女将ちゃん、ごっつあんです! ~伝説の大横綱、女子高校生に転生す~ 第27話 穢れ祓い 其の五

 下顎を喪失した一角鬼は、一瞬よろめくと倒れそうに足をふらつかせた。

 だが、寸前のところで堪えると、だらけた頭を両手で支え雷電丸を睨みつけた。何かを叫ぼうとするも、下顎を失った状態では喋ることもままならず、言葉にならない声を喉から絞り出すのがせいぜいだった。
 
「おい、《《先輩》》! 何を言っているかさっぱりじゃぞ? ちゃんと人間に分かる言葉で喋らんかい!」雷電丸は挑発する様にそう言うと、鼻で笑って見せた。

 相変わらず雷電丸は一角鬼を《《先輩》》と呼んで挑発を続けている。何故、雷電丸は一角鬼を先輩と呼び挑発しているんだろうか? 何か因縁めいたものを感じるが、今はそれを雷電丸に問い掛けるような空気ではなかった。
 
 見る見るうちに一角鬼の額に青筋が浮き立ち、全身から瘴気の様なオーラを立ち昇らせた。

 すると、一角鬼の口から蒸気が噴き出ると、一瞬で下顎が再生する。

 一角鬼は再生した下顎を撫でると、口元に不敵な笑みを浮かべた。

「おい、女。何をしたか理解しているんだろうな?」

 一角鬼は穏やかな口調でそう言うが、明らかに狂わんばかりの怒りを必死におさえているようだった。こめかみはピクピク痙攣し、額に浮き出た青筋は更に数を増やし、肩はわなわなと震えている。しかし、何処か喜んでいるようにも見えた。

「ああ、承知の上で乱入したんじゃよ」雷電丸はそう吐き捨てると、土俵で倒れている沼野先輩に近づく。

 雷電丸は腰を下ろすと、沼野先輩をお姫様抱っこした。

「高天……馬鹿野郎、何てことをしてくれたんだ。負けたオレなんか放っておけばいいものを。これじゃ、お前が……」沼野先輩は顔を歪ませながら、呻くように呟いた。その表情が悔しさに塗れていた。眼の端に涙の粒が浮いていたが、雷電丸はそれに気付かないふりをしているようだった。

「気にするな。ああせなんだら、今頃お前は四肢をあのクソ野郎に食い千切られるまで弄ばれておったことじゃろう」雷電丸は静かに呟いた。その目が引きつる様に吊り上がっていた。「後は儂に任せておけ。仇は取る!」

 そう言って、雷電丸は沼野先輩を抱き上げながら土俵を降りて行く。

 土俵を降りると、沼野先輩を優しく地面に置く。足と腕の怪我を確認するが、出血量はさほどでもない。手当は必要だろうが、差し迫った危機はなさそうだった。

「錦よ、怪我の手当は少し待っていてくれ。こいつを叩きのめした後、すぐにアザミにみてもらうでな」

 雷電丸はそう呟くと、ニッコリと微笑んだ。

 立ち去ろうとする雷電丸の腕を、沼野先輩が掴む。

「高天! 神罰はオレが代わりに受ける! だから、お前は逃げるんだ!」必死な形相で沼野先輩は雷電丸に話しかけた。

「大丈夫じゃ。神罰に関しては儂に考えがある。上手くいけば全て丸く収まるでな、錦は心配する必要はないぞ?」

 神罰? 相変わらず私には分からない情報が多すぎると思った。でも、なんとなく分かる。ここでいう神罰とは、神聖な取り組みに乱入したペナルティのことを指しているのだろう。

 私は雷電丸に神罰の内容を聞こうと思ったが、流石に今は空気を読んで黙っておこうと思った。一角鬼を先輩と呼ぶ理由だったり、神罰だったりと、分からないことが多すぎる以前に私は自分の居場所がないような疎外感を感じた。

 ここで私がなにか声を上げても何の手助けにもならない。それどころか余計なことをして足手纏いにならないとも限らない。今のところ、私には何も出来ることがない。ただ見守るだけ。

 いつもの様にただの傍観者になっていることに、不甲斐なさを感じていた。

 雷電丸は沼野先輩の手を優しく引き離すと、背中を向けて土俵に向かって歩き始めた。

 そして、ゆっくりと土俵に上がると、一角鬼を睨みつけた。

「待たせたの、先輩」

「おい、女。さっきから何故オレを先輩などと呼ぶ?」

 一角鬼は雷電丸に先輩と呼ばれた瞬間、顔から笑みを消失させると苛立ちを露わにする。

「何じゃ、儂のことを覚えておいででないと? それは寂しいのう。昔はあんなに可愛がって差し上げたというのに」

「可愛がる……だと? ふざけたことをぬかすな。お前など知らんぞ?」

 一角鬼の顔色に一瞬だけだが動揺の色が浮かんだ。逡巡の後、まあいい、と呟き不敵な笑みを浮かべる。

「そんなことよりも、間もなくあの御方がおでましになるぞ。覚悟は出来ているのであろうな?」

「ああ。そんなもん、とっくに出来ておるわい」

 雷電丸がそう言った瞬間、周囲の空間が闇に包まれた。土俵におどろおどろしい空気が流れだし、瘴気が溢れ出した。瘴気の中から稲光が数回白く閃いた。

 すると、一角鬼を始めとした全ての妖達が瘴気に向かって膝を折り頭を垂れた。まるで王か神を出迎えるかのような空気が流れた。いや、恐らくはその通りなのだろう。

 そして、中から人影が現れたかと思うと、一瞬で瘴気が霧散する。

 土俵上に現れたのは一人の少年だった。鋭く吊り上がった瞳。口元には不敵な笑みが浮かび、その頬には黒蛇の刺青のようなものが刻まれている。両腕を組みながら静かに周囲を見回していた。

