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憧れのフェリー旅行 その4〜高千穂編〜


以前、宮崎県に来たのはかれこれ13年前、2010年の9月だった。

《絵と音楽のコラボレーション・ライブ
〜いのちが喜ぶ絵と音楽の共鳴空間〜
》in宮崎 天空カフェ『ジール』

というイベントに出演するため、九州に数日滞在したのだ。


関東・関西・宮崎と、絵や音楽で繋がった仲間たちとのコラボレーションライブで、ずいぶん前のことだから、どこに泊まったかなどほとんどのことは忘れてしまったけれど、連れて行ってもらった神社のことはとても印象深く記憶に残っている。なんの予備知識もない中、連れて行かれるままに委ねた。中でも1番印象的だったのは秋元神社という高千穂から少し行った山奥にある、文字通り秘境にある神社で、本当の天岩戸があるという知る人ぞ知る、高千穂神社の奥之院とでも言うべき超重要な神社なのである。


というわけで家族から神社巡りばかりでブーイングがおきているにも関わらず、まずは秋元神社を目指すことにした。前回、時間の関係で行けなかった高千穂神社を差し置いてもどうしても行っておきたかった。

別府は夏真っ盛り。朝から蝉の大合唱


宿をチェックアウトしてから地獄蒸したまごを食べて、車のガソリンを補給した。時間は9:30。今日も汗ばむほどのいい天気だ。高千穂までは約100km、2時間半の行程。帰りのフェリーの時間にどうしても間に合わせなければいけないのもあり、高千穂での滞在時間が2時間ぐらいしかない計算の強行旅ではあったが、時間を気にしながら向かった。道中山道なども通り、なんとか高千穂に着いた。九州に来てから距離感覚がおかしくなっていて、滅茶苦茶な距離を移動している気がする。たくさんの人がいる高千穂神社を横目に、車がすれ違うのが困難なほどの山道を抜け、ようやく着いた。奈良で言うと十津川村の山道みたいだった。それよりも狭かったけれど。


そこはまるで来る人を選ぶような、本当に呼ばれた人しか行けないような、まさしく秘境とも言うべきところだった。さびれた田舎によくある寂しげな案山子がところどころにいて、余計に物悲しさを演出していた。前回行った時は神社のすぐ近くまで車で行けたはずだったが、道が決壊しているらしく、少し手前の駐車場に停めて歩いた。時間は12:30になっていた。

なんだか物悲しい案山子たち
崩れた道。秘境感がさらに高まる。




途中でスピ系の白いワンピースを来た女性とすれ違ったが、あれは本当に存在している人だったのだろうか。ちょっとだけ怖くなりつつも山道を歩くこと10分ほど。懐かしい、そのままの佇まいでそれはあった。参拝者は誰もいない。高千穂に来てここだけ訪れるのはかなり変わっているが、むしろここだけ来れれば良かった。

秋元神社


春に沖縄での録音をしたプリミ恥部さんも著書の中で秋元神社のことを書いていて、彼もご縁があることを知って、より親近感が湧いた。そしてなんと彼もほんの数日前にここを再び訪れていたと言うことを知った。なんたる偶然。彼は前回15年前に訪れて以来ということだった。ここで再会することは叶わなかったが、数日差で来れたのは何か意味があるような気さえする。なにか視えないなにかに導かれているような…。


鳥居をくぐり、階段を上がって行くと懐かしい景色が広がった。決して広くはない、山奥にひっそりと佇む小さな神社だが、古代を感じる自然そのものが御神体のような、そんな雰囲気を漂わせている。実際に社殿左側の岩壁には天の岩戸があると言われていて、ここが表向には隠された、本当の天の岩戸なのかもしれなかった。

古代を感じる境内



僕は何故か神社でも奥の院、奥宮に惹かれる。荘厳な社殿の奥にひっそりと佇む奥宮にその真髄があるのだ。そして各地にある奥伊勢、奥出雲、奥飛騨、奥明日香…と言った地名にはそれぞれの土地に隠された、護られたなにかがそこにある気がする。奥という字も《内へ深く入ったところ》という意味があるように、その深く入ったところに秘められたなにかが確かに存在するのだ。そして大抵は人目につかないところにあって、静かにひっそりとその土地の大事な《なにか》を護っている。
秋元神社はまさしくそんなところで、宮崎の、神話の国と言われる高千穂の最重要ななにかがここに隠されている気がするのだ。

