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〔106〕華頂家伝と國體史観の照合(4)

 〔106〕華頂家伝と落合國體史観の照合(4)
 華頂博一さんは伏見家から臣籍降下した華頂侯博信侯爵の孫です。
 旧華族の消息を管理している「霞会館」では、華頂侯爵家の当主を博一さんのいとこ華頂尚隆氏としているようですが、いわば「オモテの当主」で、伏見家が実際に華頂家当主として扱っているのが博一さんであることは、伏見宮当主の伏見博明氏が総裁を勤める一般社団法人「日本文化振興会」が副総裁に華頂博一さんを招いたことに、如実に顕われています.
 落合の洞察するところでは、博一さんと伏見宮家の関係は右に止まらず、博明氏(91歳)の代で男系子孫を欠くこととなった「永代親王伏見殿」の後継者として華頂博一さんが指名された、と観るべきです。
 しかも、その指名は伏見博明氏によるものでなく、勅諚を受けて平成二十九(2017)年10月17日に単身参内した華頂博一さんに、伏見家の家門の由来と永世親王伏見殿の意義を諭された平成天皇ご自身によりもの、と落合は洞察しています。

 そもそも伏見宮家は、既刊の拙著で繰り返し書いたように、一三〇〇年代の初め、南北朝の対立を収めるために秘密裏に定められた皇統維持のための根本原則「大塔経略」により生まれた家系です。
 拙著とは『南北朝こそ日本の機密』(2012年初刊)および、落合吉薗秘史シリーズ第3巻『日本皇統が創めたハプスブルク大公家』、同第9巻『ハプスブルク大公に仕えた帝国陸軍國體参謀』、同10巻『神聖ローマ帝国の世襲皇帝になった南朝王子』などで、いずれも主たるテーマを「大塔経略」としております。

ハプスブルク大公家に仕えた帝国陸軍國體参謀/神聖ローマ帝国の世襲皇帝になった南朝王子

 タイトルから察せられるように、伏見宮とハプスブルク大公は極めて密接な関係があるのですが、およそ天下の知識人にして右の落合説をまともに理解しえた方々は数える程でしょう。
 実に世界史の根本ともいうべきこの史実を発見しながら、浅薄な知識人や従米史家の憫笑を受けて呻吟する落合莞爾の心情は、虚しく「連城の壁」を抱いて慟哭するかの「楚の卞和」に通うものがあります。
 当初は三版、四版を重ねた落合史書の購読者は、テーマが「伏見宮とハプスブルク大公」に及ぶや、春陽を浴びた薄雪のごとく消えていき、自費出版に切り替えた今日は、僅かに一千部を超えるも二千部に届かぬ有様です。
 この一千余部を支える一筋の光明は、中森護くんの戦略思想研究所のセミナーに集まる塾生の方々ですが、近来これに指し添えて、このnoteの読者が現れました。

 居ること数月、「徳孤ならず、必ず隣有り」の古諺のごとく、本年三月に卒爾として拙寓を来訪された方がありました。「今の晃親王」たる華頂博一さんです。
 それまで博一さんについて全く知らなかった落合は、対談中に博一さんが発した一言に驚愕しました。何と、「周恩来はハプスブルクですよ」といわれたのです。
 これは落合吉薗シリーズ第4巻『ワンワールド特務・周恩来の日本偵察』の主旨を完全に裏付ける情報で、まさに「卞和献上の原石」の研磨剤のごとく、磨かれた落合史観はたちまち「連城の壁」になりました。
 
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