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「男装陰陽師と鬼皇帝の秘め恋」第1話

【あらすじ】
和国の陰陽師である天御門星あまみかど せいは海を越えて庸国へ来た。謁見した瞬間、皇帝に鬼の気配を感じた星は驚く。兄の敵討ちのため男装して星は庸国にきたのだ。後宮に現れるあやかしを退治するよう命じられた星は、後宮に入るため皇帝雷烈と行動を共にする。二人になると雷烈は星の正体に気づき、咄嗟に星は雷烈は鬼だと指摘。雷烈はにやりと笑い「おまえを待っていた」と言う。雷烈は鬼の血を引いており、鬼の力を星に封じてもらうことが真の目的だったのだ。目的のため協力することになった星と雷烈。助け合ううちに二人は惹かれあうが、後宮には大きな秘密が隠されていた。

【本文】
 和国わこくより海を渡りて陰陽師おんみょうじ来たり。
 その者、大国庸国の若き皇帝雷烈に謁見する──。

「陰陽師天御門 星あまみかど せいよ。はるばるよく来てくれた。わたしが庸国の皇帝雷烈らいれつだ。そなたには後宮に現れるあやかしを退治してほしい」
「は、はい。精一杯務めさせていただき、ます」

 初めての謁見えっけんに緊張しながら、せいはどうにか挨拶することができた。

「まだ庸国ようこくの言葉に慣れておらぬのだな。かまわぬ。おもてをあげよ」

 必死に学んだ庸国の言葉であったが、ぎこちなさが残ってしまうようだ。恥ずかしさで体が熱くなるのを感じながら、星はゆっくりと顔をあげた。
 庸国皇帝の姿を見て、『気配を感じた』瞬間。
 星は悲鳴を上げそうになってしまった。どうにか耐えることができたが、すぐに手で口を塞がなかったら絶叫していただろう。
 若き皇帝が見惚れるほど美しい容姿をしていたからではない。

(この方は、庸国の皇帝陛下は……)

 心の声と体の震えまでは抑えられなかった。

(この気配は鬼だ。庸国の皇帝は鬼、なの……?)

 皇帝陛下のご尊顔を長く見つめるのは無礼であることも忘れ、星は雷烈から目をそらすことができない。
 目を瞬かせる星の様子をじっくりと眺めながら、雷烈は満足そうに微笑えんだ。

「そなたが来るのを待ちわびていたぞ。ようやく会えたな」

 若き皇帝の声を聞くと、体が熱を帯びるのを感じる。それだけ力の強い鬼ということなのだろうか。

(たとえ皇帝が鬼であったとしても。『私』は逃げるわけにはいかない。兄のかたきを討たなくては)

 和国より海を渡ってやってきた小柄な陰陽師。
 その正体は、亡き双子の兄の力を受け継いだ少女であった。

***

 海に浮かぶ島国である和国には、数々の陰陽師たちが存在している。
 陰陽師はそれぞれが得意とする術で流派が分かれており、除霊や祓い術に長けた一族、交霊術に優れた一族、占いを生業とする一族、神寄せをする一族などがある。
 天御門あまみかど家は、優れた封印術を施すことでその名を知られていた。
 天御門家当主の家に待望の跡継ぎが生まれたのは、真夜中のことだった。
 数日間の難産の末に生まれた子は、男女の双子。双子は天御門家一門にとって不吉の象徴である。

「天御門家に双子はいらぬ。妹のほうを……消せ」

 天御門家当主は自らの娘を死なせるという非情な決断をした。
 誰ひとり反対できぬ中で、双子を産んだ母だけは夫である当主の足元にすがりついた。

「わたくしはまもなく天に召されます。あなたの妻を哀れと思うならば、どうか娘を生かしてくださいませ」

 最後の言葉を遺し、母は静かに息を引き取った。
 妻の遺言を無視できなかった天御門家当主は、双子の妹を別宅で秘かに育てることとした。情が移っては困るからか、娘に名前さえつけてやらずに。
 一方双子の兄は、「ゆう」という名を与えられ、天御門の跡継ぎとして大切に育てられていった。

