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離婚道#41 第5章「離婚弁護士の離婚問題」

第5章 離婚裁判へ

離婚弁護士の離婚問題

 離婚はみんな大変である。
 私が調停不成立となる直前、久郷桜子弁護士も自らの離婚問題で大騒動が起こっていた。
 メールの返事がないな、と思っていると数日後、久郷弁護士からただ事ではない返信メールが届いた。
「すみません。ちょっと大変なことが起きて、メールできませんでした。夫に事務所から閉め出され、別鍵をつけられたため、事務所に入れないんです。もう、夫は頭がおかしい!」
 離婚の形は人それぞれ。私の代理人、久郷弁護士自身のこじれにこじれた泥沼の離婚問題(人のことは言えない、失礼!)について、簡単に説明しよう。
 
 久郷弁護士は、私の家出Xデーよりも4日早く別居し、離婚協議していた。つまり、久郷弁護士と私の離婚問題はほぼ同時期にはじまっている。
 弁護士同士の離婚問題だから、ちゃちゃっと問題解決そうなものだが、「上野さくら法律事務所」は、久郷弁護士と夫の石川弁護士との夫婦共同経営である。そのことも問題を複雑にしていた。
 双方ともに離婚の意思に相違ない。
 争点は、主に、
 ①    ペットの柴犬「おう太郎」の所有権
 ②    「上野さくら法律事務所」の所有問題
 ③    夫婦共有名義で購入し、残ローンがある自宅の財産分与問題
 の3つであった。
 私が西日暮里に引っ越してから、久郷弁護士とは急速に交流を深め、あっという間に「弁護士と依頼人」以上の関係となった。しかも、互いに「話し合いができない夫」という共通点もある。だから私は、久郷弁護士の離婚問題について、他人事とは思えないと感じながら話をきいていた。
 最初は①、桜太郎の所有権争いで揉めたようだった。
 そもそも、ペットは家族の一員、子供同然であっても、法律上では「物」として扱われる。結婚後に飼い始めた桜太郎は、夫婦の共有財産として分与の対象になるわけだ。
 夫婦で協議し、どちらが引き取るかを決めるだけなのだが、近年のペットブームにより、離婚の際にペットの所有権で揉めるケースが少なくないという。
 ペットの所有権の判断基準はいろいろある。どちらになついているか、どちらがペット購入費や飼育費を出したか、どちらがペットの飼育環境を整えることができるか――など。
 しかしながら、双方に経済力がある場合、「なついている」というのが最も有利になるのではないだろうか。
 桜太郎は、同居中から久郷弁護士に一方的になついていて、石川弁護士には露骨に歯をむき出して威嚇することもあったようだ。そのため、当然のごとく久郷弁護士は別居時、桜太郎と共に家を出て、実家に連れて行った。
 石川弁護士は桜太郎への愛着があまりなかったはずだったが、家を出た妻に腹を立て、「ペットショップで桜太郎の代金を支払ったのはオレだ」と言い出し、桜太郎の所有権を主張した。ひと月ほど揉めたものの、すでに石川弁護士の手元から桜太郎は離れており、本音の部分で石川弁護士に桜太郎を引き取る意思がなかったため、最終的に桜太郎は久郷弁護士の所有ということで決着した。
 次に早期に解決するように思われた②については、久郷弁護士が一定金額を支払って事務所を引き取り、石川弁護士がほかの法律事務所に移ることで話は進んでいたはずだった。それが予想外に難航した。
 離婚経験者ならわかると思うが、離婚協議中の夫婦というのは大概「敵同士」である。
 久郷弁護士が信頼していた2人の女性事務員のうち、ひとりが石川弁護士に久郷弁護士の言動を逐一報告する〝スパイ〟だということがわかり、離婚協議中は常にピリピリと張り詰めた緊張感の中、久郷弁護士は仕事をしていたのだ。
