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離婚道#25 第3章「錯乱」

第3章 離婚前

錯乱

 藤田奈緒の出現は、雪之丞の心を激しく乱していったようだ。
 最初はいっとき平穏だった。雪之丞は、尊敬のまなざしを向けてくる藤田が愛おしくてたまらなかったと思う。だからほかの弟子には「後継者にする」と言い訳して、ふたりの時間を過ごしていた。
 ところが、私に隠れて藤田と会っていることがバレて、動揺したに違いない。
 私自身、2年間さんざん疑われたことで、雪之丞が真実を見抜けない人間だとわかってしまった。また、盲目的に藤田に恋する雪之丞を見て、高潔な人だと信じていた夫が、ただの男に過ぎないことに気づいてしまった。
 私は決して雪之丞への軽蔑を口にしなかったが、雪之丞を尊敬する態度は消えただろう。それが雪之丞にはおもしろくない。
 しかも、雪之丞の中では、私のありもしない不貞や犯罪が「事実」として刻み込まれている。私の存在は非常に不愉快で、より一層薄汚い女に見えるようだった。
 雪之丞は以前に増して、私に対して不機嫌になり、精神的に不安定になった。
 私は雪之丞をできるだけ怒らせないよう、反射的に「すみません」を口にする。また、顔色を伺うように観察してしまう。それが雪之丞には余計に気に入らない。余計に不機嫌になる。・・・・・もう、負のスパイラルである。
 とはいえ、食事や洗濯、着物の手入れなどの家事全般、そして雪花堂の経理、日常的に手紙や執筆の仕事の代筆など、私に依存しているものが大き過ぎて、雪之丞は私を容易に追い出すこともできない。
 さまざまな葛藤が雪之丞を不安定にさせているようだった。
 私が藤田のことを連想させること言うと、とにかく不機嫌になった。
 たとえば、テレビを見ていて、北海道の豪雨被害のニュースが流れる。
「北海道、いま大変だね」とつい、出てしまう。もちろん、私の頭には藤田のことが浮かんでいる。それを感知した雪之丞は
「まどか、私の神経を逆なでするようなことを言うな!」となる。
 ほかにも、雪之丞から「今日は外で食事するから、夜はいらない」と言われ、
「お弟子さんと食事?」
 ――これもダメだ。
 雪之丞には、私が藤田とのことをつついているように聞こえるらしい。
 それが雪之丞の不機嫌な時だと、「まどかとは離婚する。藤田ももう来させない」とか「誰が食わせてやってると思っているんだ。こんなに稼いでいる68歳がいるか! 俺の金で好きにやって何が悪い!」、さらには「もう嫌だ! ひとりになりたい!」などと言って、狂乱するようになった。
 私に対して、日に何度も「ボケ!」と罵倒し、狂ったように「ド汚い!」「気持ち悪い!」「まどかはもういらない!」「千葉へ帰れ!」を連呼することもあった。
 とりわけ不機嫌な時の雪之丞は狂暴で、「コイツ!」と私に向かってきて、両手で私の髪を掴み、自分の頭を私の頭にメリメリと押さえつけたりするのだ。両手で髪が引っ張られた後、大量に髪が抜けていることもあった。
 雪之丞の不機嫌は、藤田との関係も影響しているだろうし、仕事が思うようにいかない苛立ちもあるかもしれない。私自身が注意すればいいというものでもなかった。
 雪之丞は些細な刺激で爆発する。
 雪之丞爆弾は、私が何を言えば爆発するのか、しないのか、スイッチの仕組みがよくわからず、私は不機嫌な雪之丞に怯えながら生活する日が続いた。
 
 雪之丞にとって、藤田奈緒の存在は、ますます心の拠り所となっていったようだ。
 藤田が雪花堂に来たばかりの時、藤田はマンスリーマンション暮らしだった。弟子の富田和子が雪之丞の指示を受け、代々木八幡付近のマンスリーマンションの部屋をネットで探す。藤田は2カ月程度そこに滞在し、北海道に2週間ほど帰省する。そしてまた上京し、富田が新たに探したマンスリー物件でふた月ほど生活するというサイクルだった。
 それが、平成29(2017)年11月、事務所から徒歩5分の賃貸マンションを契約し、藤田を住まわせるようになった。
 詳しいことは、富田が私に会う度にコソコソ教えてくれるのだ。
 富田によれば、その物件は、東北沢からやや代々木上原寄りの場所にある低層マンションの3階角部屋で、1LDK、42平米、大きなルーフバルコニー付きで家賃17万円だという。27歳の女が東京で一人暮らしするには、贅沢な物件だ。雪之丞が冷静ではなくなっているのは明らかだった。
「奥様、お辛いですよね」と同情しながらも、富田は時にはメールで、さまざまな藤田情報をくれた。富田にも藤田への嫉妬があるのは間違いないが、私に対してはどういう感情なのだろう。女特有の意地悪さも感じたが、私は情報源を大切にした。
「賃貸物件に住みたいと、藤田さんが希望したんですか?」
 と富田に訊いてみた。
「とんでもない。先生が『マンスリーだと月15万円で高いから、12、3万円の賃貸物件を探せ』というから、私はその価格で物件リサーチしたんです。1Kで12万円の物件を先生と藤田さんが内見したら、ちょうど最上階のルーフバルコニー付きの部屋が空いていて、藤田さんがそっちの方を気に入っちゃったんですよ。結果、マンスリーより高い物件になっちゃったんです。賃料が高いというのは口実で、先生は藤田さんの帰省を減らしたくて賃貸にしたんでしょうね。先生は藤田さんが大好きだから、手元に置いておきたいみたいです」
 なんと返していいやら・・・・・富田はなんでも私にしゃべった。
「この前、先生が『まどかは私を尊敬していない』とぼやいていましたよ。奥様、藤田さんみたいに、もっと上手に対応した方がいいんじゃないですか?」
 私に対する不満を雪之丞が弟子に漏らしていることもショックだが、藤田を見習えという苦言は不愉快だった。そしてもう、夫婦の危機は明らかだった。
 
