CLOSER ポップサロン 第1回 シバノソウ

「出会ってください」

17歳の新星、初インタビュー!

60億のポップファンのみなさん、おはようございますこんにちは。さて、今回から不定期で、津田によるインタビュー連載『CLOSER ポップサロン』がスタートします。ミュージシャンに限らず、音楽にかかわるいろんな人といろんな話をする場になれば、と考えています。

初回は、初ワンマンを前に初インタビューとなる、シバノソウ。内容は活動の流れと方法論みたいなところが中心なので、詳しい生い立ちや作品論的な話はまたいつかできたらいいですね(どんどん売れてアポが取れなくなったりして)。では1万字オーバーのロングインタビュー、「今日は平手さんのつもりで!」と無茶振りをした甲斐あって素敵な写真の数々とともにお楽しみください。

●インタビュー・テキスト/津田 真

●写真/Blanc Bleu Photo Service

◆私のウィキペディアには間違いがない

――今につながる感じで、意識的に音楽を聴き始めたのはいつ頃ですか?

「父親がバリトンサックスの奏者で、音楽は日常的に流れてる環境でした。母親は元ナゴムギャルで(笑)、音楽というよりサブカル家系でしたね。小さい頃からテレビブロスが家に置いてあったり」

――ウィキペディアにも載ってるやつですね。

「誰か大人が作ってくれて。あれ一個も間違ってないんで(笑)。で、そのテレビブロスがきっかけで音楽やることになったんですよ。それまでは別に、音楽やろうとかまったく思ってなくて、何ならモデルとか女優になりたかったぐらいな。目立ちたがり屋ではあったので。小6で中学受験をして、倍率8倍くらいのところを受かって、中1の最後くらいまでは有名企業に、って思ってて。商品の企画開発をして『シルシルミシル』に出るっていう小さい夢を(笑)」

――その「テレビブロスきっかけ」は中1ですね。

「中1の最後に男の子に振られて、誰も信じられなくなって。親友が、その好きな人とつきあってた、ってオチで、絶望して。で、誰にも言えなくなって。ちょうどテレビブロスの最後の方のページに《電話をかけてこい》って載ってた読者との交流企画の、ジョン・ヒロボルタさんの番号に電話して。そこでも最初、何も出来なかったので、きゃりーぱみゅぱみゅの取材に同行していきなり《あなたを越えます》って面と向かって言ったのに、その帰りにヒロボルタさんに《私、何やればいいですかね?》って凄い訊く、みたいな(笑)」


◆母が渡してくれたCD

「音楽を聴き始めたのはブロスとか関係なくて。中1で王道から外れた瞬間があって、中2の時にあんまり教室に馴染めなかったので図書室によく行ってて。中高一貫な学校なので高3とかもいて、そこで仲良くなった先輩とかにナンバーガールを教えてもらったり、中2でeastern youthを観に行ったりしてて(笑)。バンドがもともと、凄い好きで」

――わりと最初からパンク/オルタナ寄りのものに?

「入口は、キュウソネコカミとか普通に好きで。group inouはライブも観てます。YouTubeの関連動画で出てきたものを、ずっと観ては好きなものが増えて。アイドルも、好きになったのはここ1年くらいだけど、そういう感じで」

――そこから自分でもやってみようと?

「ブロスの企画が、読者との交流ページからフェスをやることに発展して《君も出なよ》って。《とりあえずやってみます》ってギターを始めて。その時に母が人生のCDを渡してきて《曲なんてこれでいいんだから、たくさん作りなさい》って言ってきたんです。私、初めて行ったライブ、筋肉少女帯なんです。小2か小3くらいに、Zeppの2階で観て(笑)。今思うとおかしいけど、私はまっとうに生きてたつもりだった(笑)」

――子供の頃は比較対象を持たないから疑問に思わないですよね(笑)。

「だから意識的にっていうと、中2の図書室から。当時は檻に囲まれてる感じだったので、中3まではテレビブロスの企画で年1~2回ライブして。それ以外は門限10時とかで、ライブ行ってもアンコール観れなくて帰って来る、とか」

◆初ライブ

――そして初ライブですが、どんな曲をやったんですか?