 夫婦が同居していたころ、夫は久郷弁護士に「出て行け!」と罵声を浴びせていたのに、いざ妻が家を出ていくと「勝手に出て行った」と腹を立てた。発達障害で投薬治療をしているという夫の性格は、どういうわけか、とても雪之丞に似ていた。別居後、妻への嫌がらせも激しくなり、夫婦で依頼を受けた事件をわざと放置して久郷弁護士を困らせたりしたという。
 そうした中、夫は弁護士としてあるまじき暴挙に出た。
 ある日、久郷弁護士が事務所に出勤すると、鍵がかかっている。そのうえ、持っている鍵が鍵穴に入らない。石川弁護士に別鍵をつけられ、事務所から閉め出されてしまったというのだ。スパイの事務員もグルだったらしい。
 事務所には、久郷弁護士が引き受けている事件の資料が置かれたままのため、事務所からの締め出しは、単なる嫌がらせでは済まされない。それは、弁護士への業務妨害なのだ。
「私が懲戒請求したら、ヤツはアウトですよ」
 久郷弁護士はぼやいていた。
 そう、弁護士には懲戒処分という制度がある。
 弁護士会の秩序、信用を害した場合や品位を失うべき非行があった時は、誰もがその弁護士を弁護士会や日弁連に懲戒請求できる。懲戒請求を受けると、弁護士会の判断で、その弁護士にペナルティを与えることもある。
 久郷弁護士は本気で懲戒請求を考えたが、「でも夫婦だから・・・・・」と最終的に踏みとどまった。先輩弁護士に相談するなど八方手を尽くし、2週間後、ようやく事務所に入れるようになったという。
 その時点で双方、同業者の代理人をつけた。つまり、弁護士同士の離婚問題に、それぞれ弁護士を代理人に立てた協議が始まったのである。
 この〝事務所閉め出し事件〟によって、争点の②は、その形勢が久郷弁護士有利に傾き、割合すぐに解決した。
「懲戒請求できる事案に対して、こちらはそれをせずに収めたのだから、お互いの弁護士活動のために早く出て行ってください」と久郷弁護士側が強く主張したのだ。
 その結果、別居から約半年が過ぎた令和元(2019)年の年末、石川弁護士がよそへ移り、久郷弁護士が「上野さくら法律事務所」を勝ち取ったのである。
 そうして、③の自宅の問題が残され、これが難航している。
 久郷弁護士が家出をしたため、共有名義の根津のマンションは夫がひとりで居住し、それぞれローンを支払っている。久郷弁護士としては、上野の「上野さくら法律事務所」や千駄木の実家から近い物件だけに、離婚後は単独名義で所有し、夫には出て行ってもらいたい。別の事務所に移った夫も「金さえ払ってくれれば、自宅を手放して引っ越す」と応じた。
 そのため久郷弁護士は、残ローンを全部支払う形で引き取ると主張した。だが夫は、妻を困らせたいためか、不当な高値を請求してきた。これまで自分が支払ってきたローン支払金額を全額返せと要求するなど、問題をわざとこじれさせるような主張を展開しているという。
 この夫婦は、いかにも弁護士らしい形だが、事実婚である。
 事実婚でも結婚式は挙げているし、13年間、夫婦として共同生活をしているため、法的には夫婦とみなされる。離婚(事実婚の解消)の際は、正当な理由がなければならず、慰謝料や財産分与が問題になる場合もある。ちなみに、住民票に「未届けの妻(夫)」と記すなど、公的な資料で夫婦と記されていれば、事実婚でも法律婚と同程度の権利を認められているのだという。
 法律婚の夫婦の離婚問題に離婚調停があるように、事実婚夫婦の離婚でも「内縁関係解消調停」という制度がある。
 つまり久郷弁護士夫婦は、③の自宅の財産分与問題がまとまらないため、弁護士双方が代理人弁護士を立てて内縁関係解消調停を行い、それでも解決せず、裁判へ進んでいる。
 久郷弁護士側はかなり譲歩しているが、相手側は中古マンションが高騰しているという時勢を利用し、「値上がりした時価分も支払え」と、ますます久郷弁護士への嫌がらせ主張を展開しているという。
