見出し画像

パパとぷちくんと心底求める調和の正体


調和、平和。。。助け合い、、、
今まで私の中のイメージは

こんなイメージ。。団結!みんな集まって!仲良しダー!的な(ゾゾ、、、

常識的に、、、道徳的に、、、ふつうは。。。。
手を取り合って仲良しこよししてたら平和だよね。。。という
ステレオタイプな概念に心底ゾッとしていた。
心配、気遣いは優しさだと勘違いしていた。

だからここ数年のソーシャルディスタンスに心からホッとした。
家族だから、親だから、友人だから、仲間だから、同種族だから、、、
仲良くしなくてはいけない
という圧力。

もう本当に耐えがたいものだったんだとこの数年で気が付いた。

だってそれって、じゃあ違うくくりの存在とは?仲良ししないの?
裏をかえせば、それ以外の関係にはとことん残酷になれる。。。
それが今までの人間の戦争の歴史なんではないの?とおもっちゃう

じゃあ本当の調和ってなんだろ?
私にとっての調和って?

私にとっての調和は離れることなんでは?と思ったのだ。

慣れ合わない
お互いが自分軸で気持ちよく生きている者同士がすれ違う
お互いの世界を見て、「ハロー!私にはわからないけど楽しそうで何より!」「あ、それ素敵な概念ね!私も取り入れてみるわん」
みたいな。
NOTEはそれが叶っている世界だと思う。
必要以上に手をつながなくていい
むしろ遠く遠くから見つめてうっとりできたり、びっくりできたりできる。

心地よい

今までは「薬」であっても、これからは「毒」となる概念、言動はいっぱいあると思う。心配、気遣いだけじゃない。相手の為を思ってとかいう言動もだいたい毒だよね。
相手の為を思ってって一ミリも相手のためじゃない。
自分の為だよね。。。。
毒をふりまきたくないし、ふりまかれたくないから
自分の世界の境界線は温かなもので包んで
ちゃんと息ができるように調整しよう

お魚が陸で生きられないように
鳥が水中で生きられないように
適材適所
人間という哺乳類の種族は
だいたい形も作りも似たようにできているから
みんな同じようにくくられちゃうけど、実際は全然違う。
男と女ってだけじゃない。そんな簡単に分別できない生き物だ。
だからちゃんと、「にんげんだって一人一人ちがうんだ!」ておもっていいとおもう。

どこで、誰と、どんなふうに生きるのか選んでいいと思う。
そうやって、自分の快を見つめて
私が生きられる世界を創造する

お魚は陸で生きられないけど、陸世界を害することはしないように
私も、自分とは違う世界だからといって害さない

ただ違うんだね、ってハローグッバイですれちがっていきたいな

あたたかい境界線からそれぞれの世界を楽しもう♡

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?