見出し画像

〔175〕ドルペッグ人民元の真相

〔175〕「ドルペッグ人民元〕の時代とは
 昭和四十六(1971)年が世界史の特異年(シンギュラー・ポイント年)であることは改めて言う必要はないでしょう。
 アメリカ行った基軸通貨ドルの乱発により、金1オンス=35米ドルを「為替定数」とする「ブレトンウッズ体制」が崩れて転機を迎えたポストWWⅡ時代は、大東亜戦争の終戦から「第一特異年」に至るまで二十六年を要していますが、大東亜戦争の開戦から数えると三十年です。
 この三十年は、「日米戦争」の開戦が日支(日中)間の連合を実現しないまま前倒しされたことから短縮された期間です。石原莞爾の当初の予想がズレた期間に相当するこの三十年を、落合は「世界史の襞(ひだ)」と呼びますが、「ブレトンウッズ体制」とは、この「歴史の襞」を押さえ止めていた「ホチキス」のようなものです。
 昭和四十六(1971)年に大統領補佐官ヘンリー・キッシンジャーの入れ知恵に乗ったニクソン米大統領が「そのホチキス」を外したことにより、ポストWWⅡ時代はこれ以後「ぺテロダラー期」に入ります。
 「ホチキスを外す」とは「歴史の襞を延ばして隠れていた部分を表に出すこと」ですが、ニクソン訪の意味はまさにそれで、三十年の襞が遅らせてきた「日中国交回復」がこの時同時に行われたのは必然なのです。
 「ペテロダラー」の本質は、「米ソが通謀して原油価格を吊り上げることで産油国が非産油国を搾取する覇権主義的謀略」ですから、原油価格を恒常的に維持するには人為的行為が必要で、産油地帯で時折戦争を起こさねばなりません。
 世界の警察官を決め込むアメリカがその警備費用を捻出するために、原油価格を高値に維持して得た超過利益を宛てる構造が「ペテロダラー体制」です。これにはソ連のブレジネフも同調していますから、二大暴力団が提携してお互いの縄張りを守っているようなものでした。
 しかし、戦争で原油価格を維持するその場しのぎの「ペテロダラー」は
「為替定数」すなわち米ドルと金の交換率を保つことができず、この間に金の市場価格はどんどん低下して言います。
 つまり「ペテロダラー体制」のもとで米ドルの対金価値は恒常的に低下していたわけで、インフレが昂進するアメリカは、経常赤字と貿易赤字が共存するスタグフレイションに見舞われます。貿易赤字はアメリカの工業品生産性が日独などの新興工業国に劣ってきたためです。

 アメリカの貿易赤字を食い止めるために、先進五カ国の財務相が「ドル安円高」で一致したのが昭和六十(1985)年の「プラザ合意」で、これを敢えて引き受けた日本が「アメリカ覇権」の対抗勢力として世界史の表面に浮上してきます。
 当時は「1ドル240円」まで円高が進んでいました。実態は、円もドルも対一般物価(および対金価格)で減価していく中で相対的にUSD(米ドル)よりも減価が少ないJPY(日本円)の対ドル価値(ドル/円)が、ブレトンウッズ合意の360円から240円まで50%も切り上げされていたわけですが、「プラザ合意」はさらにドル/円を120円まで落とす(円を切り上げ)ことを日本に要求したのです。
 これに応じたのが中曽根内閣の竹下登蔵相で、進みすぎたドル安で円高不況に陥った日本経済を救済するために増刷したJPYが金融界に溢れ、日本株と不動産に回ったので、金融バブルが出現します。

 これが「昭和・平成の交」の日本で発生した「金融バブル」とその後の日本を襲った「1990年のバブル崩壊」の真相で、その後の三十年にわたる「平成大停滞」の遠因を成します。
 「平成大停滞」とは落合の造語で、「1990年のバブル崩壊」の数年後から三十年も続き、令和三(2021)年にようやく脱することができた日本経済の長期的停滞のことです。
 ここ迄、一応ポストWWⅡの前期「ブレトンウッズ期」とそれに続く「ペテロダラー期」を総括してみました。

ここから先は

4,129字

¥ 500

いただいたサポートはクリエイター活動の励みになります。