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〔116〕歴史相似象 プリゴジン・西郷・安倍晋三

〔116〕歴史相似象の例 ブリゴジンのモデルは西郷隆盛

 長年求めていた大東亜戦争ないしWWⅡをめぐる國體秘策の謎をあらかた解明した落合は、本稿の〔115〕に一応まとめることができました。
 こうしてみると、今まで全く無関係のように見えた歴史事象が、ジグソー・パズルのピースのように繋がってきます。しかも個々の歴史事象の間には学者が謂うような〈共時性〉は在りません。
 つまり偶然に同時発生したものではなく、それぞれが因果関係によって不可分に結ばれていることが判ります。
 全世界と全時代に渉る世界史は、あたかもジグソー・パズルのごときもので、「完成図」をさきに見せて貰えれば完成は容易ですが、「完成図」を知るのは國體勢力だけですから、巷間で世界史学を志す者は、まず自分なりの「世界史の完成図」を想定することから始めた方が効率的です。
 「世界史の完成図」を想定できない者は、自ら解明した個別歴史事象間の関係を「歴史の共時性」とか言いながら、「その共時性を成り立たせているもの」すなわち「因縁」を理解することなく、偶然に帰することで自己満足して終ってしまいます。
 因縁を発見する方法として落合は、この三十年間、「歴史の個別事象に顕われた相似象」を用いてきました。
 Note〔116〕はタイトルの通り、先日飛行機事故で死んだと報道されたロシアの私兵隊「ワグネル」の隊主エフゲニー・プリゴジンの相事象として西郷隆盛を取り上げて解説します。
 西郷とプリゴジンに関して歴史的に相似的性格を有する関係者を挙げ、対比することから始めますが、長くなるのを避けるために箇条書きにします。

 第一・西郷の生涯で最大の理解者であった大久保利通に当るのは、プリゴジンの場合、大久保利通とみて良いのです。木戸孝允は西郷と示し合わせていて「西郷もういい加減にせんか!」との合図を遺して病死を装い、一足先にスイスへ向かいます。

 第二・プリゴジンの軍事行動を妨害したショイグ国防相は、西郷の場合、山縣有朋です。藩民人口の中で士族(農兵)の割合が際立って多かった薩摩藩は、明治維新に際して長州藩など各藩との調整を迫られました。
 西郷は薩摩武士たちを新政府軍で活用すべく士族兵制度の採用を願っていましたが、長州藩の主力兵たる「奇兵隊」は卒族ないし武家奉公人をドサクサ紛れに士分にした「新士族」で構成されていました。その総帥が山縣有朋で、大村益次郎の国民皆兵論に乗って一気に新政府の有力階層にのし上がることを望んでいたのです。

 第三・ロシア官軍を司令官として指揮するショイグを支える参謀総長ワレリー・グラシモフを、落合は帝国陸軍では大山巌と対比させておりますが、実態がまだよくわからず、あくまでも「一応」です。

 第四・プリゴジンの私兵「ワグネル」はいうまでもなく、西郷の「私学校」です。時勢の流れで薩摩藩農兵が維新政府で「余り物」となることを防げなかった西郷は、私学校を創って中村半次郎に彼らを預け、維新政府と一戦を交わして潔く花と散ることを黙認し自ら彼らに殉じようとしましたが、大勢はそれを許さず、スイスにいた旧主島津斉彬の命により偽装死して渡欧し、斉彬およびその背後のワンワールド國體に奉公したのです。

 第五・西郷は私学校軍が熊本城を攻めているときに密かに脱出し、名護屋の呼子港から羅津を通り、草原の道を通ってウクライナに入ったようです。行き着いたところはもちろん、島津斉彬のいるジュネーブです。

 第六・ワグネルを率いたプリゴジンが「ロシア政府にモノ申さん」との構えでモスクワに進軍し、途上で多くの住民から支持されました。目的は私学校軍の熊本城攻めと同じく、盟友プーチンに対する「兵諫」です。
 ここからは明治維新と異なり、プリゴジンの内心を理解しながら、口では「反乱」というプーチン大統領に呼吸を合わせて進軍を辞めたプリゴジンは、ワグネルとともにベルルーシに遷りますが、八月二十三日、モスクワ行の飛行機が遭難した時、乗客名簿にその名がありました。

 以上が「プリゴジンの乱」の概容です。落合はこれ以上を語りませんが、ユーチューブなどでは、これから「プリゴジン生存説」が盛り上がるのは当然のことで、いわゆる「西郷星」同様のものがアフリカに現れても不思議はありません。 プーチンもあながち、その風評を鎮める意思もないようです。
第七・落合が思うのは、安倍晋三西大寺事件との相似象ですが、ここで述べられることではありませんので、宜しくーーーー

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