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離婚道#13 第2章「脇役物語」

第2章 離婚ずっと前

脇役物語

 新居は、雪之丞の事務所「有限会社 雪花堂」から徒歩5分、3LDKの賃貸ビンテージマンションだった。
 それまで雪之丞は、事務所2階のひと間に鍵をつけて生活スペースとしていたが、そこを弟子たちの部屋にして、仕事場と私生活を完全に分離した。 
 私は、門前仲町の中古マンションを売却した。3年分のローンしか支払っておらず、購入時とほぼ同額での売却になったため、売却益はなかった。頭金より少ない300万円が手元に残っただけだった。それと、勤続9年で中央新聞社から支給されたわずかばかりの退職金を持って、新生活を始めたわけだ。
 私は雪之丞を社長とする雪花堂の役員に就任し、主に経理を任された。
 事務所の作業は、弟子と称する従業員が行うため、私が事務所に顔を出す必要はないという。会社から私に出る給料は月30万円で、ボーナスが出ない分、記者時代の年収よりも減ったが、新しい生活では金銭に代えがたい貴重な経験ができるし、住宅ローンの返済もないので十分だと思った。
 私は主婦として、雪之丞の食事を1日3食作った。
 朝は5時半に起き、土鍋でごはんを焚いて朝食を作り、昼に帰宅する雪之丞に昼食を出し、夜7時にはお膳が整うようにした。仕事の都合で昼に帰宅できない時は、私が昼にお弁当を作り、事務所に届けた。朝食は最低5品、夜はビールと純米酒に合うようなおかずを5~7品並べる。
 雪之丞の食生活はかなり特殊である。
 雪之丞は、農薬などで汚染された食品、養殖魚や輸入魚、抗生物質を投与された肉類を口にしない。たとえば食卓に上がった料理の食材について「このブロッコリーはどこのなんだ?」などと必ず訊くから、産地と有機か自然栽培かなどを確かめて買う必要がある。そのため、東北沢や代々木上原の自然食品店で無農薬やオーガニックの野菜や肉類を買い、百貨店の地下食品売り場へ天然の国産魚介類を買いに行く。無農薬自然栽培の米類や酒類、調味料はネットで取り寄せた。
 また雪之丞は、洗剤も漂白剤も体内に入れない。よって、私は結婚生活17年間、一度も洗剤で食器を洗ったことがない。EM発酵物質を使った洗浄液を使い、しつこい油汚れは重曹とお湯で落としていた。
 雪之丞は外食する際も、洗剤で洗った店のグラスを嫌い、ビールグラス、お猪口、ワイングラスを自宅から店に持参する。漂白剤で処理している竹箸も使わないから、箸も持参した。外食の際、それらを持っていくのも私の役目だった。
 食事にものすごく気を遣う点において、私は、ストイックなプロスポーツ選手の妻のようだった。しかも料理に化学調味料も電子レンジも使わないから、手仕事が多くなる。手間をかけて出汁をとり、野菜を蒸すなど、昔ながらの職人のような手料理を雪之丞に提供していた。
 私自身、料理自慢の母妙子の影響で子供のころから料理好きで、良い食材を使える喜びはあった。雪之丞も「おいしい」と褒めたし、外食をすれば「まどかの方がおいしい」と品評する。熱心に取り組んだ仕事に評価が伴い、やりがいはあった。
 私は退職後すぐに、雪之丞のすすめで、着付けの個人レッスンに通うようになった。
 週1回の着付けの稽古では、私の事情にあわせ、まずは半衿はんえり(※⑮)の付け方と着物の手入れ方法から教わった。それまで弟子がやっていた雪之丞の着物の手入れを、私がやるようになったからだ。
 雪之丞の夏場の外出は着物の方がやや多く、冬場はほとんど洋服だった。麻や綿の長襦袢じゅばん(※⑯)や麻の着物は自宅で手洗いするため、夏場はとくに手入れが大忙しで、1年を通じて長襦袢の半衿の付け替えも大変だった。
 私には和の世界は新鮮だった。着物の世界は面白いし、勉強するとさまざまな教養が身につく。着付けは4年通い、師範免状を取得した。着付けから派生して、茶道や香道、華道もかじった。稽古は楽しい。それまでの自分自身が、日本人としての教養を全く身に着けず、裸同然で生きてきたことを自覚するばかりだった。
 実は結婚直後からいろいろ不穏な出来事が起こるのだが、好きな稽古事は継続したので、辛いことも乗り越えられたような気がする。
 
