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離婚道#24 第3章「はちすの恋」

第3章 離婚前

はちすの恋

 雪花堂の経理処理には、領収書精算と振り込みや支払いのチェックがある。
 私は経理の仕事を通じて、藤田奈緒の存在が雪之丞にとって特別になっているのが見えていた。
 たとえば領収書。
 雪之丞は、飲食代や食品代、ゴルフクラブ代などの私的な支出も雪花堂の経費として落としていた。その際、雪之丞は「吉良」または「雪花堂」の宛名で領収書を発行してもらう。
 後継者指名前後から、雪花堂の領収書には、「藤田」と宛名が書かれた領収書が入るようになった。数千円の飲食代や、代々木上原のスーパーで買った食品代、下北沢の店の雑貨代など。弁当店で買った総菜やサラダのレシートも多数紛れるようになった。
 宛名「藤田」の領収書は、雪之丞がそれらの費用を藤田に現金精算していることを意味していた。レシートから、炭酸水やビール、南国のドラゴンフルーツが藤田の好物であることもわかった。
 一従業員がプライベートの食事代や日用品を領収書精算すること、また従業員名の宛名で発行してもらった領収書で会社に清算してもらうなど聞いたことがない。会社の会計処理上、さすがにそれは無理があるだろうと、私は雪之丞に「藤田」の名前で領収書を発行させないように伝えた。
「うるさい。意地の悪い言い方をするな。藤田は東京で安い給料で暮らしているのだから、食事の手当てをするのは当然だ。雪花堂のことは私が決める。口出しするな!」
 雪之丞が不機嫌になったので、私はもう領収書に触れないようにした。
 その後、それまで「藤田」宛で発行されていた飲食店やスーパーの領収書が「キラ」という宛名にかわった。雪之丞が指導したのだろう。
 また、その時期から、月15万円程度のマンスリーマンションの賃貸料が雪花堂の口座から振り込まれるようになった。藤田の住宅費を雪花堂が支払っているわけだ。
 弟子と呼んでいる雪花堂の従業員には、雪花堂から給料を支払っている。一番高いのは富田和子で月給30万円、出張すれば出張手当がつく。藤田はまだ見習いで、ほかの弟子と同様、日当8000円から始まった。だが、藤田だけには特別に、日常の食費や住居費を雪花堂が支払っている。藤田は2カ月に1度、1~2週間の日程でたっぷり帰省するのだが、北海道までの往復の飛行機代も雪花堂が出していた。そのような高待遇の弟子は、いまだかつて存在せず、藤田が初めてだった。そうした特別扱いも、「後継者」といえば説明がつくと雪之丞は考えたのだろう。
 雪之丞は、私に藤田とのことがバレて以来、私を極力、事務所に呼ばないようにしていた。弁当を届ける時は、自宅を出る前に電話連絡するよう指示した。私が予告して事務所に向かうと、マンション1階の玄関前で雪之丞が立っていて、私から弁当を受け取る、というスタイルに変わった。雪之丞が、私と藤田を会わせないように必死に画策しているのが滑稽こっけいだった。
 私も一応記者出身だから、毎朝の個人レッスンのウラ取りを兼ね、藤田の顔を見てみようと思った。
 雪之丞を6時に送り出した後、事務所近くの建物に隠れて張っていると、6時半に藤田と思われる若い女が出勤してきた。次に、富田が7時半に出勤。朝風呂に入って家を出る雪之丞は、雪花堂で毎朝1時間、藤田とふたりきりで過ごしていることの確認がとれた。
 私はその時、初めて藤田を目睹もくとした。私がいうのもなんだが、藤田奈緒は驚くほど不美人で、目は細く、少し受け口であごが長い。姿勢が悪く、貧相に見えるような瘦せ型で、全体的に幸薄そうな幽霊みたいな女だった。
 藤田奈緒のどこかいいのかさっぱりわからない。
 しかし、雪之丞に藤田への特別な感情があることを、またも弟子の富田和子の口から知ることになったのである。
 その年の11月、京都出張中で、たまたま富田と私の2人になった時のこと。チャンスとばかりに、私が「後継者の藤田さんは、雪花堂のお仕事、慣れてきましたか?」と聞いた時である。富田は「聞いてくださいよ、奥さん」とペラペラしゃべりまくってきたのだ。
「藤田さんは先生のお気に入りですから、弟子たち皆、藤田さんに気を遣ってます。朝も私が出勤すると、ふたりで楽しそうに花の手入れをしたりしていますよ。あ、もちろん、お稽古している時もありますけど、たいていはふたりで楽しそうにしゃべってます」
「藤田さんは何歳なんですか?」
「27歳です。先生は藤田さんのことを好きでたまらないようですが、藤田さんから見たら、先生はおじいちゃんみたいな年齢ですからね。お金をたくさんもらえてラッキーとしか思ってないようです。先生の見えないところで、先生のことをめんどくさがっている顔をする時がありますから」
「藤田さんにはなにか特別な才能があるんですか?」
「文章がうまくて感性はいいと先生は言っています。私から見たら、普通の現代っ子ですけどね。だから先生が突然、『藤田を後継者として育てる』と言った時は驚きました。だって藤田さん、パニック障害で対人恐怖症なんで、先生の代わりなんて無理ですよ。先生が藤田さんを後継者と使命すれば、先生は大好きな藤田さんと堂々とふたりきりでいられますからね」
 口が過ぎたと感じたからか、富田は「でも奥様のお気持ち、わかります。お辛いですよね」とつけ加えた。
 富田和子は私より3歳年上で、当時50歳。私が雪之丞と結婚した数年後、大鼓の稽古にくる生徒から雪花堂の従業員に昇格した弟子だ。雪花堂で働いて11年になる。
 従業員は当時、富田を含めて5人いたが、全員女性。新入りの若い弟子が、雪之丞に厚遇され、ほかの弟子には面白くないのかもしれない。
 富田の言葉から、雪之丞に藤田への恋愛感情があって、それが雪花堂の中でもダダれになっている様子がわかった。そして、後継者指名は、雪之丞が藤田とふたりで会うための口実に過ぎないことも明らかだった。
 私に根も葉もない浮気容疑をかけ、責め続けた男が、なんということだろう。ものすごく腹が立った。と同時に、弟子の富田に雪之丞がわらわれているのが、妻として、なんとも恥ずかしかった。
 それからしばらくして、雪之丞がアドレス帳を家に忘れて事務所に行った時である。パラパラと中をみてみると、中に「吉良先生へ」と若い女性の字体で宛名書きされた封筒に入った手紙がはさまっているのを見つけた。
 
