1月19日

Zeppダイバーシティトーキョー。
海沿いの強い風が吹くこの地を訪れたのは2017年のバースデイのツアー以来だった。
当時は大学生。いまや社会人として中堅に差し掛かかり、繁忙期に休みをとるためバタバタと仕事を片付けてきた。

12月5日の知らせはあまりにも突然だった。
既にこの世界にいない。とても信じられなかった。
その日のうちに、慣れ親しんだカタカナと不釣り合いとも思える言葉がニュースのトピックに並んだ。親交のあるミュージシャンからコメントが発表され、瞬く間にいくつもの特別番組が決定していった。
受け入れられない気持ちはずっと後ろに置いていかれたまま、「追悼」という言葉だけが、先へ先へと進んでいった。

年が明けると、献花の会の開催が発表された。その会を「Thanks!」と銘打ったとのことだった。
その頃には、ふと涙がこぼれることはあっても何となく現実を受け止められていた。ただ、心にぽっかりと開いた虚しい気持ちに、同じ時代を生きているという事実がどれほど心強かったのか、痛いほど感じていた。
発表された会の名前を見て、足を運んで直接伝えなければきっと後悔する。余計にそう思えて、参加を申し込むことにした。


当日は、13時半を過ぎた頃に会場の最寄り駅に到着した。改札を抜け、地上へと向かう少し長めのエスカレーターを上がっていくと、視界が大きく開けた。見えたのは、広い道路を跨ぐ連絡橋と、道の向こう側に並ぶ高層ビル。有名なフジテレビ社屋もその一部だ。
都会のスケールの大きさを眺めながら、数年前の記憶を辿りつつ、歩いていく。

時折強い風が吹くが、真冬とは思えないほどカラッと晴れた暖かな日だった。昨日までのどんよりした雲はどこへ行ったのか、青空の高さに少しだけ心がすっとした。

しばらくすると、公園のような一帯が黒に身を包んだ人たちで溢れているのが見えた。
ここだ、と分かった。
バースデイのファンは黒を身に纏うことが多い。ライダース、スキニージーンズ、マーチン、ルードギャラリー。
今回の黒はまた違う意味も持ち合わせていたが、その光景に少しの懐かしさを感じた。

ライダースを着た私も黒い待機列に並ぶ。14時開場の回だった。
何百人もの人が並んでいるはずなのに、ひっそりと静まり返っていた。冬の風が人の隙間を通り抜け、誰かの咳がやけに響いていた。そして時折、花を手向け終えた人のすすり泣く声が聞こえた。
傍から見たら異様な光景だったかもしれない。
あの佇んでいた瞬間ほど、気持ちが交錯したことは人生でなかったようと思う。


14時をしばらく過ぎると待機列が動き、会場へ入っていく列へと繋がった。今から向かう先に、少しだけ決心をした。
それほど時間はかからず屋内に入り、暗いZeppの階段を降りていく。
以前は、はやる気持ちでこの階段をそそくさと下りていたが、今日はやたらと1歩が重かった。地下のあまり動かない空気がさらにそう感じさせたのだろうとも思う。

階段を降りていくと、馴染みのある音楽に迎え入れられた。Sixteen Candlesだ。
ライブの直前、会場BGMが突然止まり、客電が落ち、メンバーを迎えるために鳴り響く曲。一夜のはじまりの合図。
聴くだけで心が沸き立つ音楽だが、もう4人が揃いライブが始まることはない。そう思うと、急に胸が締め付けられた。

しばらく進むと、スタッフが通路の両脇に立ち、献花の花を束で持ち、1本ずつ手渡していた。受け取ったのはオレンジのガーベラ。色はランダムで白やピンクを渡されている人もいた。強くは香らないが、暖かな色合いとぴんと張った花弁が美しかった。

会場横の通路に差し掛かると、大きなモノクロの写真が1枚、飾られていた。光による陰影が深い目鼻立ちと刻まれたシワを浮かび上がらせていた。
そこで思わず足が止まった。息を止め、食い入るように見つめた。
なぜこうなってしまったのだろうか。もう何処にもいないのか。とんでもない歌は、2時間ばかりの永遠はどこにいったのか。あまりにも、早すぎるのではないか。
しばらく前に置いてきたはずだった思いが、急に込み上げてきた。涙が堰をきったようにこぼれてきて、たまらず歩みを進めた。

