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平成大停滞をもたらした大愚策 11/5

〔81〕平成大停滞をもたらした大愚策が資産バブル潰し
 前項で述べた「白頭狸が突き止めた重大秘実」とは、平成二(一九九〇)年の金丸訪朝が端緒をなした政治経済に関する世界史的経略で旧日本領の日本・朝鮮・台湾と中共を舞台にしたものである。
 これこそワンワールド國體の謀った世界史的な経略で、その後三〇年に及ぶ「平成大停滞」はこの金丸訪朝から始まるのである。
 平成元年十二月十二日に白頭狸が落合莞爾名義で発表した『平成日本の幕末現象』は、WWⅡ敗戦の結果米軍の駐留を甘受した日本の政体を、横田に幕府を置く征倭大将軍の幕藩体制に準えたうえで、「在日米軍の軛」のもとに政治・外交を規制され経済・金融で搾取され続ける日本が、この状態を脱するためには、経済力でアメリカを凌駕するに至った今が絶好の機会で、横田幕府を倒して平成維新の旗幟を揚げるのは今を措いてない、と唱えたものである。
 その五日後すなわち十二月十七日に日本銀行第二十六代総裁に就いた三重野康が同月二十五日、大蔵大臣橋本龍太郎の反対を押し切り公定歩合の第三次引上げを実施したのが原因で、日経ダウは同二十九日の大納会で示現した三八、九一五円を最高値として以後三十年に及ぶ「平成大停滞」に入るが、その原因は、引き続き日銀が実施した二度の追加利上げと、翌日の大蔵省証券局長が発した「特金禁止通達」、および平成二(一九九〇)年三月に大蔵省銀行局長が発した「土地関連融資の抑制について」という通達(「総量規制通達」であることは明かである。
 大蔵省と日銀が連携して行った資産暴落策は、平成末期の金融バブルによって生じた土地・株式の資産暴騰に対してマスコミが形成した国民の嫉妬心の炎上を恐れた自民党政体が採った資産暴落政策を受けて実行したものであった。
 当時大蔵官僚であった高橋洋一嘉悦大学教授によれば、平成三年の
銀行局の総量規制でバブルは沈静化し地価が下落したが、問題はここからで、すでに平成元年五月に二・五%から三・二五%に公定歩合をあげ、次いで十月にも追加利上げしていた日銀が「新総裁三重野康によって更なる利上げをしたことがバブル処理における致命的な失敗であった」とのことである。
 バブル期に異様に高騰していたのは株価と土地だけで一般物価は健全な状態(インフレ率三%以下)だったのに、その状況を正しく分析できずに金融引締めを継続した日銀の歴史的な失敗が、バブル後遺症を二〇年も長引かせた原因、と高橋さんは指摘するのである。
 資産暴騰のうち、株価は三重野新総裁就任直後の平成元年十二月二十九日の大納会で大天井を示現してピークアウトしたが、これをもたらしたものが、三重野新総裁が十二月二十五日に敢行した第三次利上げか、その翌日に大蔵省証券局が発した「証券会社の営業姿勢の適正化及び証券事故の未然防止について」と題する通達なのかが問題となるが、こんなことを論じても無駄で、慥かなことは両者が連帯して株価大暴落をもたらしたことである。
 因みに、高橋洋一『給料低いのぜーんぶ「日銀」のせい』によれば、この通達を起案したのは高橋本人だというから、証券局総務課時代であろう。
 土地に関しては平成二年三月の銀行局による「総量規制通達」がとどめを刺し翌三年にピークアウトしたことで資産バブルは沈静化したが、三重野利上げはその後も続き、平成二年三月に第四次引上げ、同年八月に第五次引上げを行う暴挙により公定歩合は六%に達した。
 高橋は「そもそも資産バブルの原因は、一般に言われているようなプラザ合意の後の低金利政策ではなく、税制の抜け穴を利用した証券会社の営業特金や土地転がしで、資産売買の回転率が異様に高まったから」という。
 だが当時、投資家として投資戦線に参戦していた狸の実感では、原因と結果が逆のように思う。資産売買の回転率が高まったのは表面にも表れた事実であるし、その原因が低金利政策でないことも慥かであるが、だからと言って営業特金や土地転がしが回転率上昇の原因とはいえない。
 高回転率はむしろ資産高騰の結果であり、資産高騰の原因が銀行の融資姿勢にあったことは、当事者全員が知る絶対的な事実として、社会が共有する常識である。
 この銀行の融資姿勢の極端な緩和を、高橋洋一ともあろうものが無視することを白頭狸は甚だ訝しく思うが、恐らくは資産バブル崩壊の責を大蔵省に問わず、大半を日銀の引締め策に帰し、延いては平成大停滞の責を日銀に問う魂胆であろうか。
 白頭狸が思うのは、そもそも平成大停滞の根本原因は大蔵省と日銀が共同謀議により資産価格の暴落を図ったことで、資産格差の拡大で出現した成金に嫉妬する階層を代弁する左傾メデイアの攻撃を選挙上で畏れた自民党が採った愚策から発するのである。

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