***

せい、また夜空を見ているのかい?」
「まぁ、兄様。来てくださったのですか?」

 星は夜の空を眺めるのが好きな娘だった。いつも星々ほしぼしばかり見ているので、兄の優が「せい」と呼ぶようになったほど。

「兄様って呼ぶのは止めておくれ。僕と星は双子なんだから。二人きりのときは、名前で呼ぶ約束だろう」
「そうだったわ、ゆう。でもね、時には『兄様』って呼ばせてほしいな」

 父と母の愛を知らずに生きてきた星にとって、甘えられるのは双子の兄である優だけだ。優も妹が愛情を欲しがっていることを誰より知っていた。

「いいよ。兄様って呼んでも」
「ありがとう。お空にいらっしゃるお母様に毎日語りかけているのよ」

 秘かに育てられた星は、時折訪ねてくる兄の優だけが世界のすべてだった。
 双子の兄の優は妹を慈しみ、陰陽師の知識や術を教え、土産として書物や菓子を運んでくれた。
 
「星は覚えるのが早いなぁ。僕より優秀だよ」
「優が教えるのが上手いのよ」
「おだてても今日の書物はこれだけだぞ」
「わぁ、ありがとう。これってよう国の本?」
「そうだよ。海の向こうにある庸国はとても大きい国だそうだ。いつか行ってみたい。庸国なら、僕も星も気がねなく暮らせると思うし」
「私も行ってみたい……。優と一緒にどこまでも駆け回りたいわ」

 いつか海の向こうに行けることを夢見て、優と星は庸国の言葉を学んだ。天御門家の跡継ぎになる優には叶うはずもない夢だったが、庸国に憧れることが兄妹の希望だったのだ。
 閉ざされた館の中だけが星の生きる場所だったが、優がいてくれれば生きていける。いつかきっと優と共に庸国へ。
 星のささやかな夢と希望は、鬼の襲撃によって壊されてしまう。
 天御門家の本宅が鬼に襲われたのである。突然の来襲に、なす術なく当主は殺されてしまった。優はどうにか反撃したものの、正式な跡継ぎになっていなかった優には防御するのが精一杯だった。

「兄様!」
「星? どうしてここへ」
「優が危ないって空の星々が教えてくれたの。優、一緒に逃げましょう」
「だめだ、星。危ないっ!」

 強い風にあおられたと思った瞬間。星の前に飛び込んだ優が苦しそうに顔をゆがめ、ごぼりと吐血とけつした。鬼が投げた刀が優の体を貫いてしまった。鬼が妹を狙っていると気づき、咄嗟に星を守ったのだ。

「優っ!!」

 たったひとりの兄を助けるために、掟を破って館を飛び出してきたのに、逆に守られてしまうだなんて。

「優、しっかりして!」

 かくりと倒れてしまった兄をどうにか助け起こそうとしたが、優の体からは血がとめどなくあふれてくる。動かせばさらに出血してしまうだろう。

「ああ、どうしたら……」

 優を助けたいのに、その方法がわからない。涙だけ流れてくる。泣いたってどうにもならないのに。

「星、僕はもうダメだ。君だけでも生きてくれ……」
「いやよ。優が、兄様がいなくなったら私は生きていけない」
「星は強い子だ。兄様はよく知ってる。さぁ、手をだして……」

 言われるまま優に手を差し出すと、優は妹の小さな白い手をぎゅっと握りしめた。
 
「封印術天の印・解」

 優の手から星へ、あふれるほどの熱と愛情が力となって流れてくる。体に力がみなぎるのを感じる。

「僕の力を君にあげる。和国以外の国で幸せになれ……」
「いやよ。私と優のふたりで庸国へ行こうって」
「僕はもういけない。僕は空の星となって、母様と一緒に君をまもり……」

 星の手を握っていた優の手が、力なくすべり落ちていく。地に落ちた手と、優の体はピクリとも動かなくなった。

「優? ねぇ、返事をして。ねぇってば」

 どれだけ体をゆすってみても、兄は微動だにしない。口元に顔を寄せてみたが、吐息も途切れている。息をしない体が何を意味するのか、世間知らずな星でも理解できてしまう。
 ただひとり、自分を愛してくれた双子の兄は天に召されてしまったのだと。

「いやよ……。いや~~っっ!!」

 たったひとり生き残った星。
 半身を失った悲しみと絶望が、星の体を支配していく。
 激しい慟哭どうこくと共に、自分の力が一気に解放されていくのを感じたが、止めることはできなかった。