ロッカーが立ち並ぶ通路には、何年前に撮られたものだろうか、過去の写真がいくつか飾られていた。ラッキーストライクを手に持ちソファに腰かけ、近寄りがたい雰囲気を感じさせるものから、晩年の何かを決意した力強さを感じさせるものもあった。
どれも素敵な写真だなと素直に思えた。ネットでは見たことがないものだった。

通路の奥に突き当たり、暗い会場へと入っていった。そこではライブよろしく爆音の音楽が流れていた。その時かかっていたのはインスト曲(君の光と僕の影?、分からなかった)で、どこか現実離れした感覚に陥った。

壁沿いに進むと、バースデイのライブ写真がいくつか飾られていた。拳をあげるオーディエンスとそれに真正面から向き合う姿。どの写真もライブの熱狂が伝わった。この場所でファンが愛してやまないロックを、生涯かけて歌い続けていたんだと胸が熱くなった。

通路を折り返すと、目の前の祭壇に目を奪われた。
コードを腕に巻き付け、マイクを掲げた姿が額装されてステージ上方に大きく飾られていた。まるで星空のように光る景色を背負い、足元にはカサブランカが咲き誇り、16本のキャンドルが灯されていた。中央には黄色やオレンジの花で星が描かれている。
色とりどりに飾られた姿は、メキシコの死者の日の祭壇のようだった。

そしてステージ真ん中にはいつものペルシャ絨毯、マリア像が載ったアンプ、黒のグレッチ、マイクスタンド。
この日のために組まれたステージは、どれほど多くの人に愛されてきたか一瞬でわかる姿だった。

場内にバースデイのGhost Monkeyが流れ始めた。ビリビリするようなギター、疾走感のあるベースとドラム、つんざく歌声。
感情は少しの余裕もないはずなのに、それでも、なんてかっこいい曲なんだと思った。

ガーベラを大切に持ちながら通路を進み、ステージの下で行われている献花を待っていた。
しばらくすると曲が終わり、今度は軽快なギターが鳴り始める。誰かが、だ。

献花の順番が来た。色とりどりに置かれたガーベラの上に、そっと一輪置いた。
目を瞑り、手を合わせると、感謝を伝えた。

あなたの音楽がきっかけで、ライブハウスに行くようになったこと。そこで数え切れない思い出ができたこと。
ルーツを聴き、繋がれてきた音楽の世界とその広さを知ったこと。
歌詞のまっすぐな強さと優しさが私の人生の支えになったこと。
そして、いま、どうか、チバさんが幸せでありますように。

顔を上げ、飾られたステージをじっと見つめた。ステージの上にいるチバユウスケを観ることができてよかった。

上手側で献花をしたので、献花台を真っ直ぐ横切って出口へと向かう順路を進むことになった。多くの人がいるので進みはゆっくりだった。
下手側に進むまで、時々献花台を見上げた。この光景は、絶対に忘れたくないと思った。

出口の方向へと進んでいくと、献花の順番を待っている人たちの顔が見えた。
まっすぐステージを見つめている人、目に涙を湛えて俯いている人、一輪のガーベラを愛おしそうに見ている人。
皆、様々な思いを抱えて来ているんだと思った。

「誰かが泣いてたら 抱きしめよう」
「誰かが笑ってたら 肩を組もう」

「誰かが倒れたら 起こせばいい」
「誰かが立ったなら 支えればいい」

「それだけでいい」

場内に響くシンプルで、純粋で、真っ直ぐなロックはどんな人にも届いたはずだ。叶うなら、皆の思いも彼に伝わればいいと思った。

出口付近には留まれるスペースが少しだけ確保されていた。多くの人が立ち止まり、ステージを見つめた。
ちょうど曲が終わると拍手が起こり、ステージに向かって「チバー!」「ありがとー!」と各々叫んでいる声が聞こえた。
また涙が溢れそうになった。

立ち止まり続けるのもしのびなく、後続の人もいるだろうと出口へ向かい、フォトカードを受け取った。背にした会場ではBABY YOU CANがゆっくりと流れ始めた。
つい、後ろ髪を引かれて立ち止まった。しかし、こんなところで立ち止まってる暇なんかねえよ、そう背中を蹴飛ばされたような気がして会場を後にした。


家への帰り道、行きとは違う入り混じった感情を抱えた。
正直なところ、この日で一区切りとは到底ならなかった。そんなに気持ちは簡単に処分できるものではなかった。
でも、それでもいいと思えた。どんなに想いを抱えていても、つい振り返っても、たまには止まってもいい。それでも、たくさんの曲に励まされながら前を向いて歩いていこう。そう思えるようになった。

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