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自然界について、陰陽の法則からなる森羅万象 緒言 目次

緒  言

 自然科学は日に月に進歩して現代は十九世紀とは比較にならない程進歩発達したと自然科学者は言います。
 然し進歩発達したのは主として技術方面ーつまり結果の方で理論ーつまり原因に至ってはニュートン以来二百数十年の間、冬眠期に這入っているのではないかとさえ考えられますーという事は・・・例えば

1、虚無の空間と物質宇宙
 此宇宙空間を一直線に何処迄も行ったのならば究極にはいったい空間でないどんな壁に突き当たるのであろうか?

2、太陽の輻射源と内部構造
 太陽(恒星)の輻射源は何であろうか?現代の天文学者が考えているように核融合反応によって重水素の燃焼が輻射源でありとするにはいくつかの不合理があります、又太陽(恒星)の内部構造は現代の天文学者が考えているように中心迄も瓦斯体なのであろうか?

3、光の行方と等速度
 光や電波が秒速30万キロの等速度で走るのは何故であろうか?そしてそれは究極的行方は何処えであろうか?更に究極にはどうなるのであろうか?

4、恒星と生物
 宇宙空間に無数に輝く恒星は外側を我太陽系のように黒い星々によって囲まれてはいないであろうか?そして其中の惑星の表面には我々の地球のように生物が生息し、生物中には我々人類のような進化した生物がいて、文化生活を営んでいないであろうか?否、それよりも身近な我々の太陽系内の諸遊星中、吾々の地球以外に生物は生息していないであろうか?もし棲息しているとすればどの星々であろうか?

5、黒点現象
 太陽黒点はどうして起こるのであろうか?何故に黒点現象は11年の周期で繰り返すのであろうか?何故に黒点は緯度の高いところと低いところに現れないで其中間に現れるのであろうか?

6、彗星と流星
 双曲線や放物線軌道を画く彗星は太陽系内の何物であろうか?そして太陽系外から太陽系内へ入って来て彗星と軌道を同じくして彗星の後から彗星に追随する流星(隕石)はいったい何者であろうか?

7、地磁気
 地磁気はどうして起こるのであろうか?

8、太陽系の行方と末路と人類の生命
 一体吾々の太陽系は何処え向かって動いていくのであろうか?そして究極的行き着く涯は何処であろうか?そして又どうなるのであろうか?更に吾々人類の生命は?

9、物質
 物質は何処からどうして生じたのであろうか?

10、神の本体
 宗教家が信ずるように物質宇宙一切萬物(ばんぶつ)は神の創造したものであろうか?もし神の創造でありとしたならば一体神とは何か?

11、電気の正体
 吾々人類の世界から電気を取り去ったならば文化はありえないと考えられるほど電気は照明、通信、交通、動力等広い範囲に亘って余すところなく我々の文化生活に利用されているが、それは結果でありますが一体原因である電気の正体は何であろうか?

12、引力説の疑問
 ニュートンの引力則は「二つの天体は互いに引き合い、其力は二つの天体の質量の相乗積に正比例し、其相互距離の自乗に逆比例する」というのであって星々の引き合う力は観測事実と一致するといっても「星々の力は何故に星々の質量に依存するのか?」「何故に星々の距離の自乗に逆比例するのか?」を答えてくれない・・・一体引力の正体は何であろうか?

以上のような理論的大問題はニュートン以来一つとして解決されていないばかりでなく、其大部分は仮定さえなされてされていないのです、此故に著者は自然科学の理論的方面はニュートン以来冬眠期這入っている感じがあるというのです。

こうした大問題を解決するために生まれたのが本書です、しかも本書はこうした物象面だけでなく事象面をも解決しようとするのです、即ち吾等人るの世界に於ける過去、現在、未来に亘る不明または未知の問題を解決しようとするのです、即ち

1,現在世界の全人類は原子爆弾、原子核戦争に怯え切っているが、一体世界は将来どうなるのであろうか?そして将来世界に於ける日本の地位は?・・・米国の地位は?・・・ソ連の地位は?・・・

2,東京国際軍事裁判において、今度の太平洋戦争は日本が戦争を挑発した原因国であったとして裁かれたが、果たして日本が戦争を挑発した原因国であったのであろうか?

3,日本建国の歴史は現在日本の大部分の人たちが考えているように根も葉もない荒唐無稽の創作なのであろうか?

4,日本国民の大部分を占める大和民族はいかなる民族か?

5,天皇が日本国の象徴とは何か?

