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川口由一・自然農という人生


2023年6月9日
自然農を伝え続けてきた川口由一さんが亡くなった。84才だった。


最初に自然農を提唱した世界救世教の岡田茂吉さん、そして海外にも影響を与えた福岡正信さんに続き、自然農をさらに深め、誰もが日々の生活の中で実践できるよう基礎を形作った、ある意味最後の伝道師でもあった。しかし、川口由一さんはそれを《農法》という表現はしなかった。自然農は生き方そのものだからだ。


僕が川口由一さんを知ったのは、東京に住んでいる頃、たまたま付けたテレビでやっていたNHKの番組《こころの時代》(2004年放映)だった。耕さず、肥料農薬を用いず、草や虫を敵としない、ということに衝撃を受け、しかも故郷の奈良の桜井市というところの人だと知って、会いたい気持ちが瞬時に芽生えた。その頃、都会での生活に疑問を感じはじめ、自然やスピリチュアルな事に興味が湧きはじめた時期だった。それから3年後の2007年に東京を離れ、奈良に帰る事になった時に真っ先に行こうと思ったのが川口由一さんが中心となってやっている赤目自然農塾だった。



インターネットの、手づくりな赤目自然農塾のホームページに載っていた川口由一さんの自宅の電話番号に電話をかけた時の事はよく憶えている。電話に出たのは川口由一さん本人だったのだが、思っていたより普通のおじいちゃんという感じで、最初違う人が出たのかと思い若干の不安をおぼえたが、では月一の赤目自然農塾に是非来てくださいと言うことで、妻と一緒に足を運んだ。

赤目口駅から歩くこと40分🚶ほど。そこに赤目自然農塾はあった。




赤目自然農塾は奈良県と三重県の県境にある広い敷地の棚田を借りて、たくさんの参加者たちがそれぞれの決められた場所で野菜やお米を育てながら、川口由一さんの実践指導を見ながら勉強する場だ。

広大な敷地をみんなでシェアして野菜やお米を育てる


毎月一回、土日で土曜の朝から夕方までは畑での実習、夜は室生にある山荘にみんなで移動してご飯を作って食べ、その後は川口由一さんのお話しや質問など学びの会があり、山荘で一泊してから翌日畑での実習やそれぞれの作業をするという、なんとも濃い学びの会だ。当時多い時は200人近い参加者がいたから、見学や宿泊も大変だったが、精鋭のスタッフたちがいる事もあり、毎回滞りなく終わった。

山荘での夜ごはん。この円卓が懐かしい。



僕が通ったのは2007年から1年半ぐらいだったろうか。赤目自然農塾は1991年にはじまったというから、僕が行ったのは16年目ということになる。川口さんもまだ68才ぐらいだったから元気で、赤目自然農塾としても全盛期だったと思う。奈良に帰ってからは仕事もせず、収入もなかったが、再び働き出す2010年までの3年間はのんびりながらも自然農を学び、自然農で畑をやったり田んぼをやったり、音楽を作ったりライブツアーをしたり、今思うと1番充実した時期だったように思う。お金はなかったけど、見えない多くのギフトを頂いた。
もともと頑張るのが嫌いな性格上、働き出してからは畑をやる事もなくなってしまい、妻に任せっきりになってしまったが、妻は今も近くに畑を借りて自然農で野菜を育てている。

川口さんの動作は無駄なく美しい


川口由一さんの提唱する自然農は、実践的でもあり、その思想こそが真髄だ。実践書から思想書から、うちにある本だけでも7冊はある。それほどたくさんの人に影響を与え、その思想は深海のごとく深い。いまだにスタッフたちが赤目自然農塾を引き継ぎ運営している。また、生前川口さんは中国の漢方医学の古典書《傷寒論》《金匱要略》を紐解き漢方の勉強会も行っていた。とにかく生きることすべてを根本から問い直し、特に先進国の、現代的な間違えた生き方を正すべく、本来の人としてのあり方とは、という問いを常に世の中に投げかけてきた。川口さんはよく《答えを生きる》と仰っていた。迷い生きるのではなく、本来の人としての生き方を軸に、それをただ自分の生き方として実践することなのだと思う。そういう意味では間違った生き方を問う、というよりも、すでにある本来あるべき姿、生き方という《答え》を生きる、ということなのだろう。

2009年2月。伊勢神宮正式参拝紀行の時の卓球対決で何故か最終戦まで残ったが、川口さんが優勝。川口さんは卓球が好きだった。


2009年、長男が生まれたばかりの時に家にお邪魔して抱っこしてもらう。その長男も今や13才になった。


2018年3月。仕事の休憩時間に行った桜井市のカフェで偶然お会いする。この時会ったのが最後になってしまった。




川口さんのあの優しい笑顔。

奥の奥、ものごとの真奥まで見透しているかのような真っ直ぐな眼差し。

深いところから井戸水を汲むように出てくる言葉の数々。

厳しくもそれでいてユーモアも好きだった。

たくさんの人を惹きつける魅力。

なにより人柄がそのすべてを物語っている。

どんなにたくさんの人が彼を慕い、愛しただろう。

確かに遺したその軌跡を、これからも僕たちは思い出し、今に活かし、未来へと繋げて行くのだろう。


ありがとう、川口由一さん。

天国でまた会いましょう。

さようなら。

この微笑みがもう見れないと思うと寂しい
川口さんの自宅の田んぼにて。稲木で逆上がりする川口さん。



最後に川口由一さんの初期の著書《妙なる畑に立ちて》から抜粋します。



誤って我がままから欲から無知から

神の子地球の皮膚を傷つけることなかれ

地球の肉を骨を壊すことなかれ

地球の内臓をえぐり取ることなかれ

地球の生命を消滅させることなかれ


地球の上に毒をつくることなかれ

毒をまき散らすことなかれ 汚すことなかれ

神の子地球に住むあらゆる生き物をおかすことなかれ 殺すことなかれ

山を森を林を野を田畑を

海を川を湖を空を

木を土を空の気を

おかすことなかれ殺すことなかれ

我が生命人間の生命 我が心人間の心
損ね病ましめることなかれ殺すことなかれ


すべては生命すべては必要あって生かされるもの

すべては今必要なものばかり

人間だけの都合わがままで

わがもの顔で占領することなかれ

わがもの顔で住むことなかれ生活することなかれ

人間だけのためにつくられたに非ず

人間だけに都合の良いものは神はつくらず
知るべし悟るべし

諸々の生命に悪しきを招き自ら苦悩に落ち不安に落ち

我が人類滅亡を急ぎ地球生命の短命化へと追いやることの

理に合わず利に合わずから離れん



川口由一/妙なる畑に立ちて
より抜粋


2008年11月。代々木での自然農シンポジウムの時の写真。今はあの虹の向こうで微笑んでいるような気がする。

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