金のない世界は成立するのか?     『行為と労働に関する考察【アンチワーク哲学】』の紹介と感想 

*この文章の内容は、
「行為と労働に関する考察【アンチワーク哲学】」
(まとも書房/哲学者ホモ・ネーモ 様 )
という記事の紹介、及び感想です。

先日、執筆者に対し質問をしたところ、こちらの記事にて返答をいただきました。
質問への返答、及び「犯罪組織罪務省」という名前について触れてくださったこと、ありがとうございます。
我ながらなかなかイカした名前だと思っています。

執筆者は「強制なしでも人は働く」、そして
人類社会は最終的に金と決別することが可能だろう」
という考えを持っておられます。
上の記事の中で、特に強く印象に残ったところを引用させていただきます。


(農業などは金という動機づけなしにやってもらえるのか?という私の疑問に対し)
僕がやりたいことは、確実性について議論することではない。
人間は自発的に必要な量の農作業をするはずがない」という前提を成り立たせている価値観の揺さぶりである。

アンチワーク哲学では労働の苦痛は強制によって引き起こされると考える。(・・・)
長時間労働が辛いと感じる傾向にあるのはそれを拒否できない(強制されている)からであり、過度な肉体的負担が辛いと感じる傾向にあるのはそれを拒否できない(強制されている)からである。また、人間関係に不満を感じてもその職場を離れられないのは強制されているからだと考えて差し支えあるまい。(・・・)
たしかにクビを覚悟すれば労働しないことは可能である。しかし多くの人はクビになることは望まない。ゆえに人は労働を強制されている(あるいは逃れられない)と多かれ少なかれ感じるはずである。主観的に「強制されている」と感じていることが、苦痛の原因である。

人が自発的に行為するときは、その行為に意味を感じているはずである。なぜなら意味を感じないのであれば、その行為を開始するとは考えられないからである。(・・・)
行為とは変化を起こすことである。つまり、人は世界に意味のある変化を起こすことを欲望し、その行為に自発的に取り組む。(・・・)
行為への納得度が高いとき、人は意味を感じ、自発的に行為していると感じる
そして、その行為の満足度は高いと考えられる。なぜなら、世界に意味のある変化が起きた際に感じる感情こそが「満足」だからである。

自分の意志で納得して行為しているという感覚は、他者からの指図によって崩れ去るデリケートな感覚である。なぜなのか?(・・・)
指図に妥当性がある場合は納得感を抱き自発的な意味として解釈されるが、指図に妥当性がないと感じられる場合は自発的な意味として解釈しづらい。
つまり、こう言い換えることができる。人は自らの能力に見合うと感じる裁量を持つことを欲する。そのとき人は自発的に行為していると感じ、世界に意味のある変化をもたらすことをるはずである。

彼がそこまで乗り気ではない行為を他者から要請され)明らかに苦痛であると判断された行為を次回以降も強制される場合は、彼は自発的な行為であるとは感じないはずだ。

ゆえに、他者の強制に身を委ねる場合でも、中断できると感じていることが自発的な意思決定に欠かせないのである。

(彼が世界に意味のある変化を起こそうとして)諦めるパターンを繰り返した場合、彼は自分の能力不足を痛感し、自己嫌悪に陥り、苦痛を感じる可能性が高い。彼はその状況を避けるために、全くチャレンジすることを避ける場合もある。だが、その状況も長くは続かない可能性が高い。なぜなら、何も為さない状況はあまりにも人間にとって苦痛だからである。

さて、人は多かれ少なかれ承認や貢献を求めるのだと仮定する。ならば、どのようにしてそれを追求するだろうか?
(・・・)
仮にまったく金のない世界が存在するとするならば、彼はまず自らや共同体の生命の維持に貢献すると考えるのは妥当である。なぜなら、社会的な生物種は共同体の存続を望み、それに向けて行為するからである。ゆえに、一定程度は、共同体への貢献に意味を感じ、実際に貢献しようとする人物は現れるはずである。

