しずくだうみの闇ポップ講座(7)

●テキスト/しずくだうみ

言葉について

 大学生の時に「気持ちは言葉で伝わるものだから」という歌詞を書いた。態度などでも伝わる部分はあるけれど、誠意があったら言葉で説明しようとするだろうという私のスタンスの表れである。でもある時までは言葉をそこまで重要視していなかった。
 高校に入学して授業が始まり、先生方が用意した最初の挨拶を代わる代わる聞いて1日が終わる時期のことだった。国語総合の授業で、私とは相入れなさそうな少しワルぶっている男子と隣の席になって嫌だなぁと思っていたら、女の先生がヒールの音を立てながら教室にやってきた。先生は50代半ばくらいだろうか。折れてしまいそうなほど細い身体なのに、それを支えるしなやかな筋肉がきちんとついており、さらに年相応でありながら美しい顔や、長くて丁寧にまとめられた髪もあいまって、奇妙な印象を受けるのだが、その奇妙さは絶妙なバランスを保っているように思った。
 教卓につくと先生は一通り自己紹介をした後、こんなことを言った。「おなかがいたいという言葉がなければ、おなかのあたりがなんだかおかしいと思うだけで終わってしまいます。痛いということが表現できて初めて不調を訴えることができる。気持ちは言葉で伝えるものです、言わないとわかってもらえない。愛などももちろん同じです。言って初めて具体的に相手に伝わります。そういう練習をこの授業ではやります。」絶妙なバランスを保つ先生から放たれた言葉は、高校に入学したばかりの私の中にすっと入ってきた。私は先生の言葉を熱心に聞いた。隣の男子はぐーぐー寝ていた。熱心に聞いている私も、ぐーぐー寝ている男子も、その時の先生にとっては大差なかったであろうが、私にとっては衝撃的な出来事で、何度も何度も先生の言葉を頭で反芻した。
 様々なカリキュラムを経た約1年後、その授業の終わりの時間がやってきた。先生は1年間どうでしたか、などと訊いていた。そして、「私が最初の授業で話したことを覚えている人はいますか」と言った。誰も手を挙げなかった。ぐーぐー寝ていた男子はその日も眠そうだった。先生はその男子を指名した。「え、わかんないっす…」と男子はむにゃむにゃ言った。「他に誰か覚えてないの?」と先生。タイミングを見計らって私は手を挙げて、4月に先生が話したことを述べた。先生はすごく嬉しそうだった。そして私に言葉がなければ、私が先生の言葉を覚えていたことを伝えることができなかった。あの日、先生の言葉を熱心に聞いて、その言葉を心に留めながら勉強してきたことをずっと言わずにきたけれど、なんとか伝えたいと思っていたのを実現することができた。
 最初の授業の時から私はそれまでより言葉を重要視するようになり、最後の授業でそれがより強固なものとなった。その精神は大学へ進んでも変わらずにあり続けたし、大学を卒業したいまでも私の中で生きていて、あの日あの話をしてくれた先生にはすごく感謝している。そして今私は、言葉でそのエピソードを綴っている。

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