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魚市場で見た花火

私の花火の思い出は、ローカルで恐縮だが故郷の新潟まつりとセットになっている。新潟まつりの最終日が花火大会だからだ。8月7日から9日まで3日間。初日は民謡流し。私が参加していたころは佐渡おけさと新潟甚句を交互に2時間踊り続けて流していく。小学生の頃からの飛び入り常連だったが、当時は自宅の近所の万代会場でしか参加できなかったので、高校生のとき体育祭の連合で出て古町会場で初めて踊ったときはたまらなくうれしかった。その後就職し会社で民謡流しに参加して万代橋で踊ったときは長年の夢がかなって感無量だった。が、民謡流しのことは今回はここまでにしておいて、花火の話。

新潟まつりの花火は「川開き」が起源と聞いている。調べてみたら、新潟まつりのサイトにこんな歴史が紹介されていた。

明治41年、新潟は2回にわたり大火に見舞われました。
一日も早い復興を期して、同43年に「新潟川開き協賛会」が結成され、9月10日・11日の両日、萬代橋下流の中州で、花火が打ち上げられたのが「川開き」の起源とされています。

しかし若者にとって、花火と言えば友人・恋人との大事なイベント。特に初めて夏を迎えるカップルには、いかに花火を見るかは大事なポイントだ。いい場所で、あまり周りに邪魔をされないで見るのが理想。しかし花火がきれいに見えるところはたいていは混雑がセットだし、静かな場所は花火がイマイチだ。

高2の夏、つきあい始めたばかりの当時の彼氏と花火をどうやって見るか頭を悩ませていたとき、ソリューションは思わぬところからやってきた。以前漁船に勤めていたことのある父親だ。

「花火見るなら魚市で見ればいい。言っておくから。」

「魚市」というのは「魚市場」のこと。当時はまだ港に魚市場があったのだ。魚市場の稼働時間は早朝から午前で、当然夕方は人がいない。部外者は本来は入れない場所だが、父の口利きで入れてもらえることになったのだ。当然他にも「関係者」はいるだろうが、それでも大混雑の堤防や橋の上よりは全然ましである。

そんなわけで、高校生二人がなんだか薄暗い魚市の敷地にいそいそと入り、ビニールシートを広げて、母に持たせてもらった枝豆だの卵焼きだのおにぎりだの麦茶などを手元に、花火を見ることにあいなった。そのときどんな様子だったかは正直もうあまり覚えていないが、きっといつものように他愛のないおしゃべりをしながら「うわー」「きれいー」「すげー」なんて言っていたのだろう。打ち上げ地点からはそこそこ離れているので、ベストビューとはとても言えないが、それまでは家族としか見たことのない花火を初めての「彼氏」と二人きりで見ているなんて、何だか夢のようにふわふわしていた。ファーストキスもまだで、せいぜい手をつなぐのが精一杯の頃だった。「こんな風に一緒に花火を見れてうれしい、ありがとう」みたいなことを言われたような記憶はある。そういうことをストレートに伝えてくれる人だった。

今はそのあたりは再開発されて、魚市場のあとは「ピアBandai」という商業施設になっている。朱鷺メッセに向かう道すがら前を通りすぎると、あの夏の甘くせつない気持ちがかすかに蘇ってきて、ほんの少しセンチメンタルになる。彼とは花火の夜の翌々年、彼が一浪して私大に合格した直後に別れてから音信不通のままだ。今頃どこでどの花火を見ているのだろう。あの日の花火は、彼の中でどんな風景になっているのだろうか。

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