「中2ですね。“CANDY CANDY”(きゃりーぱみゅぱみゅ)のバンドカバー、その時のベースの人が今もバンドで弾いてくれてます。あとブロスの企画でデモを募集して、“デスワード”って死語を並べただけの曲を送ってきた人がいて、それと、クリープハイプが好きだったので“憂、燦々”を弾き語りで。その3曲をやりました。それがウィキペディアにも載ってる、掟ポルシェとジョニー大蔵大臣の間っていう(笑)」

――2014年5月、西荻窪FLATでデビューと。

「気づいたら…まっすぐ生きてきたんですよ、私は。でもそういう家系だったというか(笑)、サラブレッド的な(笑)。音楽がそばにあった、というより、サブカルチャーとバンドとかが一緒みたいな感じが、ずっとあったんだろうなって。…ヤバい。話しててヤバいと思いました(笑)」

――その初期の頃は今と全然違う訳ですよね?どこかで今のシバノソウに「なる」と。

「中高一貫で檻の中だったのが、高校でちょっと檻が外れた感覚があって。家の門限とかも。中学の時はテレビブロスに載ったのがバレただけでも大騒ぎで、あんま覚えてないけど大問題になったような(笑)。面倒臭いなーと思ってたけど、高校である程度、自由になって。高校生になったら独り立ちして音楽やろう、って気持ちは中学の時からあって、オリジナルを作ってたりして。シンガーソングライターはモチベーションを保つのが難しいって、たまに聞くんですけど、そういう面では私は最初から《売れたい》に凄い特化してた。何でか考えたら、振られた経験が大きい(笑)。最初のCDのタイトルが『愛憎?』(あいぞうクエスチョン)だし、見返したい、学校に馴染めない、《でも私にはこれがあるから》って気持ちで《売れたい》って。あと、バンドが組めなかったっていうのも」

――本当はバンドが…

「組みたかったんですよ(笑)」(※2nd CDのタイトルが『本当はバンドが組みたかった』。同名曲を収録のミニアルバム)


◆夢と現実がぶつかった瞬間

「例の振られた男の子とバンドを組んで後夜祭に出ようって話になって。でもそのオーディションの日に私が部活の大会があって出れなくて、バンドはサポートを入れたけど落ちて。私は後夜祭までのバンドだと思ってたけど《これからも一緒にやってこうぜ》みたいなノリになっちゃって。私もう一人で始めたし、バンドも部活も無理だと思って、バンドは自分から辞めたんですよ。だけどサポートのメンバーが結局加入して、良い感じになってたから《私のおかげでバンドが組めたね》ぐらいの気持ちだったけど、まったく恩を感じてもらえてなくて(笑)。ムキーっとして、もっとがんばろう…と。で、ネットで知って『シブカル祭。』観に行ってて、たくさんの人と話したり、GOMESSくんとかいろんな人と仲良くなって、高1の時に『シブカル祭。2015』に出れたんです。今の活動を始めて半年くらいで。その時に、夢と現実がぶつかった瞬間があって、そこから何がなんでも売れようって気持ちが増して。それは今のモチベーションになってますね。最初は振られたショックとかあったけど(笑)、それだけじゃやっていけなくなった時に」

――『シブカル祭。』は大きかった?

「大きかったですね。高1で、好きな人達に自分のやっていることを知ってもらいたい、何ならほめてもらいたい、見つけてもらいたい、って気持ちが大きくなって。そこから本当に胸張ってやろうって思うようになりました。GOMESSに感謝してます」


◆サウンドPとの出会い

――今の弾き語り活動は、高校生になってからですよね。

「それまではサポートのバンドが毎回やってくれてました」

――で、最初のCDが出ますよね。

「高1の8月に。りょさん(that's all folks)との出会いが大きいです。本当に恵まれてるなと思うんですが、テレビブロスの『フェスボルタ』主催の人がキネさん、今のサポートのベースの人なんですけど。りょさんはキネさんと同じ大学出身で、自分の活動の音源制作の他にも誰かやってみたいなって言ってたらしくて、キネさんがつなげてくれて。私がCD作りたいけど作り方がわからないどうしようって時に紹介してくれて初めて会ったんですが…」

――初対面はどんな感じでした?

「まだアイドルとか詳しくなかった時なんですけど《これからぱいぱいでか美ちゃんのライブがあるからゴメン帰る》って1時間ぐらいで帰ったのが初コンタクト(笑)。良かったのは、りょさんに神楽坂TRASH-UP!!を教えてもらったこと。それまではライブのノルマ毎回2万円とか払ってたので。お年玉くずして、友達にチェキ借りて300円て値段でも誰もいない、って状況で、ノルマなしのライブを教えてもらったら、その時の対バンが少女閣下のインターナショナルで、何だこれはと思って。何回か出演して少ナショとあヴぁ(あヴぁんだんど)と仲良くなって、ヲタクもして。コールとか、まったくわからなかったのを教えてもらったりして(笑)。りょさんもヲタクだけど良いヲタクだし(笑)、ヲタクと演者、両方の立場からアドバイスくれるし、私と違って計画性がある。ただ最初から《プロデュースはしないから》って言われてたので、サウンド、編曲だけ」

――制作の流れは?

