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1月3日

いつも通り6時くらいには目が覚めた。

カーテンから漏れる光が弱く
くもりだと分かった。

特に予定はないが
せめて顔面と髪の毛くらいは整えておこう。

洗濯物をして
朝の散歩へ行く。


帰宅後、特に何もせず
動画を見たり、ラジオを聴いたりして過ごした。



明日から仕事であることを思い出したら
なんだかそわそわしてきて
昼からお酒を呑むことに決めた。


あまりにも悲惨なことが二日連続で
しかも正月に起きていて
今日が1月3日ということが信じられない。

こんなめでたくない正月は生まれて初めてだけどなんでもない日常の濃さを
これほど感じられた正月も初めてだ。



このように、悲惨な出来事を前に
自分の日常を振り返るほどの余裕ある人間が私である。

さんざん暴言を自分に浴びせることで
なんとなく律することができたような気になってるのがむかつく。


気づいたらビール2缶と
酎ハイ1本が空になっていた。

眠くなったので布団に潜りこみ
エンヤを聴いていたら
いつの間にか眠っていた。
目覚めると部屋の中は真っ暗。


とりあえず夜の散歩に出ると
車通りが少なく
やっぱりまだ正月なんだと思う。 




見ず知らずの人間が住む一軒家から
漏れる声、料理の匂い

一室に人間がいて
今この瞬間生活しているのだと実感できる
マンションの明りを見てほっとした。


全ての人間が大切な人に見守られ
心穏やかに、暖かな場所で
この世界からさようならできれば良いのに。

突然の死とか、悲惨な死とか、苦悩の上での死や、残された者がそれでも生きてしまうことへの苦渋だとか

そういうものがいっさいない世界になればいい。

悲しみとか苦しみがたましいを成長させるとか
いらない。



理解はしてるよ。
わかってる。
都合いいだけが神様じゃないんだよね。

必要であれば試練や苦悩さえ与えてくださる。
神は私をおぶって、一緒に歩いてくださっているのでしょう。


でも、私は人間なので。
強欲で自分勝手な人間として
わがままを言わせてほしい。


ごめんなさい、そう言うの要りません、
ごめんなさい。
魂の向上とかいいですいりません。


この間にも建物の下にいる人たち、
そして助けようとしている人たちがいて
とにかく全ての人が無事に家族のもとへ帰ってほしい。


何を甘いことを、考えなしの言葉だ、と言われてもそう祈るしかないが
その祈りの言葉さえ相応しくないと感じる。

手を合わせて泣くことが唯一寄り添いの手段のように感じるが


いや、いや、寄り添いってなんだよ?
涙もふくめ、そういうの1番いらないんだわ。

高みの見物で、自分のいる場所が安全だと勘違いして流す涙ほど無意味なものはない。



そんな酔いにひたって泣くくらいなら
日常をそのまま送り、
今日の自分が抱える苦悩に頭を抱え、
辛すぎて泣いたほうがまだいい。



明日は仕事始めだが
みんななんでもない顔して仕事をするだろう。

私だって他人からみたらそうだ。
文字では達者なこと言いながら
今日なんてお酒を呑んでいるし、
所詮他人事なんだろ?知ってるよ。


悔いなく生きよう。
どうやったって悔いが残ることなんか知ってるけどそれでもそう思う。

おまえ、まさか
すでに教訓さえ得ようとしているのか?
余計むかつくな。

ほーらまたはじまった。
自分に暴言吐いたところで時は巻き戻せませんから。今ある現状変わりませんから。
それで何か素晴らしいことが起きると信じてるならお好きにどうぞ。




明日に備えて早く眠りたかったが
これを書き終え、
0時を過ぎてからやっと布団に入った。



また明日からいつもの日々が待っていると
信じ込んで眠ることが不思議だ。

あえて鈍感に無関心に生きているけど
心があるべき場所に収まり
やわらかな人であればあるほど、

明日が怖くて生きることに尻込みするのは当たり前なんだろうなと思った。





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