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海が大嫌いな私が、宮古島を好きになるまで。

#人事ごった煮会in宮古2020振り返り

生まれてからずっと、山が町の9割を占める土地で育ってきた。
家族旅行はもっぱらスキーと登山。
海に縁遠いまま育ったわたしは、海が嫌いだった。

そして2020年11月、海がきれいな宮古島を、わたしは好きになった。

「海」と関わるとき、思い出す景色。

小学生時代、私の住む神奈川県の山間から海までは、決して遠くない距離だった。小学校中学年のとき、遠足で訪れたのは【真鶴】。真鶴海岸で出会った大量のフジツボを足元に捉え、私は海の前で号泣した。そのときはっきりと「海は怖い場所だ」と認識したのを覚えている。

泳ぐのもあまり好きではなかった。本人としては泳げているつもりだったため水泳の測定会のときに「平泳ぎ 25m」と書いたら、担任の先生に「自由形」と書き直された。当時は何故か分からなかった(後に平泳ぎはバタ足でするものではない、と知る。しかしそれを知ったのは大人になってからだ)。

幸いにして、中学高校はプールのない私立の学校だったため「泳ぐ」ことを課されることはなかった。また、中学1年生から高校3年生まで所属していたテニス部も、合宿はかの曲で有名な尾瀬だったため、海とは縁遠い日々を送った。

海と親和性がさぞ高いであろう大学時代も、持ち前の陰キャさを発揮し、どのサークルにもイマイチ馴染めなかったため、当然海とは縁遠かった。唯一馴染めたアルバイトのコミュニティでは何度か海に行ったものの、それも陽キャ的な遊び方ではなく、しっぽり砂に埋まるなどで事足りた。

このように、わたしは人生のなかで「海」や「泳ぐ」などのイベントを、上手に回避していたのだった。その背景には

・うまく泳げないことへの恐怖
・漠然とした海への恐怖(地震が来たら?津波が来たら?など)
・実理面での不快感(クラゲがいそう、フナムシがいる、汚そう、ベタベタしそう、車の中が砂だらけになる、洗う場所ない、髪が痛む、など…)

といった思考があったように思う。

宮古来訪前の、わたしと海の距離。

そんな海嫌いのわたしは、2019年にとあるきっかけで「人事ごった煮会」というコミュニティの宮古島合宿に参加することになる。

当時はまだ転職したて。人事になったのも初めての、いわばひよっこだった。有休の取り方も分かっておらず(なんなら申し込んだのは入社前だった)、合宿に参加して東京にそのままとんぼ返り。残念ながら、宮古島を堪能するまでには至らなかった。

そして、翌年2020年、再度この地に降り立つことになった。

しかしながら、わたしの「海嫌い」は治るどころかどんどん加速の度合いを強めていた。この夏たまたま鎌倉や江ノ島に行くことが多かったのだが、【お世辞にもきれいとは言い難い海、照りつける厳しい太陽、靴下を2枚重ねて履いてもまだ鉄板の上に立っているかのような激アツな砂、迫りくる体調不良、熱中症】といった要素を強く脳裏に焼き付けていたため、「ワイは絶対に海には入らんぞ」という決意のもと、来島したのだった(そのため、水着は当然持参していない)。

海と向き合う時間を持つということ

ところで、わたしのとても大好きな友人に、海のことをとてもきれいに描写して歌う女の子がいる。(彼女のそのまっすぐな眼差しや心優しいながらも強い言葉にいつも心惹かれているのだが、)彼女はいつも海のことを、楽しげに、幸せそうに語ってくれる。

そこで語られる海は、【大きくて】【偉大で】【安心感があって】【すべてを包み込むようで】【どこまでも青い】といったものだった。また、そんな彼女の書いた歌には「しずかな海 夕日の色 忘れないで 波の音だけ 分かち合いたくて つつんでいたいの」とあって、底抜けの優しさに心を掴まれた。
でも、私には肝心な実感がなくて、油絵のようなタッチ、あるいは二次元的な風景としては思い浮かぶような気もするものの、完全に他人事だった。

それと同時に、そこで語られている「大いなる海」を見てみたい、という気持ちも芽生えていたのは事実だ。

2020年、向き合った海の色と景色。

上記のように「ネガティブな心構え」と「海と向き合うことへの憧れ」を持って入島した私だったが、
宮古島に降り立った私に強いインパクトを与えたのは【どこまでも澄んで青い海】だった。

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写真には表せないような透き通った青、青というには表現があまりに足りない、コバルトブルー?水色?エメラルドグリーン?きれいとしか形容詞がたい海に、言いようのない感慨深いものを感じている自分がいた。

青空が反射して海に色が映るという話はよく聞くし、沖縄の海は

①太陽光が強い
②海の透明度が高い(プランクトン少ない+サンゴの浄化作用)
③砂が白い(土砂が流れ込まない)
④海が浅い(海底もサンゴ=石灰質で出来ている)

という海が綺麗になる条件が揃っているというのもよく言うけど、
もはやそんな理屈がどうでも良くなってしまうくらいに美しい光景がそこに広がっていた。

その海は、5泊6日のわたしの生活のなかに、いつもぴったり寄り添ってくれていた。朝起きれば窓から海。夜盃を交わすときも、深夜の就寝に至るまで、ずっと隣には海。自分の視界のなかには、時間ごとにちょっとずつ色を変える「青(形容できないので宮古ブルーとでも表現するのが良いのだろうか)」がいつもそこにあった。

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これまで不安だったり恐怖の対象だった海だったが、この5泊6日のなかで、確かに海は私のそばにあり、なんだか溶け合ってしまいたいような、不思議な安心感を覚えたのだった。

わたしのなかの心の変化としての「海が好き、かもしれない」

海には入るつもりは毛頭なかったのだが、おそるおそる海に入ったりもしてみた。

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最初はめちゃくちゃびびりながらだったものの(風も強くビビり散らかしていた)、案外怖くない、フナムシもいないし汚くない、など、ひとつひとつ不安要素を消していき、

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数日が経つにつれ、(完全なる引きつり笑顔ではあるが)少しずつ海に慣れることができた(このとき足は海に浸かっている。ヒートテックが見えているのは、こう、ご愛敬ということで…)。

結局のところ、自分自身は滞在期間中最後まで海に入ることはなかったのだが、周囲の「海は案外この時期でも入れるよ」「魚がきれいだった!」「海が透き通っていた」「ダイビングは無理でもシュノーケリングくらいならいいんじゃない」といった声を受け、「来年は海に入ってみよう、まずは水着を買うとこからだ」と意外にもノリノリな自分がいる。

もちろん、去年の初来訪時から空の高さや星のきれいさから宮古島のことは特別な場所だと思っていたのは事実だ。
しかしながら、宮古島のメインの魅力である「海」に対する精神的距離が縮まり、興味を持ち、仲良くしたい、そう思えた瞬間に、わたしは「あ、わたし、宮古島のこと好きになったな」と思ったのであった。

自分のなかで、この心境の変化は苦手の克服であり、新しい「好き」の発掘でもあったため、拙いながらもその経緯をしたためておこうと思う。

人事ごった煮会の振り返りnoteはこちら

宮古島のおすすめスポットなどについて書いたnoteはこちら

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