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海王星なるものの記憶

こんにちは。

今日は自分にとって、これは海王星なんじゃないかという想い出を書きます。

私は中学校3年の2月くらいに、 大阪の高槻市というところへ転校しました。

そこでは、前の中学校といろんな面で、かなりの違いがあったので、私はなかなか馴染めずにいましたが、少しだけ馴染んだ場所がありました。

それは、「ぱたんだ」というもので、同じクラスの自閉症の生徒が「ぱたんだ通信」という学級新聞みたいなものをクラスに発信していたのですが、そこに集まる子たちと「ぱたんだ」を通して何かをやることは、何故か、少しだけ居心地が良かったのですね。

「ぱたんだ」は、その学級通信を発刊するために集まる場所というか、その自閉症のクラスメイトと一緒に通学したり、遊んだり、絵を描いたりする様な、学級サークルそのものを指していたと思います。

そこには、任意の子たちが集まりました。

その自閉症のクラスメイトは、晋ちゃんといい、言葉もある程度は理解できるみたいでしたが、会話では、こちらが想定する反応とは明らかに違うものが返ってきたり、目の焦点が合っていなくて、動作も一般的にいう「うつろ」「挙動不審」というところもあり、晋ちゃんは「知的障害者」だったのだと思います。

ただ、彼は、絵を描くことが好きでよく描いてました。
どこかその絵に引き込まれるところがありましたね。

「ぱたんだ」とは、彼本人が描くキャラクターを全部自分でそう呼んでいたことから自然とみんなが集まる場所が「ぱたんだ」になったのだと思います。

そして、その絵を通して、「晋ちゃんの日常を子供達に届けたい。友達が欲しい。」という、ご両親の熱心な願いも「ぱたんだ」には込められていたと思います。

彼は、話しかけても、本人が意味がわかって使っているのかは不明だったですが、時に「失礼」と思える様な言葉で返してくることもあり、私たちは主に「絵」で話をしていたと思います。

少なくとも絵を描いている時の彼は楽しそうだった様に見えました。

彼の絵の記憶をおぼろげながら思い出して考えてみると、突然ですが世紀末の抽象絵画によく見られる表現と通じるものがあった様な気がするのですね。

抽象画家「パウル・クレー」の「船乗りシンドバッドの冒険」というタイトルの絵がありまして、私はずいぶん後になって、その絵を観る機会があったのですが、その絵を見た瞬間、ふっと彼の絵がフラッシュバックしたのを、今でも覚えています。

彼はこのクレーのシンドバッドに似た様々なキャラクターをよく描いていた様に思います。


パウル・クレー「船乗りシンドバッドの冒険

私は、高校を卒業したら、外語大へ進学しましたが、そこで、世紀末ドイツ表現主義の研究者である土肥美夫先生と出会い、在学のしばらくの間、世紀末絵画を研究しました。

パウル・クレーは、人間の内面世界を重視していて、ことに「子供の絵」「精神疾患の患者の絵」に注目していたところがあり、同時代の心理学者「カール・グスタフ・ユング」の提唱している「集合的無意識」にとても興味を持っていたところがあります。by土肥美夫campus note

芸術は目にみえるものを再現するのではなく、目に見えるようにするのである

Paul Klee 「The Thinking Eye」

クレーの著書The Thinking Eyeの記述に一部基づいた記事がありましたのでシェアします。

今思えば、彼の絵は占術家松村潔氏のこの動画で言われているものを彷彿とさせたと思います。

彼の絵は、一般の目から見たら「形」としては、認識できないもの、何が言いたいのかも理解できないもの、妄想や、幻影の様に見えることもあったかもしれませんが、彼にとっては、ある意味その書き方が普通だったのかと思えたりしますし、子供だった私たちは、あえて形とか、技法にとらわれることのない世界にいたという気がします。

その世界では会話はスムーズで、お互いに「アリのまま」を出して受け入れていたというごく簡単なことが純粋に楽しかったと思います。

私の個人的な視点ですが、海王星は芸術も表す星とも言われますが、海王星の芸術的表現とは、松村氏の動画で言われている様な、何か欠けてる部分を埋め合わせる様な作用としては理解できる気がします。

欠けているものは人それぞれで、辛いことを忘れるためとか、あるいは、肉体の欠陥からくる欠落感とか、精神の面からくるそれとかにも通じるものかもしれません。

もちろん素晴らしい芸術表現は他にもあり、海王星ばかりではないとは思います☺️


ぱたんだ

ここまで長い記事を読んでいただきありがとうございました。

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