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離婚道#46 第6章「法定外にて『財産分与』係争中」

第6章 離婚後の人生へ

法廷外にて「財産分与」係争中

 令和2(2020)年5月に、吉良雪之丞が離婚裁判を起こしてから2年以上、裁判所が事実関係を取り調べる「審理」は続いている。
 ・・・・・・・・・・・・・・・長い!
 49歳で別居した私は、離婚調停を経て、離婚裁判に至り、これといった法廷ドラマがないまま、50、51、52歳・・・・・と、どんどん年を取っていった。
 久郷弁護士は、離婚裁判の平均期間を1年から1年半くらいだと言っていた。
 実際、令和2年の司法統計によると、婚姻関係事件に対する審理期間は、「3~6カ月以内」が30.2%、「6カ月~1年以内」が32.4%で最も多くなっており、「1~2年以内」が11.6%。「2年を超える」割合は約0.8%と少数派である。
 離婚カップルのうち、裁判まで進むのが全体の約1%と少数派なのに、その中でも0.8%の裁判2年以上に入る私は、離婚カップル全体の0.00008%、すなわち10万組に8組しかいない超少数派の〝離婚難民〟なのだ。
 私の場合、審理期間が2年以上にわたっている原因は、不運なことにコロナの影響もある。さらには、雪之丞側の問題もあった。
 というわけで、2年を超える離婚裁判の流れをざっと説明してみたい。
 
 私の離婚裁判が法廷で行われたのは、第1回口頭弁論のみで、それ以降はすべて電話会議である。
 離婚の原因について、双方の主張は異なった。
 私は日常的に雪之丞からモラハラを受けていたことや、雪之丞が40歳年下の弟子に夢中になり、「一人にならないと高い世界に行けない」と一方的に離婚を切り出され、繰り返し「籍を抜くが一銭もやらない」と迫られた事実を書面で説明したが、雪之丞は私の不貞が離婚原因だと主張した。
 私は雪之丞のとんでもない嘘には証拠を出して徹底的に反論した。対して、雪之丞は暴力やモラハラを強く否定した。数往復の反論合戦をしたものの、そもそもお互い、離婚の意思に相違はなく、離婚原因は争点にならない。
 離婚原因はかみ合わないまま、雪之丞の提訴から1年近く経った令和3(2021)年春ごろ、いよいよ争点の財産分与について、細かい主張を行っていくことになった。
 ・・・・・が、裁判はここで足踏みした。
 令和3年4月、突然、相手方弁護士が辞任したのだ。
 久郷弁護士によれば、雪之丞と相手方弁護士はどうも意思疎通がうまくいってなかったようだ。たとえば電話会議でも、裁判官から原告側への求釈明に対して、相手方弁護士は「原告は『求められている書類を出してください』と催促しても、簡単に出してくれる人ではないので」とぼやいていたという。雪之丞との意思疎通ができなくなり、弁護士自ら辞めたか、雪之丞がクビにしたか不明だが、とにかく辞任した。
 雪之丞に新しい弁護士がつくまで、裁判は少し間があいた。
 2カ月後にようやく弁護士が決まったが、雪之丞の新たな代理人は、千代田区のわりと大きな事務所のボス弁の男性弁護士とイソ弁の若い女性弁護士だった。
 新しい代理人が最初に出してきた書面はかなりの長文で、驚くほど大量の証拠が提出された。書面は雪之丞が能楽プロデューサーとして一流であること、修行を積んだ武術家としても多くの弟子を抱え、尊敬を集めていることを縷々るる述べるもので、証拠として提出されたのは、雪之丞の仕事が掲載された多数の記事。本訴の争点からは大きくピントがズレた主張だが、雪之丞としては、これほど高潔な人格者ゆえに、モラハラや暴力をし、若い女にうつつを抜かすような人物ではないと言いたいらしい。
 弁護士が雪之丞のいいなりになっていて、アドバイスできるような関係ではないことが書面からも明らかで、その後も、弁護士のやる気のなさが行間からにじみ出るような書面の提出が続いた。
 相手側弁護士には、その後も若干の動きがあった。
 その年の暮れに、書面作成の実務を担当していたであろう女性のイソ弁が辞任した。女性蔑視の雪之丞のことだから、若い女性弁護士とトラブルがあったのかもしれない。ボス弁は代わりの弁護士をつけず、雪之丞の代理人はボス弁ひとりになった。そうなると、相手方代理人は、なお一層やる気のない姿勢で審理にのぞんでいるようだった
 当然といえば当然だ。離婚裁判において、財産分与を〝もらう側〟の弁護士は一定の成功報酬が見込めるが、〝払う側〟は対価があまり期待できない。弁護士は報酬を得るために、着手金を高額設定するとか、顧問契約にして月々報酬を受け取るなどするらしいが、総じて〝払う側〟の弁護士はモチベーションが上がらないだろう。そのうえ、雪之丞相手では打ち合わせでもストレスを感じるに違いない。
 雪之丞の弁護士交代とコロナ禍で裁判の延期もあり、令和3年の期日は5回しか開かれなかった。同4年になってからは、ひと月半に1回のペースで審理が行われてきたが、雪之丞側がなかなか資料を提出せず、のらりくらりの状態で裁判が長引いている。
 争点の財産分与について、2年以上の裁判で出された双方の主張は次の通りである。
 