《吉良先生へ
 吉良先生の講義をきいて、私は、先生のすごさと精神性の高さは、ほかに類を見ないものだと直感しました。若輩者で、精神性の高い低いなど考えて生きてきてない私にとって、先生の生き方がとても尊いものなのだという気づきになりました。ありがとうございます。
 私は最近、古事記のことを勉強しています。
 八咫鏡やたのかがみ草薙剣くさなぎのつるぎ八尺瓊勾玉やさかにのまがたまの「三種の神器」は、孔子の教え「三徳」によくたとえられるようです。三徳は「智仁勇ちじんゆう」で、智の人は惑わず、仁の人は憂えず、勇の人は恐れない――ということです。私は、「智仁勇」とは、まさに吉良先生そのものだなと思いました。
 昨日、先生の大鼓の演奏をきき、私には光が見えました。不安なことも、光が見えたからもう大丈夫という気持ちが初めて明確にわいてきました。先生の存在によって、私の岩戸が開き、再び人生が光に照らされた感じがします。
 先生をおしたいしていれば、不安はありません。今後、どんな壁にぶち当たろうとも、がんばってみようと思います。よろしくお願いいたします。
藤田奈緒》
 
 読み終わり、「へぇ~」とひとり言を言ってみた。
 智仁勇は吉良雪之丞そのもので、雪之丞によって自分の新しい生がはじまったのだと藤田はいう。その文面からは、雪之丞への敬愛の念が強く感じられる。
 そこそこ感心する気持ちの次に、なぜか懐かしい感情が沸き上がり、同時に複雑な感情でモヤモヤした。
 思えば、かつての私も、雪之丞は猩々そのものだと評し、文面の藤田と同様に雪之丞に心酔したものだ。
 だが、藤田は私とは違う。
 弟子の富田は「藤田さんは現代っ子だから、先生からお金をもらってラッキーとしか思っていない」と嗤っているからだ。
 100%純粋にバカ真面目に雪之丞を尊敬してきた私よりも、藤田はずっと計算高いのだろう。ひねくれた見方かもしれないが、藤田には雪之丞をくすぐる術が備わっていて、こんな文章が書けるのだろうと想像する。
 雪之丞は藤田の本心を知らない。恋文のような手紙に舞い上がり、藤田が自分を真っすぐに尊敬していると信じているに違いない。
 雪之丞は、弟子の手紙など持ち歩くタイプではないから、よほど、この手紙が嬉しかったのだろうと推察できるのだ。
 藤田奈緒は27歳。私は47歳。雪之丞は67歳。見事に20歳ずつ年が離れている。藤田は雪之丞よりより40歳も年下だ。
「40歳かぁ・・・・・」
 私は藤田の手紙を読み返し、「良寛は私、貞心尼はまどかなんだ!」と雪之丞が私にプロポーズした時のセリフを思い出して馬鹿馬鹿しくなった。
 その夜、私はソファーでリラックスして週刊誌を読んでいる雪之丞に、できるだけ怒らせないようにおだやかに語りかけた。
「先生、前に先生は蓮の花のエッセーを書いたけど、〝蓮の恋〟って良寛70歳、貞心尼30歳で40歳差の恋の話だったよね。67歳の先生にとって、後継者の藤田さんは27歳でちょうど40歳年下だから、やっと先生に、真の貞心尼があらわれたのかもね」
「・・・・・」
 雪之丞の目がわずかに宙に浮いたが、瞬時に週刊誌に落とし、口を真一文字に結んだ。私の言葉は表面的には無視されたが、明らかに、雪之丞の急所を突いたようだった。

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