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離婚道#48 第6章「受難」

第6章 離婚後の人生へ

受難

 令和4(2022)年4月のこと。
 母妙子が腹痛を訴えていると、兄から電話があり、急いで実家に帰った。
「まーちゃん・・・・・お母さん、お腹が痛い・・・・・」
 コロナではないようだ。すぐに近所のクリニックに連れて行き、血液検査と超音波検査をすると、副院長の女医が「紹介状を書きますから、大きな病院にすぐに行ってください」。炎症反応の数値が跳ね上がっていて、肝臓の数値も悪く、超音波で見る限り、胆嚢たんのうに深刻な異常があるという。
 母は、父がかかっていたお茶の水の大学病院を希望した。すると女医は、その大学の出身者ということで「いま連絡してみます」とその場で電話し、受け入れOKということになった。コロナが落ち着いていた時期だったのが幸いし、私は母を車でお茶の水の大学病院に連れて行った。
 すぐにCTとMRIの検査をし、母は即入院となった。
 医師によれば、胆嚢が派手な炎症を起こし、十二指腸と肝臓に浸食。「胆嚢がん」と「黄色おうしょく肉芽腫にくげしゅせい胆嚢炎」の可能性が考えられるが、手術で腹部を開き、胆嚢を病理検査しないと判別できないという。
「黄色肉芽腫性胆嚢炎」とは、なんとも毒々しい名前だが、胆嚢内に肉芽腫という病巣を形成する稀な胆嚢炎で、胆嚢がんとの識別が非常に困難という説明だった。
 もしがんの場合は、がんが周辺臓器や腹膜に転移している可能性が高く、胆嚢の切除は無意味のため、何もせずに開いた部分を綴じるという。
 入院から1週間後の手術日。手術開始から1時間後に連絡があり、がんでないことがわかった。「黄色肉芽腫性胆嚢炎」だったのだ。
 手術はそのまま続行し、胆嚢を切除。十二指腸と肝臓も部分切除して穴をふさぐ手術が8時間かけて行われた。
 手術は成功――よかった。母妙子は78歳で命拾いした。
 母は順調に回復し、2週間で退院。自宅療養をひと月したら、もうすっかり元気になった。
 思えば母の76歳の誕生日が別居日だった。翌年の喜寿も、離婚問題が解決しないままのお祝いになった。母は私の大事な話し相手である。私がまだ困難な状況だから、まだまだ生きていてもらわないと困る。孫の顔も見せてやれなかったうえ、離婚がこじれている残念な娘だが、これからはがんばって親を喜ばせたい。
 とはいえ、80歳の傘寿では、離婚問題は解決しているだろうか・・・・・。
 