自然そのものが御神体



天の岩戸というのは、そもそも天の岩戸に隠れた天照大神(アマテラス=太陽)が天宇受売(アメノウズメ)の狂喜乱舞の踊りによって神々が大笑いしたのをきっかけに出て来たという神話があるように、それは護られる場所であり、同時に開く場所でもある。そしてその神話はズバリこの今の時代を表しているような気がしてならない。本来の《わたし》である太陽が閉じ込められ、月の時代、偽りの自分を演じている人々。その扉を開くのは本能の赴くままに無心に自分を表現して踊る姿であり、なによりその鍵は笑いであるような気がするのだ。この世的な価値観を取っ払った、お金やその他に左右されない、人が本来求めている喜び、安心。そこに本質があるように思う。そしてその扉を開くのは今なような気がしてならない。折しも風の時代と言われるこの今こそ、それぞれの天の岩戸を開くタイミングなのではないだろうか。

筆者近影



神話の国である高千穂の、それも奥宮である秋元神社での滞在は短かったが、本当にここに来れて良かったと思う。それもこのタイミングで来れたことに。13年前、僕はここでインディアンフルートを奏でた。飛鳥という曲を。その頃はまだ明日香村に住んでいなかったけれど、今、憧れの地に住んでいる。その感謝の気持ちも込めて、ひととき笛を吹いた。空は雨が降りそうな気配がしてきた。


それから御神水をペットボトルに汲み、神社を後にした。鳥居をくぐったその時、今まで曇り空だった空に突然光が射した。神々しい瞬間だった。

突然に光が降ってきた



高千穂峡は観光客でいっぱいだった。残された滞在時間もそれほどなかったが、それでも家族に見せたかった。近くの駐車場がいっぱいで、離れたところに停め10分ほど歩いた。前に来た時はひとりで訪れたから、家族で来れた事がなんだか感慨深い。13年後に子どもがふたりもいるのが本当に不思議だ。あと10年したらまた来れるだろうか。いや、今度は近いうちにまた来たい。

高千穂峡



高千穂を出たのが14:30ごろ。帰りのフェリー出発が19:50だったから、福岡県門司港のフェリー乗り場には出発1時間前の18:50には着きたかった。前にも書いたが前回ひとりで来た時に帰りの夜行バスに乗り遅れてタクシーでカーチェイスしてなんとか間に合った?トラウマがあるから、余計に心配だった。

フェリー乗り場まではここから約3時間半、250kmの道のりだ。昼ご飯を食べていなかったからどこかでチキン南蛮でもと思ったが、途中お店もなく、立ち寄った熊本の道の駅の食堂もちょうど閉まったばかりで、結局その近くの地元のスーパーで惣菜を買って車でみんなで昼ごはんを食べた。鰹のたたきがやけに美味しかった。途中で幣立神宮があったが、ものすごく行きたい気持ちを抑えて次の楽しみにとっておいた。

やけに美味しかった鰹のたたき


というわけで大分、宮崎、熊本、福岡と跨いで相当な距離を走りフェリー乗り場に向かった。帰りの九州自動車道はまっすぐでシンプルでとても走りやすかった。大阪や京都の高速道路はややこしくてとてもストレスフルだから安心して走れた。夕方雨が少し降ったけれど、九州滞在中、雨男にも関わらず天候に恵まれた。というより初日の虹といい、完全に天気が味方してくれていた。ありがたいことだ。そして途中サービスエリアで休憩やお土産タイムをはさみつつ、18:50ぴったりにフェリー乗り場についた。総移動距離は約650km(普通に奈良から福岡ぐらいの距離!)と少々移動距離に無理があった旅だったけれど、無事にここまで帰って来れた。

ぴったり予定時刻に到着



帰りのフェリーは一見行きと同じように見えたが、扉の色が違ったり、まるで間違い探しのようだった。次男がよく覚えていて、ここも違うここも違う!と、まるでパラレルワールドに迷い込んだような不思議な感覚になった。外見は同じなのによく見ると全く違う船なのだ。もしかすると九州に行って本当に違うパラレル世界に来たのかもしれないと思った。でも実際はみんな気づいてないだけで一瞬一瞬の選択で新しいパラレルワールドに移動し続けているのだろう。


船ではまた懲りもせず夕食バイキングをしんどくなるまでお腹いっぱいに食べてしまった。帰りの寝台でも結局ほとんど寝れなかった。翌朝珍しく次男が起こしてくれて朝日を2人で見た。それはそれは美しかった。旅の最後のご褒美だった。そして朝のバイキングを食べ(さすがに量をセーブした)、無事に大阪に到着したのが8:40ごろだった。距離感覚が麻痺していたから、明日香村の自宅までは一瞬で着いた。

またまた食べすぎた夕食バイキング



フェリーでの旅行というひとつの夢が叶った。九州での時間も楽しかったが、フェリーで過ごした時間もとても尊い時間だった。なんとも贅沢な旅が終わった。感無量だったが、まだまだ九州で行きたい場所があるから、10年先と言わずまた来年ぐらいに行きたい。今度は海鮮料理と温泉巡りも良いかもしれない。ゆっくり滞在してキャンプもいい。夢がまたひとつ、増えた。


おわり。

船上から見る美しい朝日




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