6、その他

著者は以上のような大問題を解決するため天啓を受けたのが昭和14年1月3日ーあれからもう23年になる、初めはニュートンの引力説に疑問を起こしたのが動機です、それから著者は昼夜此引力の疑問を解くために「あれか?」「これか?」と考え続けて文字通り寝食を忘れたのです。

それまでも著者は「寝食を忘れる」という言葉は幾度か見聞きしましたけれども体験は初めてであったのです、寝食を忘れるとは朝に眠りから覚める時、幻のうちから「引力とは何か?」を考えており、一日中、そして食事の膳に向っても、ただ機械的に箸を運ぶだけで食物の味も食べているという意識もなくただ引力の疑問を「あれか?これか?」と考え続けたのです、そして夜に床に這入って眠りに落ちるまでもそれを考え続けるのです。

こうして研究を続けること3か月ー引力の疑問を解くために、あらゆる自然現象をあらゆる角度から研究しましたけれども何としても解らない、顔色は青く、体は痩せ、心身ともに疲れ果てたようでした…もはやこれ以上研究する対象もなく、窮して終ったかに考えられました。しかしこうした時に霊感というものがやって来て一瞬にして解決してくれます。

霊感の話を少ししましょう、しかし霊感の話をしましても体験のないものには中々理解できないでありましょう、否理解できないばかりでなく人間は自己の不明の事は他の者が誤ったことを言うように考え勝ちでありますから霊感を受けた体験のない読者は反って著者に不信を抱き、したがって著者にも不信を抱くのではと危惧するのですけれども事実を伝え更に将来世界の多くの人々の中に、暗がりから明るみに物を引き出す発明、発見、其他難問題に取り組んで研究を続けようとする人々の参考に資する為に話しておきます。

著者は何時か講談社発行の確か『キング』という雑誌かと思いますが其1行知識という欄で読んだのですが発明家のトーマス・エジソンの言葉として「暗がりから物を引き出す発明発見は、何としても霊感によらなければ不可能であるー然し99パーセントが努力で1パーセントが霊感である」と当時の著者は此エジソンの言葉が何を意味するかよくわからなかったのですが・・自ら体験して初めてその言葉の意味が判然と解かれたのです。

吾々が大きな発明、発見、その他の事物を真暗闇から引き出して明らかにしようとしましても霊感というものを受けないとそれは絶対に不可能である。
然しこの尊い霊感は安易に受けられるものではなく、吾々がそれに向かって先ず血を吐くような努力を99パーセント続けた時に最後に1パーセントの尊い霊感を受けられるという事です。つまり99パーセントの努力によって霊感という1パーセントの果が実るという事です、それ故吾々が大きな発明発見その他不明の問題を明らかにしようとする時には、何としても先ず99パーセントの血のにじむ努力を続けなければいけません、そうする事によって、最後には必ず天から1パーセントの霊感という尊い果を授けられ、不明の問題が明らかになるでありましょう、昭和十四年三月末の暖かいある日、著者はその日も雪解の道を「引力とは何か?」を解こうとして、あれこれ考えながら町から我家えの道を歩いていました、無我の境地え這入って、あたりの情景は全く意識なく、唯機械的に足を運んでいる時に忽然として足元から黒雲ようの物が湧き上って来て全身を包むのが心眼に映って来ます、そして一瞬にしてその黒雲ようのものが消えてゆくと共に何とも言えない清々しい気分となって行き、黒雲が全く晴れると同時に一瞬、地球の内部が心眼に映って来て引力の疑問が解かれたのです。

著者はこの時の感激を今でも忘れることが出来ません、無我の境地に這入った時に黒雲様の物が全身を包んで疑問が解かれる・・それは霊感というものであったのです、然し心眼に映ってくる霊感の象かたちーすなわち黒雲の象は皆一様ではなくて解かんとする疑問の別によって異なっています。

