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#37 リハビリ再スタート🔫💨

♡Mayu♡です。
あけましておめでとうございます🎍

令和6年能登半島地震で被災された方も中にはおられることと存じます。心よりお見舞い申し上げますとともに、いち早い復興をお祈りしております。
そして羽田空港にて航空機の衝突事故もありました。新年早々から傷ましい震災、事故に心が痛みます。


さてさて、今回は【リハビリ】のことをnoteに書き記します🗒️

2021年に抗てんかん薬の減薬のために精神科で入院した際に、私は脳神経外科の主治医、精神科の主治医③と病棟担当医から紹介状をいただき、3月よりリハビリを受けるべく、リハビリ病院へと足を運びました🚶


リハビリを受けるにあたり、準備がてら、私は柔軟運動を始めました。まずは前屈。これはクリア⭕️ひとまず安心。問題となるのは開脚でした。入院するまでの間、視覚障害者リハビリテーション(Bリハ)にてサウンドテーブルテニス(視覚障害者向け卓球)で深い伸脚をたびたびしていたので、開脚も無理なくできており、入院中もリハビリで開脚していたので、開脚も180度バッチリでした😉👌
ところが…開脚をしなかった数ヶ月のうちに、私はどんどん身体が硬くなり、開脚が60度ほどしかできなくなっていました😭😱そこで、ちょっと無理をして開脚してみたところ、鈍いズドーンという痛みを感じました……麻痺しているから痛みはそんなに感じないはずなのに痛い。おかしいな🤑?と思いつつ、痛めたものは仕方がないと諦め、紹介状を持参してリハビリ病院へと向かいました。

すると、そこには聞き覚えのあるリハビリ科の先生がおられました。
私「失礼します。Mayuです。」
リハ科医師「こんにちは。僕ね、大学病院から金曜日だけ外勤してここの病院にいるんだよ。」
私「声が似ているなあと思ったのは先生ご本人だったのですね!入院先で、毎週水曜日はリハ科の総回診がありますよね。その時に先生の声が聞こえたような気がしたんです。」
リハ科医師「That's rlght!! 22年度も金曜日は僕が出勤するのでよろしくね😉ところで、あなたの歩行姿を見たいので、一度歩いてもらえる?」
私は廊下に出て、歩行することになりました。
リハ科医師「足を引きずっていたりはするけど、何とか歩行はできているね。リハビリ病院は身動きが出来ない状態だったりするもっと重度の患者さんを受け入れるところであって、歩行ができている時点でリハビリ病院は卒業としても良いレベルなんだよね。」
私「でもでもでも、私足を引きずって歩いているでしょ?それに早足はできてもゆっくり歩こうとするとバランスを崩して転んでしまいます😞それに手足の細かい動きもまだできない。日常生活でも困る事ばかりです。ねえねえねえ、リハビリさせてよ〜(ひくくらい多分真顔と思われる)」
と懇願しまくりました。わがまま言いたい放題の私です。
リハ科医師「ちょっと待ってよ〜。言っている事はその通りではあるから係長の判断次第だな」
とのこと。係長は以前20年に大学病院を退院してからお世話になった作業療法士さん。
作業療法士(OT)「困ったわね〜そんなにリハビリやりたいの?」
私「絶対やりたい!そうじゃなきゃ普段の生活に戻れない!何とか私をここに置いてください」
と駄々をこねまくること数分。自宅でのリハビリを渋々了承していただきました。おそらく、脳腫瘍のことや日常生活が困難な事、加えて入院中になってしまったヘルニアのこと等を脳外科の主治医が丁寧に紹介状に記載くださったから、了承くださったのだと思います。

OT「ただし!無茶はしないこと。そして9月にはリハビリを終了すること。」
ということで、自宅でのリハビリを受けられることになりました👏

そして、私は以下のプログラムを組んでいただき、実践しました。

《リハビリプログラム》
・歩行(25分程度)
・スキップ
・坂道での前歩き、後ろ歩き10歩ずつ(目印となる凸凹に寸分の狂いなく歩行)
・幅跳び
・スキップ
・全力ダッシュ(緩い坂道)
・クロスステップ
・腹筋(30回/日)
・電車乗り降り(隣駅までの往復)
※担当したのは理学療法士さんだったため、手足の細かい動きのリハビリは自主練でした


