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〔174〕前項で言い残した大問題が「三峡ダム」と「ソーラーパネル」

〔174〕前項で言い残した「三峡ダム」と「ソーラーパネル」
 〔173〕はタイトルに「三峡ダム」と「ソーラーパネル」を掲げながら、内容がそこまで到達しないうちに紙数が尽きました。
 そこで本項は〔173〕の続きとして「三峡ダム」と「ソーラーパネル」に到達したいと思いますが、その前にポストWWⅡ時代の本質をもう少し説明しなければなりません。
 「ペテロダラー時代」は、産油国が膨大な利益を得るために、キッシンジャーが作為的演出したもので別名「米ソいんちき時代」ですが、世界経済からみると「日本の工業力が飛躍的に発展した時代」なのです。

 「工業力の権化」が自動車工業です。昭和末年には、世界中の国は「自動車を生産できる国」と「自動車を生産できない国」に大別される、というのが世界観の要点でした。ペテロダラー時代に自動車工業で世界を制覇したのが、トヨタと日産ですから、またの名で「トヨタ・日産時代」と呼んでもおかしくはありません。
 日米間の貿易摩擦において真っ先に登場したのは「繊維摩擦」で、昭和三十(1955)年ころから燻り始めますが、「沖縄返還」と絡めた交渉が、日本側の自主規制に遷って紆余曲折したのち、昭和四十六(1971)年に佐藤内閣の通産大臣となった田中角栄が渡米してコナリー財務長官と交渉します。
 米国側で「対敵通商法」を制定して「一方的に輸入制限する」動きがあることを察知した通産省幹部は「ここが潮時」と判断して田中大臣を説得し、
自主規制で生まれる繊維産業の余剰設備を国費で買い上げる処置を講じることで一段落となります。

 日本の経済成長と技術革新に裏打ちされた国際競争力の強化によってアメリカに大量の日本製品が流入するのは当然の成り行きですが、これが原因で日米間につぎつぎに貿易摩擦が生じます。
 最初の「繊維摩擦」に次いで1970年代後半(昭和50年代)に生じたのが「鉄鋼摩擦」です。その後、1980年代には「家電摩擦」が生じ、次いで「自動車摩擦」が発生します。いずれの摩擦も日本側が自主規制により収束させますが、これに続くはずの「半導体摩擦」については、日本側が対応を変えたのです。
 これが「平成大停滞」の主たる原因をなします。

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