〇不動産
 婚姻中の平成24(2012)年に5000万円で一括購入した京都のマンションが相当する。購入時は共有名義で、雪之丞と私が3:2の持ち分だったが、私が各種犯罪を疑われていた平成27(2015)年2月に雪之丞の単独名義に変更された。
 私が家出して別居すると、雪之丞は不動産を私に取られるのを恐れたのか、直ちにこの物件を売ってしまった。
 雪之丞は最初「4000万円」で売却したと主張。次に売却額を「4900万円」と言い直して嘘を重ねたが、最終的に売買契約書の提出を裁判所から強く促され、本当の売却額は「5200万円」だと判明している。
 こちらは売却額の5200万円が「共有財産」と主張し、半額の2600万円の財産分与を求めている。
 対して、雪之丞は、「すでに名義変更の際に2000万円を私に手渡している」と作り話をし、さらに、もともとの原資が結婚前の「特有財産」で「共有財産」でないから、財産分与の対象ではないと主張している。
 購入時の5000万円が雪之丞の「特有財産」ならば、夫婦の共有名義から雪之丞の単独名義に変更する際、なぜ私に2000万円を手渡したのか、意味不明だ。雪之丞はなりふり構わず矛盾した主張を展開している。
 
〇金地金
 婚姻中に3回にわけて購入した金地金(純金バー)計4㎏について争われている。
 雪之丞ははじめ、「個人所有の地金はない」と嘘をついたが、こちらが購入時の領収書を添付して地金4㎏の存在を明らかにすると、地金4㎏を購入した事実を認めた。
 しかし雪之丞は、「婚姻中に4㎏すべてを売却していて、現在地金は一切所有していない」とまたも嘘の主張を展開。さらに、「もともとの原資が結婚前の特有財産のため、売却額も財産分与の対象ではない」と述べている。
 地金の売却では、売却益が一定額以上の場合、所得として税務申告する必要がある。婚姻中、雪之丞が4㎏の地金を売っていないことを妻の私は知っている。仮に売却した場合は金価格上昇で必ず売却益が出るため、税務申告しなければならないが、そのような税務申告はしていないのだ。
 こちらは雪之丞が婚姻中に地金を売却した証拠の提出を再三求めているが、雪之丞からそのような証拠は一切出ていない。
 金価格は日々変動する。購入した時は1グラム4000円台で、購入価格は約1700万円だったが、別居時は1グラム5000円台まで上がって時価は約2000万円。その後も金価格は上昇している。
 
