見出し画像

〔156〕覇権通貨と國體通貨をつなぐ國體参謀衆(最終囘)2/23完結・末尾が重要につき再読を願う

〔156〕覇権通貨と國體通貨をつなぐ國體参謀衆(最終)
 落合がこのnote で主題としたのは「人類史と國體勢力との関わり」ですが、余りにも遠回しに語ってきたので、今は何を論じているか分からなくなる始末です。それでも白頭狸noteの全体を通じて

 WWⅠ⇒金本位制復帰・ブレトンウッズ協定⇒米ドルを支える金総量不足⇒ペトロダラー制とソ連の合流

 までに至る通貨史が、ワンワールド政体史と同じものであることをご理解頂けたと思います。

 そしてこれは歴史ですから必ず「節目」すなわち「時代区分」があり、その基盤は社会底流から生まれるとは言っても、その具体的発現には必ず「英雄」ないし「英雄的行為」を必要とするのが社会の定めです。。
 なぜなら歴史の「節目」が実現する際には、必ず実定法違反はもとより社会的良識や一般道徳の無視・蹂躙などの暴力行為を伴うからで、その無法を犯すことを避けている間は、歴史の「節目」は現実に到来しないのです。
 これは本邦の現状にも当てはまり、対米従属体制を脱するのが来るべき「歴史の節目」ですが、無法な暴力行為を邦人全員が避けている間は、そんなこと決して実現しないのです。
 歴史を振り返るとき「節目」に値するほどの変化に際しては、極端な不道徳、端的にいえば「殺人」が必ず行われていたことを発見します。対象がたった一人であろうとも「殺人」を伴わない「節目」はないのです。

 たとえば昭和三十五(1960)年五月、日米安保条約の第一次改定を巡るデモに参加した東大生樺美智子が仲間のデモ衆の中で圧死しました。
 さらに同年十月、日本社会党中央委員長浅沼稲次郎が愛国青年山口二矢によって、演説中に刺殺されました。

 この二人の死を機に安保反対勢力が変質し反米運動が陰性化したことで、自由民主党による「米主日従体制」が固まりました。これより五年前の昭和三十(1955)年に一応成立した「五十五年体制」は社会党が党内分裂のために本来の機能を発揮していなかったのですが、これにより社会党は左派が実権を握ったことで自由民主党の万年保守党化と日本社会党の万年野党化が確定し、「米主日従体制」の下で日本が高度成長路線を歩むことになります。
 つまり戦後日本史における「節目」を成したのは「樺美智子の事故死と浅沼稲次郎の“明殺”であったと言えるのです。
 翻って大正十二(1923)年九月には、無政府主義の中心であった大杉栄と家族らが東京憲兵隊の甘粕正彦大尉によって殺害(と)されたことにより、以後のアナキストの活動は終息したのです。
 これを事前に見通していたのが元帥上原勇作で、女婿の甘粕正彦に大杉栄らの殺害(地涌は偽装)を命じたのです。拙著『國體志士大杉栄と大東社員甘粕正彦の対発生』(紀州文化振興会・令和五年一月初刊)で明らかにしたように、大杉事件は國體参謀甘粕正彦と大東社員大杉栄の馴れ合いで行われた一種の八百長で、大杉栄もその家族も実際には死んでいませんが、社会的には完全に“明殺”扱いをされたままで「歴史の節目」を形成しました。

これを一言で謂えば、「歴史の節目」には必ず「人の死」を必要とするのです。このゆえに「歴史の節目」を造るべく選ばれた者が「敢えて殺人を犯す」ことになりますが、世にこれを「英雄」と呼ぶのです。
 甘粕は帝国陸軍の英雄とされ、山口二矢は戦後愛国主義者の英雄となりました。
  ここから先は有料領域です。


ここから先は

4,839字

¥ 500

いただいたサポートはクリエイター活動の励みになります。