 その後のことは、星はほとんど覚えていない。
 兄の力を受け継ぎ、陰陽師として目覚めた星の力の暴走により、鬼が逃げていったと救助に来た別の陰陽師たちから聞いた。陰陽師たちに追われた鬼は、海を渡っていったらしい。
 生きる希望を失い、力なくうずくまっていた星だったが、やがてゆっくりと顔をあげた。

「兄様……敵を討つ……それができるのは私だけ、だわ」

 哀れな少女の悲しき決意だった。
 和国では女の陰陽師は跡を継ぐことができないため、どのみち生きる場所はない。ならばわずかな可能性を求めて、庸国へ行こう。兄の敵もおそらく庸国にいる。
 ほどなくして、庸国の皇帝が天御門家の陰陽師を求めていると知り、星はその報せに飛びついた。女ひとりが海を渡るのは危険すぎるため、男の姿に、兄の優の姿となって。

「私、今日から男になるわね。天から私を見守っていて、兄様」

 兄の敵を討つ。
 それがひとりぼっちになった星の、かすかに残った希望であり、生きる意味だった。

***

天御門 星あまみかど せいよ。そなたにはわたしと共に行動してほしい」
「な、なぜでございますか……?」

 不敬ふけいとわかっていたが、思わず聞き返してしまった。

(皇帝陛下と一緒に行動するなんてとんでもないわ。しかも鬼の気配がする方なのに)

あやかしを退治してもらうため、そなたに後宮を調べてもらいたいのだが、後宮は皇帝以外の男は入れぬ場所でな。だが中に入らなくては調査しようもない。ゆえに皇帝であるわたしと共にいる時だけ後宮に入るという形をとってほしいのだ」

 数多の妃がいる後宮に入れるのは、妃たちを世話する宮女や宦官かんがんだけだ。宦官とは男であることを捨てた者たち。和国出身の星には馴染みがないが、書物の知識で知っていた。
 皇帝が招いた星を宦官にするわけにもいかない。妃たちの名節めいせつを守るためには仕方ないということなのだろう。

「わかりました。御一緒させていただきます」

(私は男ということになってるものね。しかたないわ)

 皇帝陛下のずっと後ろに付き従い、離れた形で共に行動するだけだろう。
 できるだけ前向きに考えようとした星だったが、事はそれほど単純な話ではなかった。

「し、寝所も陛下と御一緒なの、ですか?」

 皇帝の寝所の片隅に、星のため用意された寝台がちょこんと鎮座している。
 よもや寝る場所まで皇帝と共に過ごすことになろうとは。想像もしていない事態だ。

「当然だ。後宮に妖が現れるならば、第一に守らなくてはいけないのは誰だ?」
「庸国を統べる陛下かと思います」
「だろう? だからそなたに守ってほしいのだ。期待しているぞ、天御門星よ」
「は、はい」

 言葉巧みに丸め込まれた気がしなくもないが、相手が庸国の皇帝とあっては逆らうのは得策ではない気がした。
 皇帝を世話する太監たいかんが去ると、星は皇帝雷烈と二人きりとなってしまった。
 さすがにこれは気まずい。おそれ多くも皇帝陛下と世間話をするわけにもいかない。

「失礼ではございますが、お妃様のところへはいかれないのですか?」

 せめて着替えだけは陛下の目のふれないところですませたい。だから皇帝には妃のところへいってほしい。うまくいけば、寝るのも別にできるはずだ。

「いかぬな」

 あっさりと否定されてしまった。
 皇帝ともなれば、数多くの妃のところへ通い、子を成すのも大切な務めのはずなのに。

(お妃様のところへいきたくない理由でもあるの?)

 なにか訳があったとしても、さすがにそれ以上は聞けなかった。

「なんだ、その顔は? わたしと共に休むことに不都合でもあるのか?」
「い、いえ。とんでもございません」

(着替えは隙をみて手早くすませよう。陛下には朝議ちょうぎがあるから、ずっと一緒ではないはず)

 心の中で段取りを考えていた時だった。
 背後に人の気配を感じた。驚いて振り返ると、端整な顔立ちをした雷烈がそこに立っていた。星をじっと見つめている。
 どうかされたのですか? と聞こうとした瞬間。
 雷烈は両手をひろげ、星を強引に抱き寄せたのである。

(え……?)