「オリジナル曲の弾き語りをボイスメモに録って送って、それをりょさんが編曲して宅録して。ギターは私が弾くこともあるけど、他はアレンジしてくれて、最後にスタジオで歌入れ。今のバンドはりょさんがバンマスで、バンドで作った音を宅録して、後から歌を録る形。初CDは『フェスボルタ』が渋谷club asiaで開催する時に発売して、初日に40枚とか売れて。300枚作って、もうほぼ完売です。『フェスボルタ』出身…だとイベントがあまり知られてないので、格好良くテレビブロス出身で(笑)。生粋のサブカルロードをたどってる感じ(笑)」

――家にテレビブロスがあったところからだし生粋ですね(笑)。

「全部のつながりが全部活かされてる感じがあります」


◆4ヶ月の休止と再開

「高1の最後に4ヶ月休止するんですよ。進級が危なくなって、課外活動やめろって感じになって。復活が高2の4月」

――無事に進級して。

「ギリギリ。ホントにギリギリ進級して。で、生誕ライブやるって決めてたので《やります》って言ったけど、誰もいなくて」

――「いなくて」?

「復活があんまり話題にならなくて。ギリギリすぎて《やりましたー!(拍手)》みたいな感じじゃなかったのと、4ヶ月いなくなっただけで忘れられてるみたいな感じだった」

――かつてはCDが初日で40枚売れて…。

「『シブカル祭。』も出たのに…」

――ちやほやしてくれてた人はどこへ…。

「ていうか普通に復活したこと誰も知らないし、それでメンタルまいって。でもテレビブロス関係で『やついフェス』(YATSUI FESTIVAL! 2016)にも出て、高校生のうちに売れなきゃ、このままじゃいけないと思って生誕も無理矢理やろうと決めて。『やついフェス』でもフライヤー1300枚配ったり。めちゃくちゃ大変だったけど、生誕終わったぐらいから結構…波が来た、気がします。7月3日(※誕生日は7月2日)に、昼が新宿MARZ、夜が阿佐ヶ谷LOFT Aっていう、フォロワー800人がやることじゃないだろって感じの。つながりがちょっとずつあって今でも仲良いありがたい共演者全員でコラボして。GOMESS、ぱいぱいでか美ちゃん、西村ひよこちゃん、少ナショとか。それが今でも核になってるというか、明らかにシンガーソングライターぽくないのがハマったなと思って。自由で楽しかった。《あ、自分はシンガーソングライター畑の人じゃないんだ》と(笑)」

◆里咲りさの「影響」

「あと『やついフェス』と生誕の前に、高松に遠征に行ったんですよ。私が今の感じになったのは、その時の里咲りさが悪いんです(笑)。ソロでやってる子たちが出てて、他にも姫乃たまちゃんや、大石理乃ちゃん…。ソロの人に影響を受けたというか。お客さんを楽しませようとする心、なんですけど、完全に。今でもたまに《高松の時は可愛かった》って言われるんですけど、その時まで《可愛い》って言われたくてやってるところが若干あって。家と学校以外では《可愛いね》って言われるために作ってた部分があった。でも高松で、お客さんが楽しんでるのを見たから…ただ、それがクソイベ(※)だったっていうのは、どうすればいいのかわからないんですけど(笑)。『里咲りさバスツアー』について行ったのは完全に正解で、そこでヲタクの人に初めて認識されたというか、それ以上にホスピタリティーを学んだと思う。仕事への向き合い方とか、ソロでもこんなにできるとか、事務所に所属してないのを弱みにしてない人たちを見て影響を受けた。わりとそこから面白い方向に、私も行っちゃった気がします(笑)。《あ、やり方いっぱいあるんだな》と、そこでわかった感じがするというか。影響受けすぎて、その日に里咲りさちゃんに手紙書いて渡しました。もともと母親がりっちゃんのこと知ってて《里咲りさちゃんが一緒なら行ってもいいよ》って」(※「里咲りさ バスツアー」で検索してみましょう)

――何か厳しそうなのに急に高松に行けたのはそういうことだったんですね(笑)。

「主催の人にそう伝えたら、りさちゃんとコンタクト取ってくれて、同じ飛行機の便で行くことに(笑)。それまでは《少ナショのしゃちょー》って感じだったのが、社長としての業務も、ホスピタリティーも、やってることも…《私がやってることって、そんなにお客さん楽しくないかも》って思って、考えましたね、そこから」

――それでステージにすぐ変化があったりしました?それとも少しずつ?

