#一歌談欒 vol.1 ユートピアにはいられない

.原井さん(@Ebisu_PaPa58)の企画のための文章です。

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おめんとか

具体的には日焼け止め

へやをでることはなにかつけること

(今橋愛)


 一読して、ああ、なるほど、と納得しそうになったところで頭の中にクエスチョンマークが発生して立ち止まってしまう。

 歌意としては、部屋を出るときはお面の役割として日焼け止めをつけないといけない、ということになるだろう。ただし、お面とは自分の顔を隠すためのものだ。それならもっとふさわしいものがあるのではないか。日焼け止めは紫外線を防ぐためのもので、顔を隠すという目的はない。さすがに「おめん」をかぶって外出するわけにはいかないとはいえ、日焼け止めでは全くその代わりにはならないだろう。しかし、作者にとって何もかぶらず、何もつけず素のままで「へやをでる」ということは考えられないのだ。「へやをでる」とは外界と接すること。外の世界で素の自分をむき出しにはできない。「へや」は作者にとってのいわゆるユートピアだ。永遠にその中にいつづけることができるなら、まっさらの自分そのものでいられるのに、生きている以上そこにとどまっていることはできない。分かち書きによって真ん中に挟まれたかたちになっている二句と三句のみ漢字変換がなされていて、外界に対応しなければならない現実をあらわしているようにも感じられる。

 作者はなぜアイテムとして「日焼け止め」を選んだのだろう。日光をはじめとして、何からも影響を受けないように自分を守るためなのか。もしかすると、つけるものは何でもよかったのかもしれない。「具体的には」と言っているが、作者が本当に必要としているのは「おめん」であり、「日焼け止め」はその代替品にすぎないのだ。守られている「へや」から外に出るとき、何らかの対策をとらなければならないのだが、それは決して完璧なものではない。それでも仕方なく「日焼け止め」をつけて「へやをでる」。「おめん」などというファンタジックなものが世間で受け入れられるはずがなく、作者もちゃんとそれをわかっているので、「日焼け止め」によって大人の社会へ(不本意かもしれないが)適応しようとする。「へやをでることはなにかつけること」という、ひとりよがりな断定にも、諦念が滲んでいるように感じられる。外界、他者との交わりによって自分が汚されたり傷ついたりする可能性があることはわかっているのに、それを防ぐことはできない。ユートピアである「へや」から出ていくとき、おそらくは諦め半分に、とりあえずの防御として「日焼け止め」をつけるしかないのだ。易しい語句とひらがなの多用でやわらかい雰囲気の歌ではあるが、感情が読み取れないぶん妙に冷めていて投げやりな作者の姿を感じた。


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ありがとうございます。またお会いしましょう。
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