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離婚道#45 第6章「喜楽! 弁護士の活発な活動」

第6章 離婚後の人生へ

喜楽! 弁護士の活発な活動

 雪之丞の嘘八百の答弁書が、私の戦意を向上させた。
「久郷先生、反論、書いていいですか?」
 私は雪之丞の嘘を暴きたくてウズウズしている。
 弁護団と話し合い、富田和子の陳述書への反論に特化した「陳述書1」、京都マンションに関する「陳述書2」を書かせてもらうことになった。
 離婚裁判では、当事者の陳述書は通常、裁判の終盤で尋問をする前に提出するものだが、本題の財産分与について具体的に争う前に、裁判官には早期に事実を認識してもらいたい。
 雪之丞が出してきた富田の陳述書には「吉良先生は弟子に対して平等で、先生が藤田さんを特別扱いしたことはありません。また、先生は、奥様のまどかさんにいつも気を遣って接していました」などと書かれているが、こちらの「陳述書1」でそれを反証するため、富田とのメールのやりとりを添付し、事実説明した。
 富田の私宛メール数通には、雪之丞が弟子の藤田奈緒を大好きでたまらないこと、藤田を後継者指名して個室に籠って個人レッスンするなど超特別扱いしていること、富田がそれを面白く思っていないこと、雪之丞の妻に対する態度がキツ過ぎることがあれこれ書かれている。
 こうしたメールの存在を表に出せば、富田は雪之丞の忠実な弟子を装っていながら、実は裏で妻の私に告げ口をしていたことが雪之丞にバレてしまう。富田の立場も考えたが、富田自身が裁判で嘘を書いてきたのだから、配慮する必要はないと思い至った。
「陳述書2」には、京都マンション購入のいきさつを詳しく書いた。
 5000万円で購入した当初は共有名義だったが、私の持ち分2000万円は実際に私が支出していないから、雪之丞の単独名義への変更時に2000万円などもらうはずかないことを説明。さらに、「女は金があると悪さをする」という考えに支配された雪之丞が、躍起になって私から預貯金を取り上げようとした背景も説明し、ゆえに私に2000万円もの現金を手渡すはずがないことを述べた。
 久郷弁護士は「裁判序盤から当事者の被告が2通も陳述書を出すなんて、ずいぶん鼻息が荒い感じがするけど、吉良の主張や証拠は信用できないと裁判官に認知してもらえる効果はあるね」と判断し、2通はそのまま出すことになった。
 加えて、「暴力はない」とする雪之丞への反証のため、医師の診断書を提出した。
 また、日常的なモラハラや、私が不貞した事実がないことを立証する証拠として、17冊の手帳も提出した。雪之丞に関するあらゆる細かいことが書かれているこれらの手帳は、2通の陳述書を補強する証拠にもなる。
 17冊の手帳は、かつて雪之丞から「私に関することはすべて書け。それがまどかの財産になるから」と言われ、17年間書き続けた雪之丞の記録であった。能楽プロデューサーの偉業を伝える「吉良雪之丞物語」を書くためでなく、雪之丞と戦う裁判の証拠として、その17年分の手帳が使われることになったのは、まったくもって皮肉なことだ。
 
 私の裁判が法廷で開かれたのは第1回の口頭弁論のみで、それ以降、事実関係を裁判所が取り調べる「審理」は、コロナの影響でずっと「電話会議」であった。
 電話会議というのはコロナの時期から盛んに行われるようになったスタイルで、双方の代理人弁護士と裁判所を電話でつなぎ、弁論準備手続を行うもの。そのため、代理人弁護士が期日のたびに出廷する必要はない。
 吉良まどかの弁護団は期日当日、「上野さくら法律事務所」に集合し、事務所の会議室で、裁判官や相手方弁護士とのやりとりを行う。つまり私の離婚裁判は、いつも「上野さくら法律事務所」が舞台となったわけだ。
 離婚裁判の当事者になると、出てくる相手書面の内容に、その都度、心揺さぶられてしまう。相手の嘘や信じがたい反論主張に対して、とにかく腹が立ち、そのような相手と婚姻関係を結んでいた自分自身にどうしようもなく落胆する。
 喜びと怒り、悲しみと楽しみ――人間のさまざまな感情である「喜怒哀楽」のうち、裁判中は「怒」「哀」という負の感情ばかりが激しく動く。人生をかけた裁判だから、逃げずに冷静に戦いたいが、感情をよほどコントロールしていないと、目指すゴールまで、情緒を一定に保てなくなるものだ。
 ただ、私の場合、弁護団との対話で「喜」「楽」の感情も活発に刺激された。裁判中、私の情緒がおおむね安定していたのは、そのおかげだったかもしれない。
 
