戦国の夢のあと。

画像1 一の廓に高越城はあった。  この眺めを若き日の伊勢新九郎盛時も見ていたことを想像すると感慨深い。山頂から南を見下ろすと出城の横畑城址がありその下に平野と小田川そしてその向こうには笠岡の山並みが広がる。横畑城の登り口は平井集落だ。伊勢氏の家臣だった平井氏の所領だったのだろう。山際を旧山陽道、西国街道が東西に通じている。
画像2 西に目を向けると山上山の出城跡が見える。高越城から見えない西の平野の監視をしていたのだろう。谷を登ってくる敵を本丸と山上山城で挟み撃ちにする作戦だ。
画像3 高越城址山頂、元々、高越城は鎌倉時代に元寇襲来に備えて鎌倉幕府の命で宇都宮貞綱が西国街道の抑えとして築城したと伝わっている。元寇に備えて関東を中心に全国の武士団が西国街道を北九州から山口へ駆り出されていったのだろう。  その後、室町幕府の名家伊勢氏一族の備中伊勢氏の所領となり高越城を拠点にして荏原庄の運営が行われた。

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