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「あの選択をしたから」に誘発されて…(前編)

順華の小話へようこそ

 何年か前に、自身の「人生のターニングポイント」を書いた事があります。
 私位の年齢になると、幾つも幾つもの分岐点がやってきて(必ずしも意識している訳では無いが…)、今に至っているということなのです。
 でも、その中でも、人生を全く今とは違ったものにしたかもしれない選択がありました。よく、宇宙には、多次元の中に沢山の自分がいて、この選択をしなかった自分もいるわけですよ。それらが、この宇宙を出る時に「I‘m there.」と言って初めて1つになるのだそうですが…。何で英語かって?たまたま宇宙から来たバシャールのチャネラーを努めたのが米国人(だったと思うけど…ダリル・アンカ)だったので英語ですが…彼等には、言語という捉え方はないようです。

 Introが長くなりました。今から約半世紀前に、「もしあの男と結婚していたら」…。現在の私は…一応独身ですからね…フフフ😁


寄せては引く波…又寄せては引いても同じ形、同じ場所には留まらない…(方丈記の冒頭とはいかないけれど…)

 父が、PTAの会長をしていたことから、ある日高校時代の担任が、1人の男性を連れて我が家に来ました。
 彼は、T大学理学部の大学院を卒業し、六大学の野球の選手でもある?(うる覚え)ということだそうですが……なんじゃこれは見合い?!だって、私そっちのけで、親と紹介者が舞い上がり…彼も大人しく従っていたし…親が結婚するのかね〜😑😑😑
 学歴も背の高さも問題はないが…一目で引いた、この人とお床をとるのは嫌だとね(一種の生理的嫌悪感)余りにも、最初の出会いが酷すぎましたよぉ!!


美しい満月だけど…私の心は闇の中

 親は頭ごしに、こんな凄く良い縁談はないんだぞ!養子に来てくださると仰っているのに…馬鹿娘が………………💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢
[̲̅⁠$̲̅⁠(̲̅⁠ ͡⁠ಠ⁠_⁠ಠ⁠)̲̅⁠$̲̅⁠](⁠ノ⁠ಠ⁠益⁠ಠ⁠)⁠ノ¯⁠\⁠_⁠ಠ⁠_⁠ಠ⁠_⁠/⁠¯(# ゚Д゚)(●`ε´●)

 当時の私は、自分の気持ちや意見をなにも言えず、常に親の様子や顔色を伺う子供でした。大人になってもそれは続き、親の言動に怯えていたのです。だから、親のいない所では、滅茶苦茶元気で羽目を外していました。只、その様な行動は、自身の感情を抑圧し、思考も止まりただただ流されるだけの人生になって仕舞っていました。
 目的、目標も見いだせず、どの様な人生を生きたいのかなんて何も考えず、親の引いたレールに乗りり、お金💴にも困らず、漠然と毎日を過ごしていました。可もなく不可もなくといったところでしょうかね…。心の底からの喜びや悲しみの様なものはありませんのでした。🙂

 当時、C.Hという、アメリカの俳優にとてもいれこんで、日本🇯🇵人妻なんてほざいていたから、ここで映画🎥評論家になろうと…淀川長治や小森和子、水野治郎(この字でしたかねぇ〜)等に電話☎したりして…で、英会話の勉強が必要と学校へ通ってみたのです。S Language Lavatory. 

Break time

 でも、でも、予定外のことが…英会話教室に通っている内に…好きになっちゃつたのよね〜、先生を…
 彼を好きになる人は多くて…
更に更に、クリスマス🎄のパーティーで英文科の友人を紹介したら……Tennessce Waltz(Patti Page)になっちゃったわよ。若い方々は知らないわよね〜😝
大失恋だったから、落ち込んでねぇ、ついその事を何かの時に先生に話したら…もとえで、その男性を連れて来たってわけよ。でも、人の心はそう簡単には変わるものではないわ、そうではないですか?

菊の大輪の伸びやかな輝き

 何も言えない、親に逆らう事も出来ない私が、初めて親に逆らいました。だって結婚するのは私だし、この男性とこれからの人生を作っていけなければならないのですよ、幾ら親に勧められても、結婚するのは私ですからね。ここだけは、言う事をきくわけにはいかなかったのです。当たり前でしょう!

 でも両親は、酷い事を沢山言いましたし、言われましたよ!
 何を言われても、私の心はガンとして動きませんでした。(後になって解った、私がこの男性を好きにならなかった事…それは、養子が良い…つまり、人の作った城であぐらをかこうとしたかった…という意図を感じてしまったからだ、ということなんですね〜)ちょっと面倒くさい言い回しでした。本質的に私は、立ち向かって行く男が好きなようですね~😜

 はい、今日はこれまで…

お読みに頂きまして

ありがとうございましたm(_ _)m

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