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「男装陰陽師と鬼皇帝の秘め恋」第2話

***

 気を失っていた星が目を覚ますと、なぜだか皇帝陛下の寝台に寝かされていた。慌てて体を起こそうとすると、雷烈が制して止めた。

「そのままそこで寝ていろ。封印術を使って疲れていたのに、からかってしまって悪かったな」

 半裸身となった雷烈に抱かれたいた自分を思い出し、再び顔が熱くなる。
 真っ赤になった星を見て、雷烈は微笑みながら言った。

「兄がいたのなら、幼い頃に兄の裸くらい見たことあるだろう?」
「兄とは共に暮らしていませんでしたから」
「兄妹なのにか? 何やら事情がありそうだな。話してみよ」

 身の上話をするつもりはなかったが、皇帝に聞かれたら話さないわけにはいかなかった。 

「私は兄とは別の場所で育てられました。双子の女児は不吉だといわれて」

 生まれてからのことを、そして庸国に来るまでの事情を、星はぽつりぽつりと話し始めた。要所だけのつもりだったが、雷烈が頷きながらしっかりと話を聞いてくれるので、いつしかほとんどのことを夢中で伝えてしまった。

(ひょっとして私は、誰かに話を聞いてほしかったのかもしれない)

 隠されて生きてきた星にとって、家族といえるのは優だけだった。友だちは書物であったが、知識は与えてくれても、話を聞いてくれることはない。陰陽師の修行で忙しかった優にあれこれ聞かせるわけにもいかず、星は心の内にあふれる思いや孤独を誰にも話せなかった。

「辛い思いをしてきたのだな。だがそれでも頑張って生きてきた。だからこそここにいる。星のおかげでオレは鬼の血を受け継ぎながらも皇帝としてやっていけそうだ。ありがとう、礼を言う」

 よもやお礼を言われるとは思わなかった。封印術への感謝の言葉であることはわかっていたが、星の過去を全て受け入れたうえで、「生きていてくれてありがとう」と伝えてくれている気がした。

(ありがとう、って言われたの、初めてだわ。不思議な響き)

 初めて聞く感謝の言葉に、復讐とは違う、別の希望が心の奥底に芽生え始めるのを感じる。体の内側が、ほんのり温かくなるように思えた。

「星にばかり過去の話をさせるのは対等ではないからな。オレのことも話してやろう」

 今度はオレの番とでも言うように、雷烈は自分の過去を話し始めた。

「オレには多くの兄や姉がいた。母の身分は下級の妃だったから、兄たちからは、ずいぶんと虐められたものだ。まぁ、おとなしくやられるオレではないがな」

 いたずらっ子のような表情をした雷烈は、楽しそうに話を続ける。

「兄たちに桶で水をかけられれば、お返しに泥水を丁寧に作ってぶっかけてやった。オレを落とすための落とし穴を作っているのを見つけたら、逆にそこに兄を落としてやったな。猫の死骸を宮の前に置かれたら、抱きかかえて兄のところへ行き、『共に埋葬いたしましょう!』と叫んで地の果てまで追いかけてやったわ。最終的には兄が泣いて詫びてくることもあったな」

 虐められていたというより、虐め返す日々だ。末っ子の弟にそれほど反撃されたら、兄の面目は丸潰れだったろう。

「兄や姉からは嫌われていたが、オレは兄たちが嫌いではなかったよ。兄の誰かが皇帝となったら、オレは僻地に土地だけもらって、のんびり生きていこうと思っていた。兄の邪魔になりたくなかったからな。だが……」

 雷烈の表情から、すっと笑みが消えた。

「兄たちが病や事故で死んでしまったのだ。不幸の連鎖のようだったよ。父は息子たちの悲報に嘆き悲しみ、病で倒れてしまった。亡くなる寸前、最後の息子となったオレに、『庸国と民を守る良き皇帝となれ』と言い遺して天に召された」

 雷烈は皇帝になるつもりはなかったのだ。様々な事情が重なり、皇帝に即位することとなってしまった。

「家臣どもが影でオレをなんと噂しているか、知っているか?」

 星は静かに首を横に振る。
 雷烈は天を仰ぎ、ささやくように告げた。

「帝位に就くために、兄たちを順に殺した極悪非道な鬼皇帝だとさ。オレは企んだことはないし、そんな証拠もないがな」

 不幸にも兄たちが亡くなり、末の皇子が皇帝となった。好き勝手に噂話を楽しむには、ちょうどよい設定だったのだろう。

「ひどいです……。陛下はなりたくて皇帝になられたわけではないのに」

 星の目から見た雷烈という男は、自らの欲望のために人を、ましてや身内を殺す人間のようには思えなかった。立場や境遇は違えど、雷烈もまた星と同じように兄を大事に思っていたのだから。

「噂話を信じる奴らは、好きに言わせておけばいい。非情な男と思われていたほうが、家臣どもになめられなくてすむしな」

 自分のことを悪く言う者たちを責めることなく、むしろ前向きに捉える。雷烈は豪胆無比な男だった。

「そんなわけでオレは皇帝として、この国と民を守っていかねばならない。そのためには鬼の力がこれ以上覚醒されては困る。これからも封印を頼むぞ、星」
「はい、承りました」