 何が起きているのか、星はすぐには理解できなかった。
 呆然としている星の首元に顔をうずめ、くんくんと犬のように雷烈は匂いを嗅ぎ始めたのだ。

(もしかして雷烈皇帝って、男が好きなの!?)

 考えたくもない事実だが、そうとしか思えなかった。

「お戯れはおやめください。わたくしは男です。その気もございません!」

 自分の身を守るためには、雷烈に手を離してもらうしかない。星はあらん限りの力で、じたばたと体を動かした。
 すると雷烈は星の首元から顔をあげ、にやりと笑ったのである。

「女の匂いだ。男と偽り入国したか。皇帝をだますとは、いい度胸をしている」

 雷烈は気づいてしまったのだ。星が女であることを。

「わ、わたくしは男だと、申し上げております」

(体を見られたわけではないから、まだごまかせる!)

 震えた声で、星は必死に自分は男だと告げた。

「オレは鼻が利く。暗殺者どもが女装したり、毒を盛られたりするから、匂いには人一倍敏感になった。そんなオレの鼻をごまかせるとでも? なんならこの場で裸にしてもよいのだぞ?」

 衣を剝がされたら、女であることは一目瞭然となってしまう。はずかしめをうける自分の姿を想像し、カッとなった星は皇帝に向かって叫んでしまった。

「陛下こそ、鬼ではありませんか!」 

 雷烈の顔から笑みが消えた。冷ややかな眼差しで、星を見下ろしている。

(し、しまった。つい……)

 目の前の人が鬼であったとしても、雷烈は皇帝陛下なのだ。逆らえば刑罰は免れない。

「鬼の気配に気づいておったか。嬉しいぞ。ようやくオレのことをわかる者が現れた」

 極刑を言い渡されると思ったのに、雷烈は嬉々とした表情をしている。星には意味がわからなかった。

「天御門星よ。オレは鬼ではない。だが鬼の血を引いている」

 腕の中から星を解放した雷烈は、ゆっくりと立ち上がりながら言った。

「オレを産んだ母が鬼だったのだ。和国から流れてきた女の鬼であったそうだ。父である前皇帝からそのように聞いた」
「和国から流れた鬼……」

 和国の陰陽師に追われ、庸国に逃げのびた鬼が以前にもいたのかもしれない。陰陽師のひとりとして理解できなくはないが、頭の中が混乱していて、思考が追いつかない。
 頭を抱える星を見た雷烈は、やれやれといった様子で身をかがめ、星に優しく語りかける。

「天御門家は封印術が優れていると聞く。その力でオレの鬼の力を封じてもらいたいのだ。誰にも知られることなく。そのためにおまえをここに呼んだ。逆らえばどうなるか……わかっているな?」

 雷列に鬼の気配がすることを、庸国の者は誰も知らない。知っていたら、鬼の血を引く者が皇帝になれるはずがないのだから。
 星と二人きりとなることで、星が女であることを指摘して弱みを掴み、自分の要求に従わせる。逆らえば処刑されても文句はいえない。

「代わりにおまえの正体は誰にも明かさぬと約束しよう。おそらくは何かしらの目的があっての男装だろうから、協力してやってもよいぞ」

 交換条件ということだろうか。もはや星には拒否することなどできそうもなかった。

「お、仰せのままに。陛下……」
「オレと二人きりの時は、堅苦しい言葉はなくてよい。これから頼むぞ、星」

 満足そうに笑う雷烈を見上げながら、星は今後の未来に不安しか感じられなかった。

***

「私が女だと、いつ気づかれたのですか?」

 ようやく気持ちが落ち着き始めた星は、なぜ自分の正体がわかってしまったのか雷烈に聞いてみた。船に乗り込み、和国を出発してからずっと、誰にも女だと気づかれなかったのだ。