「上野さくら法律事務所」では、弁護団との打ち合わせも頻繁に行われていた。
 令和2(2020)年12月、2回目の緊急事態宣言が出る前に行われた打ち合わせ――といっても、約1時間で裁判の話は終わり、いつものデリバリーが届いた。打ち合わせは、飲み会とセットで日程調整するのがチームの慣わしだった。
 話題の中心は、少し前から懸案になっている独身の男性弁護士2人の婚活問題。とりわけマッチングアプリ上級者の醍醐弁護士の経験談は愉快で興味深い。彼女との進捗状況を酒の肴に飲むのである。
 醍醐弁護士とマッチングアプリで出会い、おつきあいをしている彼女、成美さんは、大学病院に勤務している放射線科の医師で、30歳。両親も医師で、曾祖父の代から医師という家系だ。スマホで写真を見せてもらったらが、かなりの美人である。
 実は成美さんも、マッチングアプリの〝つわもの〟らしい。
 なんでも、長年つきあって結婚を約束していた男性に婚約破棄されたのを機に、わずか1年の間に、200人以上の男性と片っ端から会ってきたという。最大で1日3人とのデートをハシゴしたこともあるというから意気込みがすごい。これと思うあまたの男性と対面した中で、醍醐弁護士が選ばれたわけだ。
 一方の醍醐弁護士も3年間で200人もの女性とマッチングしてきたわけだが、もうしばらくは小説でチャレンジしたいらしい。当番弁護士で受けた刑事事件や、久郷弁護士とコンビで民事事件を担当しながら、週に数日は小説を書いているという。
 この当番弁護士というのは、逮捕された容疑者が無料で1回、弁護士を呼んで相談することができる制度である。弁護士会が運営していて、当番弁護士の費用は弁護士会が負担するという。
 つまり醍醐弁護士は、民事・刑事の事件で安定した収入があるのだが、小説を書いている分、仕事をセーブしている。今後、執筆活動に専念したいと思った時、あるいは子供が生まれた時は、「主夫」になることも考え、妻が働いて家計を支えてもいいとの考えを持つ女性をマッチングアプリで選んだという。
 久郷弁護士は、まだ会ったことのない成美さんをえらく気に入っている。
 事務所に届く贈答品を「これ、成美さんと食べなよ」と渡しているうち、成美さんから、可愛らしいお礼の手紙とともにちょっとした返礼品があったようで、「気遣いのできるいい子だよ」と感心していた。
「醍醐、彼女とはうまくいってんの?」と久郷弁護士。
「えぇ、まぁ。実は結婚の話も出ています。コロナが落ち着いたら、向こうのご両親にもごあいさつをと思っていまして」
「あんなに美人でいい子、醍醐にはもったいないような優良物件なんだから、逃げられないうちに早く結婚した方がいいよ」
「久郷先生、実は向こうの方が積極的なもので・・・・・」
「そうなんだ。へぇ~。あの美人女医、醍醐のこと大好きなんだ」
「ま、そうなんですよ」
 醍醐弁護士は頭を激しく搔いている。
 すると、小島弁護士が手を挙げた。
「久郷先生、実は私も婚活アプリで結婚が決まりまして・・・・・」
「え、マジ?」
「アプリ登録から、まだ半年で?」
「相手は誰?」
「おつきあいはいつからですか?」
 久郷弁護士と私からの矢継ぎ早の質問に、小島弁護士は面食らいながら、
「えっと、この前、初めて会ったんです。最初のデートで、結婚の意志を訊かれまして、『ある』と答えました。来年6月に入籍することになりました」
 と照れ笑いを浮かべ、なんとも嬉しそうである。
「なにそれ、最初のデートで結婚が決まったの? 大丈夫? 相手は何してる人なの?」
 婚活を促した先輩弁護士のひとりとして、久郷弁護士は、小島弁護士の急展開にやや心配している様子だ。
「歯科医師で、38歳です。会う前に、メールと電話でお互いのことがわかっていますので大丈夫です」
 しかし驚いた。小島弁護士は彼女とまだ1回しか会っていない。それでも結婚のだいたいの日取りまで決めたという。
「へぇ~、まどかさん、いま、こういう時代なんですよ」
「そうなんですね」
 少し気がかりではあるが、離婚裁判中の女ふたりが、ああだこうだ言える立場ではない。なにはともあれ、成婚の報告はハッピーだし、目の前の2人の男性弁護士がなんとも幸せそうなのは嬉しい。
 しかも2組とも「弁護士と女医」の最強カップル。互いに仕事が多忙のうえ、コロナ禍で行動が制限され、新しい出会いも期待できないという時勢では、たしかに醍醐弁護士の言う通り、婚活アプリは最短で理想の相手に出会える最善の手段なのかもしれない。
 そうして令和3(2021)年6月、久郷弁護士と私の離婚問題が解決しないでいる間に、弁護団の独身男性弁護士たちは、ともに女医と入籍した。3回目の緊急事態宣言(令和3年4月250日~6月20日)が明けた直後、ここ「上野さくら法律事務所」で、ささやかな合同結婚祝賀会を挙げ、弁護団と私は大いに喜び楽しんだのである。



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