しずくだうみの闇ポップ講座(5)

死と葬式について

●テキスト/しずくだうみ

小学生の頃はお香の匂いが苦手だった。葬式の記憶とリンクするからだ。
私が生まれた時、曽祖母(祖父母の母親・俗にいうひいおばあさん)がふたり健在だった。つまり、生まれながらに二十歳までに葬式に行く可能性が高かった。記憶が曖昧だが、ふたりとも私が小学生のうちに亡くなった。曽祖母とは緩やかなつながりだったものの、可愛がられていたことや、人の死という衝撃の大きさでわんわん泣いた。匂いと記憶は密接にリンクするらしく、初めての葬式のあとから、私はお香の匂いが漏れ出すアジアン雑貨の店の前で泣き始める少女になった。
ふたりめの曽祖母が亡くなった数年後、曽祖母の息子にあたるおじさんも亡くなった。曽祖母とおじさんは三鷹の奥地の小さな一軒家に住んでいた。曽祖母が亡くなって以来私はその家から足が遠のいていたように思う。生前よりもはるかに小さくなって棺に納められたおじさんは、三鷹の家ではっさくやお菓子を沢山持たせてくれたその人とは別人に見えた。そのせいか悲しみの実感がそれほど湧かず、曽祖母よりはるかにお世話になっていたと思うのだが、泣き方は比較的穏やかであったように思う。
そして1年半前に、母方の祖父が亡くなった。だんだんと弱っていく姿を見ていたからなのか、大人になったからなのか、病院できれいに死んでいったからなのか、大きな悲しみは訪れなかった。火葬をする時に係員の方が棺を炉に入れ、蓋を閉じ、「お別れでございます」と割と大きな声で言うと、移動で疲れて車椅子に座っていた祖母がしくしくと泣いた。車椅子を押していた私もつられて泣いた。勿論悲しくはあったが、それ以外の場面ではあまり泣かなかった。
生きてきたなかで、親戚の他にも友人や知人の死があったが、思い出の量と死の衝撃・悲しみは必ずしも直結しているわけではないようだ。幼少期よりは感情をコントロールできるようになった今でも、お香の匂いは葬式の記憶とリンクする。リンクはするが、泣きはしない。大人になったと言えばその通りなのだが、感情の振れ幅が狭まることに若干の恐怖を覚えるのは単純に私がシンガーソングライターだからという理由だけなのだろうか。

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