「最初の謁見えっけんの時だ。かすかだが、女の匂いを感じた。だが違和感もあった。男の匂いも交じっていたからな」

 ということは、最初の出会いから星が女であると感じていたことになる。どんな嗅覚をしているのか。まるで獣のようだ。

「男の匂いも交じっているとおっしゃいましたが、それはどういう意味でしょう?」

 男の姿をしてはいたし、動きも兄をまねるようにしていたが、さすがに匂いまでは真似できなかったと思う。

「おまえの中に、男の気配を感じるのだ。星に似ているから血縁者だと思うが、違うか?」

 驚いたことに雷烈は、双子の兄である優の力が星の中に宿っていることまで感じていたのだ。

「それは私の双子の兄です。兄の優は私を鬼から守り、陰陽師としての力を私に託して亡くなりました……」
「ではその兄の力が、おまえを守っていてくれたのだろう。他の者から見た星が女と気づかれないようにな」

 そうかもしれない、と星は思った。
 優はいつだって妹の星を守ってくれていた。そして天御門家の陰陽師として優秀だった。優のおかげで、星は誰にも正体を悟られなかったのだろう。
 残念ながら、鬼の血を引くという雷烈皇帝にだけは通用しなかったようだが。

「ありがとう、優……」

 天に召されても妹を守ってくれる兄の愛を感じ、星は泣いてしまいそうだ。

「男装してまで庸国に来たのは、その兄の死が関連しているということか?」

 涙がにじんだ目を拭い、星は慌てて顔をあげた。

「はい。兄の仇である鬼が庸国に逃げていったと聞きましたので」
「兄の仇を討ちたいわけか。よかろう、その仇討ちはオレも協力してやる。その代わり、オレの願いも忘れるな」

 優の愛情を感じ、涙ぐんでいた星であったが、雷烈の言葉で現実へと引き戻されてしまった。

(そうだわ。陛下に眠る鬼の力を封印しなくてはいけないのだった)

「お聞きしたいのですが、これまでは鬼の力は発動しなかったのですか?」
「お気楽だった末っ子皇子時代はな。皇帝なんてなるはずもないと、オレも周囲も思っていたから。だが様々な事情が重なり、オレは皇帝となってしまった。その頃からだ。自分の中に鬼の力が眠っていて、皇帝となったことで目覚め始めたのを」

 大国を統べる皇帝となったことで自身を奮起させた結果、鬼であった母親から受け継いだ鬼の力が覚醒してしまったのだろう。
 星は陰陽師として、そのように判断した。

「おそれながら、陛下の中にいかほどの鬼の力があるのか、視させていただきたいのですが」
「ああ、かまわんぞ」
「失礼いたします」

 雷烈にできるだけ近づき、星は両手をかざして目を閉じた。息を整え、全神経を集中する。優に託された知識と術を用いて、目の前にいる皇帝を霊視していく。

(これは……なんて力なの!?)

 陰陽師としてはまだ経験が浅い身ではあったが、そんな星でもすぐに感じとれるほど、雷烈に眠る鬼の力は強いものだった。圧倒的な精気と霊力。加えて父が皇帝であったからか、神気さえ感じられる気がした。
 必死に霊視しながら、雷烈が放つ霊力に星は引きずりこまれていった。
 星の意識の中に、美しい姿をした女人の姿が見えた。その隣には立派な身なりをした男性が連れ添っている。とろけるほど幸せそうに微笑む女人は人間ではない、と星はすぐに察知した。

(ひょっとして、この女性が陛下のお母様? では隣におられる方は)

 鬼であったという雷烈の母親は、庸国の前皇帝を誘惑してたぶらかし、関係をもったのではないかと星は思っていた。
 だが星の意識の中に見える雷烈の母と父は、このうえないほど幸福な様子だった。たぶらかされた関係とは、とても思えない。

(ひょっとして御二人は純愛だったのかも……)

 二人の愛が本物だったのではないかと思った瞬間。星の意識に見える雷烈の母、鬼の女が星に顔を向け、静かに頭を下げたのである。
 まるで「わたくしの息子をお願い致します」とでも告げているかのように。
 驚いた星は目を開けてしまい、二人の姿は視えなくなってしまった。

