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〔98〕落合國體論断片 昭和帝は岸が嫌い、とは本当か?(続)7/29完結

 〔98〕落合莞爾國體論の断片 昭和帝は岸が嫌い、とは本当か?(続)
 前項〔97〕では「昭和天皇が岸信介に倦厭の情を抱かれていた」という倉重篤郎氏の説を紹介しました。〔98〕はその続きですが、情報シェルターとして後半を有料領域といたしますのでご了承ください。
   『月刊日本』の倉重氏の説に接した 私(落合莞爾)が、にわかに想いだしたのが、昭和十二(1937)年1月に組閣の大命が下った宇垣一成の総理就任に対して陸軍内部から猛烈な反対が起ったため、宇垣がついに大命の受諾を諦めた事件陸軍挙げての宇垣排斥事件です。
 陸軍の総意として「宇垣が組織する内閣に陸軍は陸相を出さん」と伝えられた宇垣は、当時の憲法的慣行であった「軍部大臣現役武官制」からして内閣を組織できなくなったのです。

 平成三十二(2020)年12月に出版した落合吉薗シリーズ12巻『石原莞爾の理念と甘粕正彦の策謀の狭間』で、その事件について深く考察したわたしは、かのとき陸軍挙げての陸相就任拒否に困惑した宇垣が、自ら陸相を兼ねることを決意して内大臣湯浅倉平に打診したところ、もし失敗すれば影響が天皇に及ぶのを恐れる湯浅から、断わられたことを思い出しました。
 拙著ノ執筆の際に、天皇と側近の関係を漠然と理解したつもりのわたしは、今回の倉重説に接して違和感がありました。

 ここからは有料領域です。
 

 
 

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