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【記者日記】原発関西訴訟本人尋問傍聴

                                    編集部     かわすみかずみ

1月18日は朝から裁判所に向かいました。大阪地裁202号法廷で行われる原発関西訴訟の傍聴に行くためです。
  9時10分から傍聴希望者への抽選券が配布され、地裁前には60人ほどの人々が集まりました。
  抽選にはなりませんでしたが、満席になりました。午前中2人の証言者の証言があり、ミニ集会の後、午後から3人の証言を聞きました。

  午前中の証言者は、渡利地区でピアノ教師をしていた女性と、大学で就職支援をしていた女性だった。前者の女性は子どもたちが故郷を無くしたことや、新たな生活基盤を作ることの大変さを訴えた。
後者の女性は子どもを守るために避難することについて夫や夫の母親と対立し、今も溝は埋まっていないことなどを涙ながらに語った。傍聴席ではすすり泣きが聞こえた。後者の女性は、その後うつ病により、避難した場所での生活も困難が続いた。何よりも子どもにつらい思いをさせたと知ったのは、のちに息子が書いた作文だった。作文を弁護士から見せられた女性は声をつまらせた。

関西訴訟の応援に駆けつけた水俣関西訴訟原告と支援者の皆さん

ミニ集会では、原発神奈川訴訟、同広島訴訟など、同じ思いを抱える仲間が駆けつけ、アピールした。
  神奈川原告団長の村田弘さんはアピールの中で、「これまでの判決はすべて敗訴となっています。また、賠償金額をどんどん削っていく方向です」と不安要素を示しながらも、「原発を次世代に引き継ぐわけにはいかない。今後も闘っていきます」と述べた。また、大阪で水俣訴訟勝訴を勝ち取った原告と支援者も応援に駆けつけた。

  午後も原発避難者の苦しい思いの吐露が続く。水戸市で塾講師をしていた女性は原発事故を知り、多くの本や資料をあたって避難を決めた。政府の公表内容などを信じることはできないと思った。
  同居していた父親は、水戸で野菜を作り続け、誇りを持っていた。父が作った野菜を「危険だから子どもに食べさせたくない」とは言えなかった。避難すると伝えると、父親は、「国が大丈夫と言ってるんだから、避難する必要はない」と言った。口論の末、「出ていけ!」と言われ、一時露頭に迷うことになる。別れた夫の実家に身を寄せて、そこから大阪へ。苦難の連続だった。彼女は何度も、原発が爆発した日に、たった1個のカップラーメンを買うために子どもとスーパーの行列に並んだことを後悔すると言った。子どもを被爆させたと。

 この他二人が証言した。いずれも苦しく重い内容だった。

原発関西訴訟ではこのあと、年内は本人尋問を主とした裁判が続く。次回は2月29日。
司法は人々の声を聞いた判決を出せるのか?その信用が試される。

  

  

  

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