 入籍直後のこと。雪之丞が「仕事の話があるから座りなさい」という。
「10月から雑誌『邦楽と古典芸能』のコラムの連載が始まったから、私が書いた最初の原稿がまもなく掲載されるはずだ。私はたいへん忙しいから、これからは、私が口述するものをまどかがまとめるように。月に1回、原稿用紙2枚分だ。これは雪花堂の仕事だから、しっかりやるように」
「はい、先生。がんばります」
「勘違いするな。あくまで私のコラムだからな」
 こうして私が書くようになった『邦楽と古典芸能』のコラムは、雪之丞がテーマや言いたいことを私に伝え、それをあれこれ膨らませて800字にまとめる。テーマは芸術論のこともあれば、日常生活の美についてのこと、日本の四季のこと、能に出てくる神様や精霊のこと、スピリチュアルの世界の話など。与えられたお題に、起承転結をつけて読ませる文章にするのは、記者としての腕の見せ所で面白みがあった。
 結婚前、雪之丞は「私には必要な時に必要な人が現れることがよくある。そして今、寺尾さんが現れた」と言っていた。全くその通りで、コラム連載の依頼を受けた雪之丞は結婚によって、元新聞記者のゴーストライターを手に入れたわけだ。
 またある時、雪之丞が仕事の話というので、私はきちんと正座すると、
「私はいま毎朝新聞と対立している。まどかは記者の仕事を誇りにしているようだったから言わなかったが、私は新聞記者が大嫌いだ。自分は何もできないくせに、あの知ったかぶりの偉そうな態度。非常に醜い」
「……」
 雪之丞は、記者の仕事を誇りにしていた私を全否定した。
「数カ月前、私が関わった舞台の記事で毎朝新聞に抗議した。記者は無視し、出てきた次長という人物も全く謝罪しなかった。その件がうやむやになっている。私は忙しいから、まどかが毎朝新聞の学芸部長宛てに正式な抗議文を書くように」
 雪之丞の喧嘩に私が参加しなければならない。しかも天下の毎朝新聞社が相手だ。率直に嫌だった。
 詳しく聞けば、雪之丞は記事の見出しに納得がいかないという。「新しい風か」という見出しの文言は、「新しい風」とすべきで、「か」を入れると舞台の革新性が伝わらない――というのだ。
 見出しを決めるのは整理部だし、この場合の「か」はあまり重要ではないのではないかと意見したが、雪之丞の言語感覚は厳密かつ独特で、私が何を言っても無駄だった。「正当な主張や戦いを避けようとするまどかは幼い」という雪之丞の言葉も、その通りのような気がしてきた。やはり当事者の雪之丞の考えに従うほかない。
 結婚とはこういうことなのか……。私は雪之丞に従い、毎朝新聞宛の抗議文を書いた。
 
 私は主役を降板し、脇役の人生を自分で選んだ。いや裏方人生かもしれない。
 自分が主役だった32年間と全く違うことは、結婚を決めた時にある程度覚悟していたことだ。ところが、想像以上に人生が変わった。
 雪之丞は友人がいない。人と世間話や無駄話もせず、周囲は超人的オーラを発する雪之丞を特別視する。「友人は不要だ。心が弱い人間が人とつるむ」というのが雪之丞の考えで、私もその世界で生きていかなければならなかった。
 そもそも私には毎日3食の支度や雪花堂の仕事があるから、基本的に自由な外出はできない。そのうち、友人関係もなくなっていった。
 雪之丞には旅行も無駄で、新婚旅行もなかった。結婚生活17年間、一度も夫婦で旅行をしたことはない。代わりに、年に8回程度、2泊3日の京都出張があった。また年に5回程度、全国の行場で滝に打たれる修行に同行した。お出かけ好きの私は、出張も修行も旅行の一種だと考えるようにした。
 私は本来、人から干渉されたり、束縛されたりするのが誰よりも嫌だった。そういう自分、自由だったころの私を完全に封印した。すなわち、私自身の個性を殺して生きることが、雪之丞と生きることだった。
 それも、雪之丞が近いうち、世界を驚かすような大きな仕事を成し遂げると信じていたから我慢できた。私が「雪之丞物語」を書く日がくるのを強く信じていたからだ。だから私は、結婚後からほぼ毎日、雪之丞の記録をつけていた。
 ところが一向に、舞台革命の仕事は始まらなかった。現状維持の仕事ばかりである。だが催促もできない。雪之丞ならいつかやってくれる、と信じるしかない。雪之丞には気分よく、いい仕事をしてもらうほかない。雪之丞のいう通りにしないと、生きていけない生活だった。
 もちろん苦痛ばかりではない。
 最も気持ちが高揚したのは、雪之丞が人から尊敬されていることを確認できる時だ。
 人気俳優、天草薫風の舞台後、夫婦で最初に楽屋を訪れた時のことは忘れない。天草薫風が、雪之丞にいきなり抱擁し「愛しています」とあいさつ。「吉良先生は、真の芸術家であり、哲学者であり、武術家であり、そして真の宗教家でもありますから、わたくしは吉良先生を心からご尊敬しております」と初対面の私に、優美に微笑んだ。審美眼で有名な天草薫風の楽屋――華やかで高貴な香水が漂う空間で、私は雪之丞を心底誇らしく思ったものだ。
 結婚当初は雪之丞も時おり優しい言葉をかけてくれた。普段行けない場所に連れていってくれたし、時おり上質な衣服を買ってくれた。私としても、上質なものに触れ、新しい知識を身に着けることはうれしい。私を高い世界に引き入れてくれた雪之丞には、深く感謝する気持ちがあった。
 そんな私と雪之丞の関係を象徴していたのが、それぞれの呼び方だろう。
 雪之丞は妻のことを「まどか」と名前で呼ぶ。それはいい。
 私が夫を呼ぶ時は、結婚生活17年間、家の中でも「吉良先生」もしくは「先生」であった。
 
※注釈
半衿はんえり(半襟) 着物の下に着る長襦袢じゅばん(※⑯)の衿に縫い付ける掛衿。長襦袢や着物は頻繁に洗濯できないため、皮脂や汗の汚れから守るために、長襦袢に半衿を付け、一般的に着物を一度着るごとに半衿を付け替える。女性は着物が華美のため、白い半衿が主流だが、刺繍やおしゃれ柄・色の半衿でコーディネートを楽しむこともできる。男性の場合、礼装用は白だが、日常着では濃い色を中心に色衿で個性的な着こなしを演出する。半衿が美しく整っていると、全体の着物姿がきれいにみえる。
 
⑯長襦袢 襦袢は和服の下着のことで、肌襦袢、半襦袢、長襦袢などがある。一般的な着付けでは、肌襦袢の上に長襦袢、その上に着物を着る。肌襦袢は白い晒やガーゼでできた肌着であるが、長襦袢は下着といえども見せる着方をするのが特徴的。半衿をつけた衿だけでなく、袖口や裾から見えるため、それを前提に生地の色や柄をセレクトするおしゃれアイテムとなっている。

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