(雷烈様のお力に、少しでもなれたら嬉しい)

 互いの目的のためとはいえ、星は雷烈という男を支えていける喜びを感じていた。

「今晩はゆっくり休むがいい。明日はオレと共に後宮へ入ってもらうぞ」
「え、後宮に妖が現れるというのは、本当の話だったのですか?」

 星を庸国に呼んだ本当の目的は、雷烈に眠る鬼の力の封印であり、後宮内の妖の話は偽りだと思っていたのだ。

「嘘を言ってどうする。後宮内の妃や女官がおそろしい姿をした妖を見た直後に倒れてしまうのだ。オレが鬼の力で探ればいいだろうが、より一層力が強まっても困る。だから星に調べてほしいのだ」
「わかりました。調べさせていただきます」
「あとこれは推測だが、後宮内の妖と星の仇は何か関係があるのかもしれん。時期が重なるのだ。星の兄が殺されたすぐ後に、庸国の後宮で妖が騒がれるようになった。後宮は閉ざされた場所だし、秘密を隠すには適した場所だからな」
「後宮に兄の仇がいるのかもしれないと……?」
「その可能性があるかもしれない、という話だ。決して早まった行動はするなよ。後宮では必ずオレの近くにいろ」
「はい……」

 気遣いは嬉しいが、星としては一刻も早く仇を討ちたかった。

「ともあれ、今晩はもう寝よう。オレはおまえの寝台で休むから、星はそこで寝るといい」
「ええっ! いえ、逆がいいです。私は自分の寝台で寝ます、そうさせてください!」

 皇帝のために用意された絢爛豪華な寝台で一晩休むなんて、とんでもない話だ。

「そうか? まぁどちらでもかわまん。では交代して休もう」

 星が雷烈の寝台から飛び降りると、雷烈はすぐに腰を下ろし、ごろんと横になってしまった。

「では寝る」

 と言ったかと思うと、すやすやと眠り始めてしまった。

「寝るの早っ」

 思わず呟いてしまった星だったが、すでに雷烈の耳には届いていない様子だった。

「なんだかいろいろありすぎて疲れちゃった。私も早く休ませてもらおう」

***

 翌朝目覚めると、何やら大きな温もりに星はすっぽりと包まれていた。
 とても心地良く、星は温もりの中でまどろみ、ころりと寝がえりした。

「ん、あったかい……」

 庸国の布団はとても質がいいのねと思い、かすかに目を開けた時だった。
 目の前に、たくましい男の半裸身がはだけて見えている。ほんのり汗ばんだ裸には見覚えがあった。

「え……」

 慌てて目をこすり、おそるおそる確認する。
 筋骨隆々な体、美しい顔立ちをした人間が星を抱きしめている。庸国の皇帝、雷烈だった。
「きゃああ!」と叫ぼうとした瞬間、星の口は大きな手で塞がれてしまった。

「騒ぐな。大声だすと、太監たちがすっ飛んでくるだろう」

 星が叫び声をだす寸前に、雷烈は星の口をしっかりと抑えた。

「決して叫ばぬと約束するなら、手を離してやろう」

 こくこくと頷き、目線だけで星は雷烈に語りかける。

「よし」

 雷烈の手が口から離れると、星は声量に注意しながら訴えた。          

「なぜ陛下が、私の寝台で寝ているのですかっ」
「どうやら寝ぼけていたらしい。むくりと起きると、あちらにほどよい大きさの抱き枕が見えて、つい」
「つい。じゃありませんよっ。死ぬほど驚いたではありませんか」
「死んでおらんではないか。星は生きているぞ」
「そうですが、そういう意味ではなく」
「そう怒るな。せっかく愛らしい顔をしておるのに」
「愛らしい……」

 星の顔がみるみる赤くなっていく。
 ほめられることに慣れてない星は、雷烈の言葉にどうしても反応してしまう。
 やがて雷烈は楽しそうに笑い始めた。
 からかわれていたことに、ようやく気づいた星だった。

「陛下、からかうのはお止めください」
「すまん、素直な反応が楽しくてな。今日は朝議の後に後宮へ行くから、それまでに着替えをすませておけよ。ここの掃除も星が担当するということにしておくから」

 星が頬をぷぅっとふくらませていても気にならないのか、雷烈は立ち上がって袍の乱れを直し、寝所を颯爽と出ていった。

「男の身なりをしているのに、愛らしいだなんて。あんまりだわ」

 世間知らずな星の反応を見て、雷烈は楽しんでいるだけだとわかっているのに、どうしても顔や体が熱くなってしまう。

「とにかく早く着替えをすませよう。できたら衣も洗っておきたいし」

 着替えはもちろんだが、洗濯もできれば誰かに見られたくない。うっかり見られてしまえば、正体が発覚してしまう可能性がある。人がいない時を隙を狙って水を運び、最低限のものだけ手早く洗った。

