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竹下さんの遺体はどこへ? 10/1

 〔60〕竹下登の遺体はどこへ
  平成十一(1999)年三月三十一日、埼玉医大付属病院に入院中の竹下登に面会客が訪れたことを水民民彦さんが伝えてきた。
その内容を、若干の修飾を加えて以下に述べる。

  その客は現職の国会議員で父は自民党ニューリーダーの一人であったが、来意は、父が竹下登を通じて借りていた某資金の返済期が到来したが、返済できないことを詫びることにあった。
頬がこけやせ細った姿で病床に横たわる竹下氏は、見舞客に次のように言った。「あの金はもう返さなくていいんだよ。わたしはもうすぐいなくなるからね」。
思わず出かかった安堵の吐息をおさえた見舞客が「そんなこと仰らず長生きしてください」と慰めたところ、幽かな笑みを浮かべた竹下さんは「死にたいわけではないが仕方がないんだ。君のお父さんも、わたしと同じ理由で亡くなったんだよ」と呟いた。
驚いた見舞客は思わず「うちの父もーーーなぜですか?」と聞き返したが、竹下さんは幽かに笑っただけで目を閉じた。

 これとは別に仄聞したことがあり、略して下に述べる。
 竹下さんが呼吸をしなくなった日は四月五日で、例により見舞客を装った見届人が派遣された。作曲家兼作家で「月光仮面」の原作者として知られる川内康範(1920~2008)である。
 水谷さんは以前から川内康範の話をしていた。初めて遭ったのはハワイから帰る飛行機の中で、ファーストクラスが二人だけだったので隣席で色々話したが、康範はハワイの日経某企業で顧問をしていたと言ったそうだ。
後日、わたしと水谷さんがハワイへ行った際、川内康範の顧問先
のホテルを訪れたのは一種の情報収集である。ホテルの支配人がかなりの時間を割いていろいろ語ってくれた。
 お茶のいっぱいも出なかったことが記憶に残るが、この時に得た情報で川内康範の背後勢力の見当がつき、あとで大いに役に立った。その内容はここでは述べないが、戦略思想研究所の会員やその他の有志が例の方法で質問された場合にはパソコンでお答えします。
  ともかく四月五日の前後に埼玉医大付属病院を退院した竹下さんの遺体は箱型の車に乗せられ、安住の地を探して都内の各病院を回ったと聞く。
 一定の期間偽装生存させておくことが条件だから引受先が中々出てこず、退院当日は一晩限りの約束で某病院(名を秘す)に遺体を預けたのが、佐藤アキ女史とほか一人であった(名を秘す)。二人は翌日に築地の聖路加病院と交渉し「笹川良一さんと同じようにしてほしい」と懇請したが謝絶され、最終的に白金の北里研究所病院に入った、との事である。
 ここまでの報告が幾つかの情報源から入ったが、驚いたことに、わたしが得てきた情報は部分的ながらすでに四月初旬から出回っていた。大阪和尚すなわち本願寺忍者の斉藤敏一郎くんから「情報源の根本は本願寺系の宗教新聞で、ここが漏洩した情報の内容を確認しようと躍起になった各誌が派遣した敏腕記者が都内各地で活動している、と伝えてきた。活動とは竹下さんの所在探索である。
 わたしの探求心は当然ながら北里病院に向う。竹下さんの病室は当然特別室のはずだが最上階にあるという。さいわい院内に協力者が見つかり情報が入ったが、内容は下記の通りであった。

 階段は鉄の扉でロックされており、エレベーターも最上階には行けない。つまり最上階は完全な密室で、部屋は四室あるが現在使っているのは一室だけである。つまり一人の患者がワンフロアの四室を借り切った形である。
 その患者は当然竹下登氏の筈であるが、念のためカルテを調べて
貰ったら、不思議なことにカルテが作られておらず、患者名が確認できないという。

 ここまでが院内からの情報で、「やはり!と思ったわたしは、別のルートから裏付けを取った。それは某大手マスコミのベテラン記者であるが、次のように言う。

 そもそも重要人物が入院した際、入院先はその日のうちに系列の上部に報告する義務がある。上部とは東大医学部あるいは東京医科歯科大学のいずれかで、それぞれ下部から報告が行くが、今回はこのどちらにも竹下入院の報告が来ておらず、普通に考えれば入院していないと見るしかない。

 これでおおよその真相が見えてきた。北里病院の最上階はすべて空室で、すべての使用料金を誰かが払っているのである。そのうち「竹下夫人が日曜ごとに下着を持って北里病院を訪れている」ことが報道されたから、支払者はやはり竹下家と思われる。
 ところが、朝日新聞のたしか四月六日版の社会面に「竹下氏死亡」と題したマッチ箱くらいの大きさの記事が出た。縦枠が太線、横枠が普通の細線というやや変わった記事で、サブタイトルを「実はデマだった」としてあった。
 各誌の敏腕記者がザワザワ騒いでいる最中に朝日新聞がこの記事を出したのは重大な意味がある。竹下の死亡騒ぎに水を掛けたのである。
 そこへ大阪和尚から電話があった。「見ましたかぁ、あの記事。縦枠だけ死亡記事の黒枠ですやろ。あれ、われわれは“半黒”ちゅうんですわ。文章はデマや言うてますが、ホンマは死んでおるちゅう意味が、分る人には判るちゅうわけですわ」

 

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