見出し画像

魚釣りから考える肉食と殺生 その5 浄土真宗の肉食の歴史

「うちは魚釣りはできない。殺生だから」との言葉をきっかけに、仏教の戒律や肉食の歴史を考えるシリーズその5、浄土真宗の肉食の歴史として少し整理してみたいと思います。

・江戸時代の肉食妻帯の特別枠「浄土真宗」

 前回、江戸時代にはお坊さんは肉食すると幕府から処罰を受けることを書きましたが、その際に浄土真宗は例外的に肉食を認められていた点を少しだけ書きました。なぜでしょうか。これは教えの部分と密接にかかわります。
 
 本シリーズのその3で五戒(殺すな、盗むな、不倫をするな、嘘をつくな、酒飲むな)の話をしましたが、浄土真宗では「これらを守りましょう」とは決して言いません。これは、規範を作るとそれから漏れる者が必ず現れ、仏さまの救いが届かない者が生まれる、という理解からです。実際、私は夏場の蚊を殺すなと言われても、守れそうにありません。酒、盗み、嘘についても、恥ずかしながら同様でしょう。精々できそうなのは不倫をしない程度でしょうか。
 そういった規範を作っても守ることが出来ない、悪業から抜け出せない者をこそ、阿弥陀仏は救わんとはたらきかけているのだという、慈悲のもっとも大きなところを大切にしてきたのが阿弥陀仏の救い、親鸞聖人の浄土真宗のみ教えです。
 
 このことから、浄土真宗は出発の時点から不殺生であったり、肉食を禁じるであったりということを言わなかった。仏教界でみると、これは異端集団です。しかし、本願寺第八代蓮如上人による教線の拡大が大成功し、浄土真宗は一大教団となります。そして、加賀の一向一揆をはじめ、後の石山合戦や三河一向一揆などで権力者にその力を見せつけます。ただその後、秀吉や家康といった権力者に追従する方針を浄土真宗はとります。その際に、仏教界における他の教団とは別の特別枠として肉食や妻帯が容認されたようです。そしてこれは、浄土真宗の教団が被差別部落を抱えることになった経緯と別個の問題ではないようですが、今回は深入りしません。当然ながら、仏教界では最下層という位置づけになりました。

・最下層の救いとしての浄土真宗

 平田篤胤という神道学者の言葉として「天子天台 公家真言 公方浄土 禅大名 乞食日蓮 門徒それ以下」が言われることがあります。
「天皇家は天台宗を大切にし、お公家さん達は真言宗を大事にした。徳川将軍家は浄土宗を頼りにし、武家は禅宗を取り入れる。一般の人たちには日蓮宗が広がり、門徒(浄土真宗)は最下層に広がる」という内容です。
 浄土真宗への言い方を見ると凄い言いようですが、これは最も貧しい者、救われ難い者をこそ救っていく阿弥陀仏の願いに即したことであり、私はむしろこのことを誇りに思えます。しかし当時そうは思えなかったというのが浄土真宗教団でした。そのことが、差別被差別の問題に大きく加担してゆくところに現れてゆきます。そして、それは肉食と殺生の問題とも関係します。しんどい点ではありますが、この点を次回少し整理します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?