 
 着替えと洗濯、寝所の掃除をすませた頃、雷烈が朝議を終えて寝所へと戻ってきた。
 雷烈の姿を見た瞬間、星は思わず息をのんでしまった。
 朝議用の龍袍に玉をちりばめた冠、腰の帯には翡翠ひすい佩玉はいぎょくをつけている。昨夜や今朝の姿とは違い、高貴な威厳を漂わせているのだ。

「天御門星よ。これより後宮へまいる。わたしについてくるがいい」
「は、はい」

 呆けた顔をした星に気づいていないのか、それとも後ろに従えた太監や宦官らの目を気にしているのか、雷烈は落ち着いた声で話している。雷烈の装いと振る舞いに圧倒されてしまう。

(鬼の血を引いていようと、私をからかって遊んでいても。雷烈様は庸国の皇帝陛下なのだわ)

 本来ならば、言葉を交わすことさえおそれ多い方なのだ。
 頭では理解していたはずなのに、雷烈の姿が遠く感じられた。

 雷烈の後ろに従う形で後宮へと入った星は、すぐに違和感を覚えた。

(鬼の気配がするように思うけれど、なぜだか感じとれない。これはどういうことなの?)

 理由はすぐにわかった。妃たちが住まう宮殿から香の匂いが強烈に漂っているのだ。
 おそらくは妖を寄せ付けないよう、魔除けとして焚いているのだろうが、それでもこの匂いは異常に感じられた。

(待って、私でさえこれだけ匂うのなら、鼻が利くと豪語していた陛下は)

 そっと皇帝の様子をうかがうと、雷烈は平静を装ってはいるものの、わずかだが顔をしかめているように思えた。香の匂いが苦痛なのだろう。

(だから陛下は後宮へ行きたがらなかったのかもしれない)

 妃がいる宮殿に通い、夜を共に過ごそうと思っても、あまりに香の匂いがきついと安らぐことは難しい。昼間は政務で大変なのに、夜まで耐え忍ぶのはさすがの雷烈であっても負担になっているのだ。

「妃たちの様子はどうだ。病床の者が多いのか」
 
 後宮を管理する宦官たちに話を聞きながら後宮内を進んでいると、とある宮殿の前で美しい女性が雷烈を待っていた。

「陛下、栄貴妃えいきひがご挨拶申し上げます」

 皇帝への挨拶の後に顔をあげた栄貴妃は、花の香りを漂わせる艶やかな美女だった。白い肌と豊満な胸元を見せつけるような装いなのに、優雅な気品を漂わせている。

「陛下、なかなか来てくださらないのですもの。陛下をもてなす準備も万全ですのに」

 うるんだ瞳で雷烈を見つめる栄貴妃は、上品な大人の女性の色気を感じさせる。
 雷烈はまったく表情を変えてないが、近くにいる宦官たちは頬を赤らめている者までいる。

「すまぬな。政務が忙しい上に、妃たちが次々と病で倒れているので、その対応におわれているのだ」
「病で陛下をもてなせない妃は生家に送り返すか、冷宮に送ってしまえばいいのですわ」

 にこやかに微笑みながら、恐ろしいことをさらりと言う女性だと星は思った。

「そうもいくまい。それよりそなたは何の問題もないのか?」
「はい。おかげさまで。いつでも陛下をお待ちいたしております」
「落ち着いたらまた行く」
「陛下ぁ……」

 今晩の約束をとりつけられなかったからか、栄貴妃は不機嫌そうに口をとがらせた。拗ねる様子さえ、うっとりするほど美しい。
 やがて栄貴妃は、後方にいる星に目をむけた。

「ところで陛下。あそこにいる貧相な男が和国から来た陰陽師とやらですか?」
「そうだ。わたしが招いたのだ」
「男を後宮に入れるのでしたら、宦官にしてしまいませんと。陛下はお優しいから命じられないのですね。わたくしが代わりに言ってやりますわ。あなたたち、そこの陰陽師をさっさと宦官にしておしまい!」

 気品ある佇まいで残酷な刑罰を命じた栄貴妃に、星は血の気が引くのを感じた。
 前にいた宦官たちが一斉に星の肩を掴みにかかる。男であることを捨てた身とはいえ、力は成人の男性と変わらず、星はあっさりと宦官たちに取り押さえられてしまった。

「やめよっ! ただちにその手を離せ!」

 ひと際大きな声で制止したのは、皇帝の雷烈であった。
 
「陰陽師天御門星は、皇帝であるわたしが和国より呼び寄せた客人であるぞ。にもかかわらず、わたしの命なく勝手に捕らえるとは何事か!」

 咆哮ほうこうかと思うほどの雷烈の怒声に、星を捕らえていた宦官たちは震えあがった。すぐに手を離し、その場で叩頭こうとうした。
 目の前で怒鳴られた栄貴妃も腰を抜かすほど驚いたようで、力なくしゃがみこんでしまった。
 衝撃をうけたのは星も同じで、雷烈の迫力に体が凍りついたように動かなくなった。
 雷烈以外、誰もがおそれ慄いている。