「どうした? ずいぶんと驚いた表情をしているが」

 星は乱れた息を整えながら、雷烈に視線を向けた。

「霊視の中で、陛下のお父様とお母様のお姿が視えました」
「そこまでわかるのか? たいしたものだな、星の力は」

「視えた」というより、「視させられた」が正解だろう。それほど雷烈の中に眠る鬼の力は強い。

「おそらく陛下のお母様は、かなり力の強い鬼だったのだと思います。そのため和国を追われたのかもしれませんが、恐ろしい方のようには思えませんでした」

 鬼というものは人間を獲物としか思っていない、極悪非道な存在だと星は思っていた。兄の優を殺した鬼のように。
 しかし極悪ではない鬼もいるのかもしれない。

「そうであろうな。母の正体があやかしとわかっていても、深く愛していたと父は話してくれた。名家の出身ではないため、身分は下級の妃のままだったが、母が後宮にいてくれただけでも十分幸せだったとな。すでに母も父もこの世におらぬが、二人は確かに愛し合っていたと思っている」

 身分も立場も、種族さえも乗り越えて愛し合った二人から生まれたのが、目の前にいる雷烈皇帝なのだ。圧倒的な精気と霊力を有するのは当然のように思えた。

「それではなぜ、鬼の力を封印したいのですか? 大切に思ってらっしゃるのでしょう? お母様のことを」

 鬼の力を封印するのは簡単なことではない。なぜ鬼の力を封じたいのか、理由を聞かなくては星も術を使えないと思った。

「この庸国という国と民の安寧を守るためだ。父である前皇帝に託されたのだ。『庸国を、民を頼む』と。鬼の力でもって民を束ねるのではなく、人として民を幸せにしてやりたいのだ。そのためにはオレの中の鬼の力が、これ以上目覚めるのは困る」

 すべては国と民の平和のため。
 若き皇帝ではあったが、統治者としての雷烈の覚悟と才覚を感じ、星の体はかすかに震えていた。

(心して臨まなければ、鬼の力を封印できないかもしれない。それでもやる。やってみせるわ)

 心を決めた星は、姿勢を正して雷烈を見すえた。

「私がもつ全ての力を用いて、これより陛下に封印術をかけさせていただきます。強いお力を感じますので、陛下自身にも痛みを感じるかもしれません。それでも耐えられますか?」

 星の決意を感じたのか、雷烈はにやりと不敵な笑みを浮かべた。

「オレを誰だと思っている。どれほどの痛みであろうと耐えてみせるさ」
「わかりました。それでは始めさせていただきます」

 男装の陰陽師である星と、鬼の血を引く皇帝雷烈。
 不思議な繋がりではあったが、お互いの目的のため、二人は心をひとつにして挑むこととなった。

***

 息を整え、手で印を結ぶと、雷烈に向けて星は封印術をかけ始めた。

「封印術・天の印」

 星が呪文を唱えると、『天』の文字が光を放ちながら宙に浮かんだ。
 雷烈が少し驚いていると、宙に浮かんだ『天』の文字は雷烈の体に覆いかぶさるように貼りついた。やがて吸い込まれるように消えていったが、すぐに雷烈の体に激しい痛みが走る。

「くぅ……」

 かすかなうめき声をあげたものの、雷烈は封印の痛みに必死に耐えていた。
 鬼の力の強さを思えば、封印される際の痛みは、床に転げ回って叫びたいほどであるはずだ。だが皇帝である雷烈が叫び声をあげれば、太監や宮女たちが何事かと飛んでくることになる。そうなれば封印術どころではないし、なにより星と雷烈の正体が発覚してしまう。それだけは避けねばならない。どれだけ苦しくても、雷烈には耐えてもらわなくてはならないのだ。

(やはり想像以上に抵抗が強い……! 何度かに分けて封じなければ抑えられそうにない)

 苦しいのは雷烈だけではなかった。封印術をほどこす星もまた吹き飛ばされそうなほど強い霊力に耐えながら、懸命に術をかけ続けていた。
 星が生まれた天御門家の封印術は特殊な力なのだと、優から聞かされたことがあった。天御門家の封印術を用いれば、どれほど凶悪なあやかしも化け物も、神でさえも封じることができるのだと。ゆえにその力は跡継ぎのみに伝えられ、秘かに守られてきたのだ。
 ところが鬼の襲撃を受けたことで、天御門家の陰陽師は星だけとなってしまった。優から力を受け継いだとはいえ、完全な封印術を星は知らない。

(それでもやるわ。お願い、優。力を貸して!)