 後継者指名後、夕食は黙食になっていた。手の込んだ料理に「美味しかった」という感想は出ないから、仕事の達成感が全く得られなくなった。食事中に行われていた仕事の報告もなくなった。「吉良雪之丞物語」を書くための手帳には、その代わり、雪之丞の暴言を詳しく記入するようになった。
 平成29(2017)年2月の出来事についても書いてある。
 この日の雪之丞はゴルフで、夕方、日本橋の寿司屋で待ち合わせた。
 研修会の大会で1位になったという。
「よかったね。おめでとう」と私も喜んだ。
 いつになく機嫌がいい雪之丞は、私に対し、趣味のヴァイオリンをもう一度稽古したらどうかと提案した。私もリラックスして、チャイコフスキーコンクールで優勝した日本人ヴァイオリニストの演奏会に行きたい話などしていた。
 久々に平穏な時間。雪之丞が会話の流れの中で、
「奈緒さぁ、この前・・・・・」
「・・・・・」
(……奈緒⁈)
 互いに固まり、しばしの沈黙。
 すると、次の瞬間、
「あぁ、いま俺は『奈緒』って言ったよ。だから何だ! 好きにすればいい。帰りたかったら帰れ。千葉へ帰れ!」
 店に客はいなかった。が、板前も女性従業員も、固まっている。
 雪之丞が藤田を下の名前で呼んでいることは、少し前に富田のタレコミからわかっていた。リラックスしている時に思わず、隣にいる私のことを「奈緒」と呼んでしまったことで、雪之丞の中でいかに藤田の存在が大きくなっているのかを理解した。
 気が鎮まった雪之丞とは、それから黙って寿司を食べ、黙ってタクシーで帰宅した。
 
 平成29(2017)年4月の休日のことも手帳に書いた。
 私は実家からの帰り、雪之丞が手に甘夏をゴロゴロいれた紙袋を持って、代々木上原を歩いている姿を目撃した。
 夜、帰宅した雪之丞に「先生、大きな紙袋持って歩いてたね」と言った時だった。雪之丞は突然逆上し、
「紙袋を持って歩くのは俺の勝手だ! そうだ、お前は何か疑っているようだが、俺は藤田のところに夏ミカンを届けたんだ。当たり前だ! 藤田が風邪をひいて鼻水を垂らしているんだ。北海道から出てきて、慣れない東京でひとりで暮らししているんだ。夏ミカンを届けて見舞うのが当たり前だ!」
 想定外の自白だった。
 雪之丞が藤田の家に行く関係になっていたことを初めて知った私は、「雪之丞自爆の衝撃」と題して、勝手にいきり立つ様子を克明に書いている。
 
 平成30(2018)年4月の事件については数ページ割いた。
 私が京都のマンションの排水管清掃のため、ひとりで京都に行くことになったが、できれば前の日から行って1泊したい。しかし前日は休日で、雪之丞に予定がなければ、食事の準備をしなければならない。そのため雪之丞のスケジュールを訊いた。
「先生、日曜日はなにか予定ありますか?」
 すると予想外のことが起きた。
 雪之丞は突然、手にしている週刊誌を至近距離から私の顔面めがけ、力一杯に投げつけたのだ。
 ガツン!
 ――週刊誌の背の角の硬い部分が私の鼻を直撃した。
「もう嫌だ! まどかはいらない!」
 どういうわけか、雪之丞がわめき散らしている。
 私は鼻血を流しながら、鼻をおさえてうずくまった。それを見た雪之丞は、いっさい詫びるそぶりもなく、一層激昂し、
「警察へ行け! 早く警察へ行け! おれは全部言ってやる。お前のことを全部言ってやる!」
 と叫びながら、寝室へ引っ込んだ。
 雪之丞は私から日曜の予定を訊かれ、自分が藤田と会うことをとがめられたと勘違いして逆上したようだった。
 私は涙を流しながら、痛みがひくのを待った。そして翌日、大きく腫れて痛みが引かない鼻の状態が心配になり、雪之丞にだまって下北沢の耳鼻科に行った。耳鼻科では、脳に炎症を及ぼす心配があるとして、さらに近くの大学病院を紹介され、受診したところ、打撲はあるが脳への影響はないと診断された・・・・・という一件。
 雪之丞は私をケガさせたうえ、心配もしなかった。
 そのうえ、その数日後、京都から夜9時ごろに帰宅した私を内側からのチェーンで閉め出し、家に入れなかった。仕方なく、私は渋谷のホテルに泊まった。そんな邪険な扱いを受けても長年の習性か、雪之丞の朝食のことが気になり、私はまだ夜が明けない早朝4時半にチェックアウトし、帰宅した。
 雪之丞は不機嫌に玄関ドアを開け、
「夜遅くなるとは聞いていない!」
 と自分の行動を正当化した。
 意図的に私を締め出したことを至極当然だと主張する雪之丞のために、私は黙って朝食を作った。そしていつも通り、玄関で淡々と火打ち石を打って雪之丞を見送った。

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