「すまぬ。つい大きな声をだしてしまった。少し疲れているようだ。栄貴妃も皆も、戻って休むがいい。天御門星よ。そなたはわたしと共にこちらへ。見てもらいたいものがある」
「は、はい」

 雷烈に呼ばれたことで、ようやく体が動くようになった星は後ろに従った。
 栄貴妃は女官たちに支えられ、自分の宮殿へと戻っていくのが見える。

(陛下があんなに怒るなんて。本気で怒らせたら、とても怖い方なのかもしれない)

 皇帝ではあっても、星の前では柔和で優しかった。怒鳴る姿は見たことがない。

(私のために怒ってくださったんだろうか。だとしたらちょっとだけ嬉しいかも……。あら?)

 星の前を闊歩していた雷烈が歩みを止め、苦しそうに息を乱し始めたのだ。

「陛下、どうなさったのですか!?」

 慌てて駆け寄ると、雷烈はかなり辛い様子だ。

「大きな声をだすな。鬼の力が暴走しているようだ。後宮に入ると度々おこる……。星、すまぬが鬼の力を封じてくれ。あそこに無人の宮があるからそこへ……つぅ」
「わかりました。すぐに封印術をおかけします。立てますか?」
「ああ……」

 ふらつく雷烈の腰を支えるように寄り添い、無人の宮の中へ入っていった。
 
 苦しげな呼吸をくり返す雷烈を横たえ、すぐに封印術の準備を始める。
 息の整え、印を結ぶと、呪文を唱える。

「封印術・天の印」

 呪文の共に『天』の文字が輝いて宙に浮かび、雷烈へと吸い込まれていく。これで少しは鬼の力を抑えていけるはずだ。
 ところが雷烈は胸元を抑えるように苦しみはじめ、うめき声をあげた。これまでとは違う反応だ。
 あえぐ雷烈の髪が赤く光り始め、瞳の色も血の色になりつつある。

(鬼化が進んでいる……。鬼の力が封印できてないの?)

「ああっ!」

 雷烈は星に救いを求めるように、その手を伸ばした。咄嗟に星は雷烈の手を掴む。

「陛下、お辛いなら封印術は中止しましょうか?」

 あまりの苦しみように、星はもはや見ていられなかった。手が震えて、印が結べない。

「かまわぬ。続けよ。これしきの痛み、耐えてみせるといったろう……」
「ですが私では、封印術の使い手として未熟なのかもしれません。もうこれ以上は」
「かまわない。星ならば、オレは何をされてもかまわん。おまえを信じている……」
「私を信じる……? 庸国の皇帝である雷烈様が?」
「星だけなのだ。オレの本当の姿を見せられるのは……だから」

 鬼化しそうになっても必死におのれと戦い、苦しみに耐えながら、未熟な星を励ます。

(この方は、なんてすごい方なのだろう。私を信じるといってくれた雷烈様のために……!)

 自らを奮い立たせた星は霊符をとりだし、印を結ぶ。霊符を手にしたまま、雷烈の体に直接霊符を貼り付ける。

「天の印・封!」

 雷烈の体は異常なほど熱く、星の手も火傷しそうなほどだ。だがどれだけ痛くとも、星は雷烈の体から霊符を離さなかった。

「耐えてください、雷烈様。私が必ず鬼の力を封じてみせます!」

 鬼の力を封じたい星と、鬼の力を内側に押し留めたい雷烈。二人の思いがひとつとなり、鬼化という暴走を食い止める。
 ほどなくして、雷烈の吐息は少しずつ落ち着き、痛みも消えていったようだ。

「よかった……」

 霊符がはらりと地に落ちる。鬼の力の封印に成功したのだ。

(でもこれもまた鬼の力の一部だわ。これからも封印していかないと)

 星が霊符を拾い上げ、ほっと息をつく。

「雷烈様、大丈夫ですか?」

 雷烈はかすかに笑い、星に向けて手を伸ばす。体を起こしてほしいという意味かと思った星は、雷烈の手を握りしめた。
 すると雷烈は星を自分のほうに引き寄せ、抱きしめたのだ。突然のことに、星は雷烈のたくましい胸元に顔をうずめる形となった。

「ら、雷烈様!?」
「ありがとう、星。悪いが、しばしこのままでいてくれ。少しだけ休みたい。おまえがいてくれると、よくねむれる……」
 
 必死に鬼の力と戦い、疲れ果てたのだろう。すやすやと軽やかな寝息をたてながら、雷烈は眠ってしまった。

「雷烈様……」

 雷烈に抱かれたまま共に横たわる星。耳をすませば、雷烈の鼓動が伝わってくる。雷烈が確かに生きているのだとわかり、星はたまらなく嬉しかった。

(ああ、私はこの方のことが、雷烈様が好き……)