「その時はまず、手紙の方に向かいました(笑)。自分はやることが精一杯というか、やってることはずっと、ギター弾いて歌ってるだけなので。でも《がんばろう!》と思ってやったら東京から来てくれた人が《前に観た時はそんなにって感じだったけど今日は凄く良かった》って言ってくれたりして、来て良かったなって」

――そこからライブの作り方、ステージへの向かい方が変わった?

「楽しくなりました、完全に。今まで《売れたい・見返したい》だけでやってたのが、《楽しい》っていうのがわかったので、それで生誕もうまくいったんだろうなって」


◆アフター里咲りさ

――やる曲は同じでも「アフター里咲りさ」ではステージで変化があったりしました?パフォーマンスとか。

「あー《アフター里咲りさ》は変わりましたね!私らしくなったというか、明るくなったねって言われます。それまで、自分のやってることがあまり好きじゃなかったんですよ」

――曲は好きで書いてました?

「歌詞書くのは好き。もともとバンドが好きでシンガーソングライターは大森靖子と石崎ひゅーいくらいしか知らなくて、シンガーソングライターって名乗るのダサいな、くらいに思ってて。でも気持ちが変わったので、何か…」

――面白みを発見した、とか?

「好きで書いたその歌詞を、ちゃんと伝えてもいいんだ、みたいな。そう思ってからは変わったかな。特に去年12月に下北沢シェルターで企画やった辺りからは変わったと思います。ただ、お客さんも入れ替わって」

――自分が変わることでお客さんも変わった?

「前の方がシンガーソングライターっぽかったんですよ。私が楽しいことしたり、アイドル方面に寄ったりすることで、それが無理っていう人もいたし。でも楽しいことをやってたら新しいお客さんは入ってきたから。それに伴って実力も、ちょっとずつ上がってくのがわかった」

――いわゆるシンガーソングライターのシーンってありますよね。もともとはそこにいたんですよね。

「今でも渋谷gee-ge.とかには月イチで出てるし、シンガーソングライターを名乗って恥ずかしくないことはしてるつもりだし、出るライブによって結構、内容は変えて。盛り上がる曲をやるかどうか、合いの手を入れる曲は、フリップは使うか。今みたいなライブになったのは《アフター里咲》だし、生誕のあとかな。やっと自分がやりたいことが掴めてきて、《売れたい》ってぼんやり思ってたのが《こうやって売れたい》と」

――「売れたい」のヴィジョンが見えてきた。

「その中で、事務所に所属しないで一人でやれるところまでやってみようとか、どこに行っても恥ずかしくないように力もつけながら、楽しいこともしようっていう前向きなものに。休止明けからの1年で、私の覚悟も変わりました。これから上に行くためには勢いだけじゃダメだし、そのための実力はこの2~3ヶ月でついてきた感じもあります」

◆スクールフィクション

――現時点での最新CDが『スクールフィクション』、2nd CD収録曲の新録シングルですね。

「高校生のうちにこの曲を書けて、このクオリティーで出せた、ってことはこの先も残るだろうなって思って。各方面に送ろうとか考えて、バイトしてお金を貯めて作りました」

――そういう認識を高2で持てたのはなかなかですよね。みんなもっと漠然としてますよ。

「んー、高校生の知り合いがいないんですよね、全然(笑)」

――それだ(笑)。大人とか、社会に出てる人達と付き合ってると、そういう視点がいろいろ入ってくる。普通に学園祭バンドとかやってたらまだ今も…。

「あ、じゃあバンド組まなくて正解だったんだ(笑)。だって私、ザゼンのコピーバンドが出来てたら今こんなことしなくてもよかったですもん(笑)。でも私がこんなに同級生とか振られた人に執着してるのに、向こうはまったく気にしてないのは何故だ!(笑)」

