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〔141〕郭松齢反乱後の満洲(2)

〔141〕郭松齢反乱後の満洲(2)
   関東軍の介入により動きを阻まれた郭松齢のクーデタが張作霖の部下によりアッサリと鎮定されたのは、大正十四(1925)年暮れのことです。このとき活躍したのが張作霖に護衛隊長として仕えていた伊達順之助です。
 五年前の大正九(1920)年一月三十日、上原勇作元帥の大森邸に参上した吉園周蔵が応接室で満鉄奉天公所長蒲田彌助から憲兵司令部副官甘粕正彦中尉を紹介されます。
 その甘粕中尉が三月二十九日に幡ケ谷の周蔵宅を訪ねて来、「伊達順之助なる人物を匿ってほしい」と、周蔵に頼みます。聞けば、山縣元帥の爆殺を計画したが失敗して官憲に追われているとの事です。
 大変なことを頼まれたのですが、これを受けた周蔵は順之助を弁天町のアジトに匿い、身の回りの世話を池田巻(後に周蔵夫人)に頼んで満洲へ旅立ちます。
 この満洲行の目的は、張作霖が醇親王から傭の俸給として下賜された「奉天古陶磁」を換金する目的で日本に引き取るための準備工作です。
 参謀総長上原勇作はそのために奉天特務機関を再開して、”隠れ腹心”の貴志彌次郎少将(新制6期)を機関長に就けました、日本帝国の満洲政策の本部は旅順の関東都督府で、陸軍部参謀長浜面又助少将(新制4期)は、紀州出身の陸軍軍人として貴志の二年先輩です。
 第二次満蒙独立運動の時参謀本部支那課長の浜面大佐は、粛親王を資金及び武器供与で支援したことで、攻撃対の奉天軍の将軍張作霖とは敵対関係に立ちました。人脈的にも山縣元帥に近い「政体派」の軍人であった浜面が旅団長を経て関東都督府の陸軍部参謀長に就いたのは、満蒙独立運動に失敗した粛親王を財務的に補填する秘密任務を帯びていたのです。
 たまたま「奉天古陶磁」の存在を知った浜面少将は、満鉄研究所でその模造品を作って内地で売り、その売り上げで粛親王の財務を補填する計画を建て、山縣配下の政体軍人が多くを占める陸軍中央の承認を得ます。
 一方、参謀総長上原勇作は、張作霖との懇親を図る名目で奉天特務機関を再開し、機関長に就けた貴志少将に「奉天古陶磁」の日本移入と紀州徳川家への「嵌め込み」を命じます。
 参謀総長でありながら陸軍中央が定めた方針よりも大東社が定めた張作霖起用策の方を重んじる上原勇作は、敵地に単身進入した形の貴志を外部から支援する任務を下したうえで、満洲東亜煙草会社の設立を名目に吉薗周蔵を奉天に派遣したのです。
 それはさておき、幕末四賢侯の一人伊達宗城の孫の順之助は男爵の六男にも関わらず乱暴者で、非行のために各地の学校を追われて満洲に渡り、大正五(1916)年に粛親王と川島浪速が起こした「第二次満蒙独立運動」に加わりますが、奉天で企てた「張作霖暗殺」が失敗に終わります。

 順之助が甘粕正彦と知り合ったのは、胡桃沢耕史の伊達順之助伝『闘神』によると大正八(1919)年のようです。皇太子裕仁親王の御妃候補に内定した久邇宮良子女王の排斥に動き出した元帥山縣有朋を憎み、その暗殺計画を進めていた岩田冨美夫ら一部右翼が硬骨軍人の甘粕を呼び込んだ、と胡桃沢の『闘神』は説明しますが、甘粕本人を理解しないこの見方に、落合は到底左袒することはできません。
 『黒パン俘虜記』の資料収集のため、胡桃沢が吉薗遺族を尋ねてきたことを落合は吉薗明子さんから聞きましたが、直木賞を受賞したその著の後で胡桃沢が書いた『闘神』で次のように述べています。
 「日本中の社会主義者を何かの機会に一斉に惨殺してやろう、という大きな計画があった甘粕が、順之助が肚を割って打ち明けた計画につい乗り気になった」というので、はなはだ皮相的で浅薄な見方というほかりませんが、大衆作家に限らず、これまでの甘粕論は史学者にしてもこの程度です。
 「大杉栄事件」の真相を世に初めて明きらかにしたのが拙著『國體志士大杉栄と大東社員甘粕正彦の対発生』ですが、そこで説明したように、後藤新平の秘密諜報員であった大杉を偽装死させてソビエト・ロシアに逃した憲兵大尉甘粕正彦の正体はワンワールド國體に仕える大東社員です。
 つまり、戦後日本の史家・歴史教科書・マスコミがいうような狂信的愛国主義者ではありません。ワンワールド國體に奉公する存在として、文化人が想像するよりはるかに大きい存在です。

 山縣元帥が統率する長州軍閥の崩壊を導いてきた上原元帥の実質的娘婿の甘粕正彦が憲兵司令部副官の立場で山縣暗殺計画に秘かに参加したのは、岩田らに誘われたからではなく、上原元帥の指示によるものと観るのが自然で合理的です。
 かねて山縣元帥暗殺計画に加わっていた伊達順之助は、暗殺計画に誘い込まれる形で接近してきた甘粕正彦と「山縣元帥爆殺」を実行しますが未遂に終わります。
 この時の爆殺計画が、後の張作霖列車爆破事件に酷似しているのが気になりますが、あるいは胡桃沢が「張作霖事件」の犯行構図をそのまま『闘神』に借用したのかも知れません。

、ちなみに甘粕と伊達による「山縣有朋暗殺未遂事件」は、上原が山縣の権威を貶めるためにしかけた世論工作の一環で、山縣本人の殺害を目的としたものでなく「未遂が目的」と落合は聞いております。

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