 これまで気づかないふりをしていただけだった。
 悲しき過去をもつ星の心を理解し、受けとめてくれたただひとりのお方。
 皇帝としての才覚と覚悟をもち、どんな苦しみにも耐え抜く強い人。

(私、これからも雷烈様のそばにいられたら……。でも雷烈様は庸国の皇帝。身分も国も何もかも違いすぎる。それに私には優の仇を討つという目的がある……)

 好きな人のそばにいたい。ずっと支えてあげたい。
 だがそれは叶わぬ夢のように思えた。

 星は雷烈の腕からそっと抜け出ると、整った容姿を見つめた。

「冷やした手巾をもってきますね。汗をかいておられますから」

 雷烈に抱かれたままであることが辛くなった星は、声をかけてから水を求めて外に出た。

「えっと、お水はどこにあるのかしら。後宮内を歩き回るわけにもいかないし」

 周囲を見渡したが、それらしい水場がわからない。誰かに聞く必要があるのかもしれない。

「水なら、わたくしの宮殿にあってよ」

 突如、背後から星に声をかける者がいた。驚いて振り返ると、そこに立っていたのは栄貴妃だった。
 つい先程まで人の気配は感じなかったはずなのに。

「あなた、陛下に何をしていたのかしら。一度、事情を聞かなくてはねぇ……? わたくしの宮殿にいらっしゃい。丁重に、もてなしてあげてよ?」

 栄貴妃の背後には、屈強な宦官たちの気配を感じる。逃げられるとは思えなかった。

(雷烈様に迷惑はかけたくない。私だけで解決しますので、お待ちくださいね)

 雷烈を守りたい。たとえ自分の思いが成就することはなくとも。

「わかりました。御一緒させていただきます」

 この日より、和国より来た陰陽師、天御門星は消息を絶った。

***

「天御門星は、まだ見つからぬのか?」

 星との連絡がとれなくなって、すでに三日が経っている。
 後宮内で雷烈に封印術をほどこし、雷烈が少しの間休んでいた間にいなくなったのだ。
 後宮内で行方知れずとなったことで、和国からわざわざ呼び寄せた陰陽師でさえ敵わぬ妖が後宮には潜んでいるのだと噂になっている。

「陛下、後宮内で宦官以外の、しかも和国の者がいればすぐに気づきます。ですが誰も見ていないということはすでに……」
「……だまれ」
「和国の陰陽師がいなくなってから陛下はほとんど休まれておりませんし、あきらめられては……」
「黙れと言っておろう! 和国から呼び寄せた客人をぞんざいに扱っては庸国の威信にかかわる。星は、陰陽師天御門星は必ず生きている。探すのだ」
「は、はい! 仰せのままに」

 雷烈のあまりの剣幕に太監は「ひぃ」と小さな叫び声をあげ、慌てて去っていった。

 庸国の若き皇帝雷烈は、和国から来た小柄な男の陰陽師に懸想けそうしている──。
 今や後宮内でも噂となっていることは雷烈も知っていた。だがそんなことはどうでもよいことだった。

(星、おまえは今どこにいるのだ。星がおらねばオレは鬼の力を抑えられぬ。何よりオレは星のことを……)

 星の正体が女であることに気づいているのは雷烈だけだ。星がなぜ男装してまで庸国にいるのか雷烈は知っているし、できるだけ協力してやりたいと思っていた。
 一方でひとりきりとなってしまった星を、このまま庸国に留めておきたいと思い始めていた。雷烈に眠る鬼の力を抑えてもらいたいためであったが、星の前でだけはすべてをさらけ出せることを雷烈自身も自覚していた。
 愛されることに慣れてない少女が時折見せる笑顔、雷烈の裸を見てしまった時に見せる恥ずかしそうな表情、封印術を操るときの凛々しい顔……。
 星の何もかもが雷烈は愛おしい。

(とっくに気づいていたさ。星がオレにとって大切な存在となっていることに。だが兄の仇を討ちたいという星の思いを無視するわけにはいかなかった)

 星がいなくなってしまったことで、星への狂おしいほどの恋情が芽生えていることを雷烈は自覚してしまった。もはや思いは止められそうもない。

(星、必ずおまえを見つけ出す。待っていろ)

 ***

 星は夢を見ていた。双子の兄である優が生きていた頃のことを。
 閉ざされた館を出ることは許されず、書物と夜空に輝く星々だけが星の慰めだった。
 母は亡くなり父からは見放され、兄の優だけが星のすべてだった。
 優が星を守って死んでしまったことで、この世界に絶望した。兄の仇を討ったら、自分も天に召されよう。星にとってこの世には何の未練もなかったのだ。
 ところが庸国の皇帝雷烈は、星の孤独をすべて受け入れてくれた。「ありがとう」と感謝の言葉を伝えてくれる。雷烈と共にいると、絶望が未来への希望にぬりかえらえていく。できることならずっとそばにいて、雷烈を支えていきたい。

(雷烈様を守れるなら、私は何があっても怖くはないわ)

 雷烈を守りたい一心で、栄貴妃に黙って捕らえられた星。嫉妬にかられた栄貴妃が、自分にどんなことをするのか考えるだけで恐ろしい。それでも星は、雷烈の負担になりたくなかった。

