しずくだうみの闇ポップ講座(8)

●テキスト/しずくだうみ

年賀状について

 このコラムの締め切りからはや4日ほどが経過した。締め切りというほど急かされたりはしないし、「このくらいに出していただければ…」とのことなのだが、あまりのろのろしすぎているとあっというまに掲載日がやってきてしまう。今回は「乗り物」について書こうとしたもののうまくいかず、書いては消し書いては消しの繰り返し。もやもやする日々が続いていた。
 年賀状販売ののぼりを見て、今年、いや来年もファンの皆さまに書かねばと思い、ツイッターで希望者を募りはじめた。このコラムのテーマに行き詰まっていた私は、「あっ年賀状なら書けるかな…」と軽い気持ちでウインドウを開き、この文章を書き始めた。
 SNSが普及しWiFiも発達した現在は、ひと昔前の年明けの定番、あけおめメールや電話で回線が混み合うということを聞かなくなった。聞かないだけで混み合っているのだろうか。
 年賀状は小学生の頃が一番書いていた気がする。平均で50枚くらいだっただろうか。せっせとお絵描きをしたりシールを貼ったり、写真を加工してもらったり、創意工夫をしていたことを覚えている。あまり書かなかった年でも5枚ほどは書いており、それでも友人に「5枚はさみしくない?」と言われたりした。果たして友人はどれだけ書いているのだろうか…。創意工夫をして楽しく書いていた頃は遥か昔となってしまったここ数年は、しずくだファンの方々くらいにしか出さなくなって、プライベートで出す年賀状はほぼゼロである、さみしいどころの騒ぎではない。そんな私に律儀に毎年送ってくれている友人に今年はさすがに出そうかという気になってきたが、書く時になったら面倒になってしまう気がしてならない。いやそこは頑張るべきか。
 私が年賀状を書かなくなったのは、単純に面倒くさがりということがもちろん一番大きい理由なのだが、学生時代に年末年始の郵便局でアルバイトをしたことがあることも関係している気がする。大量の年賀状が続々と運び込まれてくる密閉空間で、ひたすら細分化された地域に分け続け、他の人が分けたのをさらに確認し、それが終わったら再び分け…の繰り返し。思考停止せざるを得ない作業の中で、思うことはただひとつ、「年賀状ってなんなんだ…」ということであった。1時間働くごとに5分程度休憩が与えられるのだが、その時間では外に出ることもできず、たまっていたメールを返すのだが、休憩場所は電波がなかったからポケットに携帯電話を忍ばせて作業中にメールを受信し、休憩場所で携帯電話を取り出し返事を書いていた気がする。でもなんのメールだったかはさっぱり忘れた。そんな労働環境でうんざりした私は「年賀状を無駄に出しても郵政公社は潤うが、アルバイトの人間はつらいだけだ…」と思い、ますます年賀状を出さなくなっていった。
 年賀状について書いているのにdisのようになってしまったが、実際のところ特に何の感情もない。今年は来年の分をせっせと書いてアルバイトの人間を困らせることにしよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?