――でも「売れたい」の動機がネガティブなところから前向きに切り替わって。

「同級生に胸を張れないから、ライブ来ないでって言ってたけど、今は自分がやってることが楽しくなった。今までは売れるためにやることを考えてたけど、楽しいことをやってそれが売れたら良かったねっていう方が合ってるな、売れるのは運もある、ってやっと気づいたんですよ。…大人の人と喋ってた時に《今日のライブ全力でやった?君は何でやってるの?》って訊かれて答えられなくて。《その中途半端なのは伝わってるよ》って言われて。全力でやろう、と思って全力でやったら、レスポンスも来るんだとわかって。その時には、昔好きだった人のこととか忘れてたんですよね。だから《楽しい》にフォーカスした方がいいなって」

◆歌詞の変化

――そうして切り替わったところから、書く曲も変わりました?まだCDになってない曲ということになりますが。

「前は歌詞を書くのは好きでも、恥ずかしかったんですね、等身大の姿が出ちゃうから。同級生が聴いたら《こいつのことだろ》ってわかる感じが…」

――歌詞、全部暗いですよね(歌詞カードを見て)。

「明るいじゃないですか!嘘…暗いですか?(歌詞カードを覗き込んで) えー、暗いと思って書いたことなかったです。うーん、でも《何とかしたかった系》ですよね(笑)。後悔の念が(笑)。ああ、でも今度出す曲はヲタクに《ありがとう》って曲なので、変わりました!(笑) 前のアルバムは恨みとつらみしかない」

――これまでのCDに入ってる曲は、虚無感や孤独感が凄く強いですよね。

「そう…ですね。コンプレックスがめちゃくちゃ強くて。《お母さん》て何回か詞に出てきますけど、私、お母さんのこと好きなんですけど、ずっとブスとかデブとかバカとかアホとか(笑)、言われて育ったので、自分は本当にブスで何も出来なくて、って思い込んでた部分があって。そういうのもコンプレックスだし、同級生といても馴染めない、バンドが組めない、友達が少ない、教室にいない、お弁当食べる相手がいない、とか…。そんなことないよ、って感じだけど歌詞だとモロ出ちゃうというか。後悔とか愛憎とか恨みとか。私はこんなにやってるから勉強出来なくても大丈夫だぐらいの気持ちでいても、学校にはそれじゃダメだよって言われるし。同級生に見栄張ってるつもりでも、振りしてるだけでそんなに凄くないし、って感じで…。でも、もうちょっと広い範囲で自分を見た時に書きたい対象が変わったというか。新譜はめちゃめちゃ明るいと思います。沸き曲もあるし」

――でも、じゃあ今のシバノソウから入って昔の曲を聴いたら良くないかというと、ちゃんとつながっているし、歌詞やパフォーマンスが変わっても本質的な孤独みたいなものは伝わると思います。

「だったら嬉しいです。あんまり明るくないんでしょうね、私(笑)」


◆居場所はないけど、それがいい

――今のライブについてですが。

「ライブ凄いやってるんですけど、全部来てほしいんじゃなくて、自分の合う現場を見つけてほしくて、たくさんやってるところが。座って観れるハコもあれば、盛り上がりたい人向けにはバンド編成も。あと私はめちゃめちゃ優しいので、他の推しが大事な時はそっちに行ってくれって凄い思います。《なっちゃん行きな》(※)って私が言う、みたいな(笑)。私は別に、すぐに辞めたりはしないので。楽しめるとか面白いを大事にしたい。ハコの雰囲気とかに合わせて結構変えているので、どういう所でも胸を張ってライブをしようと思って」(※なっちゃん:元あヴぁんだんど・小日向夏季。2016年12月卒業。現在、エモクルスコップ・雨宮未來として3月18日より活動再開中)

――ハコに合わせるというのは、多面体的な表現を?

「そうですね。どこに行っても居場所がないなって私は思ってるんですけど、それがいいんだろうなって。シンガーソングライターでこんな感じの人って、あんまりいないと思う」

――そういう意味での居場所のなさってことだと、それこそ里咲りさもぱいぱいでか美も、居場所がなくて自分で切り開いてきた訳で。シバノソウもこれから自分の道を開拓して行くと。

「企画とか今回のワンマンとか、自由に出来る機会に、自分のつながりをフル活用した時に《出るよ》って言ってもらえたり、今までが活きてる。そこを大事にしながら、そこにも来てほしいけど、普段はお客さんが楽しめるところを一緒に見つけていこうね、って感じです。めちゃくちゃ楽しいことをしてると思うし、それはワンマンや企画で存分に発揮されてるかと。たまに《私も面白いじゃん》て思う瞬間あります、りっちゃんだけじゃなくて(笑)」

◆凄い大きい「内輪」を作りたい

――「売れる」ということについての将来的なヴィジョンを、今どんなふうに考えてます?