「雷烈様……」

 かすかな光にすがるように、星は雷烈の名を呼んだ。
 会いたい。あの方に。せめてあと一度だけでも──。

「わたくしの前で、陛下の名を呼ぶとは、なんて無礼な『女』なのでしょう」

 栄貴妃の冷たい声が、星の意識を喚び醒ます。
 
「おや。ようやく目を覚ましたのね。さぁ、もう一度始めましょうか。今度は何をしてほしい? 水の桶に顔をうずめる? 女官に頬を叩かせるのも楽しいわね」
「…………」

 星を捕らえた栄貴妃は、自らの宮殿に連れ帰ると、嬉々として星を虐め始めた。星を守るために、雷烈が栄貴妃を怒鳴ったのが許せなかったのだろう。
 なぶられるうちに衣がはだけ、星が女であったことが栄貴妃に知られてしまった。

「あら、あなた。女人であったの? ふぅん、そう……」

 星が女だと知ると、栄貴妃は星の顔をやたらと叩かせるようになった。頬が腫れ、口の中が切れて血がでても、星はうめき声をあげることなく我慢した。

「叫んで許しを乞えばいいのに。許すつもりはないけれど」

 三日間もの間、星は栄貴妃の仕打ちに耐え抜いた。泣いて詫びでも、栄貴妃は星をさらに攻撃するとわかっていたからだ。

「泣き叫ぶと思っていたのに、つまらないわねぇ。そろそろ捨てようかしら」

 なぶるおもちゃに飽きたら、栄貴妃は星を解放するだろう。その時を、星はずっと待っていた。ようやくその機会が来たようだ。

「な~んて。そんなこと言うと思ったぁ?」

 栄貴妃は星の顔をのぞきこみ、にたりと笑った。上品な貴妃の表情とは思えない。

「おまえ、まだ気づかないの? わたくしがなぜおまえを捕らえたのか。ただ虐めて楽しむつもりではないのよ?」

 星には意味がわからなかった。栄貴妃は何を言おうとしているのだろう。

「うふふふ。『人間』というのは本当に愚かよねぇ。復讐するつもりでここまで来たのに、すっかり忘れて陛下に夢中なのだから。愚かにもほどがある。滑稽で笑えてくるぞぉ」

 鈴のように軽やかな栄貴妃の声は、野太い男の声へと変わっていく。
 驚く星の前で、栄貴妃の背後に凶悪な気配が現れ始める。

「これは、この気配は……!」

 この気配に覚えがある。大好きだった優を殺した憎き、鬼。
 栄貴妃はかくりと倒れ、代わりに恐ろしい形相をした鬼が目の前に現れる。
 高貴な妃のひとりである栄貴妃に、鬼が憑いていたのだ。

「天御門家を襲い、優を殺した鬼だな!」
「ようやく気づきおったか。和国から庸国へ逃げて、後宮へと隠れた。この女はな、嫉妬と妬みで心が荒んでいた。ゆえに容易に憑りつくことができたわ」
「では後宮に現れる妖というのは」
「そうさ、他の妃から気力や霊力を奪い取るためだ」

 栄貴妃に鬼が憑りついていると気づいていたら、あっさり捕まったりしなかった。

「後宮の妃たちに、妖除けに強い香を使うといいと教えたおかげで、俺様が栄貴妃に憑いていると誰も気づかなかった。陰陽師であるおまえでさえもな。実に愉快だったぞ」
「おまえのせいで優は……絶対に許さないっ!」
「どう許さぬのだ? 囚われの身で」

 星の手を縄できつく縛ってあるのは、星が印を結べないようにするためだったのだ。今更ながら、自分の浅はかさに泣きたくなってくる。仇を討つために庸国まで来たというのに、まんまと騙されてしまうなんて。

「しばし楽しませてもらったが、そろそろ終幕としよう。おまえには死んでもらうぞ」

 鬼の手が星の細い首に迫る。囚われていては逃げることはできない。だがせめて何か反撃したい。
 星はありったけの力を込めて鬼に頭突きした。不意打ちだったためか、敵の鼻に的中したようだ。鬼は痛みでうめいている。

「おのれ、よくも!」

 怒った鬼は星の衣を掴み、ぐいっと持ち上げた。すると衣の中にしまっておいた霊符が、ひらりと落ちてきた。
 雷烈の鬼の力の一部を封印した、大切な霊符だ。
 鬼の手からすばやく逃れ、四つん這いとなった星は落ちた霊符を口と歯で噛んで拾い、唇でしっかりとはさんだ。

(印が結べなくても、やってみせる!)

 雷烈の鬼の力を感じながら、星は心の中で呪文を唱え始める。

(封印術天の印・解!)