その貢献が共同体を存続するにあたって不足している可能性はある。だが、そのとき彼は他者へ協力を求めると思われる。拒否する者もいるが、同意する者は多いはずである。なぜなら、共同体の存続は誰にとっても死活問題であり、誰にとっても意味を感じる問題だからである。また、それは明らかに他者からの承認を得られる行為でもあり、他者への貢献でもある。(・・・)
もちろん、現代では組織化において金が一定の役割を果たしている事実は否定できない。ただし、強制により苦痛を取り除き主体的な行為によって組織化する方が、その人物が高いモチベーションで取り組むようになるのは明らかである。それに強制によって本来やりたいことすらやりたくなくなる傾向にあることは先述の通りである。

さて、ここまでの議論を整理しよう。人は他者から強制されるのでない限り、自分の意志で世界に意味のある変化を起こすことを欲し、その能力を増大させることを欲する。それは自己満足的な意味である場合もあるが、共同体への貢献にも一定程度は向かうはずである。(・・・)
命令の要素を弱めるのがベーシックインカムである。なぜなら、ベーシックインカムのある社会では会社をクビになっても路頭に迷うことはなく、他者からの命令を拒否する余地が生まれるからである。だが、ベーシックインカムの金額に満足できない場合、人は他者の強制に服する可能性もある。そのため、金が排除され、すべてが無料で提供される社会が理想的である。そうなれば理論上、誰も強制されないからである。

とはいえ、無料で提供される財やサービスに人々が満足できない可能性もある。だが、彼らはすでに自らの行為に満足感を抱いており、財やサービスの享受にさほど重きを置かないと考えられる。ゆえに、財やサービスの不足が起こる可能性は低いと思われる。

金による強制は人のモチベーションをさげる。おまけに社会全体として膨大な管理業務を生み出す。それを承知の上で、それでも金に頼るということは、自由な時間が膨大にあり、かつモチベーションがさがらなかったとしても人は社会の役に立つ行為にほとんど取り組むはずがないと考えているか、金に代わる社会の組織化方法を人間が考案できないと考えていることになる。これまでの考察の中で、いずれの懸念も妥当性が低いと考えられる。
引用終了


実に興味深い話で、勉強になりました。ありがとうございます。
以下、記事にある「金のない世界」について考えてみました。
お金のない世界に長所は多数あります。
特に今の競争過剰の社会ではなおさら。
しかし、それ以上に問題も多いと考えます。

金のない世界の長所

1 競争地獄の否定。以下から逃れやすくなる

  • 金稼ぎ・金勘定などの煩わしさ

  • 金でしか物や仕事を測れなくなる呪い

  • 努力だけでは勝てないことを忘れ、大勢を見下し無能と吐き捨てる愚かしさ

  • 仕事・報酬・居場所を得る難しさ

  • 勝たなければという焦燥・強迫

  • 転じて不正・強盗・詐欺などの踏み外し

  • 敗北による劣等感・自信の喪失・自分への侮蔑・酷ければ犯罪・自殺

  • 転じて周りへの八つ当たり・虐待などによる負の連鎖

  • 金持ちなどの勝者?に対する僻み

  • 転じて競争を駆り立てる存在・自分の苦しみの元凶(政府・財務省など)をわからなくさせる

  • 勝ったら勝ったで次の競争に駆り立てられる

  • 勝利・蹴落としで発生する、物・地位・機会の強奪、罪悪感、恨み

  • さらに勝利を積み重ねれば、勝ち取った地位・栄光の守りを強いられる。自分もしくは周りが、失敗・敗北を許さなくなる


2 競争が減ることにより、様々な以下の支払い(しかも悉く全体の豊かさにつながらない)の拒絶

企業側

  • 労働者への配慮(有利な経歴の提示、解雇の縛り、一定以上の給料など)

