クロノマギア表紙

アグロ環境と、クロノマギアの魅力について

こんにちは。りっくんです。お騒がせしています。

事情を知らない方に説明すると、パズドラコラボ第一弾のアグロ環境について、僕が度々言及・批判をしていたところ、複数の方から、「アグロを使うのは個人の自由なのに、それをおおっぴらに批判して初心者を萎縮させるようなことをするのはどうなのか」という批判をいただいた、という感じです。
まず最初にいうと、この批判は的を得ています。僕のツイートの中には、アグロを批判しつつ、不用意に個人名の乗ったスクショなどをあげてしまっているものがありました。つまり、システムを批判する意図で発したツイートが、プレイヤーの批判になってしまっていたということです。それに関しては、自分の不手際としか言いようがありません。該当のツイートは削除した上、重ねてお詫びします。

しかし、削除しただけでは、なぜ僕がここまでいまの環境を批判するのか、わからずじまいになってしまいます。そこで、僕が第一弾となる初心者用の記事を書いた時から今に至るまで、クロノマギアというゲームは何が魅力的かということを本気で考えてきた内容をここに記載したいと思います。それが、今回の騒動にも繋がっています。

その前に、僕のアグロ環境批判のスタンスに対して具体的に反論をしたマイセンさんのブログのリンクをここに載せておきます。僕の記事を読む前に、まずこの記事を必ず読んでください。
https://t.co/Vw4Bitnq4a

マイセンさんの指摘は、的を得ているところがかなりありますし、先ほども言ったように大っぴらな批判を繰り広げるのがよくないということには全面的に賛同して反省しますが、その上で論点を整理しなければいけません。

まず、「僕が捉えている新環境について」説明したいと思います。

僕は、現環境をこのように捉えています。今までTwitterではアグロをくだらないとは言いましたが、強すぎて勝てないとは言いませんでした。その通り、アグロに対しては、対策とプレイングで勝つことも十分可能です。

では、なぜこの環境が不健全なのでしょうか。

これが、パズドラコラボ環境初期のメタ循環です。トルヴィオミルが1強であり、それと渡り合えるデッキタイプとしてアグロミルが存在し、その他のデッキタイプは、トルヴィオに頭を押さえつけられながらアグロミルと渡り合わなければいけない状況でした。なぜトルヴィオが強いのかというと、MP5回復でコスト1、3ダメージのスキルが打て、さらに種族(龍、人型など)による縛りがマギアスキルにおいて無かったため、露骨にたくさんのパワーカードを詰め込めたからです。
他のリーダーは、トルヴィオかアグロミル一方と渡り合えるデッキはなんとか構築できても、双方と勝負できるデッキはほぼ構築不可能でした。さらに、現状に至っては、トルヴィオミルとアグロミルのギア構成はほぼ同じであり、対応することも至難の技でした。

しかし、研究が進み、他のリーダーでもなんとか勝てる『アグロミル以外のアグロ』と『ミルの耐久を一撃で吹っ飛ばすOTK』型が確立されました。ですが結局のところアグロの割合はかなり増えてしまい、特にアグロとトルヴィオどちらも使えるミルの割合がさらに増えてしまいました。

これが現環境の全てです。決してアグロが強すぎるわけではなく、トルヴィオ以外の、アグロに強いデッキタイプがトルヴィオに頭を押さえつけられてしまったため、結果的にアグロとミルが増加しただけです。

しかし、僕はこのメタ循環はおかしいと思いました。新しく確立されたメタ循環の陰で、活躍することができないリーダー、カードが多くなってしまっているように感じたからです。せっかくパズドラコラボが始まって戦術の幅が広がり、カードも色とりどりになって面白くなったのに、環境がその可能性を狭めてしまっていると感じたわけです。これが、僕が環境を批判していた理由です。
マイセンさんは、ミルが流行って何が悪いとおっしゃっていましたが、ほぼ全リーダーにスキンと新カードが配られた今、ミル一強を維持し続けるのはどうなんだろうかと思います。僕が初心者だったら、はじめから居るミルに加えて、スキンの当たったリーダーもちゃんと使いたくなりますから。

ちなみに、通常であればこんな感じのメタ循環が回りつつ、どれかが環境によって強くなったり弱くなったりします。1つのリーダーが強くなりすぎて、メタ循環がそもそも変わってしまうというのは、クロノマギアにとって本当に良いことなんだろうかと思うわけです。