私はこのプログラムに従い、毎日9月までの間、リハビリがあろうがなかろうが、一生懸命体当たりで挑戦しました🔥💪

第一に分かった事は、歩行では目が見えない事で無意識に怖いという気持ちがあるのか、右側に寄ってしまう傾向があること。(特に右側は完全に失明しているため全く見えていません)私の住む地域は左側通行が主流です。怖いけれど、左側通行を意識しました。すると、路側帯に落っこちることもあり、捻挫じゃない?とヒヤヒヤすることもしばしば💦😅それと、やはり早歩きはできてもゆっくり歩く時よろけてしまい、自主練してもリハビリしても治りませんでした。バランス力に問題ありのようです😢🥺

そして、スキップもリハビリ開始時は全くできない状態でしたが、麻痺をしている左足で踏み込む時に10cmくらい浮かせるくらいにまで出来るようになりました。

特に苦労したのは後ろ歩きでした。リハビリを開始する前は出来ると思っていたのですが、実際にやってみると全然出来ずに後ろ歩きをする事が出来ませんでした。通常、麻痺していなければ後ろ歩きの時につま先からかかとに足かつくと思うのですが、それが何故かかかとからつま先に足がついてしまい転びそうになってしまうのです。リハビリすることで少しは改善してぎこちないながらも後ろ歩きは何とか出来るようになりましたが、今現在も実践中です。😮‍💨

幅跳びも当初はどうやって足を動かしたら良いか分からない状況でしたが、毎日リハビリをしていく内に不恰好な状態ならできるように!(1メートル程度の幅跳びができるように🙌)

そして、何より嬉しかったのは走る事が出来るようになった事です。
リハビリ開始時は転んだらどうしよう等の不安な気持ちもありとてもじゃないけど走るなんて想像も出来なかったのですが、毎日少しずつ走る練習をしていった結果、自信もついてきて全力ダッシュは直線で50メートル走だと15秒程度まで走れるまで回復し、スポーツの楽しさを体現することができました🙆😘

最後に電車の乗り降りは驚く程怖かったです。私は2年以上電車に乗っていません。しかも目が見えず麻痺というハンデがある。そこで、点字ブロックをつたってエレベーターで乗り降りしました。が、電車に乗り遅れまいと必死になっている方がおられて、邪魔!どいてよ💢と言わんばかりの罵声が。白状を持っていることに気づいていないようでした。そこで、目が見えない旨を伝えると、ハッとしたのか、「ごめんなさい」と謝られ、こんな時に私が健康だったら…とひどく落ち込みました。白杖を使っている方あるあるかもしれないのですが、音楽を聴いていたりスマホを見ながら歩いている方や急いでいる方には白杖を使っている事になかなか気付いてもらえません。(仕方のない事なのですが、そういう時は落ち込んでしまいます。)
そのほか、乗車する際に「おおよそこのくらいの距離だろうな🫤」と思い足を踏み出したところ、バランスを崩してリハの先生にサポートされました。危うく足が電車とホームの間に挟まる所でした😱これにも結構凹みました。
落ち込んだことで電車に乗るという行為自体がトラウマとなり、それ以来電車には乗れなくなりました。バスもステップ(段差)が大きくて乗れずじまいです。こんな時、麻痺せずに乗れていた19年末のことをやけに思い出し、悔しい気持ちになります。未だに電車とバスには乗れていないのですが、乗れるようにならないといけないなとは思っています。


ハプニングは記載している事以外にも色々とありましたが、私にとっては濃いリハビリを受けることができました👏

唯一残念だったのは腹筋。腹筋はマットレス上で行いましたが、元々脳腫瘍で首の筋肉が弱っていた私は腹筋のやりすぎで首を痛め、湿布&コルセット生活となってしまいました……


こうしてリハビリ病院を卒業した私は、自費診療でのリハビリ(今後記載予定)と恒例となっている大学病院近くのクリニックにて、頭部MRI検査で残った腫瘍のチェックを受けることとなるのです。



最後までお読みくださりありがとうございました。
毎回のことながら長文で失礼しました🙏


今年も皆様にとって実りある1年となりますことを心より願っております。


.(本内容は2022年当時に私の身に起こったことを振り返りながら記事にしています)

2024.01.04記

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