 霊符が輝き始めたかと思うと、星のくちびるから宙に舞い、白い鳥の形へと変化していく。霊符の鳥は、縄で縛られた星の手にむかって勢いよく飛んでくる。
 霊符の鳥はくちばしの先で、縄を切った。すべて切れたわけではないが、手が動かせるようになれば印は結べる。

「封印術・星の印!」

 五芒星が宙に浮かびあがり、光を放って鬼へ向かって飛び、鬼の体に貼りついた。じゅう、と肌が焼ける音がして、鬼の体の中へと押し入っていく。

「ぎゃああっ!」

 完全に優位に立っていた鬼は油断しており、星の突然の猛攻になす術なくわめいた。

「おのれぇぇぇ」

 星は必死に鬼を封印しようとしたが、三日間食事をろくに与えられず痛めつけられた体では、これが限界だった。すでに立っているのがやっとの状態なのだ。

(せめて鬼を道連れにしてやる。雷烈様、最後に一目お会いしたかった……)

 覚悟を決めた星は、再び印を結ぼうと手を動かし始めた。
 呪文を唱えようとした、その時。

「星、そこか。そこにいるのか!」

 剣を手にした雷烈が、突如飛び込んできたのだ。

「雷烈様!? なぜここが」
「おまえ、オレの力を封印した霊符を使ったろう? あれでわかった。星が封印術を使ったのだと」

 雷烈を呼んだつもりはなかったが、結果的に雷烈に居場所を知らせる形となったのだ。霊符の力を感じた瞬間に、すべてをかなぐり捨てて走ってきたのだろう。

「あれが星の兄と、我が庸国の後宮を陥れた鬼か。皇帝雷烈の名にかけて、きさまを成敗してくれよう!」

 雷烈が剣を構え、鬼に向かって切り込んでいく。
 星も雷烈を助けるため、残った力で封印術を発動させる。
 雷烈が剣をふりあげた瞬間を見計らい、呪文を唱えた。

「封印術星の印・封!」

 五芒星が鬼の力を抑え込み、動けなくなったところを、雷烈が剣で一刀両断で切り倒した。

「ぎゃあああ!!」

 断末魔の叫び声をあげながら、鬼が倒されるのを、星と雷烈は見届けることができた。悪鬼は塵となり、完全に消滅していった。

「やった……やったわ、優」
 
 力を使い果たした星は、その場でふらりと倒れてしまった。

「星っ!」

 咄嗟に星を抱きかかえたのは雷烈だった。

「しっかりしろ、星!」
「雷烈様……」

 最後に一目会いたかった雷烈様が、目の前にいる。それだけで十分だった。

「雷烈様、星はあなた様をお慕いしております……。私は優が待つ天へと……」
「ダメだ、死ぬのは許さぬ。星、オレはおまえが好きだ。永遠にオレのそばにいてくれ」
「ですが私はもう……」
「星は死なぬ。オレが死なせるものか!」

 雷烈は星の頬にふれ、自分のほうへ顔をあげさせると、そのまま深く口づけした。
 雷烈に眠る鬼の力が、くちびるを通して星の中へと霊力を流し込んでいく。
 冷え切っていた星の体が少しずつ温かくなり、鼓動も力強く打ち始めた。

「星はオレのものだ。勝手に死ぬなど許さぬからな」

 星からくちびるを離した雷烈が、星の温もりを確かめるように、しっかりと抱きしめた。

「雷烈様……すき……」
「オレもだ。星を愛している」

 心から慕う人に抱かれる喜びを感じながら、星の意識は少しずつ遠くなっていった。

***

「和国への船が出発するぞ~!」

 澄み渡る青空の下、天御門星は和国へ出立する船へと乗り込んでいた。
 星は庸国を離れ、和国へと帰るのだ。

 優の仇である鬼を、雷烈と共に倒した星。
 雷烈は倒れた星を抱きしめ、口づけして霊力を流し込むことで、星の命を救った。

「オレは星が好きだ」

 雷烈は確かに星に愛を告げた。星もまた自分の思いを告白した。

「雷烈様、思い出をありがとうございます。私は和国へ帰ります……」

 星は悩み苦しんだ末に、雷烈から離れる道を選んだ。
 目的であった兄の仇も討てたことも大きい。

「雷烈様は大国を統べる皇帝陛下。私は和国出身の陰陽師。身分も立場も国も。何もかも違いすぎるもの」

 雷烈の器の大きさと、皇帝としての才覚を知るたび、星は雷烈に強く惹かれていった。
 だが同時に、自分とあまりに違いすぎることに戸惑いを感じていた。
 鬼の力を封印するため、封印術を操る星を雷烈が必要としているのはわかっている。それは女としてではなく、あくまで陰陽師としてということも。
 雷烈のことを好きになればなるほど、自分の中にある女のしての恥じらいや戸惑い、かすかな嫉妬心が星を苦しめる。
 鬼に憑りつかれていた栄貴妃は、自らの罪を償うため髪を切り落とし、神に仕える身となった。
 彼女もまた、皇帝である雷烈に振り向いてもらえないことで嫉妬と不安に苦しみ、闇に堕ちてしまったのだ。憑かれた鬼のせいとはいえ、他の妃を苦しめたことは許されることではない。
 雷烈も栄貴妃の苦しみを理解したので、自ら罪を償う道を選ばせてやった。
 しかし後宮には、他にも妃がいる。大国の皇帝として、それは当然のことであることを星もよくわかっていた。後宮の婚姻は政略結婚も多く、皇帝であってもすべてを拒否することはできないからだ。

