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〔134〕張作霖列車爆破の真相が判った! かなり加筆したので再読必須

 かなり加筆しましたので必ず再読してください。南光院敬白
〔134〕張作霖列車爆破の真相がわかった 加藤康男に感謝!

 昭和三年の張作霖列車爆破事件については、史家の大半は関東軍の犯行と断じており、これが今日でも史学界の通説です。
 落合がこの通説を一般人よりも深く信じたのは、「河本ガヤル」との噂が前年からあったことを「周蔵手記」が記しているからです。
 ところが、これを信じながらも落合の心中は微かな蟠りがありました。それは平成十三(2001)年頃から同十七年まで続く「麻布十番レポート」のどこかに、ソ連特務機関(今のKGB)犯行説が出ていたからです。
 「麻布十番レポート」とは、当時港区麻布十番に在った落合事務所を訪ねてきた國體舎人がもたらす情報を受けた落合の秘書が、紀州流寓中の落合に報告してきた文書のことです。事実だけをごく簡単に述べたものですが、この時の報告が、ソ連犯行説について舎人が「肯定的」のように見えたので、信じはしないものの、胸中秘か仕舞っておいたのです。

 昨夜から今朝にかけて、加藤康男著『謎解き「張作霖爆殺事件」』を一読した落合は、直ちにこれまで捉われていた通説「関東軍犯行説」を放棄し、今よりは説を改めて加藤氏が説く「ソ連KGB&張学良犯行」に立つことと決まました
 加藤説について詳しく知りたい向きは、同著をお読みいただくとして、ここではごく簡単に概要を下記します。
 張作霖座乗列車爆破の謀主は張作霖の長男で奉天政権ナンバー2の張学良で、ソ連の諜報機関の工作を受けて立てた計画に、奉天派の重鎮楊宇霆(のち安国軍参謀長)・常蔭槐(のち東三省交通委員会副委員長)が加わっていました。
 爆心は同列車内に仕掛けられた黄色火薬で、現実の作業に当ったのは常蔭槐の部下と考えられます。これと並行して河本大作大佐と東宮鉄男大尉らも鉄橋に爆薬を仕掛ける作業を行いましたが、これは「関東軍がやったと世界に見せかける」目的の、いわば「逆アリバイ」を作ったのです。
 すでにソ連共産党の工作を受けていた張学良は、ソ連特務機関(今のGPU)の指示を受け、楊宇霆・常蔭槐ら奉天政権の重鎮を抱き込んで‟父”たる張作霖の‟爆殺”を実行したのですが、その背景に「張学良がすでに国民党に入党していた」という驚くべき事実があったのです。
 平成十八(2030)年に「産経新聞」が伝えたのは、張作霖列車爆破事件に一年先立つ昭和二(1927)年七月、張学良が奉天政権と対立関係にあった蒋介石の中国国民党に入党した事実が、スタンフォード大学がこのほど公開した「蔣介石日記」が明らかになったことです。
 これにより、張作霖列車爆破事件をとりまく様相は、これまでとは全く違ったものが見えてきます。平成十七(2019)年ころから落合が抱いていた「張作霖爆死事件の真相」に関する微かな疑惑は、空想でなくやはり実体があったのです。
 ところが、ここに新しい問題が起ってきます。孝行を最高道徳の一つに数える中華思想に浴していた筈の張学良が、最もおぞましい「父殺し」を敢えて行ったとは思えないことです。
 これを解するに二つの考え方が浮上します。一つは「張作霖と張学良は真の父子ではない」というもの。第二は「張作霖はあの列車爆破事故で死んでいない」というものです。
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