 6月、梅雨入りした日の「はちじょう」。
 母の入院騒動がひと段落し、久郷弁護士と飲むのは2カ月ぶりだった。
「お母さんのこと、心配したよ。元気になってよかった。なにせ、娘の結婚に反対した妙子さんには、離婚まで見届けてもらわないとねぇ」
「ええ、そうなんです。父が入院していた病院と同じだったんですけど、コロナがあって、病院の様子は全く違っていました」
 お茶の水の大学病院は、原則、面会禁止であった。私は入院時の付き添いが許可されたが、出入りできるのは入院病棟のエレベーターホールまでで、入院中の荷物の受け渡しもエレベーターホールでスタッフを呼ぶ。
「先生も私も、別居したのが2019年7月だったじゃないですか。我々が離婚に向けて別居している間に、コロナ感染症で社会がだいぶ変わりましたよね。母が病気になって、それを実感しました」
 久郷弁護士の離婚問題もまだ解決していない。
 根津のマンションを久郷弁護士が引き取るにあたり、久郷弁護士側はかなり譲歩しているらしい。ところが、中古マンションが高騰している時勢を利用し、夫の石川弁護士側は「値上がりした時価分も支払え」と久郷弁護士への嫌がらせ主張を重ね、依然、調停を続けている。
 久郷弁護士と私が別居した年の暮れに中国でコロナウィルス感染者が出て、翌2020年から世界的パンデミックでステイホームになった。もし、別居の判断が半年遅かったら、時勢が影響して、私は家を出るタイミングを逃していたかもしれない。
「ステイホーム中、吉良から激しいモラハラを受けていたかもしれないと思うと、ゾッとします」という私に、
「そうだよ。コロナ離婚の相談者、結構いるよ。つい最近来た人は、日常的にモラハラを受けてたらしいんだけど、コロナの影響で音楽関係のダンナの仕事が減って、モラハラがひどくなったんだって。そんなの多いよ」
「先生も私も、ギリギリのタイミングでモラハラ夫から逃げられたんですね。離婚弁護士を求めて、Google検索は何カ月もずっとしてましたけど、危機一髪のところで先生にたどり着いてよかったです」
「そうだよ、まーちゃん、グーグル先生に感謝だよ。私さ、まどかさんのお母さんのことがあって言うんだけどさ、何度も言うように、裁判は長くなるから、もう社会復帰していかないと。お母さんだって、いつまで元気でいてくれるか、わからないよ」
「はい。あのう、今度の裁判、和解の話し合いじゃないですか。それで決まれば、それを区切りに書き始めたいと思っています」
 そう、私の長い裁判では、双方の主張がひと通り出た。裁判官は次回6月下旬の期日で、電話会議でなく、対面の会議を設定し、和解について協議することになっていた。
 裁判官が財産分与についての金額を提示し、双方が納得すれば決着する流れだ。
 黙っている久郷弁護士に、私は続けた。
「先生、和解が不成立だった場合は、もっと裁判続けて本人尋問ですよね。その前に出す予定の陳述書を事前に書かせてもらって、良かったです。あれを書いて、気持ちの整理ができました。私、本当に結婚前のように書いてチャレンジしたいと思いました。裁判が終わったら、残りの人生、死ぬまで何か書きたいです」
 久郷弁護士の顔つきに怒気が現れた。
「まどかさん、和解は決裂する可能性が高いよ。だって、吉良雪之丞はまどかさんに金出したくないんだから。裁判はそのうち判決が出るけど、ヤツは控訴する可能性が高いと思う。それで最高裁までいったら、何年かかると思ってんの?」
「・・・・・」
「吉良雪之丞に振り回されたまま、人生、終わっちゃうよ。書きたいと思ったら、裁判のことはウチらに任せて、書けばいいじゃん。まどかさんの人生なんだよ。裁判が終わったらって、そういう真面目で頑固で思い込みが強いところがあるから、17年間も自分を殺して結婚生活続けて、モラハラ受け続けてたんだと思うよ。自信がないのかもしれないけど、そんなの当たり前だよ。だって20年も書いてないんだから。書いているうちに自信がつくかもしれないし、書いてダメだったら、別の仕事をすればいい。早く書き始めないと、人生やり直せないよ」
「・・・・・最高裁までいったら、あと何年かかりますか?」
「あと2年はかかる。別居から5年だね」
 久郷弁護士はぶっきらぼうに言い放ち、芋焼酎のストレートを口に含んだ。
「・・・・・そうですか」
 久郷弁護士が反対尋問のような口ぶりで質問を投げた。
「まどかさん、もし自分が余命1年でも、裁判が終わったらとかグズグズ言いますか?」
「・・・・・」
 何も言えない。
 黙っていると、久郷弁護士は話し相手を「はちじょう」の大将に切り替えた。なにか食材の話で盛り上がっている。
 一方の私は、考えが一向にまとまらない。
 私の中に、久郷弁護士を怒らせるほどの欠陥があることはわかる。裁判が終わらないと、次が始められない――私はその考えに固執し、それが久郷弁護士をいら立たせている。なぜ私はその考えに固執しているのだろうか・・・・・。
 2人で陰鬱な空気をまといながら「はちじょう」を出ると、外は雨があがっていた。
 久郷弁護士と私は黙って歩き、大きな桜の木の下でとまった。久郷弁護士は根津駅から千代田線でひと駅の千駄木へ、私は上野駅から山手線で西日暮里へ。「はちじょう」からの帰りは、いつもここで別れる。
 どんな言葉で別れようか・・・・・と考えていると、久郷弁護士は口を開いた。
「私はまどかさんを親友だと思ってる。人生の晩年、この年になって、親友なんて呼べる友達ができて、幸せだと思ってる。吉良のことは私に任せて、早く自由になりな」
 言い終わると、ガバッと黄色のレインコートを跳ね上げ、私を抱き込んだ。
 ギュッとわずか2秒。すぐにレインコートが離れた。きびすを返し、久郷弁護士は足早に帰って行った。
 裁判が終わったら――と言い続ける私は、別居してからもずっと雪之丞の幻影に振り回されている。そのことにいい加減に気づけ、早く自分の人生を生きろ、と久郷弁護士はしびれを切らしていた。
 私は感情が整理できず、上を見上げた。よりどころがほしくて月を探したが、月はどこにも浮かんでいなかった。

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