見出し画像

No.31 地元の地理と歴史シリーズ  その10 生駒山

「仰ぐ生駒ね 白い雲 ~」と小学生の時に校歌としてよく歌っていました。奈良との境、大阪の東側に連なる生駒山地は、河内平野で生活する者のランドマークと言えるでしょうか。

 さて今回は生駒の山を書いていきたいと思います。
 生駒山地は南北30km、東西10kmにおよび、大阪府と奈良県の境界となっています。頂点は生駒山、海抜642.3mです。大阪側は急斜面で奈良側はなだらかな地形です。生駒山地が現在の様な姿になったのは約200万年前ごろの地盤運動による隆起、そして約100万年前の断層の活動による隆起によるものとのこと。急傾斜になっている西側山麓には生駒断層とよばれる逆断層があり、これは活断層であることから直下型地震を起こす可能性があるようです。(http://www.jishin.go.jp

大阪と奈良を結ぶ旧街道 googleマップを加工

 この生駒山が古都奈良を守る東側の天然の防壁であったことは、大阪と奈良を結ぶ道がそう多くないこと、あっても非常に急峻であることからもよくわかります。旧街道としては以下が挙げられます。
 ①北側の交野市から生駒市へ入る磐船街道(国道168号線)
 ②四条畷から入る清滝街道(国道163号線)
 ③大東市中垣内からの龍間越え古堤街道(阪奈道路)
 ④東大阪市額田周辺から暗峠を超える暗越え奈良街道(国道308号線)
 ⑤八尾市神立から十三峠を越え平群へ至る俊徳道・十三街道
 ⑥同じく八尾市服部川からハイキング道として残る立石街道と廃道同然となっている“おおと越”
 ⑦そして、大和川沿いを柏原市国分から斑鳩町竜田へ抜ける竜田越奈良街道(国道25号線)など。
 
 今では近鉄奈良線や近鉄けいはんな線、阪神高速から入る第二阪奈道等、東大阪から奈良へ至る道はかなり整備されているため上記の街道を使うことは少ないですが、昔は生駒山を越えることは大変だったことがよくわかります。
 
 昨年の正月明け(約一年前)に家族でハイキングに行きました。近鉄に乗って、近づくにつれて感じるその大きさに感嘆しつつ生駒山に向かいます。コースは近鉄額田駅から額田山展望台などを経て、生駒山上遊園地まで登るというものでした。長男はすいすいと登っていましたが、娘らは途中からしんどい、疲れた、もう嫌や!と泣きわめいていました。ベンチでお弁当を食べて休憩し、おやつに力をもらいつつの登山になりました。下りはケーブルカーのミケとブルに癒されつつ、生駒駅まで下山しました。

ハイキング道入口
生駒ケーブルカーのブル

 身近に山があることで、気軽に自然の大きさを感じられる、ワクワクさせてもらえるように思います。十数年前、連れ合いが関東で生活をしていた際に「周辺に山がなく、だだっ広くて気持ちが悪かった」と言っていました。山が見える・側にあるということは、自分の位置を確認させてもらえることから、何となく私たちを落ち着かせる部分があるのかもしれません。古くから山が日本人の信仰の対象となっていたことも、そういった面も影響していそうですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?