSEIでもない、ただ二人のおじいちゃんのまんまるの思い出のなかにあるRYUSEIなんだ。なんて曲なんだろう、あのひとたちのもとに来てくれてありがとうRYUSEI。

After the Rain

おじいちゃんの死、おじいちゃんとおばあちゃんの別れ。愛された身内とのはじめての別れはおみちゃんの脳裏にしっかりと刻まれているままだと思うし、おみちゃんが「終わり」を意識しながら物語をつくることの根底にはおじいちゃんの死があったんだろうと思う。
After the rainが祖父母との別れをベースにつくられた愛のうたであると今回はじめて知ることができた。おみちゃんがこの曲は苦労したと一番時間がかかったと言っていたのを思い出します。内面をすべてさらけ出して歌声に乗っけて、おみちゃんが満足するまで歌いこんで完成したんだろう曲。やっぱり最後なんだからという気持ちも乗っけて、そこに運命の相方の歌声も乗っけて。おみちゃんの大切なものが全部つまっているんだなあ。
柔らかで心地の良い風と暮れていく澄んだ空を思い浮かべます。やがて月がのぼってくるであろう橙色と濃紺の混ざった空の色です。


LAST SCENEを読み終わってから「この宇宙の片隅で」「Hand in Hand」「STARS」「After the rain」あたりをリピして聴いていました。STARSツアーのことも一緒に思い出していました。この宇宙の片隅でから始まるライブ、言い方が悪いけどすごくわがままな演出だったと思うんですが、ふたりきりで宇宙の片隅からはじめる物語。ストーリーを大切にするおみちゃんの演出なら、これしかないだろうなという。壮大すぎる、どこからはじめた物語を回収したんだろう。

Hand in Handの、今市隆二くんが描く凛とした強さ、まっすぐな感情、君のそばにいるというシンプルなやさしさ。これまでも三代目にあてて歌詞を書いたことは何度だってあるのに、Hand in HandのときにはインスタライブとかCLキャス配信とかで歌詞についての気持ちを語ってくれていたのが印象的でした。リンクが貼れないのですけどCLの5/29のアーカイブですよ。

おみちゃんがこの先どうなるのか、三代目はいつまであり続けるのか、それはさっぱり分からないけれど大切なのはやっぱりここまで13年それでも続いてきたという事実だと思います。七人ではじめた物語は七人で閉じる、その物語の最後が一日も先でありますようにと願うのはファンとしてはやっぱり、どうしても。
すべての今日がやり直しの聞かない「最後の一日」なのだから、どうかそういう最後の日々を積み重ねていってほしいと心から願います。でも、でも、自由に生きてほしい。揺れ動くよ、ふたつの感情の間にいつだっています。

本当に良い本でした。読めてよかった。だしてくれてありがとうございました、また八年後、よかったら。是非。