例えば・・・引力とは何か?物質宇宙の表面は?太陽の内部構造は?というように問題別にやってくる霊感の象かたち即ち黒雲の象も異なっているのです。然しこの異なった霊感の象を説明したところでなかなか理解されるものではないと考えられますから何時かの機会に割愛しましょう、或いはこれを映画化したならばある程度理解できるのではないかと考えられますけれども・・ともかく何れの時も霊感というものは黒雲様の物であることは共通しています、それについて著者は考えるのですが古来物語や伝説に子が親の仇を探す為、孝子や節婦が親や夫の病気平癒を祈願する為、神社仏閣に参籠またはお百度を踏んで一心に神仏に祈願す時、満願の真夜中に何時かうとうとと眠りに入った時に半ば夢枕に神仏が表れてお告げによって仇の居所が知れて目出度く親の仇討ちが出来たとか、難病重病が癒ったという事やまた釈迦が迦耶《ガヤ》山麓の菩提樹下に坐し親鸞|しんらんが観音堂に参籠して祈願し、仏菩薩のお告げによって悟りが開け大自然の因果の理法を会得した(*釈迦と親鸞については正確な内容が調べられませんでした(この注意書きは著者によるものではありません))などという事も皆黒雲様の霊感を受けたのではあるまいか?という事は我々があちらこちらで見かける神仏の国ですが神仏の国は柔和な顔の男性か女性かわからない様な人物が雲に乗った観音像や白髪の長い白髭で厳粛な顔の老人が雲に乗った神の象などの雲に乗った神仏の象ー人間の智能では何としても解かれない暗黒不明の大問題を一瞬にして解明してくれる霊感!!!・・・著者はこの摩訶不思議な霊感はどうしてやってくるのか不可解でありますが、もしこの黒雲様の霊感を受けた事を神仏のお告げであったと信じて、これを他の者に図示または物語って納得させるには、神仏とは単に黒雲様の者であるといっただけでは霊感を受けた体験のない人々には頼りなく不十分でありましょう、それで神仏のお告げによって仇の居所が知れ、難病重病が平癒し、悟りが開けたという事を他に物語るには、柔和の顔の菅野菩薩が黒雲に乗って出現したとか、厳粛の顔の紙が黒雲に乗って出現し、お告げによって仇の居所が知れたとか、難病重病が平癒したとか言わなければならないでありましょう。

吾々が彼方此方でよく見かける雲に乗った神仏の象は総じて同じような霊感を受けた人の物語によって画家がそれを図に表現したものでありまいか?と著者は考えるのです。

しかし霊感というものは前記のものばかりではなく吾々が不明の問題を解こうとして「あれか?・・・これか?・・・」と考えあぐねた時、身体にはっと衝動を感じて瞬間「あれだ!」と答えが心に浮かぶーいわゆる第六感にピンとくるのも霊感です、そして前者は大霊感で後者は小霊感とでもいうべきでありましょうか?・・・

普通霊感というのは後者の方が多いのです、しかし「引力とは何か?」というような大問題になりますと黒雲様の大霊感を受けないと、第六感にピンとくる小霊感では解明されません、いわゆるエジソンの99%の努力くらいでは中々やって来ないのです。

著者の体験では99.9999%が努力で0.0001%が霊感であるというように努力は99の下に9の数字がいくつもつかなければなりません、そしてその努力の深さもまた大きくて、全く寝食を忘れて血を吐く努力を続けなければなりません。33かの間にこの黒雲様の大霊感を三度、第六感にピンとくる小霊感を幾度となく受けて明らかになったのが本書です、最もこの間に『陰陽の法則』という自然法則を発見し、すべての自然現象がこの法則に反そむかないという現実から霊感によって解かれた問題をこの自然法則に当てはめて再検討し、解かれた問題の信憑性を確かめて次第に自信を得てきたのです。

このように本書は著者が 23か年間の血の滲む努力の果ての結晶なのですが、然し新説というものはなかなか理解されるものではありません。

否、それどころか世の抵抗を受けるかもしれません、「何故に?」それは自然法則『陰陽の法則』によって暗い道を通らずには明るい場所えは生れ出られないからです。

ちょうど吾々人間が暗い所から現世の明るい場所に生まれ出るためには生み出す母も、生まれる子も、暗い死線を越えなければならないと同様なのです。

しかも生れ出たからといって直ちに世に認められるものではありません、後世に名を残すどんな偉人でも生まれ出たばかりの赤ん坊ではすぐに認められるものではありませんし認められるには成長しなければなりません。つまりは世に認められるようになるには時間が必要です、文化もまた非文化の暗黒時代から現代のような明るい文化の発展した時代に到達するにも時間が必要です。

このように自然とは暗い方から次第に明るい方えと前進します、「陰から陽が生ずる」これが陰陽の法則という自然現象なのです。それ故本書もまた生まれ出たばかりでは直ちに世に受け入れられることはないでありましょう、つまり読者に理解されないであろうというのです。殊に学者は自己の学問が先入主となって絶対的と信じ、新説に対する妨げとなり一層これを拒むでしょう、これも学問が深ければ深いほど更にその傾向は強まるはずです。学問に明るければ明るいほど親切に対して暗い・・・明るいもの程暗い・・・明暗両極が一致するのは陰陽の法則第八条の規定なのです。

例えば太陽の内部構造論において、太陽の内部構造は現代の天文学者が考えているように中心迄もガス体(気体)なのではなく、固体と液体とガス体によって構成されていて表面をガス体に覆われているのです。このことは・・・