 懐から白い紙を取りだし、すばやく鳥の形に折ると、雷烈にむけて印を結ぶ。白い紙の鳥は生きたように動き出し、羽ばたきながら雷烈に向かって飛んでいく。

「天の印・封!」

 雷烈の体から『天』の文字が再び浮かび上がり、今度は白い紙の鳥に吸い込まれていく。雷烈の鬼の力の一部を吸い取った白い紙の鳥は、寝所の中でしばし飛び回っていたが、やがて霊符となって地に落ちていった。
 
「少しですが、陛下の中に眠る鬼の力の霊符に写しとることで封じさせていただきました。ですがこれで終わりではなく……」
「わかっている……。何度も封じなくては、オレの中の鬼の力は封じられないということだな……」

 全力を出し切った星と、激しい痛みに耐えた雷烈。共に息も絶え絶えといった様子だ。

「これを何度もくり返さなくてはいけませんが、耐えられますか?」
「耐えてみせるさ。どれだけ苦しくともな」

 余裕の微笑みを浮かべている雷烈であったが、体中からとめどなく汗が流れている。どれほどの痛みであったか、想像できる気がした。

「汗をかかれたので着替えをしなくてはいけませんね。誰か呼びましょうか」
「必要ない。男の陰陽師と二人きりなのに、汗だくだったら、何をしていたのか疑われるぞ」
「そ、そうですね」

 雷烈はふらつきながら立ち上がると、着ていたほうを無造作にはぎ取った。鍛え上げた雷烈の半裸身があらわとなり、汗をかいていることで、なまめかしいほどに艶めいていた。

「着替えと。ん? 星、どうしたのだ。顔が真っ赤になっているが」
「だ、だって。陛下、は、裸に……」

 皇子だった頃から多くの宮女や宦官に世話をされていた雷烈と違い、星は人の裸身を見たことがない。兄の優が自分と違う体であることは知識として知っていたが、見たことは一度もないのだ。

「星、ひょっとして男の体を見たことがないのか?」
「な、ないです。すみません、失礼いたします!」

 雷烈が男であることはもちろんわかっていたが、これまで意識したことは一度もなかった。皇帝という尊い存在、という認識でしかない。それなのにいきなりたくましい体を見せつけられ、星はすっかり混乱してしまった。
 寝所を飛び出ていくつもりが、封印術に全力を使った星の体は思った以上に疲弊していた。駆け出した瞬間、つるりと足を滑らせてしまった。

「きゃっ」

 後ろにひっくり返る形となり、頭をぶつけると思った星は頭を抱えるようにして身を縮めた。
 ところがいつまで経っても、頭に痛みを感じられない。それどころか大きな何かに体を支えられていた。
 
「星、大丈夫か?」

 気づけば星は、上半身が裸となった雷烈に抱かれていた。転ぶ寸前の星を、雷烈が咄嗟に守ってくれたのだ。

「はい、だいじょうぶ……って、えええっ!?」

 裸の雷烈の体が、自分に密着している。そのうえ、雷烈の美しい顔が星をじっと見つめている。心配してくれているのはわかるが、あまりに至近距離だった。汗ばんだ雷烈の体から強烈な男の色香を感じ、星は目まいがしそうだ。

「どうした、星。気分が悪いのか?」
「ら、らいしょうぶです。どうかお放しくだ、しゃい」

 庸国の話し方を忘れてしまうほど、星は狼狽していた。顔も体も、湯気がでそうなほど熱くなっているのを感じる。
 どうにか手を離してもらいたいのに、なぜか雷烈は星をがっしりと抱いたままだ。
 やがて雷烈は星を見つめながら微笑んだ。

「男の姿をしているから、女であることを捨てているかと思ったが、可愛らしい反応をするものだ」
「か、かわいい……?」

 一度も言われたことがない言葉だった。恥ずかしさで頭がおかしくなりそうだ。

「どれ」

 悪戯心がわいたのか、雷烈は星の顎をくいっともちあげた。

「よく見れば、顔立ちもなかなか愛らしい。男の姿も悪くはないが」

 星という少女に興味を抱いたのか、雷烈は星を離してくれそうもない。
 封印術で疲れたところに、皇帝からの突然の抱擁。転びそうになった星を救うためとわかっていても、もはや何も考えられなかった。

「星? どうした、星よ」

 皇帝陛下の呼びかけを聞きながら、星はかくりと気を失ってしまった。

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#創作大賞2023

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