見出し画像

移転しました

世田谷区の弦巻商店街で産まれました。8歳まで、道路側が祖父母が経営していた「理容 富士」っていう理容店、奥が住居って感じの借家で過ごしました。お風呂が無かったです。親父と銭湯に行ってたのをよく覚えています。親父が土地を買って家を建てて、「ヘアーサロン フジ」っていう最高にカッコイイ屋号に変えました。

修行時代は目黒品川のオンボロアパート。結婚してちょっと憧れだった二子玉川に住みました。でも、ずっと地元に帰りたかった。しばらくして弦巻商店街の築35年のマンションに引っ越しました。そこでマーさんが産まれて、空いてたマンションの目の前の物件にお店をオープンして、ちょうど10年住んで、お店を出して3年、マーさんが9歳の時に今の家を建てました。

周りからは無謀と言われました。お店は順調でしたが、いつどうなるか分からない。でも信じてました。「俺はやれる」って。

それから、死ぬほど仕事して、毎日予約でいっぱいになるお店になりました。集客は一切しませんでした。今でもしていません。「ただひたすらに来て頂いたお客様に全力で向き合う」を続けました。これは今でも、ずっと変わりません。誰にも負けないくらい仕事しました。

自分の人生が豊かになっていく中、「親孝行をしないと」と思うようになりました。奥さんとマーさんは5年経った今でも「この家最高!」と言ってくれてます。うちはもう大丈夫。最高。だから去年両親に言ったんです。

この家を建て替えさせてくれ。残りの人生、カッコ良くて綺麗な家に住んでくれ。そのかわり、1階部分を俺に譲ってくれ。費用は全部出す。

って。そして、両親は仮住まいに引っ越して実家を解体、更地にして建設が始まりました。年明けの事です。半年間。あっという間でした。

両親は住まいに必要な物、家具なんかメチャクチャ高級なもん自由に買ってる。余裕で数百万。いいですね。楽しそうです。

産まれた商店街でお店を出す事が出来て、徒歩3分くらいだけど、駅からは近くなるし、自分の実家の場所に移るだけなんですけどですね、やっと僕の夢が叶ったんです。僕は小さい頃「俺も床屋さんになりたい」って言ってたんです。親父は「ダメだ。男は自分で仕事を見つけろ。」って言ってました。僕がこの道に入る時聞いた。「3代目だからってプレッシャー感じて欲しくなかった。やりたい事があったら、それをやって欲しかっただけなんだ。だからもし、本当にこの道でやるなら応援する。」って。

親父、継がせて頂きますよ。名前は変わるけどな。さすがに今の時代ヘアーサロン フジはヤバいぜ、
clout hair&heart designに変えさせてもらいますよ。そして家1軒分じゃ返しきれない迷惑をかけたね。これから返すよ。

ちなみに内装はヨーさんに全部任せました。僕がやらなければいけない作業は1つで変わりません。大好きなヨーさんみたいな人が「ここ行きたい」って思ってもらえるお店にしたかったんです。忙しいのに毎回の打合せ来てれてありがとう。

明日は保健所の開設審査の後、オープンに向けて準備します。両親、家族みんな、仲間達、お客様、僕に関わってくれた全ての皆様。ありがとうございます。夢が叶いました。

両親に迷惑かけまくった ただの不良が、夢を叶える事が出来ました。


申し訳ないけど最高の人生ですよ

ありがとうな



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?