「いつも笑われるんですけど、木村カエラになりたいってずっと言ってるんですよ」

――シンボリックなニュアンスで。

「そうです、別にジッパーのモデルになりたいとかではなくて。若いうちからずっと売れてるってイメージがあって、途中でまたヒットも出すし、旦那は瑛太だし(笑)、子供もいるし、まだ可愛いし。《良い》と思って、ああいう売れ方。あと、いろいろやりたくて。音楽メインだけどテレビブロスにコラム持ちたいし、『saku saku』終わっちゃったけどそういう番組の司会とか、ラジオとか、映画も出たい!」

――サブカルチャー全般ですね。

「そういうのわりと全部やってるのがカエラちゃんだなって。大森靖子さんとかは世界を変えるけど、私は世界を変えたい訳ではなくて、全女子を肯定してる訳でもないから。凄い大きい内輪を作るというか、今の内輪の範囲を広げてって《みんなで楽しいものを作ろう》って、一緒に進めたらなって。今は実力を磨いて。…事務所とかは高校生の方が売りやすいし欲しいんだろうけど、音楽やるのって大学生になってからでもいいじゃないですか」

――音楽やることじたいはね。

「それは学校の先生にも凄い言われて。でも、今やらないと意味がないな、って。今自分が出来ることを、今出来る精一杯で、ずっとやっていかないと、たぶん売れないなって。だから突き詰めてやってるし、それは無駄にならないだろうと思ってます」

――十代半ばくらいは特に、価値観がどんどん変わるし、表現/アウトプットをしつつも、どんどんインプットしていく時期で。1曲書いてもすぐ自分の中で古くなっちゃうとか歌えなくなることがあると思います。例えば“スクールフィクション”は当分歌っていけそう?

「恥ずかしくなるだろうな、っていうのはあって…」

――それは絶対あると思う。

「だって1st CDの中の“ラブソング”、もう歌いたくなくて。バンドマンが好きだって内容で、今は《最悪だよ》って(笑)。当時、■■■■とか大好きだったので(笑)。でも“スクールフィクション”は大丈夫かな。その時々の情景とかを根に持ってて、その気持ちを思い出しながら歌ってるというか…」

――演奏する時に思い出す?

「そうです、思い出します、いつも。その時の気持ちを思い出せたら、まだイケる。まあ新曲も出来てくるから織り交ぜながら。ただワンマンでは全部歌うから、恥ずかしくてしょうがない。でも振られた痛みとかだけじゃなくて、この調子で行ったら明るい曲が書けるようになる可能性もなきにしもあらず…って思って考えたら、新譜そんなに明るくないな…」

――そこが良いんじゃないですか?(笑)


◆一緒に「非日常」へ

――初ワンマンは『非日常へ連れてってあげるよ』というタイトルで。

「中学ぐらいから《非日常》というものに対する憧れが凄く強いんですよ。昔の歌詞とか見返すと、たくさん《非日常》が出てきて」

――自分の中のテーマみたいな感じですかね。

「一緒に道を歩く的なものだとしたら、たぶん、他の人を応援するより応援しがいがある気がするので、企画やワンマンだけでも覗いてくれたら。何かを感じとってもらえるようにしてるつもりなので、1回観てみてほしい」

――最初の1回が難しいですよね。

「だからこの2~3ヶ月は、名前と顔とパフォーマンスを一致させようって、そこに凄い特化してライブをやってて。やっぱりアイドル界隈は名前が広まるのがはやい。だから《名前は知ってる》って人に来てもらいたい、って凄く思ってて」

――ワンマンは絶好の機会ですしね。

「《売れたい》って言ってる子がどうやって売れてくのか。その過程でメディアとかに出たら《そんな子いたな》って見つけてもらえたら。どんなところからでも、出会ってほしい。私、どこにでもいるので!どこにでもいますよ、サブカルのフィールドだったら。だから、どこかの街角で会いましょう!」

(2017年3月14日 新宿にて)


★シバノソウ  twitter @soshibano


★シバノソウ  初ワンマンライブ

『非日常に連れてってあげるよ』

2017年3月30日(木)@渋谷Milkyway

OPEN 18:00 / START 19:00

前売 ¥2500 / 当日 ¥3000(+1drink)


★シバノソウ『スクールフィクション』MV


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