〇美術品
 婚姻中に購入した能面「小面こおもて」「般若はんにゃ」「獅子口ししぐち」の3つが相当する。
 こちらは、購入額計900万円を「共有財産」と主張している。「小面」250万円、「般若」300万円、「獅子口」350万円である。
 無形文化財選定保存技術保持者の能面師、熊崎光雲作の能面だけに、値が上がることはあっても下がることはない。家を出る前に写真は撮ったが、実物が手元にないため鑑定できない事情もあり、購入額900万円を「共有財産」とした。
 一方、雪之丞は、早々に3つの能面の存在を認めたものの、裁判官から能面の金額を再三訊かれても「値がつけられない」の一点張りだった。ところが裁判から「主張しなければ900万円ということになりますよ」と言われると、慌てて鑑定書を提出してきた。
 鑑定書はどこかの美術商に書かせたもので、鑑定額はなんと、「能面3つで50万円」!
 驚きの鑑定額に、「は?」と頓狂とんきょうな声が出てしまったが、久郷弁護士も思わずズッコケたという。
 雪之丞は結婚前から熊崎光雲の能面「猩々しょうじょう」を所有し、あれほど熊崎光雲作の面の価値を誇っていたにもかかわらず、財産分与を少なくするために、ありえない安値を出してきたのだ。雪之丞・・・・・あまりにセコ過ぎる。
 その後、こちらは「ならば50万円で買い取る」と応戦した。
 しかし雪之丞は「そんな安い額では売れない」と突っぱねた。
「ならばいくらで売却しますか?」との質問に、雪之丞からの返答はない。
 雪之丞の主張は完全に破綻している。裁判所は能面の額をどう判断するのだろうか。
 
〇現金(隠し財産)
 本訴で最も難しい問題は、雪之丞の隠している現金である。
 雪之丞は婚姻時の銀行残高が約1800万円、別居時には約1000万円と、通帳を提出して預貯金が減っていることを主張し、現金の財産分与はないことを強調している。
 しかし、雪之丞は銀行を信用しないため、預金を頻繁におろし、現金を4つの金庫に保管している。雪之丞の銀行預金額は、雪之丞の財産のごく一部に過ぎず、預金残高はまったく意味がないのだ。
 こちらは、17年間で雪之丞が銀行口座から1000万円単位で引き出した総額が約3億円になることを主張し、通帳コピーを証拠として提出した。複数の金庫の写真も証拠提出した。
 さらに、食費や家具代、雑貨代など身の回りの出費はぜんぶ雪花堂で領収書精算していて、雪之丞の給料は使い道がないことも述べ、3億円を超える給与所得がありながら、別居時の銀行残高が1000万円程度しかないのは、1000万円単位で引き出した現金を金庫に保管しているからだと主張した。
 そのうえで、相手方に、口座から引き出した現金について、使ったものがあれば証明を求めると述べた。
 裁判で金庫の存在が明らかになっても、「隠している現金はない」と言い続ける雪之丞だったが、さすがに引き出した現金の使い道を述べた方がいいと思ったのだろう。雪之丞は「奈良の寺に7000万円の木彫を寄贈した」と言い出した。その主張を補うため、飛騨の彫刻家の「吉良先生から龍の木彫の制作代として7000万円を受け取りました」という手書きの一筆が証拠提出された。またも雪之丞の得意技、虚偽証拠のねつ造である。
 婚姻中、龍の木彫を寺に寄贈したのは事実だが、ほとんど無名の彫刻家の作品が、都心で2LDKの物件が買えるほどの金額のわけがない。制作を一緒に依頼した妻の私は、彫刻家への支払いが700万円程度だったことを覚えている。「金はない」と主張するため、雪之丞は彫刻家まで巻き込み、「彫刻に7000万円払った」なんて、荒唐無稽な虚偽主張をしてきたのだ。
 対して、こちらから、当該の彫刻家がその年に7000万円も収入があったことを証明する税務申告書の提出を求めたが、雪之丞は「その必要はない」と言い続けている。

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