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〔172〕世界史の進行を三十年遅らせた?「一の國體秘策」

 昨夜は体調すぐれず、〔172〕の無料領域を書きかけたまま茶粥一膳食べて寝てしまいましたが、今朝は気分爽快なれば、孫ら一行が到来する前に〔172〕の無料領域だけでもまとめたいと思います。
 note「拾得ブログ」の[歴史の岩戸開き(52)」を御覧になられた方々が先刻御承知の拾得居士は、1994年以後本年までの三十年間を「地軸のズレによって世界史の進行が遅れた期間」と規定しています。
 落合は昨夜これを読んで白頭を痛打された思いがありました。それまで、世界史が時間軸を進行するさまを、時刻表の通り定速で線路を疾走する新幹線のごときものとイメージしていたからです。
 以前は「時間は一定の速度で過ぎてゆくもの」と誤解していた落合は「地球の公転時間は毎年一定でなく年々でわずかな差異がある」ことを知りましたが、「地軸のズレ」には気が付かなかったところ、昨年来庵された華頂博一氏の御教示により「地軸のズレがもたらす諸現象が世界史において重大な意味を持つ」ことを覚りました。
 これにより平成以来抱いてきた「世界史の謎」が解けた!と、思わず膝を叩いた落合は、昨夜はそのままパソコンの画面を閉じ、折から狸庵を来訪した息子夫妻が連れてきた孫の諒爾を観察することにしたのです。この子がわが「國體秘史の研究」を継いでくれると有難い、などと思いながら。
落合が長年抱いてきた「世界史の謎」とは、「世界最終戦争が石原莞爾の想定より三十年早まった」ことであります。
 昭和十五(1940)年に『世界最終戦論』を公刊した石原莞爾は、来るべき「日米最終戦争」の時期をその三十年後すなわち「昭和四十六(1971)年」と想定していましたが、現実の世界史は戦雲の動きが激しく展開が急速となり、昭和十六(1941)年に「大東亜戦争」が始まります。
 それより以前に「世界最終戦史観」を確立していた石原莞爾は、この事態をどのように見ていたのか。それを吉薗周蔵は「周蔵手記」の中に遺しています。
 因みに「周蔵手記・本紀」の末尾は次のようなものです。

 (昭和)14年 (前略)
〇満洲キネマの事、甘粕さんから聞く。応援者は薩摩(治郎八)とつきあふ
連中らしい。カクトフ(ジャン・コクトー)氏も関係しているやふだ。尤、カクトフ氏の藥は甘粕さんまはりであるから、すべて連鎖なのであらふか。
△ナチスはユダヤを追放しているのであるに、甘粕さんはユダヤ系の秘密結社と繋がっていての、キネマであるやふであるに、東条は?

 上原勇作元帥の「草」だった吉薗周蔵は、元帥の実質的女婿の甘粕正彦を通じて元帥の下命を受けていましたが、昭和八年に薨去した元帥の遺命で陸軍大将荒木貞夫に仕えますが、その後も甘粕には兄事していました。

 甘粕正彦も荒木貞夫もハプススブルク大公系の「國體参謀」ですが、荒木は陸軍皇道派の中心であったのに対し、甘粕は陸軍統制派の総帥たる陸軍中将東条英機とは極めて親しい関係にありました。
 「周蔵手記」の上掲部分は、そのあたりを解明せんとしているのです。すでに御高承と思いますが、このnoteに「拾得ブログ」という続き物があります。筆者の拾得居士は落合が最も尊敬する民間哲学者の一人です。居士が本日発表された「歴史の岩戸開き(52)」は見出しを「神の大仕掛けが30年ずれた理由」としています。内容はnoteに出ていますから、検索してみてください。

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