さて、ここからはマイセンさんのブログの展開に従って、僕のブログも構成していきたいと思います。重ね重ね言いますが、これはどちらかを潰す討論をしたいわけではなく、論点を整理するためにこのようにしているだけです。

まずは、『1.アグロが流行った時って?』というトピックに対しての意見です。

マイセンさんの意見を要約すると、『アグロが流行る環境が一時的にあっても良いじゃないか』ということですが、クロノマギアのゲームシステムが好きな自分にとって、本当にその割り切りは正しいのだろうかと考えます。


アグロ環境が進みすぎると、上の2つのような状態になります。
シャドウバースやドラゴンクエストライバルズに比べて、クロノマギアの最大の特徴は、『カードが基本的に伏せ状態から始まり、それを読み合うことで勝利へと繋がる』または『攻撃した分、相手の反撃が大きくなるため、その備えをしなければいけない』ということではないでしょうか。
そ駆け引きが、アグロ環境では(もちろん皆無とは言いませんが)狭まってしまっているように僕は思います。相手が何が伏せていても関係ない、とにかく相手の顔面しか狙わない。攻撃時に溜まるMPの大きさも基本的に考慮せず動く。それは、確かに一定確率でギャンブルのように勝てたとしても本当に『クロノマギア』を楽しんでいると言えるのでしょうか。
しかし、これに対してマイセンさんの言葉をあてがうと、『ゲームが流行るか流行らないかという観点からしてみれば、クロノマギアはよりカジュアルになってきており、プレイに自信がない人や初心者でも上級者に勝てるチャンスが生まれるから大丈夫だ』ということになります。
確かに、流行るか流行らないかという観点は非常に強力であり、その観点からすればマイセンさんの考え方は正しいのかもしれません。
しかし、一つだけ僕が疑問なのは、下に書いたことです。

ゲームがカジュアルであるということと、底が浅くてゲームとしての魅力が無い、ということは絶対に=ではありません。どんな人もカジュアルに楽しめるゲームほど、概して奥が深かったりします。
僕から見れば、現状のクロノマギアは、『カジュアル』を目指して『底が浅いゲーム』になってしまおうとしています。
例えば、シャドウバースでも時々アグロが爆発的に流行ってしまうことはありましたが、シャドウバースには伏せカードの読み合いはもともと無かったし、先行有利なのは当たり前だと捉えられており、そもそもシャドウバースの強みの一つは、カジュアルでも楽しめる美麗なビジュアルやカードの入手のしやすさにありましたから、そこまで問題ありませんでした。
しかし、シャドウバースやドラクエライバルズとはまた違った『読み合い』の楽しさを提供してきたクロノマギアでアグロがここまで極端に流行るというのは、本当に他のゲームでアグロがただ流行るのと同じような事象なのでしょうか。

マイセンさんは、このままカジュアルにみんなが楽しめるようになって、シャドウバースやドラクエライバルズのような『カジュアルDCG』の座をクロノマギアが獲得してくれれば良いとおっしゃっていましたが、自分にはどうしても、クロノマギアがこのままカジュアルになりつつ魅力を維持できる予感があまりしないのです。

だた、この僕の心配がただの杞憂で、クロノマギアはカジュアルDCGとして大人気になっていく可能性もあります。伏せカードを読み合うのではなく、いかに早くマギアスキルの発動条件を揃え、相手を即殺するか。。現に、シェリアス=ルーツのようなカードがそうですしね。それが、結果的にはウケる可能性もあります。
そうなったら、自分がこれまで楽しんできた『独特の緊張感のある読み合いが楽しく、コツを掴めないと全く勝てないが、コツを掴めば実力次第でどうにでもなる』というクロノマギアはその影を薄め、僕がリリースしてきたような『勝ち方講座』も意味が無くなっていくでしょう。それはそれで仕方がありません。

ただし、逆にもしクロノマギアが一般的なDCGに迎合せず、本格的かつ唯一無二なゲームとして発展していく可能性があるのであれば、それはそれで本当に魅力的だと思います。そして、そうなる可能性が十分にあると僕は思います。以下、その根拠を説明しようと思います。