 弁護士同士、事実婚、子なし――。
 簡単に離婚できそうな条件ばかりに見えるが、どうしてこんなにこじれているのか。
 久郷弁護士によれば、「相手が発達障害だから」という。
 これは決して差別的表現ではないらしい。発達障害の人は普段からコミュニケーションが苦手という特性があり、双方が主張し合う状況になれば、なおさらコミュニケーションがとれない。実際、裁判に至るのは全体の約1%の離婚カップルと超少数派だが、久郷弁護士の現場の肌感覚では、そのうち約7割は夫婦どちらか一方が発達障害だというのだ。
 離婚弁護士のこじれた離婚問題。「医者の不養生」みたいな印象を受けるかもしれないが、質が全く違う。離婚は相手がいることだから、当事者の心の整理ができていても、相手を思いやる心があっても、早期の問題解決を望んでも、相手次第で離婚問題はこじれてしまうのだ。
 どこかで飲んでいた時、久郷弁護士がぼやいた。
「相手方弁護士も問題アリなんですよ。依頼人と代理人の関係って不思議でね、石川のように話し合いができないタイプには、同類の代理人しかつかないんだよね」
 離婚問題が難航した時、当事者の苦痛はとてつもなく大きく、ストレスは限界を超えることがある。
 私の場合、代理人の久郷弁護士がその苦悩を共感してくれるから、ずいぶん救われているが、久郷弁護士は代理人の同業者に100%頼ることもできないだろう。そのストレスはいかばかりであろうか・・・・・心から同情する。
「自分が離婚問題を抱えて、代理人を立てた調停や裁判をしていると、依頼人の気持ちが本当によく分かるようになりましたよ。いや、私の代理人もよくやってくれています。でも、仕事として割り切っている姿勢が見えるんだよね。それが物足りないというか・・・・・ねぇ。自分が離婚事件の依頼人の立場になって、初めてわかることもあってさ、本当に勉強になりますよ」
 さらに久郷弁護士は「まどかさんだから言うけどさ」と前置きして続けた。
「離婚弁護士としての自分の姿勢を客観視した時、依頼人の今後の人生のことを本気で考えて仕事している自分を心から褒めてやりたいと思いますよ」
「本当ですね。先生みたいな弁護士、そうそういないですからね。先生ってホント、高いレベルの〝感情労働者〟ですから」
「感情労働」は近年、「肉体労働」「頭脳労働」と並ぶ労働カテゴリーとされている。心理的にポジティブな働きかけをして報酬を得る仕事をいう。たとえば、コールセンターでクレーマーからの電話に対し、自分の感情を抑えながら相手に落ち着いてもうよう働きかけるとか、小学校の教員が厳しい態度、穏やかな表情など状況に応じた対応をして児童にやる気を起こさせるなどが「感情労働」にあたる。久郷弁護士のようなスタイルの離婚弁護士もそのカテゴリーに入ると思うのだ。
「まどかさん、ありがとう。私の仕事を理解してくれて、うれしいです。解決の見通しが立たない離婚裁判の当事者になりましたけど、なんとかやっていきますよ」
 ・・・・・落ち込んでいる離婚弁護士には、依頼者としては寄り添うことしかできない。
 そんな久郷弁護士だが、自らのこじれた離婚問題を抱えながらも、今日も明日も依頼者の離婚問題に全力で奮闘している。結婚生活を振り返り、裁判のことばかり考えて立ち止まっている私とは全く違う。久郷弁護士の苦悩はわりあい短時間で処理され、すぐに活力を取り戻しているのである。
 初対面の時、久郷弁護士は言った。
「私の座右の銘は『転んでもただで起きない』です」
 その通り、久郷弁護士は「転んでも〝絶対に〟ただで起きない」を見事に実践していた。
 私だってあの日、火打ち石を打った。なのになぜ、気持ちがなかなか次に進めないのだろうか・・・・・。

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