  • 迷惑な労働者を掴まされる危険

労働者

  • 就職活動

  • 信用されやすい能力・経歴の取得

  • ろくでもない企業を掴まされる危険

共通

  • 自分が選ばれるための宣伝

  • 情報吟味

  • 契約交渉

  • 関係を続けるための信頼構築

  • 事務や手続き

  • 強盗される税(消費税とか消費税とか消費税とか)

  • 上記の諸々や、消費税などの複雑極まりない仕組みへの対応・調査・勉強する時間

  • 上の煩わしさから転じて、起業・仕事の存続などに必要なやる気

参考:

3 家族・村などの小さな範囲で助け合う場合の長所

  • 選ばれるための競争を拒否しやすく、自分の仕事が必要とされやすい

  • 必要とされることは、喜び・自尊心・仕事のやる気につながりやすい。

  • 仕事のやる気が出ればいい仕事につながり、別の誰かのやる気につながるという好循環になる

  • 自分が働いたから誰かが自分を助けてくれる、という形で間接的な報酬を得やすい

  • 仕事・華やかさなどの魅力?を作りにくい地方からの人口流出を抑える

  • 金稼ぎにおいて評価されにくい、全体のための活動(生産・インフラ・治安維持・出生など)を評価されやすくする

参考:


4    ベーシックインカム(BI)を政府に強制する材料になりうる

「貨幣」が「ローカル」を否定するのに対して、「住環境、インフラ、治安、周囲の人たちとの人間関係」などの、素朴な生活の安心や豊かさに繋がるものは、「ローカルな(場に縛られる)」性質を持つ。
豊かさを底から支えるものは、そもそもが「ローカル」な性質を持っているのだ。(・・・)
自分たちで行った仕事の成果を、自分たちで直接享受するようなローカルな状況であれば、エッセンシャルワークは、まさにそれがエッセンシャルであるという点において高く評価される。

そして、エッセンシャルワークが重視されるようなローカルが再構築されていけば、労働力を持っている者のほうが有利になっていくので、直接的に暴力的なことを試みるわけではないにしても、若年層による社会革命のような性質の活動になっていく。
エッセンシャルワークを行う労働力をローカルな集団が抱え込んでいけば、その政治的主張を、政府は無視しにくくなっていくだろう。

べーシックインカムを実現する方法」というサイトには詳しく書いてあるが、ここでは、べーシックインカムを、国民の意識が変化して選挙(投票)によって実現するものではなく、ローカルを再構築した集団が、政府に対して譲歩を引き出すことで実現するものと考えている。

自分たちで自分たちに必要な仕事を行うことができて、いざとなれば本格的に徴税を拒否することもできるような集団に対して、政府が、ある種「日本円を使ってもらう」ためにそれを配るという形で実現するのが「べーシックインカム」、という構図だ。   引用終了

「なぜ若者や~」から

金がない世界の問題

1 貨幣機能(交換・尺度)の喪失

  • 食料・水・医療・輸送・教育・娯楽などなど、商品との交換が難しい

  • 交換できたとしても足元みられやすい(助け合える相手がいたとしても、これらの不安は常にある)

  • 大地震・戦争中などの非常時はなおさら

  • 商品の値段は売る側の独占・寡占状態になりやすく、値段が高くなりやすい

  • 外での商品交換に使えるものを持ち出しにくく、家族や村などの集団の外に出にくい

  • 狭い範囲でしか機能しない友情・愛情などは、外には持ち込めない

  • 仕事の怠け・裏切りなどへの対処・抑止力が機能しにくい

  • 労働ごとの価値の比較が難しく、搾取されやすく気づきにくくなる。

  • 個人に厳しい地域特有の決まり(全てではない)を拒否しづらい

  • 貿易はどうするのか。特に日本は資源や食料を多く輸入している。

  • ゴールドで取引する場合、金本位制のころの重商主義に戻りかねない。貿易黒字絶対主義、通貨安競争、下手すれば戦争してゴールドを奪うという発想にもなりうる

2 貨幣機能(貯蔵)の喪失

  • 怪我・病気・災害・失業などへの備えができない

  • 特別貧しい人たちにとっては命綱の喪失

  • 助け合いの社会だとしても、周りが助けてくれる保障・強制力はない。

  • その周りもまた病気などで、手を貸せない状況になり得る。(災害・戦争・恐慌時などはなおさら)