断っておくと、マイセンさんの論理は非常に明解で常識的だと思います。例えば、ここには書いてありませんが、ブログの中で言及されている『考えることの少ないゲームの方が流行りやすい』というのは、確かにわかります。
さて、マイセンさんの理論は、
『今までで流行っているゲームはぶっ壊れ要素が含まれていた。他のコケたゲームの中には戦略性が素晴らしいものがあったが、結局日本人プレイヤーのマジョリティにはウケなかった。だから、クロノマギアがカジュアルに流行るTCGの要素を盛り込んでいきたいと思うのは当たり前だ』
というものです。もしかしたら、運営も完全にマイセンさんと同じ考えを持っており、こちらの方向にシステムを変えたのかもしれません。こういったバランス崩壊がユーザーにとってある種の『刺激』となり、カードゲームを盛り上げてきたとも言えます。
しかし僕からすれば、『もったいないなぁ』と思ってしまいます。
その感情を説明するために、少し横道に逸れた解説をしようと思います。
そもそも、なんでこういった状況が生まれるのでしょうか。

当たり前のことですが、カードゲームにおいて新カードを売るためには、旧カードは新カードより強くなければいけません。

しかし、新カードを売りたすぎて、それを旧カードより強くしてしまうと、赤枠の『適正なゲームの範囲』を新カードのパワーが超えてしまい、結果的にゲームが崩壊してしまいます。
TCGにしろDCGにしろ、このジレンマには長年悩まされてきました。売るためには強くなくてはいけない。しかし、強くしすぎるとゲームが崩壊したり、旧カードが使えなくなってしまう。これを調整するのは至難の技でした。
そのジレンマを解消するために、HSやシャドバはローテ落ちを作ったり、幾多のカードゲームはナーフをしたりを繰り返してきました。

しかし、クロノマギアは違います。『リーダー(スキル)』と『カード』という二つの要素をデッキの2本の柱とすることで、調整を容易にしたのです。

新パックを加えるとき、リーダーの柱に一つ抜けて強いもの(この例ではゼータ)があった時、カードの側のパワーを据え置くことによってバランスを取り、リーダーが弱ければリーダー自体を強化して調整したり、対応するカードを強化することでバランスを取る。
このように、クロノマギアはもともと、とても調整がしやすいようにゲーム性に幅を持たせたものでした。さらに、この裏には先ほど説明したような緻密なゲームシステムが組まれていました。
つまり、MTGや他のカードゲームに負けない、継続性と奥の深さに満ちたゲームがすでに完成していたのです。その気になれば、インフレに陥らず、ユーザーが満足するような『刺激』を提供することもできるはずです。
クロノマギアはリリース当初から英語版も作っていたし、英語でのアナウンスをしていました。これは、『今までの日本のカードゲームのような枠から外れて、超本格的なゲームで勝負してやる!』という気概だったのではないでしょうか。僕はそう思っていますし、そのスタンスのガンホーはかっこいいと思いました。

しかし確かに、流行らなかった。

その事実は、受け止めなればいけません。いくらこのカードゲームの奥の深さと継続可能性に感銘を受けた僕がこんなに力説し、解説書を作成したとて、それでユーザーに振り向いてもらえないのであれば、意味はありません。マイセンさんのいう通りです。

でも、運営がその気になれば、クロノマギアを下手にカジュアルにせず、なおかつ間口を広げてカジュアル層を増やす、ということはできるのではないかと思います。クロノマギアくらいのポテンシャルがあるならば。本当に、これまでの魅力を捨ててまでシャドバやライバルズが提供するような価値と同じようなものを提供して、売れるのだろうか。失敗しないろうか。マーケティング的にいえば、競合が多いところにわざわざ顔を突っ込んでいく愚策ということです。


これまで、この本格的なカードゲームの間口を少しでも広げられればと思い記事を書いてきました。しかし、自分が思い描いたクロノマギアの理想像が強すぎて、いつしかツイッターで批判を繰り返し叩かれるまでになってしまいました。
ただ、何の考えもなしにアグロを批判していたという誹りだけは、明確に否定させていただきます。

こんな長々とした文章を書いて引かれるかもしれませんが、これが今僕が考えていることの全てです。

短くまとめると、
『僕が考えてきたクロノマギアの理想像』というものがあり、それが僕自身のモチベーションとなっていたが、ミル追加以来そこから外れようとしているため、普段以上に過激なツイートをしてしまっていた。
だが『日本国内で流行るか流行らないか』という観点からすれば、カジュアルに寄せるべきという考え方は理解できる。
しかし、カジュアルに寄せて、本当に『奥の深さ』が維持できるのかは怪しく、それを強みとしているクロノマギアが路線変更をしようとしていることに危惧を覚える。

という感じです。

これまでで一番の長文になってしまいましたが、おつきあいくださった方、ありがとうございました。

マイセンさんと同じく、クロノマギアが流行ることを僕も祈っています。

それでは。