「私は陰陽師だもの。お妃様になんてなれない……」

 陰陽師として、雷烈をずっと支えたいと思う。けれど、星は妃ではない。大好きな人が他の女性の元へ行くのを黙って見ていなくてはいけない。

「鬼の力を封印する霊符をたくさん作って置いていきました。どうかそれでご容赦くださいね」

 星は雷烈に心の中で別れを告げながら、船の中へと入っていこうとした。

「星、どこだ!? どこにいる!」

 その声を聞いた瞬間、星の心はどくんと跳ねた。誰なのかと聞かずとも、すぐにわかる。
 星の帰国を察知した雷烈が、馬に乗って駆けつけたのだ。

「星、オレのそばにいろと言ったはずだ」

 星は何も答えなかった。静かに気配を消す。

「星、どこにも行くな。オレはおまえを愛している」

 船の近くで突然始まった求愛騒動に、船に乗った者たちもざわつき始めている。

「星を一目見た瞬間、おまえがオレの運命の相手だと気づいたよ。一目惚れだったのだ」

 愛の告白を聞いた船上の者たちが、ぴゅうと口笛を鳴らしたり、顔を赤くしたりして、様子を見守っている。

「星が何者でもかまわない。オレのところへ戻ってこい。必ず星を守るから」

 気づけば星の目から、とめどなく涙が流れていた。それは歓喜の涙だった。
 雷烈のそばにいられないと勝手に決めた意気地なしの星に対し、雷烈はまっすぐに自分の思いを星にぶつけてくる。
 だれが見ていようとかまわず、愛の言葉を告げる雷烈の姿に、星はどうしようもなく惹かれてしまう。

「雷烈様、でも、わたし……」

 彼の元へ行きたい。けれど私はこんなにも弱虫だ。
 声を殺して泣く星の髪を撫でる、優しい手があった。
 驚いて顔をあげると、明るい陽射しの中に、双子の兄である優の姿があった。優しく微笑みながら、星を見つめている。

「優、どうして……」

 陽光に透き通る優の体は、彼がこの世のものではないことを星に伝えている。それでも妹のために、ここに来てくれた。

『星、君は強い子だと言ったろう。僕はいつまでも星を守ってあげられない。さぁ、勇気をだすんだ』

 いつだって星の幸せを願ってくれた兄の思い。膝を抱えて泣いていても、何も変えられないことを星はよくわかっている。

「優、わたし、幸せになってもいいの? 幸せを願ってもいいの?」
『もちろん。誰だって幸せになっていいんだよ。さぁ、立ち上がって彼の元へ行け』

 ゆっくり立ち上がると、雷烈の姿が見える場所へと歩いていく。
 すると優に背中を押された気がした。

『星、幸せにおなり。大好きな僕の妹……』

 優の体は陽の光の中に煌めくように消えていき、やがて天へと昇って行った。

「優、ありがとう。私、勇気をだすよ。精一杯頑張ってみるね」

 大好きだった兄と今度こそ本当のお別れになった痛みを胸に抱えながら、星は雷烈に向かって駆け出した。

「雷烈様!」
「星っ!」

 船上から雷烈の姿を見た星は、あふれる思いを抑えきれず、ひらりと船を飛び降りた。
 天空に舞う白い鳥のように、雷烈の腕の中へと飛び込んでいく。
 舞い落ちる星をしっかりと抱き止めた雷烈は、豪快に笑った。

「船から飛び降りるとは、さすがは星だ」
「だって。雷烈様が私を呼ぶから」
「ああ、そうだ。オレが呼んだのだ。おまえを迎えにきたのだから」
「雷烈様、あなたのそばにいてもいいですか? 共に生きても」

 そこまで言ったところで、雷烈の人差し指にそっと言葉を止められた。

「そこから先はオレに言わせてくれ。星よ、共に生きてほしい。苦難があっても必ず星を守ると誓うから」
「私も誓います。何があっても雷烈様と共にいると」

 二人の間にもう言葉はいらなかった。もう二度と離れるものかと、しかと抱き合う。

 星が乗っていた船上からは、若い二人の門出を祝うように歓声と拍手の音が響き渡る。
 小柄な少女を抱いている男が、庸国の皇帝だと知りもせず。
 人々の歓声に応えるように、雷烈が笑顔で手を振っている。

「雷烈様、ちょっと恥ずかしいです……」
「いいではないか。この日を忘れないように生きていこう」
「はい……!」

 和国より海を渡りて陰陽師来たり。
 兄の姿を借り男となるが、皇帝に愛され女人の姿に戻りて、妃となる──。
 大国として長く繁栄した庸国に語り継がれる、古き伝説である。

 了

#創作大賞2023

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