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時計志向

 「時間の無駄」という言葉がある。よくよく考えてみれば面白い言葉だと思う。言葉には曖昧さが付き物だが、この場合の無駄とはどう言うことか、詰まる所もっとやりたいことがあったのに、という余念のある時に使われる言葉だろう。時間は有限だからこその勿体なさなのだろう。

 ところで時間についての考え方は、「未来志向型」と「現在志向型」の二つがあるという。簡単に言えば、前者は定めた目標に向かって具体的なアクションを起こそうとする考え方のことで、後者は反対に「今」に重点を置く考え方だ。狩猟や採集が中心だった縄文時代が後者で、稲作などで食料の貯蓄が可能になった弥生時代ごろから前者の考え方が生まれたと言われる。

 自分は、あまり計画とか予定とかを考えたいタイプではなく、とりま今だけを楽しみたいタイプである。せっかく夕暮れの町を見てたそがれている最中でも、帰ってからの課題を思い出して気が重くなるのは避けたい。従って未来志向型では都合が悪い。一度時間を気にすることなく完全な「現在志向型」を実現したいと思い、1日時計を見ないで生活することにチャレンジした。

 まず、起きてから数時間もたつと、人間の禁止されていると破りたくなる習性で、時計が見たくて仕方がなくなった。自分の部屋の時計から、家中のあらゆる置き時計を全て見えないように裏返して、堪え忍んだ。スマホのロック画面などは時刻が大きく表示されているので、情報機器も一切使えない。そうして、縄文時代の気分は味わえなかったが、時間がとにかく長く感じられ、午後?にはもう夕方のような気がしていた。日が暮れて、体感で何となく眠くなった頃に寝ることにした。

 寝る時になって時刻が気になってきて、せめて就寝時刻だけは記録しておきたいと思った。ところが時間を見ずに記録する方法がなかなか思い付かない。家にあった古い目覚まし時計の針を、鳴るまで回してみて正しい時間を計ろうとしたが、いくら回しても鳴らない。裏返してみると、とっくに秒針が止まっていた。最終的に、置き時計の電池を引き抜いて無理矢理時間を止めた。ベットにつくと、今度は時刻が気になって眠れなくなった。最後に、1日の誓いを破って時刻を見た。まだ10時にもなっていなかった。

以下駄文失礼しました。




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