1 固体の核がなければ絶対に引力の現象は起こらない事(詳細は「引力の正体」で述べましょう)従って太陽は一個の塊として存在し得ないこと。

2 太陽が地球同様永久磁石であることは、内核が鋼鉄によって造られていることを物語るものである事。

著者はこのように太陽の内部は中心迄もガス体ではないという事はこの二つの証明で充分であると考えるのですが、多くの天文学者は「そんな馬鹿な」とてんで問題にしないでありましょう、このほかの問題についても同様の事が考えられます・・・というのは前述の説明を借りてこの事を述べれば『一つの真理が世に生まれ出て、人類の世界をより一層明るくする為には、生まれ出る真理もそれを生み出すものも世の抵抗を受けて、はじめは暗い道を通らなければなりません、そしてこの生まれ出る真理が大きければ大きい程に世の抵抗も大きくて、生まれ出る真理もそれを生み出す者も一層困難の暗い道を通らなければならないのが自然法則(陰陽の法則)であるからです。』

このような理由によって新説というのはなかなか理解されて受け入れられるものではありません、然しこの困難な問題を少しでも理解しようとする方法は唯一つ、読者は本書を何度も何度も反復して読む事です。そうする事によって初めは困難であった問題も次第に理解し得るようになるでありましょう。こうした意味において本書には至る所に同じ問題、同じ意味の事が執拗なまでに繰り返し述べていることは読者に対する著者の老婆心からであります。

ところで吾々の目に見えない暗いところの問題を自然科学者は数字を以って証明しようとします、著者はそれを陰陽の法則によって証明しようとするのです、数字は絶対に嘘を言わないと前者は言います、同様に陰陽の法則そのものも絶対に嘘を言わないのですが数字は嘘を言わないと言いましても解こうとする問題の実態を誤って判断する事によって出てくる答えは事実と違って来ます、つまり数字が嘘を言うのです。

例えば太陽の内部構造は固体、液体、ガス体の三体によって構成されている事は先ほど述べましたが、天文学者は中心迄もガス体であると誤った判断を下す事によって、太陽内部の密度、温度、圧力等の数字に誤った答えが出て来ます。

同様に陰陽の法則もまた問題に対する応用を誤って判断することによって誤った答えが出て来るのです。

例えば「陰陽の法則、第2条陰陽地位の法則」によって総ての組織体に於いて、すべて外側に位置するものが主で、中心又は内部に位置するものが従であるのに、それらを逆に考えてしまうと誤った答えが出て来るのです。

即ち太陽系の組織では、外側に位置する遊星が主で、中心に位置する太陽は従。吾々の家庭組織では家庭の外に位置する主人が主で家庭内に位置する主婦は従。地表の組織では外側に位置する海が主で、内側に位置する陸地は従。国家組織では外側に位置する国民が主で、中心に位置する大統領や総理大臣は従であるのに、中心に位置するこれらを主であると誤って判断する場合があるようなものであります。

それによって太陽系の起源や、世界の将来や、今度の太平洋戦争は日本が先ず米英其他の国々に戦争を挑発した原因国であったかどうか等の問題に対して判断を誤り、従って真実と違った答えが出て来るのです。

読者は陰陽の法則を研究してそれに精通し、問題の解明を誤らざるように望みます。

本書に収録する諸問題は大部分は真実であることを著者は信じます、しかし一部は仮定であることも事実です。

例えば太陽の内部構造は固体、液体、ガス体の三体によって構成されていることは真実ですが表面のガス体を除いた太陽の体積密度は仮定です。即ち太陽表面のガス体を除いた固体の核の中心より灼熱の海面まで、平均比重は地球同様5.52、従ってその体積半径は446000キロとしたことは仮定です。太陽は陽星ですから、湯(陽)と水(陰)の比のように陰星の地球よりは比較にならないほど温度は高いし、従って平均密度も地球よりは小さく、従ってまた体積も半径446000キロより大きい筈ですが現在それを知る手掛かりはありません。現段階では太陽の内部構造は固体、液体、ガス体の三体によって構成されているという真実を伝える事に止まります。

要するに本書は一部荒削りの彫刻です、仕上げは将来の自然科学者、歴史家、哲学者その他の学者、宗教家などに期待したいと思います。

本書に収録する諸問題は大部分は真理であることはいま述べましたが、しかし何としても信じられない読者は仮定と考えたらよいと思います、仮定もまた真理への道程であると考えたならば仮定もまた決して無価値なものではありません、それも本書には現在仮定さえ困難な諸問題を収録してありますから、本書を研究することはまんざら無駄な骨折りにはならないでありましょう。

昭和36年12月8日 著者 


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