  • 手を貸してくれたとしても、失業や重病などを何とかできるのか

  • 介護など、報酬なしで片方だけが尽くし続けるのは危険(する側は嫌になっていくし、される方も後ろめたさが強くなっていく)

  • 貨幣以外で価値貯蔵できる資源・ゴールド・もしくは食料などすぐに必要なものの需要が増え、それらが高騰しやすくなる(需要が増えるという点ではよい面もあるが) 

  • 1と2の参考:

3 世の中に不可欠な役割(儲からなくても)の増加・維持が厳しい

  • 農業・畜産・輸送・発電・水道・ガス・警察・裁判官・教師・国防・施設の建設・修復等々。

  • これらは、しんどい・汚い・嫌がられる・危険・様々な勉強や経験が必要 などなど、始めるのも続けるのも難しい。

  • 特に国民の生存に直結する供給力は、非常時になる前から蓄え、維持し、失われるのを防がなければならない(今もほぼ非常時だが)。24年1月の大地震のようなことが起こる前から。

  • まして食糧危機・自然災害・侵略者などの危険が間近にある場合はなおさら。(特に敵対国家には、耐えて嵐が過ぎ去るのを待つという手段が使えない。状況がただ悪化するのみ)

  • 切羽詰まっている状況で重要かつ負担の大きい仕事を頼むのに、貢献欲・自負・愛国心といった形のないものだけで足りるのか?

  • 報酬だけが働く理由ではなくても、働く理由を複合的にすべきでは?(理由の1つが失われても辞められにくくなる)

4 報酬がきちんと支払われる意義の低下・喪失

  • 仕事を始めるきっかけ

  • 仕事や自分自身を認められるという自負

  • 自己評価低下・士気減少・責任の放棄・不正・裏切り・見限りを減らす

  • 物やサービスの供給力強化には、工場建設・雇う労働者の増加などの投資が不可欠。

  • 仕事の維持・能力の発展(目的が報酬でなくとも)

  • 雇用者増加・工場建設などによる供給力強化

5 貨幣以外で報酬になるものはあるのか

  • ゴールドは各国の奪い合いになりやすく、色々と厳しい(あのアメリカでさえ71年に金本位制をやめた)

  • 銀・原油・ガスなど他の資源でも、おそらく似たような問題が起きる

  • 暗号資産も、値動きが大きすぎる・クラッキングで奪われる・(ビットコインなどは)発行数上限があるのでデフレ対策に使えないなど問題だらけ

  • 地域振興券など狭い範囲限定の貨幣は、受け取った店側が別の何かとの交換、もしくは仕入れ・税の支払いなどに使えるようにする必要がある

結論

貢献欲・承認欲など、貨幣以外の動く理由は欠かせません。
特に競争と拝金主義がはびこる今の社会では。
一方で、貨幣を完全になくすことは、あらゆる意味で非常に厳しいでしょう。つまり

  • 貨幣自体は残す

  • 貨幣以外の動く動機を高く評価する

  • 村などの狭い範囲で自給自足にやれることを増やし、競争・金のやりとりを強制される範囲を減らしていく

  • 国民全体のためになり、かつ冷遇されやすい活動(特に出生)を優遇・金が渡るようにする

  • それらの必要な活動への疑似的な報酬、および競争の否定という点で、BIは不可欠

以上を提案します。

お時間をくださりありがとうございました。

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