「悪神オロチである。神聖な儀式に泥を塗った不届き者は何処のどいつだ?」

『悪神ですって⁉ それっともしかして、国譲りの儀を始める発端となった件の悪神のこと!?』

 私は思わず驚きの声を上げていた。彼が悪神。見た目は私と同年代にしか見えない。しかし、彼から発せられる禍々しいオーラが人間ではないことを静かに物語っているようだった。

「おう、それは儂のことじゃな。先程、友を助けるために割に乱入したんじゃよ」

※割とは大相撲の取組のこと。

 悪神オロチは雷電丸に視線を向けると、表情から全ての感情を消失させただ雷電丸を見つめた。彼の背後からドス黒い瘴気が噴き出す。

「その罪、万死に値する。覚悟は出来ているのだろうな?」

『万死に値する、ですって⁉ ちょっと待って。それ、私、聞いていないんですけれども!?』

 私の絶叫に、雷電丸は眉根を寄せて呆れた様に嘆息する。

「神聖な国譲りの儀を汚したんじゃ。死をもって償うのが妥当じゃろう?」

 お前は何を言っているんじゃ? と、雷電丸は小声で付け加えた。

『だから! その身体は私のものなのよ⁉ つまり、私も死んじゃうってことじゃない!?』

「なら、錦を見捨てた方が良かったのかの?」

『そんなわけないでしょう⁉ 私が言いたいのは……』

 一言相談して貰いたかった。そう言おうと思ったのだが、私は言葉を呑み込んだ。

「何じゃ? 急に黙りおって。言いたいことがあれば早うせい。時間が無くなるぞ?」

『別にいい。全部雷電丸に任せるから……』

 再び疎外感が私を襲った。全てが面倒になってしまい、私は考えるのを止めた。

 相談されたって、答えは一緒だった。あの場面で沼野先輩を見捨てる選択肢は私にはない。例えそれが死を意味していたとしても答えは変わらないとハッキリと言えた。

 しかし、それでも私に相談してもらいたかった。ほんのちょっとでいい。雷電丸に頼りにされたかった。

 錦を救うには儂等の命を懸ける必要がある。双葉よ、構わぬか? と雷電丸に言って貰いたかった。

 わざわざ私の意志を聞く必要はないのね?

 もうどうでもいい。お父さんやお母さん、家族や街の皆を救う為ならばこの命なんか失ったって構わない。元々、私は死に体だったのだ。このまま死んだとしてもさほど状況は変わらないだろうから。

「変な奴じゃのう。まあ良い。双葉よ、何も心配せず儂に任せておけ。全て丸く収めてみせるからの」

 ええ、そうさせていただきますとも。

 私は、今日は二度と口出ししないことに決めた。

「何をブツブツ言っている? 覚悟が出来たなら処刑を始めるとしよう」そう言って悪神オロチは右手を前にかざす。

「その前に! 一つ提案があるんじゃ。なあに、儂等にとってもお前達にとっても悪い話ではないぞ?」

 雷電丸は両腕を胸で組みながら悪神オロチを前に畏怖することもなく堂々と言い放った。

「命乞いなら聞かぬぞ?」

「誰が命乞いなどするかよ。もちろん、罪は償う。しかし、このまま国譲りの儀も執り行わず処刑されるのだけは御免被る。もし儂に機会をくれるのであれば、その見返りに全てを捧げよう」

 その瞬間、悪神オロチの動きが止まる。

「続けろ」悪神オロチは静かに呟く。

「そこな一角鬼とやらと戦わせてくれ。儂が敗北したなら、全てを捧げる。その代わりに儂が勝てば今回限りは見逃してくれ。どうじゃ? 悪い話ではなかろう?」

「戯言を。貴様の命を貰うのは既に決定事項だ。それではこちらには何のメリットもないだろう?」悪神オロチは眉をひそめながら呟く。明らかに表情に苛立ちの色が浮き立っていた。

「そうではない。懸けるのは儂の命とそこな錦の命……だけではなく、全てを《《懸ける》》と言っているんじゃ」

 その時、私はギョッとなる。雷電丸の意図が分かってしまったからだ。

 妖達がざわめき立った。きっと彼等も雷電丸の言葉の意味を理解したのだろう。その表情が驚きと悦びに塗れていた。

「この一戦に、この街全ての人間の命を懸けよう。儂に勝つだけで今宵、この地での国譲りの儀が終わるんじゃ。お前達にとって悪い話ではあるまい。まあ、儂に勝つ自信がないなら、断ってもいいがの?」

『雷電丸、あんた、何言ってくれちゃってるんですか⁉』

 私はさっきの決意は何処へやら、雷電丸に怒声を張り上げていた。

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