見出し画像

不妊治療とわたし

「不妊症」というのは、病気ではないらしい。

ないらしい、というのは病名がつかないほどに沢山の理由や要因があって、「原因不明」とされる不妊が大半だとされているから。

わたしは、34歳から35歳になろうとする年にはじめて不妊専門のクリニックに足を踏み入れた。結婚してちょうど二年、転職をしてから約一年。産休育休を取得できる社員であるべきタイミングを見計らってのことだった。

病院に行けばすぐに子供ができる。当時のわたしはそう思い込んでいた。これは悩みに悩んで病院に駆け込むパターンではなく、最短距離で子供をつくる合理的な判断である、くらいな気持ちでもあった。

いま思えば、どれだけ傲慢かと思う。

順風満帆な人生を送ってきたわけではない。大学受験も就職活動も自分の一番欲しかった場所にすぐに行き着けなかったし、結婚はたまたま良いタイミングがあったものの、悩み迷走した時期もあった。

でも、それらは自分が起点となって単に選択と努力によって道は順々と開け、道がゼロということはない、前にきちんと進める、そういったプログラムのゲームだった。

不妊治療は、ちがった。

卵がすべて。卵がすべてなのである。卵が月に一度成長して丁度良い大きさになるのを、ひたすら待つのである。卵が月に一度のタイミングでだんだんと大きくなり、まさに受精の準備完了だぜ!という機会を診察して「性交してください」と助言したり、人工的に精子と出会わせたりするのが、不妊治療。

もはや、自分の意思は関係ない。

自分の体内でなにかが起きていて、自分をそれに寄せていく。曜日も時間も関係ないし、卵さんには仕事の事情も関係ない。ただただ、わたしを卵に寄せていく。わたしは卵の奴隷である。

毎月毎月、これは有り難いことでもあるのだが卵がつくられ、成長し、体外にでていくサイクル。

この繰り返しの中で、たまたま丁度良いタイミングで多くの人が子供を宿す。それが世の多くの”普通”。妊娠の”通常”。知ってしまったから生命のフシギに思いを馳せるが、知らずにいられたら良かったなぁとも思う。

そんなわたしは、ちかぢか2回目の体外受精を行う。あたらしい世界で、病気ではないらしい不妊症を乗り越えていくため、たくさんの時間を「治療」という名の卵の奴隷活動を行う、備忘録をつけはじめようと思う。

#不妊症 #不妊治療 #体外受精 #IVF #明るい不妊治療のススメ #卵子 #卵 #生理 #不妊 #生命のフシギ #生殖医療 #婦人科 #不妊専門